若人たちよ
がんばれ受験生
不肖の葉書より
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東京の浅草、大阪の千日前、京都の新京極、それに匹敵するのが名古屋の大須である。そこには金竜山浅草寺ならぬ北野山真福寺があつて、俗にこれを梅ぼしの観音といふ。梅ぼしとは、『おゝ酸!』(大須)といふ駄洒落だが、実は先年まで、観音堂の裏手に『大酸』ならぬ『大あま』旭遊廓があつて、大須の繁盛したのは、半ばそのためであつた。旭遊廓は今の中村に移転したのだが、その当座、遊郭を飯の種として居た人たちは、この先どうなることかと蒼くなつたけど、観音様の御利益は、『刀刃段々壊』で、だんだんよくなつたなどゝいふのは罰当たりな駄洒落かも知れない。
観音様の境内が、食べ物の店で占領されて居ることは、こゝに至つて名古屋の特徴が最も露骨にあらはれて居ると言つてよい。仁王門から本堂に通ずる道は、食べ物店を迂回する。何と痛快な現象ではないか。こゝ十数年前までは、すべての民衆娯楽機関が、境内のいはゞ四面を取り囲んで居たが、今は映画が主になつて、もう、あの説教源氏節の芸子芝居は見られなくなつてしまつた。説教源氏節は誰が何と言つても、名古屋のもので、名古屋情調をたつぷり持つたものだが、今はもう、安来節などに押されて、大須から程遠からぬ旧末広座を活動小屋にした松竹座で、アメリカ本場に劣らぬジヤズが聞けるなど、時の力は恐ろしいものである。
不肖の葉書より
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東京の浅草、大阪の千日前、京都の新京極、それに匹敵するのが名古屋の大須である。そこには金竜山浅草寺ならぬ北野山真福寺があつて、俗にこれを梅ぼしの観音といふ。梅ぼしとは、『おゝ酸!』(大須)といふ駄洒落だが、実は先年まで、観音堂の裏手に『大酸』ならぬ『大あま』旭遊廓があつて、大須の繁盛したのは、半ばそのためであつた。旭遊廓は今の中村に移転したのだが、その当座、遊郭を飯の種として居た人たちは、この先どうなることかと蒼くなつたけど、観音様の御利益は、『刀刃段々壊』で、だんだんよくなつたなどゝいふのは罰当たりな駄洒落かも知れない。
観音様の境内が、食べ物の店で占領されて居ることは、こゝに至つて名古屋の特徴が最も露骨にあらはれて居ると言つてよい。仁王門から本堂に通ずる道は、食べ物店を迂回する。何と痛快な現象ではないか。こゝ十数年前までは、すべての民衆娯楽機関が、境内のいはゞ四面を取り囲んで居たが、今は映画が主になつて、もう、あの説教源氏節の芸子芝居は見られなくなつてしまつた。説教源氏節は誰が何と言つても、名古屋のもので、名古屋情調をたつぷり持つたものだが、今はもう、安来節などに押されて、大須から程遠からぬ旧末広座を活動小屋にした松竹座で、アメリカ本場に劣らぬジヤズが聞けるなど、時の力は恐ろしいものである。
――小酒井不木「名古屋スケッチ」
「これも神さまのお恵みでございます。」とカレンはいいました。
そこで、オルガンは、鳴りわたり、こどもたちの合唱の声は、やさしく、かわいらしくひびきました。うららかなお日さまの光が、窓からあたたかく流れこんで、カレンのすわっているお寺のいすを照らしました。けれどもカレンのこころはあんまりお日さまの光であふれて、たいらぎとよろこびであふれて、そのためはりさけてしまいました。カレンのたましいは、お日さまの光にのって、神さまの所へとんでいきました。そしてもうそこではたれもあの赤いくつのことをたずねるものはありませんでした。
――アンデルセン「赤いくつ」
中年から以後、ミケルアンジェロの作品がつねに未完成にのこされた、それについてロマン・ロランでさえ個人的に性格の分裂という風に見たりしているのを正してこの著者が「悲壮にも挫折した歴史急転の速度を追って追い抜こうとして、そこにいたるところに残した未完成である」と云っている言葉は、まことに余韻浅からぬものと云うべきであろう。
――宮本百合子「現代の心をこめて」
……今日は、一年生と一緒に「淫売婦」と「銀の匙」(農業高校の漫画ね……)の比較とか……やったあと、最後は、「バンビ」を大批判して終了……
十の蜂舎の成りしとき
よき園成さば必らずや
鬼ぞうかがふといましめし
かしらかむろのひとありき
山はかすみてめくるめき
桐むらさきに燃ゆるころ
その農園の扉を過ぎて
苺需めしをとめあり
そのひとひるはひねもすを
風にガラスの点を播き
夜はよもすがらなやましき
うらみの歌をうたひけり
若きあるじはひとひらの
白銅をもて帰れるに
をとめしづかにつぶやきて
この園われが園といふ
かくてくわりんの実は黄ばみ
池にぬなはの枯るゝころ
をみなとなりしそのをとめ
園をば町に売りてけり
――宮澤賢治「田園迷信」
一年半京都に住んで、本郷へ戻つてみると、街路樹の美しさが、まつさきに分つた。京都は三方緑の山にかこまれてゐるが、市街の樹木を殆ど思ひ出すことができないのである。多分、街路樹も、なかつたのだらう。
本郷へ戻つてきて、まづ友達とUSで昼食をとつた。戸口を通して、街路樹が見えるのである。それだけのことが、すでに甚だ新鮮だつた。キャフェのテラスが家庭の延長のやうなパリジャンにとつて、常にマロニエが忘れ得ぬ友達であるのは、当然だと思つた。街路樹は青春を思はせる。京都の街が死んでゐるのは、街路樹の少いせゐもあるだらう。
――坂口安吾「本郷の並木道」
臍より下の影が、差してくる陽に逆らって前方に投影するという文章の解釈は、影――すなわちABCの順序を、今度は逆にしろという暗示に相違ないのだ。そこで、前半の排列をそのままに進めてゆけば、当然nの次のpに符合するのが、bの次のcになる順序だ。けれども、それを転倒させて、最終のzに当るはずのnを、pに当てるのだ。したがって、pqrsに対してcdfg――とするところを、nmlk……と、尻から逆立ちにした形で符合させてゆく。だから結局、子音の暗号が、次のような排列になってしまうのだよ。
bcdfghjklmnpqrstvwxyz
pqrstvwxyzbnmlkjhgfde
それから、続いて第六節では、エヴ姙りて女児を生む――という文章に意味がある。と云うのは、エヴすなわちdの次の時代――つまりabcdと数えて、dの次のeを暗示しているのだ。そして、それに第七節の解釈を加えると、eが母音の首語aに当ることになるのだから、aeiouをeiouaと置き換えたものが、結局母音の暗号になってしまうのだ。そうすると、あの秘密記法の全部が、crestlessstone――となる。それで、まず解読を終ったという訳さ」
「なに、クレストレッス・ストーン!?」と検事は思わず、頓狂な叫び声を立てた。
「そうなんだ、曰く紋章のない石――さ。君は、ダンネベルグ夫人が殺された室を見て、そこの壁炉が、紋章を刻み込んだ石で、築かれていたのに気がつかなかったかね」と法水はそう云って、出しかけた莨を再び函の中に戻してしまった。その瞬間、あらゆるものが静止したように思われた。
――小栗虫太郎「黒死館殺人事件」
Sons of Australia, be loyal and true to her ―
Fling out the flag of the Southern Cross!
Sing a loud song to be joyous and new to her ―
Fling out the flag of the Southern Cross!
Stain'd with the blood of the diggers who died by it,
Fling out the flag to the front, and abide by it ―
Fling out the flag of the Southern Cross!
Southern Cross
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Fling out the flag of the Southern Cross!
Sing a loud song to be joyous and new to her ―
Fling out the flag of the Southern Cross!
Stain'd with the blood of the diggers who died by it,
Fling out the flag to the front, and abide by it ―
Fling out the flag of the Southern Cross!
Flag of the Southern Cross" Henry Lawson, 1887
Southern Cross
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