中井正一の「委員会の論理」を読み直した。中井といえば国会図書館か委員会というイメージであろうが、私は昭和2年の「言語」という論文が重要だと思う。これに比べれば「委員会の論理」はほとんど全体主義のススメといってよろしい。というのは冗談であるが、私はこういう爽やかな抽象論は一切信用しないのである。「スポーツ気分の構造」に喜んじゃうような学者もいつもいるけれども、彼らは大江健三郎の「セブンティーン」を読んでから、この論文を再読した方がよいとおもう。戦後書かれた、三木清とか戸坂潤への追悼文をみると、戦後が彼らの時代ではないことが分かるような気がする。こういう文章はなくても困らん。というのは言い過ぎだったが、彼の文章というのは、いつも最後の一文が余分な気がする。なくても困らん。