土日の疲れか寝覚めが良くない。起きたら、もうすぐ死ぬんじゃないかと思った。
夢も後味の悪いものだった。「女が階段を上がる時」を撮影中の高峰秀子が、ロケ先から私に電話をかけてきて、「高度成長反対ビラ」の出来が悪いといって私を叱りつけたのである。私は電話の前でたじたじになりながら「小学校の時、秀子さんに消しゴムを貸してやったのは僕だし、幸田露伴の本を返して貰ってないし……」とかひたすら心の中で繰り返すだけであった。「特攻隊を見送った私と、あなたとは違うわよ」と彼女が言ったので私は悔やんだ。私は貸した消しゴムを想い出すことができなかった。
上は、太宰治の「自信の無さ」の上に乗っかった、ラサール弦楽四重奏団の新ウィーン楽派のCD。私は、小林秀雄の「故郷を失った文学」より谷崎潤一郎の「『芸』について」を好む。我々はいつも何かを失っているであろうが、失った「空白」が存在するかは分からない。そこを無理矢理埋めようとしてはならない。太宰治は「自信の無さ」を売ったかも知れないが、シェーンベルクたちがそれほど自意識家であったとは限らない。