★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ゴミ溜め研究室

2011-06-18 02:39:46 | 大学
今日は、演習Ⅰの授業のあと──、その発表やレポートのあまりの酷さに発狂しかかっていたところ、昨年の卒業生Iさんがやってきたので、しばし歓談する。Iさんもなかなか苦労しているらしく、学生時代をやや懐かしがっていた。私は、大学入学以来、ほとんど大学の世界から脱出していないせいか、大学時代は懐かしくも何ともない。これは良いことかどうかわからない。

思うに、大学時代、面白そうな認識を本から得ることにあまりに集中しようとしていたためか、近代文学の研究会の仲間とも、ゼミの仲間とも、音楽仲間とも、くだらない話で楽しんだりすることをしていなかったような気がする。私は複数の集団に同時に所属しているのがよいことだと思ったから、音楽も文学もやめていなかったわけだが、それにしてもとても忙しすぎた。常駐している部室みたいなものがなかったのも良くなかった。私は賄い付きの共同下宿で大学生活を過ごした最後の世代だと思うけども、私は忙しすぎて共同下宿の仲間ともあまりしゃべることが出来なかった。とはいえ、となりの部屋の上級生からフーコーをかりるぐらいのことはあったが……。ともかくも、私には自分自身だけでやるべきことがありすぎた。

×川大の国語研究室の学生は、とても厳しい授業を学生が協力して乗り切らなければならない。しかも授業で、所謂「共同作業」とか「グループ発表」などより個人発表が多いから、個人個人がむき出しになりつつ、心理的な一体感が次第に生まれてくる。前にも書いたが、全員平等に発表で酷い思いをするからである。震災後の一体感の様なものだ。しかも、おしゃべりする部屋があるのがよいですね。廊下に漏れてくるギャハハ声を聞いていると、実にゴミ屑の様な話題で盛り上がっているようだが、ときどき太宰治や古今集の引用が混じっている。部屋を覗くとジャンクな食べ物の匂いでまさにゴミ屑であることが判明するのであるが、国歌大観や中華書局、戦時下の古本の匂いも混じっている。というのはよく言いすぎで、漢字の並んだ本の下に「君に届け」や「スティールボールラン」などが置いてあったりする。まさに、バフチンのいう「カーニバル」状態、いや、そうではなく、ただのゴミ溜めであるが、こういうところからしか面白いものは生まれない。Iさんはこういうものに懐かしさを覚えるのであろう。国語研究室の卒業生にはこういう学生が少なからずいる。外の世界は、よほど酷いことになっているであろうか(笑)まあ酷いわな、どう考えても。

だいたい、要領の良いスタイリッシュな個人がいくらカッコつけたとしても、だいたい大したことになっていないのは、この10年ぐらいではっきりしたのではあるまいか。一方、いま世間で称揚されている協働とか、コミュニティ再生とかゆー主張は、上の様なゴミ溜めを解体し、淋しい個人を翼賛にほいほい付いていくようにただ束ねようとしているだけである。だからこういう動きは、少人数のゴミ溜め的協働を嫌う。某大学ではないが、集会届けを要求する癖に、人とのつながりを称揚するというのは、一見矛盾しているようで、人を管理しようとする人間達にとっては極めて合理的なダブルバインド作戦(笑)である。

で、その必要であるところの良きゴミ溜めであるが、ただ集まって過ごすだけなら、まさに単にゴミ溜めである。ゴミに混じる文化の香りがなければ懐かしくもなんともない。やはり実力がなければその香りは生じない。ただ、学問によってはそんな感じにならないことも多いらしいのだ。もしかしたら、こういうのは文学や哲学に限った話ではないかとも思う。そこでは、個人が虚勢を張ったりカッコをつけたりできないからだ。文学や哲学がそれを禁じるからね。

追記)ゴミ箱に「萌えるゴミ」とか張り紙をするのは、お外の世界ではやらない様に。

怪奇月食

2011-06-17 02:48:41 | 日記


これでも小学生の時、天文少年だったのだ。今でも『理科年表』とか『天文ガイド』を書店でみるとときめく。昨日は、皆既月食だったのだが、地球の陰に隠れる以前に雲に隠れて見えなかった。しかし私の心には、ちゃんと怪奇月食が起こっている。

八沢祭2──今日も参加してないが

2011-06-17 00:55:57 | 食べ物

ほうばまきのご飯バージョンとタジン鍋の肉野菜炒め

鍋を開けると



屋台の焼きそば

外に出てみると、子どもが担ぐべき御輿を大人二人が運び、津島丸(山車みたいなもん)はおじさん達が引っぱっている。(妹2談)子どもがいないのだ。たぶんウメヨフヤセヨに反対しているわけではなく、生む大人が減っているためであろう……と思う。


必死に押されて行く津島丸。もう少しで、津島神社の神さまの方が人数が多くなるのではあるまいか。


闇のなかでなにかが踊っている


どうみてもヨサイコイソーラン……ナンチャラホイという踊りだそうである。ナンチャラホイ。

八沢祭──参加してないが

2011-06-16 00:39:23 | 日記
妹2=日本舞踊師匠のブログにも連続投稿されていたが、木曽町八沢の祭が盛大に行われているようである。私は参加していないが、妹の送ってきた写真を参考に参加してみたと想像したまへ。コミュニティー再生とかぬかす学者はちゃんとこういう祭に参加しとけ!


火を焚くと盛り上がってきます


巫女が行く。この人たちが100人ぐらい居たと想像したまへ。

 
ねぶた祭りだと想像したまへ。


「ろうきん」は出店ではないと想像したまへ。


こんな感じで盛り上がっていると想像したまへ。


うまーい。

瓶の中名言集

2011-06-15 00:41:09 | 文学

月が出たので


「万延元年のフットボール」をやめて「瓶の中」(秀子様)を読む。

「日本人の歩き方が、いかに貧相でみっともないかは、西洋人に比べればすぐわかるが、東洋人の中でも最低で、歩き方と姿勢の悪さにおいては残念ながら、”劣等国民”であるのを認めざるをえない。私は先日もハワイの街を歩いていて、向こうからひときわチンチクリンのガニマタが歩いてくるな、と思ったら、わが愛する夫・ドッコイその人であったにのはギョッとした。」

ちなみに、秀子様も、巴里留学中に、ショーウインドーに映ったひどい歩き方の貧相な東洋人をみて誰かと思ったら自分だったでござる、というエピソードをお持ちである。この夫婦がそんな風であるなら、そのほかの日本人は、たぶん虫レベルであろう。

「しかし、いつだったか、新聞記者のインタビューに応じたとき、「ちょいとカニを食べにやってきましたの、オホホ」とキザなことを言ったら、翌日の新聞にデカデカと「日本国、爆発的、肉弾的、大女優、香港にカニ食いにきたる」と出ていたのにはビックリした。」

……

「私のいちばん嫌いなことは、人に迷惑をかけることだ。出来るなら、「こりゃ、アカン」と自覚すると同時に煙となってこの世から消え去りたいが、そうもいかないとすれば一体どうやって、どんな死に方をしたらいいのだろう。」

こういうせりふを書けるようになりたいものである。

日ノ暮レ近ク

2011-06-14 21:20:18 | 文学

日ノ暮レチカク


翳ツテユク 陽ノイロ
シヅカニ オソロシク
トリツクスベモナク

原民喜の作品は、記念碑に刻むことはできない。ブログに書き記すことも躊躇われるほどである。ところでこういうニュース(どうやら美談としてであるらしいのだが……)がニュースサイトに載っていた。被災地のある場所で、被災した祖母を訪ねた小学生が詩を書いたところ、それが周りの大人たちによって役場にもちこまれた。ブログに載せたいとか、書にしたい、とかいう問い合わせあったりしたらしい。ある年配のアナウンサーはその詩の解釈を新聞記者にしゃべっている。正確なことなどニュースサイトに載っているはずはないけれども、仮にその記述を信じるとするとその解釈は明らかに間違っていた。政治家や小学校のある種の教員のような、正確でないことを言わなければならない職種ならぎりぎり許されるレベルの誤読だが、……と思ったがやっぱり駄目である。ちょっとの違いのように思われるけれども、文学の解釈としては許容範囲を超えていた。私は、その詩自体それほどよいものと思わないし、大学生がこういうものを仮に書いてきたなら、詩以前に精神において間違っていると叱りつけているところである。……のみならず、この点は措くとしても、マスコミも含めた周りの大人の行為は、その小学生だけでなく被災者をも蹂躙している。言葉に対するこの低レベルな状況がある限り、我々の社会は今後どうにもならないであろう。宮台氏がよくいう、良き共同体における個人の「入れ替え不可能性」が保たれるためには、言葉に対する感覚が改善されなければならないと思われる。入れ替え不可能性は、コミュニケーション能力(笑)という、相手の言葉を自分の通じるレベルに翻訳する能力ではなく、自分の言葉と他人の言葉が入れ替え不可能かもしれないということを自覚する、いわば、コミュニケーション不能力が必要である。

ただ、コミュニケーション以前に、人を脅しつけりゃいいとおもっている頭のおかしな連中も多いのであるが。

死の操演終了

2011-06-11 23:26:12 | 文学


芥川龍之介書画展のための特別講演終えました。2時間弱もしゃべってしまったよ。
内容的には欠点だらけで、自信がないところを中心にことごとくペースが乱れてしまい残念だった。とにかく、隅から隅まできちんと勉強し構成していく他はないのである。私は器用ではないから認識の不十分さが喋りのたどたどしさに直結する。というか、文学の場合は、「社会的常識」に頼った立論というのがほぼ不可能なのでひたすらきちんと解釈を説得的に展開する他はないのである。

今日は、熱心なご年配の方々や、ゼミ生の他、国語研究室の二年生、あと×大の同僚の先生(びっくりした)などもいらっしゃっており、幅広い方々にお話しすることになったので、どきどきしてしまい、実習生の気分を味わった。

文学は、芥川龍之介の周辺が恐らくそうだったように、文人趣味的なぎすぎすした空間のなかで煮詰まりながら展開していく側面がある。文化のグローバルな交通は不可避的な前提条件に過ぎず、それを当為と考えても文学は生じない。私は、故に、多人数の聴衆の他者性を起爆剤とする演説型はあまり好きではない。演説型はたいてい精神がモノローグ的だ。講演をやって思うのは、やはりそういう意味で文学は講演には不向きだなあと思う。人生訓を語る作家ならともかくね……。しかし、かかる意味で、漱石の「私の個人主義」は驚異的である。

「自信の無さ」の夢

2011-06-08 23:26:08 | 思想


土日の疲れか寝覚めが良くない。起きたら、もうすぐ死ぬんじゃないかと思った。

夢も後味の悪いものだった。「女が階段を上がる時」を撮影中の高峰秀子が、ロケ先から私に電話をかけてきて、「高度成長反対ビラ」の出来が悪いといって私を叱りつけたのである。私は電話の前でたじたじになりながら「小学校の時、秀子さんに消しゴムを貸してやったのは僕だし、幸田露伴の本を返して貰ってないし……」とかひたすら心の中で繰り返すだけであった。「特攻隊を見送った私と、あなたとは違うわよ」と彼女が言ったので私は悔やんだ。私は貸した消しゴムを想い出すことができなかった。

上は、太宰治の「自信の無さ」の上に乗っかった、ラサール弦楽四重奏団の新ウィーン楽派のCD。私は、小林秀雄の「故郷を失った文学」より谷崎潤一郎の「『芸』について」を好む。我々はいつも何かを失っているであろうが、失った「空白」が存在するかは分からない。そこを無理矢理埋めようとしてはならない。太宰治は「自信の無さ」を売ったかも知れないが、シェーンベルクたちがそれほど自意識家であったとは限らない。