■大河ドラマ『西郷どん』
【ブログ内関連記事】
・第1~5回
・第6~10回
・第11~15回
・第16~20回
・第21~25回
・第26~30回
・第31~35回
いつの間にか、トップ画像が上野の西郷さんっぽく様変わりしててビックリ
隣りにいるのは、、、ハッチさん?w
第36回「慶喜の首」
慶応4年1月 「鳥羽・伏見の戦い」が始まった
新政府軍は劣勢(戦争はどっちが敵でどっちが味方か分からない
それを聞いて、動き出す大久保と岩倉具視
西郷:我らは賊軍相手に負けるはずがなか! と発破をかける
そこに「錦の御旗」を出す
「錦の御旗」
500年以上前、後醍醐天皇が掲げた旗印
ウソか真か分からないこの旗を旧幕府軍に見せると逃げ出す
西郷:このまま大坂まで追い討ちをかけっどー!
まだ戦争に納得出来ない信吾は、兄を説得している時に後ろから撃たれる
(他の兵士が死んでも1つの駒に過ぎないが、
1人の家族の死は大きいことに気づかないのが戦争の親玉
瀕死のシンゴは相国寺に運ばれるが、戦を続ける西郷
新政府軍に寝返った者も出てきた
西郷:戦はまだ終わっちょらん 私情を挟むヒマはない
【大坂城】
慶喜は戦争の陣頭に立ってくれと懇願される(高見の見物はズルいよ
慶喜:余は戦う! 余について来い!
そう言いつつ、夜中に味方の兵を残したまま、
およしほか数人を連れて城を抜け出し、江戸に逃げる慶喜
戦が始まりわずか4日のこと
勝利の鬨をあげる新政府軍
「開陽丸」に乗った慶喜らは嵐に見舞われる
およし:バチが当たったんです この船は沈む
なんとか江戸にたどり着いた慶喜 そこに勝が来る
勝:
うなぎなど食ってる場合ではない!
戦に負けたのも、徳川の名を地に落としたのもあんただ
およし:
あなたは西郷さまから逃げたんです
謝ればいいではありませんか あの方は心根の良い方
でないと地の果てまで追ってきます
慶喜:オレの前から失せやがれ!
およしは涙ながらにその場を去る
大久保は英国人医師ウィリスを連れて来る
当時、京に異人が入ることは許されていなかった
人々は異人を鬼、天狗と思う者も多かった
また不気味な道具を出し、クロロホルムで麻酔って、犯人が相手を連れ去る時のやつじゃん→麻酔の歴史(ウィキ参照
切開手術は、当時世界最高峰だった これで新政府軍の命が大勢救われた
シンゴは命をとりとめる
ウィリスを呼んだのは西郷
兵庫に腕のいい外国人医師がいると大久保から聞き、
異人を京に入れるのに猛反対される中
天子様に直に願い出たと聞くシンゴ
兵は江戸を攻めに出る
シ:
おいも行く 連れてってくれ
兄さが何と戦っているか分からん 最後まで見届けたか
【駿府 新政府軍 大総督府】
有栖川宮:慶喜は徳川の菩提寺・寛永寺に謹慎し、恭順を示している
西郷:本当に恭順したなら、武器を捨てて、我らが軍門に下るのが道理 信じられない
議論の末、官軍総攻撃は3月15日と決まる
【上野・寛永寺】
慶喜を訪れる勝 官軍が川崎に入ったと告げるが、天子様の許しを待つのみ
勝:
奴らはあんたのお首が欲しいんだ 戦えば勝ちます
最新式の武器、開陽丸ほか12隻の軍艦がある
私に任せてくれたら、フランス軍の力を借りて京を攻めればあっちを朝敵に出来る
慶喜:
たしかに勝てるが、その時、日本は異国の手に渡る
徳川を世界の笑い者にしてなるものか!
もはや朝廷に刃を向ける気もない
どんな処罰も受けよう
旧幕臣・山岡鉄太郎を駿府へ向ける勝
(『真田丸』に戻ったかと思った
ウィキを見たら、藤本隆宏さんは元競泳選手で元劇団四季団員てすごい経歴!
山岡は西郷に会いたいと一人で乗り込み、勝からの文を渡す
進軍をとどめ、西郷に江戸に来いとあるが、断る西郷
山岡:勝さまとも矛を交えなければならない
西郷:覚悟の上 慶喜公を信じられない
山岡はそこで腹を斬ろうとする
山岡:侍が主を信じられなくなったら、もう侍ではございますまい
西郷は勝に会うため、兵を江戸でとめる
そこに幾島が来る また「もす」にツッコムw
薩摩の屋敷まで会いに来たという
【江戸城】
天璋院と12年ぶりの再会
「京都市伏見区」
鴨川沿いで「鳥羽・伏見の戦い」が始まった
薩摩藩が陣を構えた「城南宮」 参門に4台の大砲を置いた
「妙教寺」には砲弾の跡がある 当時の住職が後世に伝えようと残した
「京都市上京区」
薩摩藩の野戦病院となった「養源院」
ここでウィリスは西洋医療を施し、西洋医学の一層の普及のきっかけになったという
第37回「江戸無血開城」
天璋院:
慶喜公の首1つでこの戦を終わらせてくれ
われらが人生は慶喜殿で始まったのじゃ
島津斉彬は、次の将軍を慶喜にすることを篤姫に託したことを思い出す
天璋院:
慶喜死して後、私も自害する覚悟
最後の頼み 徳川家を救って欲しい
西郷:この戦を止めることは出来もはん 総攻撃の前に逃げてたもせ
天璋院:私はここにおります 徳川の名に賭けて戦うのみ
幾島は血を吐く
【江戸 薩摩藩邸】
西郷は勝と会う
勝:
江戸を火の海にしたくない 時間がない 条件を書いた文を渡す 徳川は降伏する
慶喜は水戸で謹慎する 江戸城は明け渡す 武器・軍艦も渡す
慶喜を助けた者の処分を寛大にしてくれ
いつの世も勝者と敗者はあっけなく入れ替わるもんだ
勝者のたしなみを知らないはずはないだろう
西郷どんが背負う新しいニッポンてのは何だい?
守るべきものは民だと思い出す西郷は条件を飲み総攻撃を止め
京に行き、天子様に文を渡す
勝:
慶喜に会いに行けばいい
お前さんたちのケンカだ お前さんたちでカタをつければいい
良かった お蔭で江戸の桜をまた見られる 上野にお前の銅像とやらを建てるか
(どんな戦争もトップのケンカや取引 実際に血を流す民はまったく関係ない
慶喜と会う西郷
脇差を置き、逃げた理由を聞く
慶喜:
オレはロッシュ殿から逃げた
あの男は「いざとなればフランスが援助する」と持ちかけた
「その代わり勝ったら、薩摩をよこせ」と 薩摩はイギリス軍と組む
日本でフランスとイギリスが戦い、勝ったほうが日本を乗っ取る
オレに出来ることは逃げるしかなかった
西郷:
おいはあなたが恐ろしかったが、ようやく分かった ひいさまこそがあなたなのだと
徳川に生まれたのはあなた様のご不幸 徳川最後の将軍のご覚悟 しかと見ました
よくぞ逃げて日本をお守りいただきました
ようやく和解する2人
条件を大久保らに伝える
桂:慶喜の首のために戦うべき! 武器があればまた戦になる!
西郷:その時は、おいが慶喜を討ちもす
城は明け渡し、慶喜は水戸家お預かりとなる
【慶応4年4月11日 江戸城明け渡しの日】
慶喜は水戸に向かった
天璋院に会う西郷
徳川が260年見聞きしたことを記録した書を渡される
天璋院:
徳川の家を守ること以上に望むことはありません
天下をおさめるのは戦をするより難儀 これらが役立つこともありましょう
二宮尊徳が各地を歩いた書もあり驚く
西郷:これがあれば百姓がどれほど喜ぶか!
上野・寛永寺には新政府に不満をもつ者らが集まり、義を明らかにすると「彰義隊」と名乗った
「わしらに戻る家などない 戦って死ぬ覚悟じゃ!」
「彰義隊」は東北各地にも広まり、軍艦を返すのを拒否して脱走
大久保:我らには金も武器もない
桂:あの時、潰しておけばこうならずに済んだ 手は打ってある
そこに大村益次郎(長州藩士 希代の戦略家)が入って来る
大村:あんたは戦が分かってない 半日で片付きます
(いつの世もこうした戦争屋がいるんだな
勝と会う西郷
勝:また戦が始まるのか まだ続ける気か?
西郷:会津、米沢、仙台、庄内・・・果ての見えん戦でごわす
勝:死ぬなよ西郷どん 龍馬が夢見た新しい国を作ってくれ
「東京都墨田区 両国公園」
勝海舟は貧しい旗本の長男として生まれた
幼い頃から道場に通い、剣術を究めるため禅寺にも通って精神修業にも励んだ
成人し、蘭学を学ぶために赤坂に越し、借りてきた辞書を書き写してオランダ語を習得
(勝海舟邸がコンクリートのマンションになっちゃって・・・
咸臨丸の渡航経験を経て、幕臣として暮らしていたのは、氷川神社に近い旗本屋敷
氷川神社の境内には勝が命名した「四合稲荷」がある
勝は西郷とともに江戸の町を守った
都内に銅像まであるなんて知らなかった
第38回「傷だらけの維新」
大村益次郎の戦略のもと新政府軍は彰義隊を攻撃する
人が簡単に死ぬのを見て、ためらいながらも指揮をとる西郷
彰義隊はわずか半日で潰滅
その後も「東北・北越征伐」がある
大村:
金も武器も足りず、会津などは戦上手 これでは負けます
だが、薩摩にはまだまだ揃っている
急ぎ薩摩に戻る西郷
久しぶりに実家に帰る
シンゴ:
戦は勇ましいものじゃなか ただの命の奪い合い 醜くて、酷いもの
百姓が一生懸命食い物作っているほうがよほど立派
西郷の名が全国に轟いて、遠戚だとか友人だいって大勢が訪ねてきて金の無心にきて困るが
吉二郎が「西郷の名に傷がつく」と出来るだけ分けていたため、家はますます貧しくなっている
糸は食べ物や書を大島に送っている
菊次郎はもう8歳
西郷は島津久光に事情を話すと
久光:すべてお前の思うようにいたせ
薩摩兵も指揮する兄を見て、複雑な様子の吉二郎
吉二郎が畑仕事に木刀を持っていくのを見て声をかけるシンゴ
シンゴ:
兄さも戦に行きたいのか? こげな傷が欲しかとか?! 片方の耳が聞こえなくてもよかか?
琴:
誰も言えんで私が言います 出世しても慎ましいのは立派だが、みんな我慢してる
一番、我慢してるのは吉二郎 その気持ちを形にしてくりゃんせ
吉二郎:
おいも戦働きがしたか おいも薩摩隼人 一生に一度、侍らしく戦場を駆け回りたか
妻・園:
行ってほしくないが、初めて自分のしたかことを口にしました
お家のことは、私がこの人の分まで気張ります
西郷:この戦は侍の合戦とは違う 西洋の武器はあっという間に命を奪う
吉二郎:覚悟は出来てます
西郷:供に参れ
吉二郎らは先に越後へ行く
(なぜ、男たちは死にたがる? その戦争に女子どもも巻き込まれるのに
敵が連発する銃を撃ってきたと聞いた西郷はすぐに越後に向かう
【越後 松ヶ崎 本陣】
長岡など東北各地から援軍も来て、すぐ出陣してほしいという
シンゴが来て、早速吉二郎が撃たれたと言いに来る
西郷:兵の命はみな同じ! 弟もなにもない 軍議を続ける
(結局、西郷も戦争の親玉だ
「北越戦争」
双方の死傷者約1500人を出して新政府軍の勝利
【越後 柏崎の陣】
傷だらけの兵を見舞いに来る西郷
血だらけの吉二郎もいる
吉二郎:
侍働きが出来て嬉しかった 有難う 兄さ 体を大事にしてくれやい と言って亡くなる
【明治元年10月】
日本は「明治」に変わり、「明治政府」ができる
江戸城→東京城となり、明治天皇の新居となる
大久保:これからの政治は東京城でやる
西郷:
おいは薩摩に帰らせてもらいたい もう役目は終わった お前たちがいれば充分だ
新しい国のために大勢を死なせてしまった責任を負わねばならん
世界に負けない日本国を作ってくれ
と巾着を渡して去る 中には昔、斉彬からもらった紙だっけ?
家に帰る西郷 吉二郎の髷を園に渡して謝る
吉二郎の立派さを話すシンゴ
園:おやっとさでございました
糸は吉二郎がずっと西郷のために床下に貯めていた書や金を見せる
書はこれまでの細かい家計簿
さすがに号泣する西郷
西郷はナリの脇差で髷を切り落とす
次週から最終章 あ、やっと犬が出てくる!
「新潟県長岡市」
「北越・戊辰戦争」の激戦地で、長岡城を巡り攻防戦が繰り広げられた
長岡藩は連射式の「ガトリング砲」で応戦 多くの死傷者を出した
(外国、国内にも、いつの世も「戦争屋」「武器商人」がいるもの
「新潟県三条市 五十鈴川」
長岡城落城後、吉二郎は川で撃たれた傷がもとで亡くなる
「新潟県上越市 金谷山官修墓地」
官軍の戦死者を弔う墓地には吉二郎の名も刻まれている
失意の西郷は政治から距離を置くこととなる
第39回「父、西郷隆盛」
【明治37年 京都市役所】
「日露戦争」で出兵する若者を、国旗を振って送り出す家族
新しい市長が来る 「西南戦争」で義足になったという噂
現れたのはアイカナの息子菊次郎!
ナレーションの西田敏行さんは、ずっと菊次郎として喋ってたってこと?驚
前市長・内貴甚三郎が引き継ぐ
助役・川村鉚次郎とは台湾で会った仲
菊次郎:私は父の名は避けてきました 西郷家の嫡男ではない 菊太郎ではありません
川村:今度こそお父上のことを教えてください
菊次郎:
私はすべて知っているわけではない 知らないことのほうが多い
あなたに話せるのは明治2年のこと・・・
ここからは、菊次郎の回想話になる
【明治2年 鹿児島】
西郷は「新政府」には加わらず、野良仕事を手伝い、西郷隆盛と名乗っている
【大島(今の奄美大島)】
菊次郎が鹿児島に呼ばれたのも同時期
迎えにきたのは糸と熊吉
アイカナ:この子を私の子として育てたことはない ずっと西郷の子として育ててきた
糸:旦那さんはいつも言ってます 流された島でアイカナさんに命を救われた お礼申し上げます
アイカナ:好いた人の命を守るのは当たり前のこと この子をよろしくお願いします
西郷家は借金をすべて返し、市中から少し離れた竹村に越した
シンゴには妻・清がいる
みな菊次郎を温かく迎えるが戸惑う
あ!ツン出てきた!! もう1人はゴジャ? もうすでにご老犬のような?
ツンはお腹出して、かあいい!
初めて見る父は立派な侍とは違って驚く菊次郎
長男の席に案内されるが、「そこは寅太郎が座るところ」
菊次郎は、島を出る時に寅太郎が嫡男と母から聞かされていた
翌日から早速、一人前の薩摩武士になるため、郷中で読み書き、剣術などを学ぶ
(武士や剣術って・・・全然変わってないじゃん
そこに有村俊斎が来て国父から呼ばれる
【磯御殿】
「版籍奉還」で領地・権力を政府に奪われた島津久光
(いろいろ急に変えても、何百年も続けてきた習慣、意識はなかなか変わるもんじゃない
まだ髷に刀だし
久光:
領地を取られ、戊辰の者らが側近を追い払い、薩摩を乗っ取らんばかりじゃ
藩内は乱れ、わしには手も足も出ん これがお前の言うご維新か?
【東京城 広間】
新政府のみんなは髪を切って、すっかり西洋かぶれ
大久保は参議、桂小五郎→木戸孝允は待詔院出仕
岩倉具視は大納言、三条実美は右大臣
後藤象二郎(制度御用掛)、江藤新平(佐賀藩権大参事)、大隈重信(民部大輔)
伊藤俊輔→伊藤博文(大蔵少輔)
木戸は西郷の冠位が島津忠義(茂久)より上では諍いが起きると反対
法が先、税が先とみんな意見がバラバラ
(てか、名前が変わりすぎるのをまず止めようよ もう誰が誰だか/汗
西郷のもとに別府晋介(半次郎のいとこ)が来て、横山安武が東京に行きたいと言う
横山:
日本国中で民がどれだけ苦しんでいるか!
新政府は中央に力を集めるため、諸藩から莫大な金を巻き上げ
大きな屋敷に住み、妾を囲い、贅沢三昧じゃ!
おいと一緒に東京に行ってほしい
西郷:断る いずれ侍の世は終わる
菊次郎:今思えば、父は桜島でした 若き侍を守るのが己の役目と思っていた
【東京 集議院】
横山は一人で「天子様に物申す!」と自決する
その死がきっかけとなり、さらに暴動が激しくなる
【東京 大久保邸】
大村益次郎は暗殺されたのか 46歳って早い・・・
大久保家のおゆうのもとにシンゴがくる 今は西郷従道(兵部権大丞)
フランス、アメリカに行ってきた
西郷を新政府に呼び戻してほしいと大久保に頼まれる
西郷は戊辰戦争で亡くなった兵の家を1軒1軒訪ねて、御霊に手を合わせて回っていた
従道が帰省し、鉄道などの話をする
フランス同様、妻キヨを東京に連れていくという
従道:フランスには「ポリス」がいる 町の治安を守る侍 日本にも作りたい
西郷:侍に新しい仕事を与えられる
従道:オレと一緒に東京に来てくれないか
西郷:政治は大久保に任せた おいに政治をする資格はなか
従道:
オレも戦は見たくない それにはやっぱり強い政府直属の軍がいる(自衛隊のこと?
それを兄さに作ってほしい これまでの犠牲者を無駄にせんでくれ
糸に東京に行くと話す
西郷:この国を変えたことで困る人が大勢いる その責任を負わんといかん
糸:
アイカナさんに申し訳ない 引き裂くように菊次郎を連れてきたのですよ
もうしばらく側にいて
話を聞いていた菊次郎は西郷を父上と呼び、東京に行ってくれと言う
菊次郎:
自分のことより民が大事 おいもいつか父上のように民のために働きとうございます
母上、お願いしもす
この東京行きが父の運命を大きく変えた
「東京都千代田区」
明治元年(1868)、江戸は東京となり、翌年、明治天皇は京から移る
明治政府の高官たちも東京に居を構える
空き家となった大名屋敷は、高官らの屋敷、政務を行う場所となる
「新宿区 玄国寺」
岩倉具視の屋敷と言われる建物の一部が移築されて残る 和洋折衷は当時珍しかった
明治政府は西洋文化を貪欲に吸収
「港区 旧新橋停車場跡」(ここは行った
明治2年 政府は鉄道附設事業を開始
東京に「文明開化」が押し寄せる
・鉄道歴史展示室×「ルオーと風景」
第40回「波乱の新政府」
【鹿児島城】
岩倉と大久保が勅書をもってくる
久光にすぐ東京にきて政府に力を貸すよう書いてある
仮病を使いムリだと断る久光
大久保:日本全国の藩を潰して、新政府がやることにする
深刻な財政難の新政府(藩からがっぽりもらったんじゃなかったの?
全国に約300ある藩は、税の徴収権をもち、それを1つにしようとする「廃藩置県」
(藩→県に変わっただけだよな 政治屋が庶民から金を巻き上げてるのは同じ
薩摩には20万の氏族がいる もし反対したら大変なことになる
西郷:
反乱を起こす気も失せるほどの強い軍がいる 天子様の軍を作っては?
天子様を守る名目で各藩から精鋭を集め、天下に睨みを利かせる御親兵じゃ
それをおいが率いる
(また戦争? 「中央集権化」自体が問題では?
早速、郷中の血気盛んな中村半次郎らを騙しに行く西郷ら
俄然やる気がわく若者たち
満寿は大久保から「子どもと東京へ来い」と言われたが断った 妾がいると分かっているため
満寿:もう薩摩には戻らない覚悟なんだと思う
大久保は久光を説得する
久光:お前らの考えは分かってる この薩摩を押さえ込むつもりや!
大久保:
私はもう島津家ではなく天子様にお仕えする身 一人、時世に取り残されますぞ
国父さまにも新政府の席を用意している それが私の恩返しです
失礼します 島津久光さま
西郷は菊次郎と話す
西郷:
これからは武士も百姓もみな同じ シマンチュもヤマトンチュもなか
お前もどこでも好きなところに行ける 学び、何をしたいか時をかけて考えろ
明治4年2月 西郷は熊吉とともに東京へ
人力車や馬車に驚く
【大久保邸】
後藤は横須賀で見事な造船設備を見たと話す
板垣退助(高知藩大参事)、大隈重信は民部大輔→参議、
江藤新平は佐賀藩権大参事→中弁・制度取調専務になってる
(役職も付けたもん勝ちだもんね いちいち名前を出さないと誰だか分からない・・・
主賓・西郷が来る
新政府では熾烈な主導権争い
テーブルには肉だらけのご馳走 毎日これらを食べて財政難とはよく言うよ
「廃藩置県」でも論議となる
木戸:長州でも今は押さえきれん
大久保:薩摩が陣頭に立ち、事を進めるしかなか ここはおいについてきてくれやい
(おゆうとの子どももいる
「御親兵」
政府は8000人からなる軍隊を抱える
半次郎らも東京へ来て、長屋に連れて来る西郷
「廃藩置県」でまたぶつかり合う新政府 金がかかるという者に
西郷:我らが質素倹約すればよか
話をそらし、また料亭のご馳走を食べる中、西郷だけは握り飯
大久保、木戸も黙る
公家の岩倉、三条らはもう貧乏はまっぴらだと芸子遊びに興じる
大久保は西郷の長屋に来る
西郷:
おはんらは何をやっとる? 役人は私腹を肥やして、
それでは日本は何も変わらんと腹を斬った横山の言う通りじゃ
大久保:
贅を尽くすのも、異国に舐められんようにするため
劣った暮らしをする者と対等に話す者などおらん
この一等国にするには、一等国の真似をするしかなか
(そこが間違ってる 考えが違ってきたな、この2人
大久保は木戸と会い手を貸してくれと頼む
大久保:
最近は、土佐と備前が三条に近づき、政府を掌握しようとしている
主導するのは我らだと示すしかない
木戸:御親兵が動かなければ、我らは破滅じゃ
数日後の議論の席に勅書を持ち出すと、騙まし討ちだと怒る4人
木戸:西郷が陣頭指揮をとるのになぜおらん?
西郷が来る
「薩摩と長州で好きにすればいい」と去ろうとする4人に
西郷:
薩摩と長州だけでは出来ん 1つ岩にならなければ! 御親兵もわしらを信じて集まった
われらの肩には戊辰で死んだ8000の魂が乗ってる
1つになってもう一度存分に話し合い それでも出る膿はおいがすべて引き受ける
また議論が始まる
大久保:おいは何か間違ってるか?
西郷:おいはそれでよか おはんが抱えきれんものは、おいが抱える
明治4年7月14日 「廃藩置県」が断行された
「千葉県船橋市」
西郷が編成した「御親兵」のちの「近衛兵」がたびたび演習を行った
広大な土地は幕府直轄の牧場が置かれた馬の産地だった
馬を逃がさないために築かれた土手が残る
「近衛兵」は、薩摩、長州、土佐の旧藩士らで編成された
明治6年 2800人の「近衛兵」が一堂に会した大規模な演習が行われた
今の「本町通り」には、明治天皇が休憩した宿があった
明治天皇は、演習を行った地を「習志野ノ原」と命名し、陸軍演習場に定める
以降、習志野には、駐屯地、陸軍学校など、軍施設が置かれて発展した
*
「明治維新」=文明開化、旧体制から国際化したいいイメージでいたけど
なんだか違う気がしてきた
新しい日本て、全部、西洋のモノマネってことか?
システムを決めたのは、薩摩、長州、土佐の旧藩士だけ 頭の中はまだまだ侍の人たち
その後の政治屋もその系統にあると最近知った
1868年「明治元年」~1912年「大正」~1926年「昭和」の間もずっと戦争をしてきた日本
1894年「日清戦争」
1904年「日露戦争」
1914年「第一次世界大戦」
1939~1945年「第二次世界大戦」
どんどん組織名を変え、さまざまな戦争を起こして大勢を殺し、今また軍を持とうとしている日本
しかもどんどん武器が残虐、効率的になっている
歴史=戦争だから、昔から嫌いな科目だったけれども
ほんとうの歴史を、みんなで興味をもって学び直さなければならない
それこそ、これから100年後の子どもたちのために
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新政府軍は劣勢(戦争はどっちが敵でどっちが味方か分からない
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西郷:我らは賊軍相手に負けるはずがなか! と発破をかける
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「錦の御旗」
500年以上前、後醍醐天皇が掲げた旗印
ウソか真か分からないこの旗を旧幕府軍に見せると逃げ出す
西郷:このまま大坂まで追い討ちをかけっどー!
まだ戦争に納得出来ない信吾は、兄を説得している時に後ろから撃たれる
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1人の家族の死は大きいことに気づかないのが戦争の親玉
瀕死のシンゴは相国寺に運ばれるが、戦を続ける西郷
新政府軍に寝返った者も出てきた
西郷:戦はまだ終わっちょらん 私情を挟むヒマはない
【大坂城】
慶喜は戦争の陣頭に立ってくれと懇願される(高見の見物はズルいよ
慶喜:余は戦う! 余について来い!
そう言いつつ、夜中に味方の兵を残したまま、
およしほか数人を連れて城を抜け出し、江戸に逃げる慶喜
戦が始まりわずか4日のこと
勝利の鬨をあげる新政府軍
「開陽丸」に乗った慶喜らは嵐に見舞われる
およし:バチが当たったんです この船は沈む
なんとか江戸にたどり着いた慶喜 そこに勝が来る
勝:
うなぎなど食ってる場合ではない!
戦に負けたのも、徳川の名を地に落としたのもあんただ
およし:
あなたは西郷さまから逃げたんです
謝ればいいではありませんか あの方は心根の良い方
でないと地の果てまで追ってきます
慶喜:オレの前から失せやがれ!
およしは涙ながらにその場を去る
大久保は英国人医師ウィリスを連れて来る
当時、京に異人が入ることは許されていなかった
人々は異人を鬼、天狗と思う者も多かった
また不気味な道具を出し、クロロホルムで麻酔って、犯人が相手を連れ去る時のやつじゃん→麻酔の歴史(ウィキ参照
切開手術は、当時世界最高峰だった これで新政府軍の命が大勢救われた
シンゴは命をとりとめる
ウィリスを呼んだのは西郷
兵庫に腕のいい外国人医師がいると大久保から聞き、
異人を京に入れるのに猛反対される中
天子様に直に願い出たと聞くシンゴ
兵は江戸を攻めに出る
シ:
おいも行く 連れてってくれ
兄さが何と戦っているか分からん 最後まで見届けたか
【駿府 新政府軍 大総督府】
有栖川宮:慶喜は徳川の菩提寺・寛永寺に謹慎し、恭順を示している
西郷:本当に恭順したなら、武器を捨てて、我らが軍門に下るのが道理 信じられない
議論の末、官軍総攻撃は3月15日と決まる
【上野・寛永寺】
慶喜を訪れる勝 官軍が川崎に入ったと告げるが、天子様の許しを待つのみ
勝:
奴らはあんたのお首が欲しいんだ 戦えば勝ちます
最新式の武器、開陽丸ほか12隻の軍艦がある
私に任せてくれたら、フランス軍の力を借りて京を攻めればあっちを朝敵に出来る
慶喜:
たしかに勝てるが、その時、日本は異国の手に渡る
徳川を世界の笑い者にしてなるものか!
もはや朝廷に刃を向ける気もない
どんな処罰も受けよう
旧幕臣・山岡鉄太郎を駿府へ向ける勝
(『真田丸』に戻ったかと思った
ウィキを見たら、藤本隆宏さんは元競泳選手で元劇団四季団員てすごい経歴!
山岡は西郷に会いたいと一人で乗り込み、勝からの文を渡す
進軍をとどめ、西郷に江戸に来いとあるが、断る西郷
山岡:勝さまとも矛を交えなければならない
西郷:覚悟の上 慶喜公を信じられない
山岡はそこで腹を斬ろうとする
山岡:侍が主を信じられなくなったら、もう侍ではございますまい
西郷は勝に会うため、兵を江戸でとめる
そこに幾島が来る また「もす」にツッコムw
薩摩の屋敷まで会いに来たという
【江戸城】
天璋院と12年ぶりの再会
「京都市伏見区」
鴨川沿いで「鳥羽・伏見の戦い」が始まった
薩摩藩が陣を構えた「城南宮」 参門に4台の大砲を置いた
「妙教寺」には砲弾の跡がある 当時の住職が後世に伝えようと残した
「京都市上京区」
薩摩藩の野戦病院となった「養源院」
ここでウィリスは西洋医療を施し、西洋医学の一層の普及のきっかけになったという
第37回「江戸無血開城」
天璋院:
慶喜公の首1つでこの戦を終わらせてくれ
われらが人生は慶喜殿で始まったのじゃ
島津斉彬は、次の将軍を慶喜にすることを篤姫に託したことを思い出す
天璋院:
慶喜死して後、私も自害する覚悟
最後の頼み 徳川家を救って欲しい
西郷:この戦を止めることは出来もはん 総攻撃の前に逃げてたもせ
天璋院:私はここにおります 徳川の名に賭けて戦うのみ
幾島は血を吐く
【江戸 薩摩藩邸】
西郷は勝と会う
勝:
江戸を火の海にしたくない 時間がない 条件を書いた文を渡す 徳川は降伏する
慶喜は水戸で謹慎する 江戸城は明け渡す 武器・軍艦も渡す
慶喜を助けた者の処分を寛大にしてくれ
いつの世も勝者と敗者はあっけなく入れ替わるもんだ
勝者のたしなみを知らないはずはないだろう
西郷どんが背負う新しいニッポンてのは何だい?
守るべきものは民だと思い出す西郷は条件を飲み総攻撃を止め
京に行き、天子様に文を渡す
勝:
慶喜に会いに行けばいい
お前さんたちのケンカだ お前さんたちでカタをつければいい
良かった お蔭で江戸の桜をまた見られる 上野にお前の銅像とやらを建てるか
(どんな戦争もトップのケンカや取引 実際に血を流す民はまったく関係ない
慶喜と会う西郷
脇差を置き、逃げた理由を聞く
慶喜:
オレはロッシュ殿から逃げた
あの男は「いざとなればフランスが援助する」と持ちかけた
「その代わり勝ったら、薩摩をよこせ」と 薩摩はイギリス軍と組む
日本でフランスとイギリスが戦い、勝ったほうが日本を乗っ取る
オレに出来ることは逃げるしかなかった
西郷:
おいはあなたが恐ろしかったが、ようやく分かった ひいさまこそがあなたなのだと
徳川に生まれたのはあなた様のご不幸 徳川最後の将軍のご覚悟 しかと見ました
よくぞ逃げて日本をお守りいただきました
ようやく和解する2人
条件を大久保らに伝える
桂:慶喜の首のために戦うべき! 武器があればまた戦になる!
西郷:その時は、おいが慶喜を討ちもす
城は明け渡し、慶喜は水戸家お預かりとなる
【慶応4年4月11日 江戸城明け渡しの日】
慶喜は水戸に向かった
天璋院に会う西郷
徳川が260年見聞きしたことを記録した書を渡される
天璋院:
徳川の家を守ること以上に望むことはありません
天下をおさめるのは戦をするより難儀 これらが役立つこともありましょう
二宮尊徳が各地を歩いた書もあり驚く
西郷:これがあれば百姓がどれほど喜ぶか!
上野・寛永寺には新政府に不満をもつ者らが集まり、義を明らかにすると「彰義隊」と名乗った
「わしらに戻る家などない 戦って死ぬ覚悟じゃ!」
「彰義隊」は東北各地にも広まり、軍艦を返すのを拒否して脱走
大久保:我らには金も武器もない
桂:あの時、潰しておけばこうならずに済んだ 手は打ってある
そこに大村益次郎(長州藩士 希代の戦略家)が入って来る
大村:あんたは戦が分かってない 半日で片付きます
(いつの世もこうした戦争屋がいるんだな
勝と会う西郷
勝:また戦が始まるのか まだ続ける気か?
西郷:会津、米沢、仙台、庄内・・・果ての見えん戦でごわす
勝:死ぬなよ西郷どん 龍馬が夢見た新しい国を作ってくれ
「東京都墨田区 両国公園」
勝海舟は貧しい旗本の長男として生まれた
幼い頃から道場に通い、剣術を究めるため禅寺にも通って精神修業にも励んだ
成人し、蘭学を学ぶために赤坂に越し、借りてきた辞書を書き写してオランダ語を習得
(勝海舟邸がコンクリートのマンションになっちゃって・・・
咸臨丸の渡航経験を経て、幕臣として暮らしていたのは、氷川神社に近い旗本屋敷
氷川神社の境内には勝が命名した「四合稲荷」がある
勝は西郷とともに江戸の町を守った
都内に銅像まであるなんて知らなかった
第38回「傷だらけの維新」
大村益次郎の戦略のもと新政府軍は彰義隊を攻撃する
人が簡単に死ぬのを見て、ためらいながらも指揮をとる西郷
彰義隊はわずか半日で潰滅
その後も「東北・北越征伐」がある
大村:
金も武器も足りず、会津などは戦上手 これでは負けます
だが、薩摩にはまだまだ揃っている
急ぎ薩摩に戻る西郷
久しぶりに実家に帰る
シンゴ:
戦は勇ましいものじゃなか ただの命の奪い合い 醜くて、酷いもの
百姓が一生懸命食い物作っているほうがよほど立派
西郷の名が全国に轟いて、遠戚だとか友人だいって大勢が訪ねてきて金の無心にきて困るが
吉二郎が「西郷の名に傷がつく」と出来るだけ分けていたため、家はますます貧しくなっている
糸は食べ物や書を大島に送っている
菊次郎はもう8歳
西郷は島津久光に事情を話すと
久光:すべてお前の思うようにいたせ
薩摩兵も指揮する兄を見て、複雑な様子の吉二郎
吉二郎が畑仕事に木刀を持っていくのを見て声をかけるシンゴ
シンゴ:
兄さも戦に行きたいのか? こげな傷が欲しかとか?! 片方の耳が聞こえなくてもよかか?
琴:
誰も言えんで私が言います 出世しても慎ましいのは立派だが、みんな我慢してる
一番、我慢してるのは吉二郎 その気持ちを形にしてくりゃんせ
吉二郎:
おいも戦働きがしたか おいも薩摩隼人 一生に一度、侍らしく戦場を駆け回りたか
妻・園:
行ってほしくないが、初めて自分のしたかことを口にしました
お家のことは、私がこの人の分まで気張ります
西郷:この戦は侍の合戦とは違う 西洋の武器はあっという間に命を奪う
吉二郎:覚悟は出来てます
西郷:供に参れ
吉二郎らは先に越後へ行く
(なぜ、男たちは死にたがる? その戦争に女子どもも巻き込まれるのに
敵が連発する銃を撃ってきたと聞いた西郷はすぐに越後に向かう
【越後 松ヶ崎 本陣】
長岡など東北各地から援軍も来て、すぐ出陣してほしいという
シンゴが来て、早速吉二郎が撃たれたと言いに来る
西郷:兵の命はみな同じ! 弟もなにもない 軍議を続ける
(結局、西郷も戦争の親玉だ
「北越戦争」
双方の死傷者約1500人を出して新政府軍の勝利
【越後 柏崎の陣】
傷だらけの兵を見舞いに来る西郷
血だらけの吉二郎もいる
吉二郎:
侍働きが出来て嬉しかった 有難う 兄さ 体を大事にしてくれやい と言って亡くなる
【明治元年10月】
日本は「明治」に変わり、「明治政府」ができる
江戸城→東京城となり、明治天皇の新居となる
大久保:これからの政治は東京城でやる
西郷:
おいは薩摩に帰らせてもらいたい もう役目は終わった お前たちがいれば充分だ
新しい国のために大勢を死なせてしまった責任を負わねばならん
世界に負けない日本国を作ってくれ
と巾着を渡して去る 中には昔、斉彬からもらった紙だっけ?
家に帰る西郷 吉二郎の髷を園に渡して謝る
吉二郎の立派さを話すシンゴ
園:おやっとさでございました
糸は吉二郎がずっと西郷のために床下に貯めていた書や金を見せる
書はこれまでの細かい家計簿
さすがに号泣する西郷
西郷はナリの脇差で髷を切り落とす
次週から最終章 あ、やっと犬が出てくる!
「新潟県長岡市」
「北越・戊辰戦争」の激戦地で、長岡城を巡り攻防戦が繰り広げられた
長岡藩は連射式の「ガトリング砲」で応戦 多くの死傷者を出した
(外国、国内にも、いつの世も「戦争屋」「武器商人」がいるもの
「新潟県三条市 五十鈴川」
長岡城落城後、吉二郎は川で撃たれた傷がもとで亡くなる
「新潟県上越市 金谷山官修墓地」
官軍の戦死者を弔う墓地には吉二郎の名も刻まれている
失意の西郷は政治から距離を置くこととなる
第39回「父、西郷隆盛」
【明治37年 京都市役所】
「日露戦争」で出兵する若者を、国旗を振って送り出す家族
新しい市長が来る 「西南戦争」で義足になったという噂
現れたのはアイカナの息子菊次郎!
ナレーションの西田敏行さんは、ずっと菊次郎として喋ってたってこと?驚
前市長・内貴甚三郎が引き継ぐ
助役・川村鉚次郎とは台湾で会った仲
菊次郎:私は父の名は避けてきました 西郷家の嫡男ではない 菊太郎ではありません
川村:今度こそお父上のことを教えてください
菊次郎:
私はすべて知っているわけではない 知らないことのほうが多い
あなたに話せるのは明治2年のこと・・・
ここからは、菊次郎の回想話になる
【明治2年 鹿児島】
西郷は「新政府」には加わらず、野良仕事を手伝い、西郷隆盛と名乗っている
【大島(今の奄美大島)】
菊次郎が鹿児島に呼ばれたのも同時期
迎えにきたのは糸と熊吉
アイカナ:この子を私の子として育てたことはない ずっと西郷の子として育ててきた
糸:旦那さんはいつも言ってます 流された島でアイカナさんに命を救われた お礼申し上げます
アイカナ:好いた人の命を守るのは当たり前のこと この子をよろしくお願いします
西郷家は借金をすべて返し、市中から少し離れた竹村に越した
シンゴには妻・清がいる
みな菊次郎を温かく迎えるが戸惑う
あ!ツン出てきた!! もう1人はゴジャ? もうすでにご老犬のような?
ツンはお腹出して、かあいい!
初めて見る父は立派な侍とは違って驚く菊次郎
長男の席に案内されるが、「そこは寅太郎が座るところ」
菊次郎は、島を出る時に寅太郎が嫡男と母から聞かされていた
翌日から早速、一人前の薩摩武士になるため、郷中で読み書き、剣術などを学ぶ
(武士や剣術って・・・全然変わってないじゃん
そこに有村俊斎が来て国父から呼ばれる
【磯御殿】
「版籍奉還」で領地・権力を政府に奪われた島津久光
(いろいろ急に変えても、何百年も続けてきた習慣、意識はなかなか変わるもんじゃない
まだ髷に刀だし
久光:
領地を取られ、戊辰の者らが側近を追い払い、薩摩を乗っ取らんばかりじゃ
藩内は乱れ、わしには手も足も出ん これがお前の言うご維新か?
【東京城 広間】
新政府のみんなは髪を切って、すっかり西洋かぶれ
大久保は参議、桂小五郎→木戸孝允は待詔院出仕
岩倉具視は大納言、三条実美は右大臣
後藤象二郎(制度御用掛)、江藤新平(佐賀藩権大参事)、大隈重信(民部大輔)
伊藤俊輔→伊藤博文(大蔵少輔)
木戸は西郷の冠位が島津忠義(茂久)より上では諍いが起きると反対
法が先、税が先とみんな意見がバラバラ
(てか、名前が変わりすぎるのをまず止めようよ もう誰が誰だか/汗
西郷のもとに別府晋介(半次郎のいとこ)が来て、横山安武が東京に行きたいと言う
横山:
日本国中で民がどれだけ苦しんでいるか!
新政府は中央に力を集めるため、諸藩から莫大な金を巻き上げ
大きな屋敷に住み、妾を囲い、贅沢三昧じゃ!
おいと一緒に東京に行ってほしい
西郷:断る いずれ侍の世は終わる
菊次郎:今思えば、父は桜島でした 若き侍を守るのが己の役目と思っていた
【東京 集議院】
横山は一人で「天子様に物申す!」と自決する
その死がきっかけとなり、さらに暴動が激しくなる
【東京 大久保邸】
大村益次郎は暗殺されたのか 46歳って早い・・・
大久保家のおゆうのもとにシンゴがくる 今は西郷従道(兵部権大丞)
フランス、アメリカに行ってきた
西郷を新政府に呼び戻してほしいと大久保に頼まれる
西郷は戊辰戦争で亡くなった兵の家を1軒1軒訪ねて、御霊に手を合わせて回っていた
従道が帰省し、鉄道などの話をする
フランス同様、妻キヨを東京に連れていくという
従道:フランスには「ポリス」がいる 町の治安を守る侍 日本にも作りたい
西郷:侍に新しい仕事を与えられる
従道:オレと一緒に東京に来てくれないか
西郷:政治は大久保に任せた おいに政治をする資格はなか
従道:
オレも戦は見たくない それにはやっぱり強い政府直属の軍がいる(自衛隊のこと?
それを兄さに作ってほしい これまでの犠牲者を無駄にせんでくれ
糸に東京に行くと話す
西郷:この国を変えたことで困る人が大勢いる その責任を負わんといかん
糸:
アイカナさんに申し訳ない 引き裂くように菊次郎を連れてきたのですよ
もうしばらく側にいて
話を聞いていた菊次郎は西郷を父上と呼び、東京に行ってくれと言う
菊次郎:
自分のことより民が大事 おいもいつか父上のように民のために働きとうございます
母上、お願いしもす
この東京行きが父の運命を大きく変えた
「東京都千代田区」
明治元年(1868)、江戸は東京となり、翌年、明治天皇は京から移る
明治政府の高官たちも東京に居を構える
空き家となった大名屋敷は、高官らの屋敷、政務を行う場所となる
「新宿区 玄国寺」
岩倉具視の屋敷と言われる建物の一部が移築されて残る 和洋折衷は当時珍しかった
明治政府は西洋文化を貪欲に吸収
「港区 旧新橋停車場跡」(ここは行った
明治2年 政府は鉄道附設事業を開始
東京に「文明開化」が押し寄せる
・鉄道歴史展示室×「ルオーと風景」
第40回「波乱の新政府」
【鹿児島城】
岩倉と大久保が勅書をもってくる
久光にすぐ東京にきて政府に力を貸すよう書いてある
仮病を使いムリだと断る久光
大久保:日本全国の藩を潰して、新政府がやることにする
深刻な財政難の新政府(藩からがっぽりもらったんじゃなかったの?
全国に約300ある藩は、税の徴収権をもち、それを1つにしようとする「廃藩置県」
(藩→県に変わっただけだよな 政治屋が庶民から金を巻き上げてるのは同じ
薩摩には20万の氏族がいる もし反対したら大変なことになる
西郷:
反乱を起こす気も失せるほどの強い軍がいる 天子様の軍を作っては?
天子様を守る名目で各藩から精鋭を集め、天下に睨みを利かせる御親兵じゃ
それをおいが率いる
(また戦争? 「中央集権化」自体が問題では?
早速、郷中の血気盛んな中村半次郎らを騙しに行く西郷ら
俄然やる気がわく若者たち
満寿は大久保から「子どもと東京へ来い」と言われたが断った 妾がいると分かっているため
満寿:もう薩摩には戻らない覚悟なんだと思う
大久保は久光を説得する
久光:お前らの考えは分かってる この薩摩を押さえ込むつもりや!
大久保:
私はもう島津家ではなく天子様にお仕えする身 一人、時世に取り残されますぞ
国父さまにも新政府の席を用意している それが私の恩返しです
失礼します 島津久光さま
西郷は菊次郎と話す
西郷:
これからは武士も百姓もみな同じ シマンチュもヤマトンチュもなか
お前もどこでも好きなところに行ける 学び、何をしたいか時をかけて考えろ
明治4年2月 西郷は熊吉とともに東京へ
人力車や馬車に驚く
【大久保邸】
後藤は横須賀で見事な造船設備を見たと話す
板垣退助(高知藩大参事)、大隈重信は民部大輔→参議、
江藤新平は佐賀藩権大参事→中弁・制度取調専務になってる
(役職も付けたもん勝ちだもんね いちいち名前を出さないと誰だか分からない・・・
主賓・西郷が来る
新政府では熾烈な主導権争い
テーブルには肉だらけのご馳走 毎日これらを食べて財政難とはよく言うよ
「廃藩置県」でも論議となる
木戸:長州でも今は押さえきれん
大久保:薩摩が陣頭に立ち、事を進めるしかなか ここはおいについてきてくれやい
(おゆうとの子どももいる
「御親兵」
政府は8000人からなる軍隊を抱える
半次郎らも東京へ来て、長屋に連れて来る西郷
「廃藩置県」でまたぶつかり合う新政府 金がかかるという者に
西郷:我らが質素倹約すればよか
話をそらし、また料亭のご馳走を食べる中、西郷だけは握り飯
大久保、木戸も黙る
公家の岩倉、三条らはもう貧乏はまっぴらだと芸子遊びに興じる
大久保は西郷の長屋に来る
西郷:
おはんらは何をやっとる? 役人は私腹を肥やして、
それでは日本は何も変わらんと腹を斬った横山の言う通りじゃ
大久保:
贅を尽くすのも、異国に舐められんようにするため
劣った暮らしをする者と対等に話す者などおらん
この一等国にするには、一等国の真似をするしかなか
(そこが間違ってる 考えが違ってきたな、この2人
大久保は木戸と会い手を貸してくれと頼む
大久保:
最近は、土佐と備前が三条に近づき、政府を掌握しようとしている
主導するのは我らだと示すしかない
木戸:御親兵が動かなければ、我らは破滅じゃ
数日後の議論の席に勅書を持ち出すと、騙まし討ちだと怒る4人
木戸:西郷が陣頭指揮をとるのになぜおらん?
西郷が来る
「薩摩と長州で好きにすればいい」と去ろうとする4人に
西郷:
薩摩と長州だけでは出来ん 1つ岩にならなければ! 御親兵もわしらを信じて集まった
われらの肩には戊辰で死んだ8000の魂が乗ってる
1つになってもう一度存分に話し合い それでも出る膿はおいがすべて引き受ける
また議論が始まる
大久保:おいは何か間違ってるか?
西郷:おいはそれでよか おはんが抱えきれんものは、おいが抱える
明治4年7月14日 「廃藩置県」が断行された
「千葉県船橋市」
西郷が編成した「御親兵」のちの「近衛兵」がたびたび演習を行った
広大な土地は幕府直轄の牧場が置かれた馬の産地だった
馬を逃がさないために築かれた土手が残る
「近衛兵」は、薩摩、長州、土佐の旧藩士らで編成された
明治6年 2800人の「近衛兵」が一堂に会した大規模な演習が行われた
今の「本町通り」には、明治天皇が休憩した宿があった
明治天皇は、演習を行った地を「習志野ノ原」と命名し、陸軍演習場に定める
以降、習志野には、駐屯地、陸軍学校など、軍施設が置かれて発展した
*
「明治維新」=文明開化、旧体制から国際化したいいイメージでいたけど
なんだか違う気がしてきた
新しい日本て、全部、西洋のモノマネってことか?
システムを決めたのは、薩摩、長州、土佐の旧藩士だけ 頭の中はまだまだ侍の人たち
その後の政治屋もその系統にあると最近知った
1868年「明治元年」~1912年「大正」~1926年「昭和」の間もずっと戦争をしてきた日本
1894年「日清戦争」
1904年「日露戦争」
1914年「第一次世界大戦」
1939~1945年「第二次世界大戦」
どんどん組織名を変え、さまざまな戦争を起こして大勢を殺し、今また軍を持とうとしている日本
しかもどんどん武器が残虐、効率的になっている
歴史=戦争だから、昔から嫌いな科目だったけれども
ほんとうの歴史を、みんなで興味をもって学び直さなければならない
それこそ、これから100年後の子どもたちのために