
その晩、その木曾福島の宿に泊つて、明けがた目をさまして見ると、おもひがけない吹雪だつた。
「とんだものがふり出しました……」宿の女中が火を運んできながら、気の毒さうにいふのだつた。「このごろ、どうも癖になつてしまつて困ります。」
だが、雪はいつかう苦にならない。で、けさもけさで、そんな雪の中を衝いて、僕たちは宿を立つてきたのである。……
いま、僕たちの乗つた汽車の走つてゐる、この木曾の谷の向うには、すつかり春めいた、明かるい空がひろがつてゐるか、それとも、うつたうしいやうな雨空か、僕はときどきそれが気になりでもするやうに、窓に顔をくつつけるやうにしながら、谷の上方を見あげてみたが、山々にさへぎられた狭い空ぢゆう、どこからともなく飛んできてはさかんに舞ひ狂つてゐる無数の雪のほかにはなんにも見えない。そんな雪の狂舞のなかを、さつきからときをり出しぬけにぱあつと薄日がさして来だしてゐるのである。それだけでは、いかにもたよりなげな日ざしの具合だが、ことによるとこの雪国のそとに出たら、うららかな春の空がそこに待ちかまへてゐさうなあんばいにも見える。……
――堀辰雄「辛夷の花」
堀辰雄の「辛夷の花」は奈良に花を見にいこうとして木曽で雪に降られた作者の随想か何かである。汽車のなかで、春の空がなんちゃらと、妄想している語り手であるが、妻や周りの人間たちには辛夷の花がみえはじめる。しかし、彼にはなかなか見えない。さすがにうまい文章だが、堀辰雄ってなんかオチが形式的というか何というかそういうところある。
僕はもう観念して、しばらくぢつと目をあはせてゐた。とうとうこの目で見られなかつた。雪国の春にまつさきに咲くといふその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくつきりと立つてゐる姿を、ただ、心のうちに浮べてみてゐた。そのまつしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫のやうにぽたぽたと落ちてゐるにちがひなかつた。……
観念の目を閉じると、彼には「心のうち」が開ける。そして雪と花の幻想が生じる。藤村ならこうはいかない。知識人の労働者階級へのコンプレックスが、戦後のある時期から急速に失われたことは確かであろうが、もう堀辰雄なんかにもあった現象であるような気がする。堀には、なぜ辛夷の花が妻や乗客にみえるのかわからないのだ。彼等には、少しでも見えたものの姿がありありと見えるに過ぎない。堀は木曽のV字谷のつくる空の果てしなさみたいなものに騙されている。しかし、そのかわりに最後に心の目にはその姿がようやくみえる。山根龍一氏が指摘していたが、坂口安吾にもあったような、遠近法の狂いは、山村と平野との交通によってもたらされた。作家の目の懲らしようというより、その地形の違いが、列車の運行によって連続的に体験されることが重要であろう。