柄谷氏は、日本が誇るべきたった一つの「原理」である「平和憲法」を守って、「われわれは核戦争を体験した」のだから、世界最終戦争は終わったのだ、もう軍事力行使はしないのだ、と「言いつづけるべき」だと語っている。だが一体誰に「言いつづける」のだろうか。フセイン大統領にだろうか。 クウェートも「平和憲法」を採択して、イラクの機甲部隊に「言いつづけ」ればよかったのだろうか。いくら柄谷氏といえども、そこまで「理想」を信じてはいないだろう。それでは誰に向かって「言いつづける」のか。
アメリカにたいしてである。
なぜなら、「西洋諸国の理想」を憲法に「書き込んだ」、「核戦争」を日本に「経験」させたアメリカにたいして「言いつづける」時にだけ、「平和憲法」は、「軍事行動」の拒否としての意義をもちうるからである。
――福田和也「二重の拘束」
日本エルンスト・ブロッホ研究会の『マテリエ』1を読みふけってしまって思ったが、日本の思想家であたかも隠された希望のように復活してくる人間はいるのだろうかというと、どうもなにか紫式部とかになりがちだと思ってしまう國文学徒であるわたしであるでことだ。
福田和也氏が亡くなった。
福田和也が最後のあたりで書いてた本が、うどん屋を守れではなく「蕎麦屋を守れ」みたいな題名であったことには個人的に同意する。思想的にはどうか?
氏の功績はいろいろあるんだろうが、『批評空間』で「あんたがた日本古典読まなくちゃいかんよ」とみんなをたしなめたことと、批評家なのに授業ちゃんとやるらしいぞという傳説をつくったことがイイと思う。結局、彼は心優しすぎ、媒介者としての役回りを終えたらいなくなった、と解すべきであろうか。
政治を語るには文学的な韜晦が好きすぎた。『奇妙な廃墟』的な主題を反復している学者なんか結構多いと思うけれども、彼らこそ政治的だ。
誰かが、ネット時代に福田和也のやり方というのはペダントリーの浅さがすぐバレて無理だったのだ、と言っていた。本人達の意識と知のありようはともかく「保守」は沈黙を保持することと関係あり、所謂ネトウヨ?的なものは、保守のネット時代への無理やりな適応の結果かも知れない。福田氏はそれにのるほど馬鹿ではなかった。左派も沈黙を失うとどうなるかを考えていなかったところからみると。福田氏は日本の今日的左翼でもなかった。福田氏は、保守論壇の紋切り型さえ無理やり使って自ら沈黙の言葉を作り出そうみたいなかんじにみえた。しかし、だから結局、蕎麦屋を守ろうみたいなかんじにならざるをえないのだ。気持ちはなんとなくわかるきもするが、それだと沈黙の言葉の意義すらも失うのではなかろうか。蕎麦は蕎麦である。
そういえば、福田氏が家出してたのは、『福田和也コレクション1』の解説で知った。2011年ごろのことだったらしい。氏にあった個人的な事情をすっとばして2011年頃というのにわたくしは共感する。ここらあたりからの世の中の狂いっぷりは、アベノミクス云々ではなく、すべてを捨てたくなるものがあった。
体調が悪かったという。私レベルのものでさえ三十代までは学会や研究会に出かけるときに数冊は読んで臨んだわけであるが、福田和也ともなると下卑た座談会にも何冊読んでいったか分からない。それが常軌を逸すると――その冊数分だけトンカツと酒の本数が増えるという生理になってたにちがいない。
時代は、個人に起こったさまざまな事件を歴史にする。福田氏は思想家というより歴史をつくる人だったと思った。