★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

2024-03-02 23:37:44 | 思想


其一曰:「皇祖有訓,民可近,不可下,民惟邦本,本固邦寧。予視天下愚夫愚婦一能勝予,一人三失,怨豈在明,不見是圖。予臨兆民,懍乎若朽索之馭六馬,為人上者,柰何不敬?」

夏の王・太康は政治をさぼってしまったので徳を失っていた。弟たちが歌を作って諫めようとした。一つ目の歌に、「 一人三失,怨豈在明」とあって、人びとは(君子の)三つの失態で、表にあらわさない怨みをも抱くもんだと言っている。人びとに相対するというのは、六頭の馬車を腐った手綱で御するような怖ろしいことなのである。妙に、三つとか六頭とか言っているところがリアルであるが、いまでも、政権を支持するか否かが二十%をきるとあれとか、スキャンダルが同時に何回だとだめだとか、結局おなじような手法で上のものを脅している。

最近は、上の方も権力は下にありというのを自覚しているせいか、やたら数字で脅してくる。しかしこれを常態化させると、下の方はいつ数字を要求されるかびくびくするようになるからなのか、案外途中でやめるもんである。しかしこれは別に優しくなったわけではなく、上の方も者を数える手間が省けるようになったとふんでいるだけだ。――例えば、観光立国とかいうて、田舎にもまだまだ観光資源がありますよみたいなことを、優秀な頭脳が流出して疲弊しきった場所に偉そうに言うのはほんと許しがたいが、言っている方はもう数字で脅かすのをやめてあげてるみたいな意識がある。で、下々は、例えばお遍路とかもそうだけが、観光のためにアピールしようとするとどこかで大きい嘘が混じってくる。文化を語るときにそういう嘘が混じるようになってしまった人間はもう数を数えることさえままならなくなってゆく。

わたしはプーランクがすきで、「2台のピアノのための協奏曲ニ短調」のラルゲット(第2楽章)は世界で一二をあらそう美しい音楽だと思う。この「2」はほんとうに美しい数字に見える。しかし、この人のオペラ「カルメル会修道女の対話」は、最後、十六人の修道女が断頭台の露と消える場面で、われわれはその数を数えることの意味を加害者の意識のなかで思うことになる。


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