★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

エイリアン讃

2014-01-07 02:14:50 | 映画


昨日、深夜映画で「エイリアン」(1979)がやってたんだけど、全く古びてない恐ろしさにびっくり。フェミニズムやらなにやらで分析しつくされた映画であろうが……、やっぱり芸術だなあ、絵の動きとか音楽のテンポとかが。デザインのギーガーと音楽のジェリー・ゴールドスミスの組み合わせも今考えてみたら最強ではないか。化け物映画は、ゴジラにしろ何にしろ、化け物の動き方がちょっとでも駄目だともう終わりなのであろう。だいたい、最近の化け物はぴょんぴょん跳ね回りすぎなんだよ。うさちゃんじゃあるまいし。この映画のエイリアンだけは、その動きの演技が神がかかっている。精神分析やフェミニズム批評からすれば、神がかっているというより、性器がかっているというべきであろうが……。

というわけで、明日の埴谷雄高の話でも、「エイリアン」を使ってやることにしました。

それから羊羹は甘いか

2014-01-06 19:05:13 | 文学


 國道へ出たので、あたりを見ると、來た時見覺えた藥屋の看板が目についた。新太郎は急に一杯飮み直したくなつて、八幡の驛前に、まだ店をたゝまずにゐる露店を見廻した。然し酒を賣る店は一軒もない。喫茶店のやうな店構の家に、明い灯が輝いてゐて、窓の中に正札をつけた羊羹や菓子が並べられてあるのを、通る人が立止つて、値段の高いのを見て、驚いたやうな顏をしてゐる。中には馬鹿々々しいと腹立しげに言捨てゝ行くものもある。新太郎はつと入つて荒々しく椅子に腰をかけ、壁に貼つてある品書の中で、最も高價なものを見やり、
「林檎の一番いゝやつを貰はうや。それから羊羹は甘いか。うむ。甘ければ二三本包んでくれ。近處の子供にやるからな。」

――永井荷風「羊羹」

お正月料理的存在

2014-01-04 22:37:19 | 思想
価値を「存在」と認めるのか否かは、哲学的な問題であろう。

餅の上の存在



「そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。」(梶井基次郎)

×川に来ていまだ白味噌あん入り餅の雑煮とかいうものを食しておらんが、何かわれわれの文化は混ぜることに対してあまり繊細とはいえない感性を持っている気がする。それは価値の存在感の問題と絡んでいると思う。

……というか、普通の白米が食べたいよう……

ちょっとおくれて来るがいい。

2014-01-02 23:31:59 | 文学


「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」

――太宰治「走れメロス」