★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

自助・勉強・糞尿

2025-02-28 23:22:34 | 文学


リーン・フェミニズムで引き合いに出される、シェリル・サンドバーグの『リーン・イン』というのを少し読んでみたが、なるほどこういうかんじだったのか。。よく知られているように、この書物だけに反論するためにだけに書かれた本がある。わたくしはこの分野には遅れに遅れてしまったためにこれから勉強しようと思っているが、少なくとも言えることは、本人がどういう働き方をしているかみるまでは全て信用できないということだ。サンドバーグは言う「ブレーキにはじめから足を置いて仕事を始めてはいけない」「アクセルを踏み続けろ」と。これが現実の文脈によっていろいろな意味になってしまうことは自明である。しかし、セルフ・ヘルプ(『自助論』)の本というのは、少なからず文脈を踏み破る暴力的な性格に依存しているところがある。だからそれは、ある種現実に目を向ける起爆剤としての意味を持つことがある。明治に流行った自助論だってそういう面があったに違いない。

北村紗衣氏の「【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】『LEAN IN』はどこにつながったのか? ギークガールのロールモデルとシリコンバレーの闇」でも触れられていたが、サンドバーグの本にたいする、白人女性の大企業の成功譚にすぎないみたいな批判が、逆に否定的媒介になって、IT業界の人種・性差別問題を摘発する本が陸続としてあらわれることにもなったようだ。

しかし、こういう否定が肯定に、肯定が否定に転化する如き現象そのものはまだ学問の出発点にすぎない。

以前、あるIT系の人間と会ったことがあるのだが、なぜか大学卒に激しく怨みをいだいており、大学に入る奴はすべて母親が「教育ママ」だったのだと断言していたが、なんかしらんが彼のパートナーがまさに至れり尽くせりの教育ママみたいになっており、まさに否定が肯定に転化する法則を証明しているようであった。戦後の所謂「教育ママ」の起源を見た気がするが、――こういう人間たちにあるのはルサンチマンではなく人間への蔑視なのである。しかし、まだ上のITの人はのし上がってきた誇り(――というよりこれもまた蔑視の対義に過ぎないが)があって、まだ感情そのものは認識できるような気がしないではないが、同等に最悪なのは、教★学部の学生とかが、学問にのめり込む同輩を「ガリ勉」とか言って仲間はずれにしている様である。こういうのが現場に出て行っているかと思うとぞっとする。「教師は勉強だけじゃない」とか条件反射してしまう、勉強不足の人に言っておきたいのは、そういう人間は上の「仲間はずれ」を教室でも確実にやっているということである。「勉強できないけど人間性はよい」子を擁護する、みたいな雑な理屈で。そういうのを差別というのだし、その実、子どもの群れに阿っているだけなのである。具体的によくみられるのは、勉強もそこそこできる良心的な生徒や児童に調整役をやらせておいて、自分はでかい声で陽キャ風な先生をやっているやつである。正義の鉄槌を下す教師が駆逐され、そのかわりに暴力はふるわないが差別的な猿が就任したようなものだ。「教師は勉強だけじゃない」というのは、本質的に知的な勉強好きの教師だけが言ってよいせりふで、それ以外は単に自己弁護や差別になってしまうぐらいのことが分からない人間が、自分に似たような人間を集め出してしまったのが教育界の地獄である。ブラックという形容はまだ制度設計に罪を負わせようとしている点で逃避にすぎない。蒙昧な群れにみえるところに良心的な人間が行くはずがないわけだ。

ちょっと極端なみかたであるが、――平等というのは、1点刻みの学科試験でジグザグな横並びにされる感覚で、面接試験で当落みたいなものが身分制の感覚に近い。実際に、スクールカーストなんか、その平等を人間性で破壊するために行われているようなものではないか。人間性への蔑視はみずからの人間性への過剰な信仰からも生じている。

今や今やと、夜更くるまで板の上に居て、冬の夜なれば、身もすくむ心ちす。そのころ、腹そこなひたる上に、衣いと薄し。板の冷え、のぼりて、腹ごほごほと鳴れば、翁、「あなさがな。冷えこそ過ぎにけれ」と言ふに、強ひてごほめきて、ひちひちと聞ゆるは、いかなるにかあらむと疑はし。かい探りて、出でやするとて、尻をかかへて、惑ひ出づる心ちに、鎖をついさして、鍵をば取りて往ぬ。あこき、鍵置かずなりぬるよと、あいなく憎く思へど、あかずなりぬるを、限りなくうれしく、遣戸のもとに寄りて、「ひりかけして往ぬれば、よもまうで来じ。大殿籠りね。曹司に帯刀まうで来たれるを、君の御返りごとも聞えはべらむ」と言ひかけて、下におりぬ。

そういえば、落窪物語は、糞尿を用いた笑いが多いからという理由で作者が男とみなされているとどこかに書いてあった。サンドバーグももう少し子どもの糞尿についての記述を多くすればよかったのであろうか?


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