・アンディ・マレーの“開戦” テニスIQで勝負に挑む
第5章 ガールフレンドの支え
●ガールフレンドはアーティスト
キム・シアーズは、ペットの情緒豊かな肖像画を専門とする画家との評判
●華やかなりし往年のプレーヤー
ハリウッドのプレーボーイとしても知られたフレッド・ペリーは
4人の妻のほか、マレーネ・ディートリッヒら多くの女優と浮名を流した
●品行方正な現在のビッグ4
現代は、浮気モノはテニス界から消えた
BIG4には長く付き合うGFや妻がいる
フェデラーはミクラ・バブリネックと初めてキスをしたのは
2000年のシドニーオリンピックの選手村
今では双子と乳母らを連れて世界を飛び回る
ジョコビッチはトップ100に入った頃からイレーナ・リスティックと付き合っている
グランドスラムで優勝できたのは彼女が精神的に支えてくれたお蔭だと言っている
ナダルのGFマリア・ペレロは同じマナコルの出身
彼女はフルタイムの仕事なので、毎回同行しようとは思わない
マリア:大会の間、彼は一人になれる時間が必要
Aは2005年の全米オープンでキムと知り合った
●マレーの初恋と女性観
キムはAにとって唯一人のステディなGFだ
A:
プロのアスリートには、千人もの女性と出歩きたがる人がいるけど
僕は興味はない と21歳で出版した自伝に書いている
●見栄を張らないガールフレンド
キムは名声に興味がなく、BFの全大会を観るために
世界中を回りたいとも思わない
Aはそんなところが好きなのはナダルと同じだ
観戦する時は必ず、服装、髪型、化粧を細かくチェックされる
2012年のウィンブルドンで、ヘアーサロンでは
キャサリン妃よりキムのヘアスタイルにしてほしいという女性客が多かったという
●最愛のガールフレンド・シアーズ
キムはスキャンダルとは無縁だ
母ジュディとキムは仲が良い
父ウィリー:キムは自分の生活をしっかり持っている
一時期、キムは女優を目指していて、Aはセリフの練習相手を務めたこともあった
小説を書きたいという野心を見せたりもした
だが、2011年はまだ職探しの最中で
コメンテーターのキャッスルは、Aの試合解説中に
キムを雇いたい人はいませんかと視聴者に問いかけた
キムはアーティストとして歩みはじめた
10代の頃からウォーホルに刺激を受け、デッサンに安らぎを感じていた
ペッチーコーチに紹介されて初めて出会った時
Aはまだトップ100に入っていなかった キムはまだ学生だった
●マレーのガールフレンドとして
キムはテニスを身近に育ったため、テニスプレーヤーになると
どんな犠牲を払うか、誰より理解している
キムの父ナイジェルは、世界のトップ女子選手のコーチを務めてきた
(めちゃめちゃテニス関係者じゃん/驚
Aが1年のうち2/3は家を空け
家でもトレーニングに集中しなければならないことを理解している
オリンピックのボート競技の金メダリスト、クラックネルの妻:
エリート・アスリートと暮らすのは、孤独で辛いもの
勝てば喜びを分かち合い、負けたら自分が強くならなきゃいけない
結局は、彼ら自身が達成したことだから、奇妙な空虚さを感じる
キムはAがテニスに没頭しすぎるクセを直した
2人はパパラッチによく追跡される
寿司を買ったり、犬を散歩させたりする以外、派手な写真は撮られていない
●溺愛する2匹の犬
家の生活の中心は、マギー・メイとラスティという2匹のボーダーテリア
兄から冗談で「家が火事になったら、何を一番に救うか」と聞かれ
A:たぶん犬だろうな と冗談まじりに言った
大会の間、Aは犬を散歩させているところをしばしば目撃されている
犬たちを時には試合について行く
ツイッターでマギー・メイのほうがフォロワーが多い場合もある
キムがツイートしているのだが、ノバクの愛犬のプードル
ピエール・ジョコビッチといちゃついたりしている
ロッド・スチュアートの曲にちなんで名づけられたマギー・メイ
(この曲大好き! これを読んで、ツイッタ内を検索したけど
マギー・メイのアカウントはそれほど犬の画像はなかったんだけど・・・?
●プロポーズのプレッシャー
両親の離婚で辛い経験をしたため、Aにとって幸せな家庭生活はとても大事だ
郊外のサリー村の一軒家に引っ越し、キムと暮らし始め
ロンドンを離れたおかげで、プライバシーを守れるようになった
2009年、引っ越してわずか数ヵ月後、2人はケンカし
キムは実家に戻ったが、2010年のウィンブルドンには仲直りしていた
するとたちまち結婚するのではないかと注目され
ウィリアム王子以外に、Aほどメディアから
プロポーズのプレッシャーをかけられた英国男子はいない
2010年 兄がアレハンドラと結婚した時、独身さよならパーティを仕切り
「キムに結婚を迫られている」とジョークを言った
●2012年全米オープン準々決勝
雨のため、センターコートからルイ・アームストロング・スタジアムに変更された
Aはアーサー・アッシュ・スタジアムが好きだ
閉所恐怖症(!)も理由の1つかもしれない
ルイ・アームストロング・スタジアムはコートサーフェスがまったく違い
マイクが独り言をキャッチしやすい
ここで何度も辛い思いをしていた
A:
昔は上手くプレーできないと、自分を責め、どうしていいか分からなかったが
チェンジエンド、ポイント間の時間を使い、集中し続ける方法を見つけた
実際、彼のフォームは一貫性がなく
滅多に動かないレンドルは野球帽を取った
アメリカ人が数千人入ってきてから、明らかにプレーが変わった
『マルコム・グラッドウェル 失敗の技術』では
「パニックと緊張で固くなるのとは正反対だ
人は緊張すると考え過ぎ、パニックになると思考が停止する
いずれにしろ試合には負ける」
チリッチはビッグサーヴァーだが、精神的に脆いところがあった
●高まる優勝への期待
NYはAとフェデラーの結末を心待ちにしていた
2004年以来、フェデラー、ナダルはグランドスラムの準決勝に進出できなかった
Aはフェデラー、ナダル、ジョコビッチのうち2人を倒さないかぎり
グランドスラムで優勝できないと思われていたが
フェデラー敗退後、立役者抜きになった
ドローに残ったのは1人だけ
レンドルは同郷のベルディハをよく観察し、秘密情報も持っていた
翌日は強風に見舞われた
第6章 掴みはじめた富と名声
●豪華な記者会見
ショーン・コネリー、サー・ファーガソン、メル・ギブソン・・・
記者会見の一部始終はすぐに公開され、YouTubeでも見られた
●セレブが集まるグランドスラム
全米オープンは、メディアセンターにセレブを積極的に呼び込む
ウィンブルドンもここ数年、ショービジネス化したが比較にならない
ニコール・キッドマンと夫キースは
巨大スクリーンに映り、キスをして、観客は口笛を吹いた
『スパイダーマン』の俳優でAそっくりのアンドリュー・ガーフィールドもAのファンだった
(初耳の俳優だけど、何枚かの写真はたしかに似てる/驚
●大物マネージャーの先見
スパイスガールの元マネージャー、サイモン・フラーが代理人となり
Aの名声はより高まった
ミュージック興業主のハーヴェイ・ゴールドスミスは
フラーを英国最大の企業家とみなしている
その権力、影響力は絶大だ
●ベッカム夫妻
ベッカムは、フラーが自分のサッカー人生にどれほど大きく貢献したか記した
フラー自身は目立つのを好まない
音楽業界と違い、テニスの世界大会について何も知らなかったがAに惹かれた
最も魅力的なテニスプレーヤーになれる素質があり
グランドスラムに優勝すればレジェンドになると信じていた
他の選手をテニス界から入れる計画はまったくないと言う
19エンターテインメントは、Aに未来を賭けている
スポーツは、エンタメ業界で重要な地位を占めてきた
テニスは昔からハリウッドとつながってきた
フレッド・ペリーは女優に囲まれ、独自の服飾ブランドを立ち上げた
Aは人生をセレブの空虚な世界に陥れる気はなかった
コートでは感情を露にするが、本当はとてもシャイだ
●最高のプレーヤーになるために
Aは19エンターテインメントは、目先の儲けより
長期的なイメージを確立する手助けをしてくれると聞いて気に入った
Aが楽しむのは、練習コートや、街路などで近づいてくるファンとの交流だ
エリート・テニスプレーヤーは、大会を盛り上げるため
宣伝用の派手な企画にも呼び出される
選手には宣伝活動に貢献する義務があるため
決められたイベントに出演しなければならない
●いじられキャラ
元コーチ・ペッチーがスカイTVで雑談を生中継させてくれと頼み
A、友人でダブルスペアのコリン、ハッチンスの3人で会話した
ハッチンス:髪がどんどん減ってるな
A:ツイッターでのジョークがヘタだ
「スポーツ・リリーフ」という慈善活動の資金集めでは
BBCのコメディ『アウトナンバード』に出演し
いじられキャラの一面を見せた
ファッションに詳しい人の多くは、アメリカ版ヴォーグ誌で初めてAを知った
スタイリストの手にかかると、Aがどう変わるか示していた
記者はAの「激しく燃える緑色の目」に惹かれた
Aはファッション界から熱い視線を注がれた
Aは超えないと決めた一線がある
『サタデー・ナイト・ライブ』を観て「ありえない」と思った(面白いけどねw
一度だけ音楽分野に乗り出した(!
ダブルスの一卵性双生児のボブとマイクのブライアン兄弟プロデュースの
アルバムでラップを歌った
いくらサインをしても列は終わらない 明日の朝起こしてくれ それからサインしよう
●トップ選手たちの変貌
ナダルがセクシーになったのが表れているのは
スポーツ・イラストレイテッド誌の2012年水着特集
「謙虚さと男らしさが絶妙に混じり合っている」と報道された
フェデラーは、ティーンの頃はジーンズをだらしなく履き
髪を後ろで結んでいたタイプで、すぐ癇癪を起こしていた
だれも生まれた時から洗練されてはいない
ウィンターと妻のお蔭で少しずつ変わっていった
ジョコビッチは一時期、テニスプレーヤーのモノマネをして
シャラポワの真似は特に上手かった(見たいw
だが、今は真面目で慎重だ
●セレブたちとの交流
Aは子どもの頃、よくビリー・コノリーのお笑いのテープを聞いていた
全豪に彼がメルボルンにいると聞き、招待券を贈った
NYでのケヴィン・スペイシーとのトークは面白かった
A:『ユージュアル・サスペクツ』は大好きな映画だ 彼に会えたのはすごいよ
(今じゃハリウッドの「MeToo」運動で叩かれてるけどね
ジェームズ・コーデンの友情もあるが、コーデンは
Aはルーティンを変えるのを好まず
コートにすべてを賭けているのを邪魔しなかった
公式晩餐会室でキャメロン首相とテニスをしたこともある
A:首相は月に何度かテニスをすると言っていた
女王に初めて謁見したのは2010年のウィンブルドン
●ほかの世界の偉人たち
Aはいつも他のアスリートと会う機会を楽しんでいる
ボクサーのほか、ベッカムとも時々会う
ベッカムと「マラリア撲滅」キャンペーンの推進役として
ウェンブリー・スタジアムに登場した
Aに最初に魅了された有名人の一人は、サー・ショーン・コネリーだ
Aは子どもの頃、お小遣いで『007』のビデオを買い集めていた
『007ゴールドフィンガー』は特にお気に入りだ
●テニスプレーヤーの所得
2012年の賞金総額は約25億円
大富豪のドナルド・トランプが全米オープンのアーサー・アッシュ・スタジアムの
プライベート・スイートルームに14日間滞在し、ちやほやされる
(こういう世界で数%の金持ちでテニスがどんどん巨大エンタメ化しているのか
過去1年間の高額所得テニスプレーヤーリストを発表し話題になった
1位 フェデラー 約54億円(たった1年で
2位 ナダル 約32億円
3位 シャラポワ 約27億円
4位 ジョコビッチ 約19億円
セリーナ・ウィリアムズは約16億円、Aは8番目で約12億円
問題は、テニス界でB以下の選手たちだ
ツアー参戦の経費がかさみ、グランドスラムをボイコットしようと話し合っていた
選手全体の収入を引き上げる必要性があった
年収の多くは賞金ではなく、スポンサー契約、出演料、エキシビション試合への出演料
Aには4社のスポンサーがついていた
●スポンサーとの契約
テニスプレーヤーが最も収入を得るのは、ウェア、シューズのスポンサーから
(試合時間が長くて、ずっとマークや看板が映るからだって聞いたことがある
Aはまだグランドスラム優勝経験がなかったが、契約の一部として
アディダスが抱えるコーチ、コンサルタントの移動チームにアクセスできた
フェデラーとナダルはナイキとの契約で
他のスポンサーのロゴを付けられなかったが
Aは袖にいくつかパッチを許可されていた
スポンサーは、この袖の強奪戦を繰り広げている(バカみたい
ジョコビッチは長い間、テニス界の「第三の男」だったが
2012年、ユニクロと新たな契約を結んだ
ロイヤル・バンク・スコットランドは、Aが10代の頃からのスポンサー
そしてついにAも時計会社と契約を結んだ
●マレーの市場価値
それでも、フェデラーやナダルのスポンサー数はAの倍だった
セリーナは、自己ブランドを売り込み収入アップを図った
Aは金儲けに執着はない
スポンサーと契約するほど、トレーニングなどの時間を削ることになるからだ
元エージェントのアピーは
「Aは営業スマイルをしない 素のままだから企業が惹かれる」
ウィンブルドンの前哨戦、クイーンズクラブの大会に出場したAは
すでに数億円を稼いでいた
Aが参戦しなければ、国内の視聴率が落ち、スポンサーの関心が薄れてしまう
東京など極東の大会では、賞金より出場料のほうが高いと言われている(!
Aがグランドスラムで優勝すれば、コート外でこれまでの数倍の報酬を得るだろう
●マレーにとってのお金
Aにとって昔はお金は重要だった
両親にそれ以上頼りたくなかったからだ
A:初めて小切手を使い、自活できるようになった時はすごくいい気分だった
フェラーリに乗って赤信号で止まった時などに感じるきまり悪さに耐えられず
Aはジャガーのオープンカーを買った
ウィンブルドン大会中は、運転手付きの黒ガラス窓の大会公用車で通えたが
あえて自宅から毎日友人のクルマの助手席で往復した
Aは報酬の大部分を不動産に投資してきた
服装にもあまり関心がない
レンドルには、契約で年に約数千万円+ボーナスを支払う
取り巻きの旅費も負担している
●強風との戦い
自然はテニスに優しくない
スコットランドでは、強風や竜巻の中でテニスをするなんてありえない
全米オープン準決勝で、Aのイスは舞い上がり
コートに落ちて、表面に黒い跡を残した(!
観客のあらゆるゴミが舞い上がった
Aはかつてインディアンウェルズ大会の決勝で
砂嵐の中、ひどい2セットをプレーしたことがあったが
今回はこれまでの試合の中で最も残酷だった
この大会が水たまりを避けるためのカバーを使わないのは理解しがたい
全米テニス協会はとてつもなく大きなスタジアムを造り
屋根をつける方法が見つからずに苦労している
グランドスタッフは、コートからスクイージーで水を取り除き
乾かすのに大忙しだった
●2012年全米オープン準決勝
Aの帽子がポイント間に落ちて、ちょっとした言い争いが起きた
Aは常々、風の中でプレーするには卓越した技術がいると思っていた
向かい風では、ゆっくりフラットで打ち続け、スライスを多用
トップスピンは風につかまり失速する
大惨事映画『竜巻のなかのテニス』(面白そう)のセットの中
ベルディハとプレーするのは悪くないと分かってきた
風が彼の高いトスに支障をきたし、リズムを乱した
Aは精神的に柔軟に対応できた
こうして5度目のグランドスラム決勝進出を決めた
●全米オープンの裏事情
この大会はCBSにより運営され、テレビ放送されるため「CBSオープン」とも呼ばれている
ほかのグランドスラムは準決勝と決勝の間に、少なくとも1日はあるが
「スーパーサタデー」にこだわり、2人の勝者は約24時間後に決勝を戦わなければならない
選手たちから圧力を受け、全米テニス協会は2013年から
準決勝と決勝の間に1日空けることにした
2012年は風雨と竜巻の警報が出ていても
「スーパーサタデー」を強行することになった
「スーパーサタデーを中止すれば、プレーヤーに経済的な影響が及ぶ」
ジョコビッチはこの状況ではプレーできないと審判に訴えた
竜巻警報が出て、準決勝は中断され、日曜日に再開
男子決勝は5年連続で月曜日に行われ
「視聴率はガタ落ちだった」とニューヨークタイムズ紙は書いた
Aはこのサーフェスで最も手強い相手を倒さなければならない
ハードコートのグランドスラムで27連勝していたジョコビッチだ
●ついに決勝へ
英国のオリンピックメダリストは全員、月曜日にロンドンで凱旋パレードを行う予定だった
Aの少年時代のアイドルのアガシは
「直感か分からないが、Aはグランドスラムで優勝するのにふさわしい人物だ」と健闘を祈ってくれた
Aはグランドスラムで優勝したら、生活がどう変わるか案じていた
レンドル:レストランで最高の席に案内されるくらいだ
もちろんこれはウソだった
第7章 英国男子テニス76年ぶりの快挙
●黄金時代に生まれて
観客はフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、Aの4人をテニス史上最も優れた世代だと認めていた
フェデラーは「GOAT(色男)」と見られている
「Great of all time(史上最高)」の意味だ
フェデラーは芝、ナダルはクレーでおそらく史上最強だ
2人は4つのグランドスラムを制覇するキャリアグランドスラムの偉業を達成した
2005年~2012年の7年間で、デルポトロ以外すべて3強が制覇してきた
みんな最初にグランドスラム決勝に進出した時の対戦相手は
大舞台の経験のない相手だった
Aが決勝に進出した4回のグランドスラムのうち3回はフェデラーとジョコビッチだ
●ジョコビッチとの決勝
今回、5度目のグランドスラム決勝で、ディフェンデングチャンピオンのジョコビッチと対戦する
NYのセメントほどハードで容赦ないものはない
Aはこれまでにないほどロッカールームで緊張していた
グランドスラム決勝に5度進出し、5度逃した初の男子プレーヤーになりたくなかった
●グランドスラム優勝への重圧
レンドルは最初4度の決勝で敗れた
Aはその記録を破る危機に直面していた
A:
グランドスラムで優勝なんてムリだという気がしていた
僕は最悪の状況を想定するタイプだった
決勝の日ほどロッカールームが静かなことはない
ほかの選手はすでに敗れ去り、Aは自己疑念に苛まれていた
●英国籍を検討したジョコビッチ
ジョコビッチは英国人になるかどうか英国ローンテニス協会と検討していた時期がある
まだ経済的に成功する前の10代のことなので無理もない
ローンテニス協会から資金援助を得る以外にも
セルビア人より英国人のほうがスポンサーを得る機会も増えると考えたが
「プラスチック・ブリット(いんちきイギリス人)」と侮辱されただろう
ジョコビッチをあれほどの高みに押し上げた要因の1つは
2010年のデビスカップでセルビアが初優勝を飾って得たプライドと自信だった
●マレーとジョコビッチ
2人にはいくつもの共通点がある 2人はいつも比較されてきた
だが、2011年、ジョコビッチは3つのグランドスラムを制して頂点に立ち
フェデラーとナダルの2強時代を終焉させた
ジョコビッチとAはジュニア時代からよく対戦してきた
世界3位、4位だった2人は、いつもドロー表の反対側にいて
フェデラーとナダルがいたため、2人の決勝進出の可能性は常に低かった
Aはこのゴムのような足を持つジョコビッチをよく知っていた
ありえないほど俊敏な動き、完璧なディフェンス、過激な攻撃
Aは足の爪が2枚剥げ落ちて、試合前に痛み止めを飲んだ
●2012年全米オープン決勝
風の強い午後に始まった
Aはエレクトリック時代のディランのごとく研ぎ澄まされていた
序盤でリズムをつかみ、観客がAを応援しているのが伝わった
全米オープンの常連客にはジョコビッチ嫌いもいた
4年前、ロディックに悪態をついたことを許していない人々もいた
第1セットでは、54回のラリーがあり(!)タイブレイクにもつれ込んだ
1980年ウィンブルドン決勝でのジョンとボルグの「18-16の戦い」から32年後
24分間続いたタイブレイクは、今後、雨で試合が遅れる時に何度も放映されるだろう
・『ボルグ マッケンロー 氷の男と炎の男』(2017)
Aは6度目のセットポイントをようやくモノにして12-10で制した
●2セットリード
Aが4-0とリードした頃、ボリスはジョコビッチを「心臓を突き刺され、出血し始めている」と言った
Aは6-5とリードし、次のゲームをブレイクした
マイクの近くで「ゆっくりやれ、バカ野郎」「このバカな足はゼリーみたいだ」
など下品な言葉を吐いたことも笑いを呼び
ツイッターでゼリーという言葉が流行った
Aは「練習しなきゃいけないショットだったのに。バカ野郎」と
ありとあらゆる言葉を口から吐いていた
●ジョコビッチの逆襲
彼はほとんど負けそうになってから、最高のプレーをするという評判がNYで広まっていた
第3、第4セットでジョコビッチは人が変わったようだった
後に風が少し収まった時、戦略を変えるべきだったと思ったはずだ
まだ強風モードだったAは、慎重にボールをコートのセンターに集めていた
ジョコビッチが第3、第4セットを6-2、6-3で追いついた時
Aは人生において最も重大のトイレットブレイクをとった
アガシは父から強制されたテニスを嫌っていた
Aもテニスを嫌いになるのだろうか
●すべてを賭けた最終セット
Aは人生を懸けたテニスを愛し続けるためにも戦っていた
A:ここで勝てれば、真のトッププレイヤーになれ、意識も変わるだろう
NY誌:
テニスは心理的に支配されるスポーツだ
少なくとも、観客が心理分析の専門家になりたがるスポーツだ
Aはグランドスラムで負けた時のリアクションがまずく
周りまで落ち込ませると思われていた
2010年にフェデラー、2011年にジョコビッチに決勝で負けた後
ひどく落ち込み、その後何ヶ月もモチベーションが上がらずに苦しんだ
ここでくじければ「英国人は負け犬」だという固定観念を引きずるだろう
●5度目のグランドスラム決勝
臨床心理士のキャストーリとこの課題に取り組み、その成果を期待していた
キャストーリ:Aは創造性に富んだ天才 それを内面の強さと結びつける必要があった
第5セットに入る前、トイレットブレイクをとり
鏡の前でポジティヴな考えで頭をいっぱいにしようとした
レ:
結局、どっちがより真剣に欲しているか
どんな犠牲を払う覚悟ができているか
とてつもないプレッシャーに、どれだけ耐えられるかなんだ
レは拍手をして、今やっていることを続けろをAに伝えようとした
レはたった1試合、1セットで、プレーヤーの名声が一変するのを実感した
レ:
初めてグランドスラムで優勝した時
“決してやり遂げられない男”から“決して諦めない男”に変わったと言われたが
自分はどちらでもないと分かっていた
第5セットの開始は夜8時頃
NYでは最高の試合は夜に行われる
優勝まであと1セット
Aとジョコビッチは4H54分戦った
●批判払拭最大のチャンス
肉体的に疲れていたのはジョコビッチだった
だが決勝の行方を最も左右したのはファーストサーヴだった
Aはファーストサーヴの確率がずっと課題だった
レは「練習コートであまりサーヴを打つな」とアドバイスしたため
2週間のグランドスラム後も、肩にあまり疲労が溜まらなかった
第5セットのファーストサーヴポインツウォンは70%に上がった
これはこれまですべての試合で、1セットの数字として自己最高だった
ジョコビッチは「スーパサタデー」に放映したいテレビ局の思惑と
竜巻予報のために3日連続でプレーしなければならなかった
これは史上最高のグランドスラム決勝ではない
ジョコビッチとナダルの全豪決勝は6H続き、午前1時過ぎに終わった
Aは5-2とリードした時、ジョコビッチはメディカルタイムアウトをとり
ブーイングに対し、皮肉をこめてサムズアップしてみせた
●待ちに待った瞬間
1936年にフレッド・ペリーが全米オープンのチャンピオンになった後
76年間、英国人が優勝できなくなるとは誰も想像しなかった
タイムズ紙:ローンテニス協会は、簡単に次が現れると思っていた
1999年、85歳でこの世を去ったペリーについて
頭に浮かばないようにするのはほとんど不可能だった
NY夜9時 英国は午前2時過ぎ
Aはあと1ポイントで初優勝に近づいた
地元の肉屋は全米オープン特別セールを開催する準備を進めていた
●マレーらしい喜び方
実際、アメリカのファンはAの喜び方にちょっとがっかりした
NY誌:
あの終わり方はテレビ向けではなかった
2人はエネルギーを使い果たしていたのだろう
40-0のチャンピオンシップポイント
40-15 弱いセカンドサーヴを打ち
ジョコビッチのリターンをナイスと思ったが
ベースラインを超えて、Aは全米オープンのチャンピオンになった
かがみこみ、両手で口を覆い、呆然とするAに
ジョコビッチは歩み寄り、肩を抱いた
A:心の中で喜びすぎて、表情にあまり表れなかったとしたら申し訳ない
Aは後で詫びた
これで「フレッド・ペリーを超えられるか」という愚かな質問をもう二度とされずにすむ
A:
21歳の時から、ほぼ毎週のように聞かれた
やっと乗り越えられて、本当に嬉しい
●慣れないトロフィー授与式
グランドスラムチャンピオンになって数分間、Aはパニック状態だった
Aは授与式で時計をはめるのにまだ慣れていなかった
ウィンブルドン決勝で時計をつけ忘れ、また同じ過ちを犯すところだった
A:僕の時計を持ってない? ないんだよ
(スポンサーのためにここまでするって・・・
キム:バッグの中をもう一度見たら?
Aはやっと時計を見つけた
●レンドルの喜び
7-6 7-5 2-6 3-6 6-2 A優勝
「テニス界の奇妙なカップル」と呼ばれたプレーヤーとコーチは密かに抱き合った
レ:私は楽しむためにここに来たのではない Aを優勝させるためだ 任務は終わった
だが、レはメジャーの5度目の決勝で初優勝し
6、7度目の決勝で敗北したため、Aにそんな運命を歩ませたくなかった
レ:
Aはまだキャリアの途中 これからもっとトップ選手と戦っていく
試合を分析してみせたら情報を漏らすことになる
私にとって、メディアに語るのは自殺行為だ
●家族みんなの応援
ジュディは、両親に「ヤッピー!」とひと言メールを送った
息子2人ともグランドスラムチャンピオンになった
2007年 ウィンブルドンのミックスダブルスで優勝したジェイミーは
ルクセンブルクのホテルで試合を観ていた 優勝したのは午前3時
叫んだりせず、翌日の試合に備えてベッドに入った
●優勝後の祝賀会
Aは次々とインタビューを受けた
その夜の祝賀会でもお酒を飲まず、6ドルのレモンソーダを飲んだ
祝賀会の食事に約50万円、アルコールに約14万円かかった
レストラン「ハッカサン」は、約12万のチャージしかとらないと言った
●新しいスタープレーヤーの誕生
A:
明け方の5時まで寝付けなかった
6:30に目覚めた途端、ベッドから飛び起き
まるで自分じゃないみたいにとても興奮していた
Aはスタジオからスタジオへとトロフィーを抱えて移動したが
グランドスラムチャンピオンになっても
彼自身はまったく変わっていないことが分かった
A:僕はすごくシャイで、人目を気にしてしまう
その日はNYの9.11から11年経った日だったが
誰もAの祝賀会を「無神経だ」と思う人はいなかった
グランドスラムに優勝すると生活がどう変わるか心配していたが
こんな日はたいがい1日限りだとAも分かっていた
A:人は人 僕は僕 今まで通りの生活を続けたい
最悪の事態は、自分自身が変わってしまうことだった
BIG3がようやくBIG4になったのを確信した
「サー・アンディになる」とからかうメッセージが友人からひっきりなしに届いたが
Aはたった1回グランドスラムで優勝しただけでナイト爵に叙されるべきではなく
時期尚早だと考えていた
(その後サーになったけどねv
・元世界1位のアンディー・マレー、正式に英国ナイトの称号を受け取る
ほかのどのメッセージより嬉しかったのはナダルからだった
R:とにかく喜びに浸れよ 僕もほんとに嬉しい 君は紛れもないチャンピオンだ
タイムズ紙:
またプレッシャーをかけてすまないが
来年、フレッド・ペリーがウィンブルドンで優勝して以来77年目の夏を迎えるんだ
デイリー・テレグラフ紙:
スポーツでは、努力より天賦の才を重視する傾向がある
Aは才能に恵まれているが、それだけではこの勝利は得られなかった
多くの新聞が、Aはプロポーズするだろうと書き立てた(やれやれ・・・
●故郷ダンブレーンでの祝福
NYから戻り、3、4日間、Aは犬の散歩以外、キムと家にこもり、寝て過ごした
A:僕たちはあの夏のことをよく実感できないでいたんだ
ダンブレーンでの祝福は1週間続いた
優勝記念のロイヤルメールが金色に塗ったポストの周りに人々が集まった
(こないだ倒されて、直されたツイートが載ってたねえ
・Andy Murray's Olympic gold post box hit by car in Dunblane
最初に通ったテニスクラブで子どもたちとボールを打ち合ったり
シングルスの金メダルとミックスダブルスの銀メダルを触らせたりした
Aのパレードは5時間も続いた
●新たなスタート
2012年のグランドスラムはBIG4がそれぞれ一度ずつ優勝した
ではなぜ、Aがプレーヤー・オブ・ザ・イヤーになるのか?
Aはまだフレッド・ペリーの呪縛から解放されていなかったが
小さな大会での敗戦まで、この世の終わりのように絶望的に捉えなくなった
自分もテニスの黄金時代を率いていると心から思えるには
グランドスラムで優勝するしかなかった
A:
どれだけ勝ったかではなく、どんな人と対戦し、
テニスプレーヤーとしてどれほど優れていたかが大事だ
僕が対戦しているのは、史上最強のプレーヤーたちだ
Aはこれからもグランドスラムのタイトル獲得を目指すだろう
25歳でグランドスラム初優勝は早すぎも遅すぎもしない
A:これで夢が終わったんじゃない ここから新たに始まるんだ
【謝辞】
本書は、テニス記者の協力のお蔭で完成しました
アンディ・マレー 大会成績
この2012年の全豪オープン準々決勝の相手は錦織圭だったのね!
年末ランキング
2003年 546位
2008年~2011年 4位
本書は2013年発行だけど、その後1位にもなったしねv
臀部の手術でランキングを落として、引退まで考えて、会見で涙を見せたけれども
今またシングルスに出場するまでに復活してくれて本当に嬉しい
さて、2019年の全米オープン
今シーズンラストのグランドスラムが始まる
第5章 ガールフレンドの支え
●ガールフレンドはアーティスト
キム・シアーズは、ペットの情緒豊かな肖像画を専門とする画家との評判
●華やかなりし往年のプレーヤー
ハリウッドのプレーボーイとしても知られたフレッド・ペリーは
4人の妻のほか、マレーネ・ディートリッヒら多くの女優と浮名を流した
●品行方正な現在のビッグ4
現代は、浮気モノはテニス界から消えた
BIG4には長く付き合うGFや妻がいる
フェデラーはミクラ・バブリネックと初めてキスをしたのは
2000年のシドニーオリンピックの選手村
今では双子と乳母らを連れて世界を飛び回る
ジョコビッチはトップ100に入った頃からイレーナ・リスティックと付き合っている
グランドスラムで優勝できたのは彼女が精神的に支えてくれたお蔭だと言っている
ナダルのGFマリア・ペレロは同じマナコルの出身
彼女はフルタイムの仕事なので、毎回同行しようとは思わない
マリア:大会の間、彼は一人になれる時間が必要
Aは2005年の全米オープンでキムと知り合った
●マレーの初恋と女性観
キムはAにとって唯一人のステディなGFだ
A:
プロのアスリートには、千人もの女性と出歩きたがる人がいるけど
僕は興味はない と21歳で出版した自伝に書いている
●見栄を張らないガールフレンド
キムは名声に興味がなく、BFの全大会を観るために
世界中を回りたいとも思わない
Aはそんなところが好きなのはナダルと同じだ
観戦する時は必ず、服装、髪型、化粧を細かくチェックされる
2012年のウィンブルドンで、ヘアーサロンでは
キャサリン妃よりキムのヘアスタイルにしてほしいという女性客が多かったという
●最愛のガールフレンド・シアーズ
キムはスキャンダルとは無縁だ
母ジュディとキムは仲が良い
父ウィリー:キムは自分の生活をしっかり持っている
一時期、キムは女優を目指していて、Aはセリフの練習相手を務めたこともあった
小説を書きたいという野心を見せたりもした
だが、2011年はまだ職探しの最中で
コメンテーターのキャッスルは、Aの試合解説中に
キムを雇いたい人はいませんかと視聴者に問いかけた
キムはアーティストとして歩みはじめた
10代の頃からウォーホルに刺激を受け、デッサンに安らぎを感じていた
ペッチーコーチに紹介されて初めて出会った時
Aはまだトップ100に入っていなかった キムはまだ学生だった
●マレーのガールフレンドとして
キムはテニスを身近に育ったため、テニスプレーヤーになると
どんな犠牲を払うか、誰より理解している
キムの父ナイジェルは、世界のトップ女子選手のコーチを務めてきた
(めちゃめちゃテニス関係者じゃん/驚
Aが1年のうち2/3は家を空け
家でもトレーニングに集中しなければならないことを理解している
オリンピックのボート競技の金メダリスト、クラックネルの妻:
エリート・アスリートと暮らすのは、孤独で辛いもの
勝てば喜びを分かち合い、負けたら自分が強くならなきゃいけない
結局は、彼ら自身が達成したことだから、奇妙な空虚さを感じる
キムはAがテニスに没頭しすぎるクセを直した
2人はパパラッチによく追跡される
寿司を買ったり、犬を散歩させたりする以外、派手な写真は撮られていない
●溺愛する2匹の犬
家の生活の中心は、マギー・メイとラスティという2匹のボーダーテリア
兄から冗談で「家が火事になったら、何を一番に救うか」と聞かれ
A:たぶん犬だろうな と冗談まじりに言った
大会の間、Aは犬を散歩させているところをしばしば目撃されている
犬たちを時には試合について行く
ツイッターでマギー・メイのほうがフォロワーが多い場合もある
キムがツイートしているのだが、ノバクの愛犬のプードル
ピエール・ジョコビッチといちゃついたりしている
ロッド・スチュアートの曲にちなんで名づけられたマギー・メイ
(この曲大好き! これを読んで、ツイッタ内を検索したけど
マギー・メイのアカウントはそれほど犬の画像はなかったんだけど・・・?
●プロポーズのプレッシャー
両親の離婚で辛い経験をしたため、Aにとって幸せな家庭生活はとても大事だ
郊外のサリー村の一軒家に引っ越し、キムと暮らし始め
ロンドンを離れたおかげで、プライバシーを守れるようになった
2009年、引っ越してわずか数ヵ月後、2人はケンカし
キムは実家に戻ったが、2010年のウィンブルドンには仲直りしていた
するとたちまち結婚するのではないかと注目され
ウィリアム王子以外に、Aほどメディアから
プロポーズのプレッシャーをかけられた英国男子はいない
2010年 兄がアレハンドラと結婚した時、独身さよならパーティを仕切り
「キムに結婚を迫られている」とジョークを言った
●2012年全米オープン準々決勝
雨のため、センターコートからルイ・アームストロング・スタジアムに変更された
Aはアーサー・アッシュ・スタジアムが好きだ
閉所恐怖症(!)も理由の1つかもしれない
ルイ・アームストロング・スタジアムはコートサーフェスがまったく違い
マイクが独り言をキャッチしやすい
ここで何度も辛い思いをしていた
A:
昔は上手くプレーできないと、自分を責め、どうしていいか分からなかったが
チェンジエンド、ポイント間の時間を使い、集中し続ける方法を見つけた
実際、彼のフォームは一貫性がなく
滅多に動かないレンドルは野球帽を取った
アメリカ人が数千人入ってきてから、明らかにプレーが変わった
『マルコム・グラッドウェル 失敗の技術』では
「パニックと緊張で固くなるのとは正反対だ
人は緊張すると考え過ぎ、パニックになると思考が停止する
いずれにしろ試合には負ける」
チリッチはビッグサーヴァーだが、精神的に脆いところがあった
●高まる優勝への期待
NYはAとフェデラーの結末を心待ちにしていた
2004年以来、フェデラー、ナダルはグランドスラムの準決勝に進出できなかった
Aはフェデラー、ナダル、ジョコビッチのうち2人を倒さないかぎり
グランドスラムで優勝できないと思われていたが
フェデラー敗退後、立役者抜きになった
ドローに残ったのは1人だけ
レンドルは同郷のベルディハをよく観察し、秘密情報も持っていた
翌日は強風に見舞われた
第6章 掴みはじめた富と名声
●豪華な記者会見
ショーン・コネリー、サー・ファーガソン、メル・ギブソン・・・
記者会見の一部始終はすぐに公開され、YouTubeでも見られた
●セレブが集まるグランドスラム
全米オープンは、メディアセンターにセレブを積極的に呼び込む
ウィンブルドンもここ数年、ショービジネス化したが比較にならない
ニコール・キッドマンと夫キースは
巨大スクリーンに映り、キスをして、観客は口笛を吹いた
『スパイダーマン』の俳優でAそっくりのアンドリュー・ガーフィールドもAのファンだった
(初耳の俳優だけど、何枚かの写真はたしかに似てる/驚
●大物マネージャーの先見
スパイスガールの元マネージャー、サイモン・フラーが代理人となり
Aの名声はより高まった
ミュージック興業主のハーヴェイ・ゴールドスミスは
フラーを英国最大の企業家とみなしている
その権力、影響力は絶大だ
●ベッカム夫妻
ベッカムは、フラーが自分のサッカー人生にどれほど大きく貢献したか記した
フラー自身は目立つのを好まない
音楽業界と違い、テニスの世界大会について何も知らなかったがAに惹かれた
最も魅力的なテニスプレーヤーになれる素質があり
グランドスラムに優勝すればレジェンドになると信じていた
他の選手をテニス界から入れる計画はまったくないと言う
19エンターテインメントは、Aに未来を賭けている
スポーツは、エンタメ業界で重要な地位を占めてきた
テニスは昔からハリウッドとつながってきた
フレッド・ペリーは女優に囲まれ、独自の服飾ブランドを立ち上げた
Aは人生をセレブの空虚な世界に陥れる気はなかった
コートでは感情を露にするが、本当はとてもシャイだ
●最高のプレーヤーになるために
Aは19エンターテインメントは、目先の儲けより
長期的なイメージを確立する手助けをしてくれると聞いて気に入った
Aが楽しむのは、練習コートや、街路などで近づいてくるファンとの交流だ
エリート・テニスプレーヤーは、大会を盛り上げるため
宣伝用の派手な企画にも呼び出される
選手には宣伝活動に貢献する義務があるため
決められたイベントに出演しなければならない
●いじられキャラ
元コーチ・ペッチーがスカイTVで雑談を生中継させてくれと頼み
A、友人でダブルスペアのコリン、ハッチンスの3人で会話した
ハッチンス:髪がどんどん減ってるな
A:ツイッターでのジョークがヘタだ
「スポーツ・リリーフ」という慈善活動の資金集めでは
BBCのコメディ『アウトナンバード』に出演し
いじられキャラの一面を見せた
ファッションに詳しい人の多くは、アメリカ版ヴォーグ誌で初めてAを知った
スタイリストの手にかかると、Aがどう変わるか示していた
記者はAの「激しく燃える緑色の目」に惹かれた
Aはファッション界から熱い視線を注がれた
Aは超えないと決めた一線がある
『サタデー・ナイト・ライブ』を観て「ありえない」と思った(面白いけどねw
一度だけ音楽分野に乗り出した(!
ダブルスの一卵性双生児のボブとマイクのブライアン兄弟プロデュースの
アルバムでラップを歌った
いくらサインをしても列は終わらない 明日の朝起こしてくれ それからサインしよう
●トップ選手たちの変貌
ナダルがセクシーになったのが表れているのは
スポーツ・イラストレイテッド誌の2012年水着特集
「謙虚さと男らしさが絶妙に混じり合っている」と報道された
フェデラーは、ティーンの頃はジーンズをだらしなく履き
髪を後ろで結んでいたタイプで、すぐ癇癪を起こしていた
だれも生まれた時から洗練されてはいない
ウィンターと妻のお蔭で少しずつ変わっていった
ジョコビッチは一時期、テニスプレーヤーのモノマネをして
シャラポワの真似は特に上手かった(見たいw
だが、今は真面目で慎重だ
●セレブたちとの交流
Aは子どもの頃、よくビリー・コノリーのお笑いのテープを聞いていた
全豪に彼がメルボルンにいると聞き、招待券を贈った
NYでのケヴィン・スペイシーとのトークは面白かった
A:『ユージュアル・サスペクツ』は大好きな映画だ 彼に会えたのはすごいよ
(今じゃハリウッドの「MeToo」運動で叩かれてるけどね
ジェームズ・コーデンの友情もあるが、コーデンは
Aはルーティンを変えるのを好まず
コートにすべてを賭けているのを邪魔しなかった
公式晩餐会室でキャメロン首相とテニスをしたこともある
A:首相は月に何度かテニスをすると言っていた
女王に初めて謁見したのは2010年のウィンブルドン
●ほかの世界の偉人たち
Aはいつも他のアスリートと会う機会を楽しんでいる
ボクサーのほか、ベッカムとも時々会う
ベッカムと「マラリア撲滅」キャンペーンの推進役として
ウェンブリー・スタジアムに登場した
Aに最初に魅了された有名人の一人は、サー・ショーン・コネリーだ
Aは子どもの頃、お小遣いで『007』のビデオを買い集めていた
『007ゴールドフィンガー』は特にお気に入りだ
●テニスプレーヤーの所得
2012年の賞金総額は約25億円
大富豪のドナルド・トランプが全米オープンのアーサー・アッシュ・スタジアムの
プライベート・スイートルームに14日間滞在し、ちやほやされる
(こういう世界で数%の金持ちでテニスがどんどん巨大エンタメ化しているのか
過去1年間の高額所得テニスプレーヤーリストを発表し話題になった
1位 フェデラー 約54億円(たった1年で
2位 ナダル 約32億円
3位 シャラポワ 約27億円
4位 ジョコビッチ 約19億円
セリーナ・ウィリアムズは約16億円、Aは8番目で約12億円
問題は、テニス界でB以下の選手たちだ
ツアー参戦の経費がかさみ、グランドスラムをボイコットしようと話し合っていた
選手全体の収入を引き上げる必要性があった
年収の多くは賞金ではなく、スポンサー契約、出演料、エキシビション試合への出演料
Aには4社のスポンサーがついていた
●スポンサーとの契約
テニスプレーヤーが最も収入を得るのは、ウェア、シューズのスポンサーから
(試合時間が長くて、ずっとマークや看板が映るからだって聞いたことがある
Aはまだグランドスラム優勝経験がなかったが、契約の一部として
アディダスが抱えるコーチ、コンサルタントの移動チームにアクセスできた
フェデラーとナダルはナイキとの契約で
他のスポンサーのロゴを付けられなかったが
Aは袖にいくつかパッチを許可されていた
スポンサーは、この袖の強奪戦を繰り広げている(バカみたい
ジョコビッチは長い間、テニス界の「第三の男」だったが
2012年、ユニクロと新たな契約を結んだ
ロイヤル・バンク・スコットランドは、Aが10代の頃からのスポンサー
そしてついにAも時計会社と契約を結んだ
●マレーの市場価値
それでも、フェデラーやナダルのスポンサー数はAの倍だった
セリーナは、自己ブランドを売り込み収入アップを図った
Aは金儲けに執着はない
スポンサーと契約するほど、トレーニングなどの時間を削ることになるからだ
元エージェントのアピーは
「Aは営業スマイルをしない 素のままだから企業が惹かれる」
ウィンブルドンの前哨戦、クイーンズクラブの大会に出場したAは
すでに数億円を稼いでいた
Aが参戦しなければ、国内の視聴率が落ち、スポンサーの関心が薄れてしまう
東京など極東の大会では、賞金より出場料のほうが高いと言われている(!
Aがグランドスラムで優勝すれば、コート外でこれまでの数倍の報酬を得るだろう
●マレーにとってのお金
Aにとって昔はお金は重要だった
両親にそれ以上頼りたくなかったからだ
A:初めて小切手を使い、自活できるようになった時はすごくいい気分だった
フェラーリに乗って赤信号で止まった時などに感じるきまり悪さに耐えられず
Aはジャガーのオープンカーを買った
ウィンブルドン大会中は、運転手付きの黒ガラス窓の大会公用車で通えたが
あえて自宅から毎日友人のクルマの助手席で往復した
Aは報酬の大部分を不動産に投資してきた
服装にもあまり関心がない
レンドルには、契約で年に約数千万円+ボーナスを支払う
取り巻きの旅費も負担している
●強風との戦い
自然はテニスに優しくない
スコットランドでは、強風や竜巻の中でテニスをするなんてありえない
全米オープン準決勝で、Aのイスは舞い上がり
コートに落ちて、表面に黒い跡を残した(!
観客のあらゆるゴミが舞い上がった
Aはかつてインディアンウェルズ大会の決勝で
砂嵐の中、ひどい2セットをプレーしたことがあったが
今回はこれまでの試合の中で最も残酷だった
この大会が水たまりを避けるためのカバーを使わないのは理解しがたい
全米テニス協会はとてつもなく大きなスタジアムを造り
屋根をつける方法が見つからずに苦労している
グランドスタッフは、コートからスクイージーで水を取り除き
乾かすのに大忙しだった
●2012年全米オープン準決勝
Aの帽子がポイント間に落ちて、ちょっとした言い争いが起きた
Aは常々、風の中でプレーするには卓越した技術がいると思っていた
向かい風では、ゆっくりフラットで打ち続け、スライスを多用
トップスピンは風につかまり失速する
大惨事映画『竜巻のなかのテニス』(面白そう)のセットの中
ベルディハとプレーするのは悪くないと分かってきた
風が彼の高いトスに支障をきたし、リズムを乱した
Aは精神的に柔軟に対応できた
こうして5度目のグランドスラム決勝進出を決めた
●全米オープンの裏事情
この大会はCBSにより運営され、テレビ放送されるため「CBSオープン」とも呼ばれている
ほかのグランドスラムは準決勝と決勝の間に、少なくとも1日はあるが
「スーパーサタデー」にこだわり、2人の勝者は約24時間後に決勝を戦わなければならない
選手たちから圧力を受け、全米テニス協会は2013年から
準決勝と決勝の間に1日空けることにした
2012年は風雨と竜巻の警報が出ていても
「スーパーサタデー」を強行することになった
「スーパーサタデーを中止すれば、プレーヤーに経済的な影響が及ぶ」
ジョコビッチはこの状況ではプレーできないと審判に訴えた
竜巻警報が出て、準決勝は中断され、日曜日に再開
男子決勝は5年連続で月曜日に行われ
「視聴率はガタ落ちだった」とニューヨークタイムズ紙は書いた
Aはこのサーフェスで最も手強い相手を倒さなければならない
ハードコートのグランドスラムで27連勝していたジョコビッチだ
●ついに決勝へ
英国のオリンピックメダリストは全員、月曜日にロンドンで凱旋パレードを行う予定だった
Aの少年時代のアイドルのアガシは
「直感か分からないが、Aはグランドスラムで優勝するのにふさわしい人物だ」と健闘を祈ってくれた
Aはグランドスラムで優勝したら、生活がどう変わるか案じていた
レンドル:レストランで最高の席に案内されるくらいだ
もちろんこれはウソだった
第7章 英国男子テニス76年ぶりの快挙
●黄金時代に生まれて
観客はフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、Aの4人をテニス史上最も優れた世代だと認めていた
フェデラーは「GOAT(色男)」と見られている
「Great of all time(史上最高)」の意味だ
フェデラーは芝、ナダルはクレーでおそらく史上最強だ
2人は4つのグランドスラムを制覇するキャリアグランドスラムの偉業を達成した
2005年~2012年の7年間で、デルポトロ以外すべて3強が制覇してきた
みんな最初にグランドスラム決勝に進出した時の対戦相手は
大舞台の経験のない相手だった
Aが決勝に進出した4回のグランドスラムのうち3回はフェデラーとジョコビッチだ
●ジョコビッチとの決勝
今回、5度目のグランドスラム決勝で、ディフェンデングチャンピオンのジョコビッチと対戦する
NYのセメントほどハードで容赦ないものはない
Aはこれまでにないほどロッカールームで緊張していた
グランドスラム決勝に5度進出し、5度逃した初の男子プレーヤーになりたくなかった
●グランドスラム優勝への重圧
レンドルは最初4度の決勝で敗れた
Aはその記録を破る危機に直面していた
A:
グランドスラムで優勝なんてムリだという気がしていた
僕は最悪の状況を想定するタイプだった
決勝の日ほどロッカールームが静かなことはない
ほかの選手はすでに敗れ去り、Aは自己疑念に苛まれていた
●英国籍を検討したジョコビッチ
ジョコビッチは英国人になるかどうか英国ローンテニス協会と検討していた時期がある
まだ経済的に成功する前の10代のことなので無理もない
ローンテニス協会から資金援助を得る以外にも
セルビア人より英国人のほうがスポンサーを得る機会も増えると考えたが
「プラスチック・ブリット(いんちきイギリス人)」と侮辱されただろう
ジョコビッチをあれほどの高みに押し上げた要因の1つは
2010年のデビスカップでセルビアが初優勝を飾って得たプライドと自信だった
●マレーとジョコビッチ
2人にはいくつもの共通点がある 2人はいつも比較されてきた
だが、2011年、ジョコビッチは3つのグランドスラムを制して頂点に立ち
フェデラーとナダルの2強時代を終焉させた
ジョコビッチとAはジュニア時代からよく対戦してきた
世界3位、4位だった2人は、いつもドロー表の反対側にいて
フェデラーとナダルがいたため、2人の決勝進出の可能性は常に低かった
Aはこのゴムのような足を持つジョコビッチをよく知っていた
ありえないほど俊敏な動き、完璧なディフェンス、過激な攻撃
Aは足の爪が2枚剥げ落ちて、試合前に痛み止めを飲んだ
●2012年全米オープン決勝
風の強い午後に始まった
Aはエレクトリック時代のディランのごとく研ぎ澄まされていた
序盤でリズムをつかみ、観客がAを応援しているのが伝わった
全米オープンの常連客にはジョコビッチ嫌いもいた
4年前、ロディックに悪態をついたことを許していない人々もいた
第1セットでは、54回のラリーがあり(!)タイブレイクにもつれ込んだ
1980年ウィンブルドン決勝でのジョンとボルグの「18-16の戦い」から32年後
24分間続いたタイブレイクは、今後、雨で試合が遅れる時に何度も放映されるだろう
・『ボルグ マッケンロー 氷の男と炎の男』(2017)
Aは6度目のセットポイントをようやくモノにして12-10で制した
●2セットリード
Aが4-0とリードした頃、ボリスはジョコビッチを「心臓を突き刺され、出血し始めている」と言った
Aは6-5とリードし、次のゲームをブレイクした
マイクの近くで「ゆっくりやれ、バカ野郎」「このバカな足はゼリーみたいだ」
など下品な言葉を吐いたことも笑いを呼び
ツイッターでゼリーという言葉が流行った
Aは「練習しなきゃいけないショットだったのに。バカ野郎」と
ありとあらゆる言葉を口から吐いていた
●ジョコビッチの逆襲
彼はほとんど負けそうになってから、最高のプレーをするという評判がNYで広まっていた
第3、第4セットでジョコビッチは人が変わったようだった
後に風が少し収まった時、戦略を変えるべきだったと思ったはずだ
まだ強風モードだったAは、慎重にボールをコートのセンターに集めていた
ジョコビッチが第3、第4セットを6-2、6-3で追いついた時
Aは人生において最も重大のトイレットブレイクをとった
アガシは父から強制されたテニスを嫌っていた
Aもテニスを嫌いになるのだろうか
●すべてを賭けた最終セット
Aは人生を懸けたテニスを愛し続けるためにも戦っていた
A:ここで勝てれば、真のトッププレイヤーになれ、意識も変わるだろう
NY誌:
テニスは心理的に支配されるスポーツだ
少なくとも、観客が心理分析の専門家になりたがるスポーツだ
Aはグランドスラムで負けた時のリアクションがまずく
周りまで落ち込ませると思われていた
2010年にフェデラー、2011年にジョコビッチに決勝で負けた後
ひどく落ち込み、その後何ヶ月もモチベーションが上がらずに苦しんだ
ここでくじければ「英国人は負け犬」だという固定観念を引きずるだろう
●5度目のグランドスラム決勝
臨床心理士のキャストーリとこの課題に取り組み、その成果を期待していた
キャストーリ:Aは創造性に富んだ天才 それを内面の強さと結びつける必要があった
第5セットに入る前、トイレットブレイクをとり
鏡の前でポジティヴな考えで頭をいっぱいにしようとした
レ:
結局、どっちがより真剣に欲しているか
どんな犠牲を払う覚悟ができているか
とてつもないプレッシャーに、どれだけ耐えられるかなんだ
レは拍手をして、今やっていることを続けろをAに伝えようとした
レはたった1試合、1セットで、プレーヤーの名声が一変するのを実感した
レ:
初めてグランドスラムで優勝した時
“決してやり遂げられない男”から“決して諦めない男”に変わったと言われたが
自分はどちらでもないと分かっていた
第5セットの開始は夜8時頃
NYでは最高の試合は夜に行われる
優勝まであと1セット
Aとジョコビッチは4H54分戦った
●批判払拭最大のチャンス
肉体的に疲れていたのはジョコビッチだった
だが決勝の行方を最も左右したのはファーストサーヴだった
Aはファーストサーヴの確率がずっと課題だった
レは「練習コートであまりサーヴを打つな」とアドバイスしたため
2週間のグランドスラム後も、肩にあまり疲労が溜まらなかった
第5セットのファーストサーヴポインツウォンは70%に上がった
これはこれまですべての試合で、1セットの数字として自己最高だった
ジョコビッチは「スーパサタデー」に放映したいテレビ局の思惑と
竜巻予報のために3日連続でプレーしなければならなかった
これは史上最高のグランドスラム決勝ではない
ジョコビッチとナダルの全豪決勝は6H続き、午前1時過ぎに終わった
Aは5-2とリードした時、ジョコビッチはメディカルタイムアウトをとり
ブーイングに対し、皮肉をこめてサムズアップしてみせた
●待ちに待った瞬間
1936年にフレッド・ペリーが全米オープンのチャンピオンになった後
76年間、英国人が優勝できなくなるとは誰も想像しなかった
タイムズ紙:ローンテニス協会は、簡単に次が現れると思っていた
1999年、85歳でこの世を去ったペリーについて
頭に浮かばないようにするのはほとんど不可能だった
NY夜9時 英国は午前2時過ぎ
Aはあと1ポイントで初優勝に近づいた
地元の肉屋は全米オープン特別セールを開催する準備を進めていた
●マレーらしい喜び方
実際、アメリカのファンはAの喜び方にちょっとがっかりした
NY誌:
あの終わり方はテレビ向けではなかった
2人はエネルギーを使い果たしていたのだろう
40-0のチャンピオンシップポイント
40-15 弱いセカンドサーヴを打ち
ジョコビッチのリターンをナイスと思ったが
ベースラインを超えて、Aは全米オープンのチャンピオンになった
かがみこみ、両手で口を覆い、呆然とするAに
ジョコビッチは歩み寄り、肩を抱いた
A:心の中で喜びすぎて、表情にあまり表れなかったとしたら申し訳ない
Aは後で詫びた
これで「フレッド・ペリーを超えられるか」という愚かな質問をもう二度とされずにすむ
A:
21歳の時から、ほぼ毎週のように聞かれた
やっと乗り越えられて、本当に嬉しい
●慣れないトロフィー授与式
グランドスラムチャンピオンになって数分間、Aはパニック状態だった
Aは授与式で時計をはめるのにまだ慣れていなかった
ウィンブルドン決勝で時計をつけ忘れ、また同じ過ちを犯すところだった
A:僕の時計を持ってない? ないんだよ
(スポンサーのためにここまでするって・・・
キム:バッグの中をもう一度見たら?
Aはやっと時計を見つけた
●レンドルの喜び
7-6 7-5 2-6 3-6 6-2 A優勝
「テニス界の奇妙なカップル」と呼ばれたプレーヤーとコーチは密かに抱き合った
レ:私は楽しむためにここに来たのではない Aを優勝させるためだ 任務は終わった
だが、レはメジャーの5度目の決勝で初優勝し
6、7度目の決勝で敗北したため、Aにそんな運命を歩ませたくなかった
レ:
Aはまだキャリアの途中 これからもっとトップ選手と戦っていく
試合を分析してみせたら情報を漏らすことになる
私にとって、メディアに語るのは自殺行為だ
●家族みんなの応援
ジュディは、両親に「ヤッピー!」とひと言メールを送った
息子2人ともグランドスラムチャンピオンになった
2007年 ウィンブルドンのミックスダブルスで優勝したジェイミーは
ルクセンブルクのホテルで試合を観ていた 優勝したのは午前3時
叫んだりせず、翌日の試合に備えてベッドに入った
●優勝後の祝賀会
Aは次々とインタビューを受けた
その夜の祝賀会でもお酒を飲まず、6ドルのレモンソーダを飲んだ
祝賀会の食事に約50万円、アルコールに約14万円かかった
レストラン「ハッカサン」は、約12万のチャージしかとらないと言った
●新しいスタープレーヤーの誕生
A:
明け方の5時まで寝付けなかった
6:30に目覚めた途端、ベッドから飛び起き
まるで自分じゃないみたいにとても興奮していた
Aはスタジオからスタジオへとトロフィーを抱えて移動したが
グランドスラムチャンピオンになっても
彼自身はまったく変わっていないことが分かった
A:僕はすごくシャイで、人目を気にしてしまう
その日はNYの9.11から11年経った日だったが
誰もAの祝賀会を「無神経だ」と思う人はいなかった
グランドスラムに優勝すると生活がどう変わるか心配していたが
こんな日はたいがい1日限りだとAも分かっていた
A:人は人 僕は僕 今まで通りの生活を続けたい
最悪の事態は、自分自身が変わってしまうことだった
BIG3がようやくBIG4になったのを確信した
「サー・アンディになる」とからかうメッセージが友人からひっきりなしに届いたが
Aはたった1回グランドスラムで優勝しただけでナイト爵に叙されるべきではなく
時期尚早だと考えていた
(その後サーになったけどねv
・元世界1位のアンディー・マレー、正式に英国ナイトの称号を受け取る
ほかのどのメッセージより嬉しかったのはナダルからだった
R:とにかく喜びに浸れよ 僕もほんとに嬉しい 君は紛れもないチャンピオンだ
タイムズ紙:
またプレッシャーをかけてすまないが
来年、フレッド・ペリーがウィンブルドンで優勝して以来77年目の夏を迎えるんだ
デイリー・テレグラフ紙:
スポーツでは、努力より天賦の才を重視する傾向がある
Aは才能に恵まれているが、それだけではこの勝利は得られなかった
多くの新聞が、Aはプロポーズするだろうと書き立てた(やれやれ・・・
●故郷ダンブレーンでの祝福
NYから戻り、3、4日間、Aは犬の散歩以外、キムと家にこもり、寝て過ごした
A:僕たちはあの夏のことをよく実感できないでいたんだ
ダンブレーンでの祝福は1週間続いた
優勝記念のロイヤルメールが金色に塗ったポストの周りに人々が集まった
(こないだ倒されて、直されたツイートが載ってたねえ
・Andy Murray's Olympic gold post box hit by car in Dunblane
最初に通ったテニスクラブで子どもたちとボールを打ち合ったり
シングルスの金メダルとミックスダブルスの銀メダルを触らせたりした
Aのパレードは5時間も続いた
●新たなスタート
2012年のグランドスラムはBIG4がそれぞれ一度ずつ優勝した
ではなぜ、Aがプレーヤー・オブ・ザ・イヤーになるのか?
Aはまだフレッド・ペリーの呪縛から解放されていなかったが
小さな大会での敗戦まで、この世の終わりのように絶望的に捉えなくなった
自分もテニスの黄金時代を率いていると心から思えるには
グランドスラムで優勝するしかなかった
A:
どれだけ勝ったかではなく、どんな人と対戦し、
テニスプレーヤーとしてどれほど優れていたかが大事だ
僕が対戦しているのは、史上最強のプレーヤーたちだ
Aはこれからもグランドスラムのタイトル獲得を目指すだろう
25歳でグランドスラム初優勝は早すぎも遅すぎもしない
A:これで夢が終わったんじゃない ここから新たに始まるんだ
【謝辞】
本書は、テニス記者の協力のお蔭で完成しました
アンディ・マレー 大会成績
この2012年の全豪オープン準々決勝の相手は錦織圭だったのね!
年末ランキング
2003年 546位
2008年~2011年 4位
本書は2013年発行だけど、その後1位にもなったしねv
臀部の手術でランキングを落として、引退まで考えて、会見で涙を見せたけれども
今またシングルスに出場するまでに復活してくれて本当に嬉しい
さて、2019年の全米オープン
今シーズンラストのグランドスラムが始まる