得月楼の前へ船をつけ自転車を引上げる若者がある。楼上と門前とに女が立ってうなずいている。犬引も通る。これらが煩悩の犬だろう。松が端から車を雇う。下町は昨日の祭礼の名残で賑やかな追手筋を小さい花台をかいた子供連がねって行く。西洋の婦人が向うから来てこれとすれちがった。牧牛会社の前までくると日が入りかかって、川端の榎の霜枯れの色が実に美しい。高阪橋を越す時東を見ると、女学生が大勢立っていると思ったが、それは海老茶色の葦を干してあるのであった。
――寺田寅彦「高知がえり」
渡邊恒雄氏がなくなった。私と比べて明らかにこの人の方が長生きしそうな名前であった。長篇小説ような名前である。この読売新聞の首魁は、もと共産党員で、といっても花★清輝を訪ねるようなタイプであったが――元共産党はかくも世の中の役に立つ、あるいははやり元共産党はコワイなというエビデンスだったので、それが失われてこまっているひとは結構いると思う。
転向するひともそれなりに考えている。特に、運営する側にまわってみないと、だれが本質的に差別的な人間であるかは分からないことが多い、――そういうことに運動をやっているうちに気付くことが多いのであろう。むろん、廻った人間がまっさきにその評定をうけるわけである。こういう現実に比べて、疎外論は学生むきだ。例えば、むかしは、疎外されるんだったら、自分から疎外しろ、みたいな論法でガンバル闘士が多かった。志はよしという気がするけれども、自分から疎外するみたいな奴らばかりになるとどうなるのか想像しなかった人間を信用すべきではない。そういう空気じゃなかったとはいわせない。十分疑念は提出されていたからである。
そうはいっても、――確かに、転向し逆立し逆張りしたりしている我々は疲れているとは言えるであろう。