
一軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき況して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし抑國家を保護し國権を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ
「軍人勅諭」は明治15年の文章で、そもそも小説神髄なんかが書かれていた時代には、こういうミッションが降りてきていたことを軽視するわけにはいかない。無論降ろす側は、放っておけば、これと正反対の事態が常態化しているので降ろしたまでだ。天皇の思し召しとは関係がない。
伊藤隆他編の『事典昭和戦前期の日本』には、陸軍将校には新妻に軍人勅諭を暗誦させたりする者もいた、と書いてあった。当たり前であるが、ただ単に封建的であることなどできない。いろいろなことがなされていたのである。その現場を無視して批判しつづけることに意味はあるが、それは観念や理念で統制することを別の意味で目指すことになる。
想像して御覧なさい、実に其の大景は一場のパノラマである。 金州南山陥落前後の光景、それも中々見事であったが、それにも譲らぬのは此時の光景であると自分は思つた。ことに此戦は敵にも味方にもこれといふ防備の無い純粋の野戦で、兵力も同じく、砲門も相若き双方共に執れ劣らぬ攻勢を取つて居るから面白い。[…]
自分等の観戦地から前進したのは、午後三時。砲声は既に全く止んで、其時には、西双頂山にも既に些の敵兵の影をもとめなかつた。
他紙か大塚英志氏がここを、個々の死体に接近し得ないものだと批判していたが、確かにそういう側面はある。しかしまだ「想像してごらんなさい」と花袋は呼びかけている。その想像は、無制限にのびるはずであった。まだ、これのほうが観念で戦争を批判するよりましである。