木太町には、三十番神宮もある。
三十番信仰は神仏習合で、毎日交替で我々を守護する三十の神様を信仰するものである。最澄が比叡山に神々を並べて祀ったのがはじめらしいが、主として日蓮宗・法華宗が広めたと言われている。法華経を守護する神々が彼らなのである。当然、これは神仏分離の対象になって禁止されたのであるが、いまでも全国に三十番神宮とか、番神とか言われて残っている。香川にもありましたっ
そもそも、お坊さんの説教の中にはちゃんと「神々はわしらの手下」的な話が混じる時があるわけであって、今でもじゅうぶん神仏は習合しているのである。明治政府誠にお疲れ様でした。そして、にもかかわらず、いつまでたっても餓鬼レベルである国民は掲示板には「神出現」、「ネ申」、などを連発。テレビはインタビュアーが「天国のお父さんに一言」とか――、もうめちゃくちゃである。神仏に失礼極まりなかった例でわたくしが思い出すのは、筑紫哲也の「若者たちの神々」シリーズ。
浅田彰、糸井重里、藤原新也、坂本龍一、ビートたけし、森田芳光、如月小春、新井素子、日比野克彦、北方謙三、島田雅彦、椎名誠、野田秀樹、村上龍、林真理子、戸川純、大竹伸朗、橋本治、三宅一生、山本耀司、鈴木邦男、山下和仁、小栗康平、中島梓、松任谷由実、中沢新一、細野晴臣、伊藤比呂美、高橋源一郎、鴻上尚史、楠田枝里子、ねじめ正一、松本隆、菱沼良樹、大戸天童、片山敬済、南伸坊、タモリ、渡辺えり子、川崎徹、山口小夜子、井上陽水、嵐山光三郎、中上健次、北村想、天児牛大、桑田佳祐、里中満智子、田原桂一、田中康夫
以上の五十人。いわば、五十番神である。世の中かわるものだ。
それはともかく、日本人が、こういう風にベスト何とか、いいもん集めました福袋とかをありがたがる癖は、三十番信仰とも関係がある気がしてならない――と思っただけ……。
ここでは、三光天子もおられるようだ。日天、月天、明星天のことで、法華経ではこれを重視するのである。なにしろ、日蓮の首を飛ばそうとした兵士に何かものすごい光がやってきてそれを阻止したのだ。「Xファイル」もびっくりの世界である。SFファンが宗教がかってくるのは全く不思議でも何でもないのである。
案内板を見ると、鎌倉時代に秋山信泰が山梨から越してきたところから始まったらしい。確かに、秋山は法華経の強烈な信者で、日華や日仙といった日興(日蓮の右腕の一人)の弟子たちが香川にやってくることになる。死んでも死なないお大師さんのあれもあって、四国では、どうも仏教と神道の関係は面白いものがありそうだ。とはいっても、案外、そんな関係すらもわれわれは簡単に忘れてしまうことも確かである。
この前、少し山片蟠桃の「夢の代」なんかを読んでみた。江戸の商人で儒者だった人だが、いまは無神論・合理主義者として知られている。しかし読んでみると、無神論というほどのことはなく、かえって、合理主義と国家神道が結合しやすいそのセンスが見られるような気さえしたほどであった。これはよくよく考えてみたいことである。わたくしの誤読かも知れないが……。
それはともかく、この神社、明治以来、小学校の中にうつされたり、南海地震で大破したりと大変な目に遭って、やっと法華宗の努力でここに落ち着いたという。