メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

THE MICETEETH@代官山unit(2016.2.29)

2016-02-29 23:55:55 | 音楽&ライブ
THE MICETEETH@代官山unit(2016.2.29)
※イベント当日のみ2月29日生まれの方の入場料が無料になります。
 当日が誕生日の方はチケットは購入せず当日御入場の際、IDの御提示をお願い致します。

『COSMOS EP』
THE MICETEETH(ザ・マイスティース)の再結成後2枚目となるオリジナルミニアルバム。

前回のライヴの時にチケットを買ったのをすっかり忘れて、ぴあでまた買ってしまうという失態
最近こんなことばっかり/汗×5000

THE MICETEETH THRONE NIGHT Vol.1(2015.10.8)(ネタバレ注意

幸い、引き取ってくれる方が見つかり、無事受け渡しも済んで、本当にありがとうございました~!感謝×∞




unitは久々だから、すっかりどんな感じだったか忘れいたけど、地下2Fか・・・
物販で早速、新譜購入v マークの入ってるTシャツも可愛いなあ!



そして、どんどんどんどん入ってくるお客さん! もう心拍数が上がって、手足が痺れてきました。。。
やっとライヴが始まったら、やたら低音が体当たりしてきて、頑張ってはみたけど耐えられず、ソラナックス2錠投下

セトリは、いつも通り、インストは曲名が覚えられず、新譜からは全部歌ったと思われ。
♪ネモ、♪霧の中 ♪レモンの花が咲いていた など定番も何度聴いてもじぃーん・・・

相変わらず軟体動物のようにうねりながら歌う次松くん
野球少年ぐらい髪が短かった/驚

次:
うるう年の最後の日にしよう!とメンバーで盛り上がったけど、思ったよりチケットがのびなくてですね、
社会的なズレがあった。月曜日辛いですよね。
今日誕生日の人はいますか?(1人いて、チケット代払ってしまったから、Tシャツプレゼント

ベースの外れたような音でのハッピーバースデイのメロディでお祝いw

「ドリンクも飲んでくださいね。僕らもお店との付き合いがあるのでねw」

お酒が飲める人にはお得なのかなあ? 下戸にとっては、ペットボトル1本に500円払うなら、
ライヴ代に含めて、飲みたい人だけ飲めばいいと思うんだけど。
狭い中でカップ持ったまま観るのもイヤだし。

後ろに酒癖の悪い男性がいて、スタッフに注意されるわ、隣りにいた小さいお子さん連れのママは早々、退却してたし

入り口に煙草コーナーがあって、煙は多少入るけど、中で吸われるよりはずっとマシ(ホッ


【お便りコーナー】
埼玉から。大変残念に思っています。かねてからのヒーローだったのに。
エールを送りたいと思います。by ダウンタウン浜田

次:
えー大阪のライヴからの一連の流れがありまして、1分間ハウったんですね、その時、
「清原さんが通った」とゆってからその話だけになってw
清原さんが拘置所からお便りをくれたってことで(爆


次:
今日の目標は傘を忘れないことです。
恵比寿を出る時、雨が降ってて、コンビニで買おうと思って、家にビニル傘はいっぱいあるから、色を選ぼうと思って、
黒いのを買ったら2000円もして、ビックリしたけど顔に出さずに、絶対忘れないで持って帰るぞと。

誕生日の人にも目標を聞くと「早く寝る」
それはいいですね。僕は12時頃に寝て、7時に起きる。フツーでしょ。
ほんとに感謝です。今度、“感謝”ってTシャツ着てきます。ウソっす。ウソっす。

横浜からお便り 子どもの頃はピッチャーでした。
対決することは恐らくないだろうけれども、早く更生してください。


次:
宴もたけなわですが、次の曲で本編・・・本編ってゆってしまいましたね。

お客「静岡にも来て!」
静岡ってゆっても長いじゃないですか。

お客「大助!」
ありがとうございます。大きな助けると書いて大助と呼びます。
東京に来ると、中国の方が最近多いじゃないですか。列に並んでると「次待つ」ゆわれて「オレっす、オレっす」て思います。ww

新譜の♪クリームソーダ編 を熱唱してたなあ!


encore.

次:
お酒を16~17年間ずっと飲んでたんですが、しばらく飲んでいない。
友だちから「楽しくなくても寝ていいんだよ」て言われて、
そうか、楽しくなくて寝てないわけじゃないのかと思って(いちいち可笑しい

「何久風船?」て客席に聞いてから、

永久風船
これは、友だちのメール着信音にしてるから嬉しいv


次:
ちょっと前にサンドイッチマンが出る北海道新幹線のCMに書かせてもらって(知らなかったなあ/驚

北海道新幹線開業のTVCMにTHE MICETEETHの書き下ろし楽曲が使用されました!

ACROSS THE THOMAS(電車だけに/爆

CMはこちら。
北海道新幹線開業 青森「斜陽館」篇 ほか
(やっぱサンドイッチマン面白いw


Phoenix City
よかったなあ! アンコールで若干、人が減って踊りやすかったし
自分の周囲5cmもないところで音楽を楽しむってこと自体、不自然だと思うんだけど。
野外で演るのはどうだろ???




今回もらったフライヤ。

 


コメント

topics~飛行機からの緊急脱出法 ほか

2016-02-28 22:36:32 | 日記
最近の気になるトピックス。


金熊賞は『火の海』~ヨーロッパで深刻化する「難民問題」を扱った映画
 


ベルリン国際映画祭で『フクシマ、モナムール』(ドイツ)受賞

日本のイメージはまだ「ゲイシャ」なのか


アカデミー賞、無冠の帝王デカプ受賞なるか!?


 



 

デカプとケイトがW受賞となれば、『タイタニック』再来!?
 



 


映画『恋妻家宮本』


阿部ちゃん&天海祐希さんの夫婦役って、ちょこっと流れた映像だけで面白かったw



以下は、「週刊ニュース深読み」より。


アメリカ大統領選挙
 

ブッシュ氏は撤退


ネバダ州は人口の1/4がヒスパニック系だが、圧勝したため、デモが起きた。



「トランプ氏は大統領にはなれない」

「スーパーチューズデー」のゆくえ

南部は保守的なクリスチャンが多い


花粉対策グッズ
 
今年の目玉商品は170種類ものマスク

毎年こんなに商品化するお金を、杉の植え替えに使って欲しいんだけど・・・
この大量の杉は、いったい何に使われているんだろう。杉じゃなきゃダメなの?
「国民病」と言われて何十年も経った気がするけど、経済効果優先?

 

専門家「自然界に存在する菌を使って、花粉の飛散を抑えることができないか」

 


液体散布により菌が寄生して、花粉の養分を吸収して枯れる仕組み。実用化には少なくともあと数年かかる見込み。。。

東京のピークは3月から。てか、もう辛いです



飛行機からの緊急脱出法
 



専門家:
短時間で天候が悪化し、エンジン内に雪が入って、不完全燃焼を起こしたのではないか。
上空を飛んでいる時は、雪が入っても通り抜けるから大丈夫。
今回の避難の判断は妥当だと思う。
もしエンジンに火がつけば、機内は3分以内で1000度の高温になる

これまでの緊急脱出事例(けっこうあるじゃん

幸い死傷者はいないそう

機内のポケットにある緊急脱出法って、そんなに真剣に見てないな
 

緊急時、客室乗務員は大きな声で脱出を呼びかける


注意点
1.勢いをつけて滑ること。
 
※非常口から地上までの高さは2m50cm




コメント

大阪バスツアー(2002.4.27-30)海遊館、大坂城、通天閣、空中庭園展望台 ほか

2016-02-28 22:35:32 | 町歩き
※notes and movies(2002.1~ part1)からの転記。

「おでかけスポットリスト」カテゴリーの「小さな旅」に追加しました。


【4.27】
友だちと2人、前の週はそんなに忙しくなくて、有休もとれたし、10連休!
掃除、洗濯、準備して、ビデオ見ながら快調だったのに、
18時頃から激頭痛と吐き気と下痢、寒気までして死にそうになりながら、
19時には家を出て、池袋で友だちと落ち合って、ラケルで夕食。

新宿のバス乗り場は分かりづらーーー
迷って見つけて、狭いわ、トイレはないわ(2時間ごとに深夜に起こされてトイレ休憩)、
バックパッカー状態。しかも翌日早朝6:30大坂着!


【4.28】
7時からの朝食 ピザトーストセット。
売店で1日乗車券を買って「海遊館」へ。(地下鉄御堂筋線で本町+中央線で大坂港駅)

 








噂のジンベエザエ、カメ、イルカ、ペンギン、クラゲも可愛かった。
8Fから下へおりてくるフシギな作り。友だちが化粧ポーチをなくしたことに気づいた


「天保山マーケットプレイス」




お好み焼きのランチはgood!
観覧車で市内一望!

いったんホテルに行ってチェックイン(なんば駅)してから、
「道頓堀」。グリコのワールドカップサッカーウェアの看板も見たw



「くいだおれ」でうどん+押し寿司のセット。くだおれ太郎パフェはパス

 


「アメリカ村」
  

4Fくらいの建物にお店がたくさん入っている。グルグル見て回って足が限界!!

ホテルに戻って、ラベンダー入浴剤を入れてゆっくりバスタブにつかってから覚えなく就寝。



【4.29】
7時に起きて、ローソンで買ったパンを食べてチェックアウト。

「大坂城」(御堂筋線で梅田→JRで大坂城前)


最上階までエレベータって(苦笑)
階段でおりながらパネルでの説明等を見る。“大坂夏の陣”の絵巻はよかった。




「四天王寺」(谷町線たにし→四天王寺夕陽ケ丘)


五重塔:上まで細い螺旋階段をのぼるとブッダの骨がある
聖霊院:中には入れなかったけど、意外に広い八角堂
宝物館:巨大な太鼓や、日本書紀の筆記ほか、国宝級がズラリ






歩いて「新世界」へ。想像通りのしょっぱさ(失礼
スマートボールもあったし、パチンコ屋が多い。




「づぼらや」
ふぐセットを注文。唐揚げ、うどん、押し寿司。友だちはちょっと不満げ。まあ、白身魚だよね、要は。


「通天閣」
 
ビリケンさんが可愛かった




動物園前→梅田で「新梅田シティビルの空中庭園」


 
ミストシャワー?浴びての市内一望はスゴイ! 夜景もキレイだろうなあ!




とにかく「たこ焼き」が食べたいってことで、ヨドバシ梅田内のコムサのノリノリな姉さんに聞いたら
「銀だこがありますけど・・・」て、それは都内にもある!w

結局、駅ビル内のファストフード店で食べた。まあまあ

母から着信があって、帰省するのを1日勘違いして食事作って待ってたとのこと


20:40集合、21時出発。
さすがに疲れて少し寝て、また翌朝5時に東京駅着
いったんアパート戻って3時間寝た


【4.30】
池袋のロッテリアでカフェラテ+パンの朝食。

10:30の高速バスは超快適(友だちと一緒にそのまま帰省したのか
トイレはもちろん、お茶もあって、フットレスト&レッグレスト、広い座席、1時間ごとの休憩、
新緑の映えるドライヴ気分であっとゆー間、14:30頃に長野着。

友だちの車で家まで送ってもらって、しばらく寝ていたら、夕方、兄夫婦も到着。
なんだかんだでやっと就寝。






この大坂に行く前の急な体調不良は酷かったなあ! 床を這って、しばらく動けなかった
これが初めての高速バスでの長距離旅行で緊張していたからか?

しかし、大坂行きの高速バスは狭かった! 脚がつかえるほど。いろいろ種類があるとは聞いたけど。
午前2時とかにトイレ休憩に起こされるってどうなの。
運転手さんはたしか1人だったような・・・過酷なわけだよね

コメント

『ローカル・カラー/観察記録 犬は吠える』(早川書房) vol.1

2016-02-27 21:44:45 | 
『ローカル・カラー/観察記録 犬は吠える』(早川書房)
トルーマン・カポーティ/著

「作家別」カテゴリーに追加しました。
すでに読んだものは、メモ省略。

「犬は吠える、がキャラヴァンは進む」(アラブの諺)


読んでいて、一体彼はどこまで顔が広いんだ!と思うほど、世界中に知り合いがいて、
羨ましいほど、さまざまな場所で、さまざまな体験をし、日記に書いたメモを通して書いた。

ほんとうは、マリリンや、サッチモなど、著名人の素顔をもっと聞きたかったんだけど、
本書の2/3は旅先の話だった。

ページを開いた瞬間に、当時のその国に自分も居合わせているようで、
エキゾティックな異国を次から次へと旅を追体験できる。

本文中に、知人からカポーティは酷評するが天才だ、みたいに言われている件がある。
たしかに、街、人物描写でも、彼独特の毒がある。

読者は、実際行ったことがない場所、会ったことのない人だから、実際のところどうなのかは分からない。
または、著者が読者を惹きつけるための演出とも考えられるし。

それに、以前読んだ作品内で、異国をあてもなく彷徨うアメリカ人ほど悲惨なものはない、
というようなことを書いていたのを思い出すと、これはパートナーとしたプライベートな旅なのか
仕事や招待といった用事のついでのことなのか、旅をしている著者自身は幸せなのかが気になってくる。


【内容抜粋メモ】

「序文」
アンドレ・ジッドと護岸に座って話すTC。

本書は1942~1972年までの私の人生の散文地図、文章による地誌学で、
すべて事実に基づいているが、真実を意味するものではない。

再び活字にした理由の1つはノスタルジア。
もう1つはノンフィクションへの関心の開きかけた最初の試みだったから。

『詩神の声聞こゆ』は、滅多に喜びとは結びつかない書くという作業を、本当に楽しみながらやったと言い得る唯一の著作だ。

モデルの中でもっとも心を痛めたのは「お山の大将」のM.ブランドー。
彼はその文章を思いやりのない、裏切りとさえ言える、不法侵入だと思っていた。

「ルポルタージュ」といえどもほかの散文学と同様、洗練された高尚な芸術たりうる。

ジャーナリズムのもっとも低次元のものはなにか?
映画スターのインタビューだ。これほど高尚にすることが困難なものはあるまい。
実験材料にブランドを選んで、私は自分の能力を点検した。

私が学んだのは、“スタティック”な文体、つまりストーリーの助けによらずに人物の性格を明らかにし、
情調を持続する文章の書き方だった。



「雲からの声」(1969)
『遠い声 遠い部屋』というタイトルは私が考えた。これは処女作ではなく2作目。
処女作は、人目に触れることなく散逸してしまったが『夏の交差点』という題だった。

『遠い声 遠い部屋』は、笑い事では済まされないまでに自伝的だということに私は気づいていなかった。
この小説は私を解放してくれた。

それまで私にとって大切だった作家は、アメリカではジェームズ、トゥエーン、、、
海外では、ジェーン・オースティン、ディケンズ、プルースト、チェーホフ、エミリー・ブロンテ、、、

私はニューオリンンズに一人息子として生まれ、両親は私が4歳の時に離婚した。
学校に通うのは無駄で、17歳で辞めた。

「ニューヨーカー」で2年ほどマンガの整理と新聞の切り抜きの仕事をした。
大志を抱く芸術家にとって反響板のないことほど孤独なものはない。

私は勇をふるい、職を棄て、NYを去り、親類の家に落ち着いた。
そこで、新しい小説のことで眩暈がした。
それは、生まれてくる時は、怒り狂う虎の子どものようで、なんとかなだめ飼い慣らさなければならない。
それは芸術家の主要な仕事だ。

服を着たままベッドにもぐりこみ、パセティック(哀れをさそうさま。また、感動的なさま。)なオプティミズムをもって書いたのが『遠い声 遠い部屋』。
まるで雲からの声の言葉を書き写す書記にでもなったみたいに。
生活が昼夜逆転し、親類を困らせ、私はニューオリンズに行った。

私は一人も知り合いに会わなかった。偶然、私の父に会ったことを別にすれば。
今作の中心テーマは、この本質的には想像上の人物を捜し求めることだったのだから。

市場のカフェで、私はジョッキーと呼ばれた。
従兄ランドルフの原型となる男スケッチャーに会った。小太りの金髪男で、白血病で死にかけていた。

これはすべてひと夏の間に起こったことで、その秋、私は東部の学校に行き、
再び店を訪ねてスケッチャーのことを尋ねると「ああ、死んだよ」と言われた。

私には自分の小説を熱心に読み返す習慣はないが、『遠い声 遠い部屋』をやっと読み通してみた。
難破した水夫が瓶に詰めて海に投ずるメッセージのような、一種の苦悩と喜びに満ちた緊張があった。



「白バラ」(19670)
23年前、私はパリのパレ・ロワイヤルの中庭に立ち、フランス文学の大女流作家コレットを訪ねた。
女主人は滅多にベッドを離れない年をとった半病人だった。

私は彼女をまともに見られず、魔法の展示品に集中した。
それは古いクリスタルグラスの文鎮のコレクションだった。

「どうやら私の雪に興味がおありのようね」

それはクリスタルグラス芸術の極致、フランス最高のクリスタルグラス工房の一流の職人が発明したガラスの宝石だと説明した
「もっとも素晴らしいものは1840~1880年に作られたの」

「ジャン(コクトー)が言ったことは本当だと分かったわ。あの人はこう言ったの。
 “騙されてはいけないよ、あの男(TC)は10歳の天使のように見えるが、実は年齢を超越してるんだ。
 それに非常に意地悪な心を持っている”

その瞬間からTCもクリスタルグラスの収集家となる。
イースト・ハンプトンの競売場で掘り出し物をゲットする。

旅に出る時、私は小さな黒い袋を持って行く。中には6個の文鎮がフランネルの布に包まれて入っている。

コレットから、大事にしている1つをもらい、そんな大事なものを受け取るわけにはいかないと断った時、こう言った。
「ねえ、あなた、自分でも大事にしているものでなければ、贈り物として差し上げたってしようがないでしょう」


【ローカル・カラー】

「ニューオーリンズ」(1946)
TCは、中庭の泉にある柳の木に男がぶらさがっているのを見る。
腕には「フランシー」と入墨があった。その女のためか、彼が自殺したのは? 私は逃げた。

ニューオーリンズは神秘の町だ。
この町では食事の話を耳にすることが多い。ニューオーリンズの料理の美点は素朴さに由来する

「太った大きなママが欲しい、欲しいんだ!」
「ニグロ・カフェ」では、ディル・ピクルズのように太い指がキーを叩き、床を打つ足がカフェを震わせる。



「ニューヨーク」(1946)
ほかの現実世界からここに入りこむと、人がひたすら捜し求めるのは、自分を隠し、見失い、発見する町だ。

先週、ガルボに2度出会った。
彼女に知性があるかないか気にする者がいるだろうか? あのような顔がこの世に存在し得るというだけで充分じゃないか。

ガルボ自身は孤独になりたいと言った。
人と異なる道を歩む者は、常にある悲しみをもち続ける。
そして、それを人前で欺いて見せたりはしないものである。

今日、Mと昼食。彼女はとうとう一文なしになったという。
彼女はNYという罠にあっという間に捕らえられてしまった一派だ。
才能に恵まれずして才能を生かそうとする人々の一人だ。

田舎の空気を受け入れるにはあまりに鋭敏すぎ、憧れの都会の空気を自由に吸えるほどには鋭敏でなく、
やむなくノイローゼになりながらNY周辺に棲息している。

アメリカの中産階級は感受性を持つ若者に対し、彼らの仕事が直接現金で成果をもたらさないと、
枯死させるような言葉しかかけないからだ。
だが、文明が滅びた時に、後世の人たちが廃墟に見い出すのは現金だろうか? それとも彫刻、詩、戯曲だろうか?

ヒラリーは、もっとも陽気な人々には伝説を生む輝きが備わっていると思い込んでいる。
世界中の人々がみんな自分を愛してくれるわけではないと悟る瞬間に、無心から知恵への移行が起こる。

私はNYを離れたらはるかに多くの仕事ができるかもしれない。
ある年齢に達するまでは、田舎は退屈なものだし、私が好きなのは自然一般ではなく、特殊な自然だ。

探索・探検は不吉なまでに慌しく、汗ばむほど不安なものになり、覚せい剤のハードル競争のようになる。
捜し回っていたものはどこにある? ついでに聞けば、一体何を捜し回っている?

セルマは、47年間、私の3人の叔母の家で料理女をしていた。
彼女の理解するところによれば、NYは1本の樹も花もなく、みんな地下に住んでいる。滋養のある食べ物はない。
セルマをNYに連れていこうとして、停車場で泣き出した。
「行くのはいやだ、そんなに故郷から離れたら死んでしまう!」



「ブルックリン」(1946)
果てしなく続く同じ外観のけばけばしい赤褐色砂岩造りの平屋の列。
私が住んでいるのはその2部屋である。

ミセスQと私の間には快い信頼関係ができている。
それは主として2人とも身の毛もよだつほどの頭痛に悩まされるという事実に根ざしている。

「また2家族だよ。引越し用のトラックで通って行った。アフリカ人のさ。
 この界隈は黒い悪夢になっちまう。最初はユダヤ人、今度はこれだろう、泥棒たちだよ、みんな

ブルックリン人は集団として迫害された少数を形成している。
彼らが洗練されない田舎者ぶりに固執するため、いやおうなく大笑いの種にされている。
プロパガンダによって、現代生活のもっとも粗野で低俗な面と同義語になっている。

私は地下鉄に関して学位を得るほどになった。トンネルを揺られていると、目隠しをされたような気持ちになる。
私は1人の少女を見た。「孤独な心を買って下さい」と書かれたハート型の赤い紙をバスケットいっぱいに持っていた。

ミセスT.T.ヒュット・スミスが食堂に入ってくる様は、ファンファーレが鳴らないのが物足りないくらいだ。
私は彼女の秘密を知っている。彼女は盗人だ。
もう何年もチェロキーホテルの安物銀器をハンドバッグにすべりこませている。



「ハリウッド」(1947)
飛行機で隣りに座ったテルマは若いニグロで、可愛らしく、カリフォルニアへの旅は彼女にとってこの上なく素晴らしい出来事だった。

「あたしにはちゃんと分かってるの。きっとステキな旅になるだろうって。
 3年間劇場で案内ガールをやり、やっと旅費を貯めたのよ。
 叔母が占いをやっててこう言ったの。ハリウッドに行くといいよ、映画女優の個人秘書の口が待ってるからって」

タクシーにも同乗し、ハリウッドの“中心地”に行くよう言った。
そこは月の表面であり、アメリカの象徴であるゴミ捨て場しか見い出せなかった。
中古車の並ぶ街路、スーパーマーケット、モーテル、、、

降りる時にテルマは言った。

「あんた、あたしの言うこと覚えていて。お腹がすくかどうかしたら、あたしのいるところを見つければいいのよ。
 では、あんたも頑張ってね

クリスマスはハリウッドでは場違いだ。大体、子どものいないクリスマスって何だろう。
先週ある男が言った。「要するにここは子どものいない町なんだな」

この町の第一の苦情は「人口過剰」だ。
先祖代々この地を護っている人たちは、退役兵士の群れや、大戦中に移住してきた労働者、若い放浪癖にかぶれたオクラホマ移民とか。

あるプロデューサーの妻「そりゃあ、私たち、芸術のことはよく存じておりますわ」
私の持っていたクレーのリトグラフを見て、「楽しい絵ですこと。あなたがご自分でお描きになったの?」



「ハイチ」(1948)
ハイチでもっとも人気のある独学の絵描き、イポリトの生後8ヶ月の娘が夜中に亡くなった。
彼の絵には秘密も慰めも必要ないからこそ、私は彼を素晴らしいと思う。
彼は、自分の赤い帆船で世界一周をする計画をしている。

教えてほしい。どうしてここにはこんなにたくさん犬がいるのか?
誰のもので、何の目的で飼っているのか?
疥癬でつぶれかかった目をして群れをなして通りをうろついている(ネパールもそうだったな・・・

の警笛以上にイライラさせる騒音はない。ハイチ人たちは警笛を鳴らすのが大好きのようだ。

できるなら、私はここで映画を撮りたい

エスティメ政府は、靴なしで街路を歩くことを禁止する法案を通過させた。
この国を観光地としてさらに魅力あるものにすることにのみ熱心で、民衆の貧しさを表に出してはならないと思っている。

Rから聞いた話。みすぼらしいなりをした少女が木の幹に縛りつけられていた。
彼が縄を解いてやろうとすると、何人かの子どもが棒で彼をぶちはじめた。
老人は涙で目を曇らせて言った。「こいつはこんなに悪い子だから仕方ないんですよ」

私はエステルが好きだ。Sを好きでなくなったのは、エステルを好きじゃないから。
自身にもある欠点を責めることほどうんざりする偏見はあるまい。

週末は3日間続くカーニヴァル前の「ラーラー」に行った。
カーニヴァルのただなかに若いホーンガン(ブードゥー教の司祭の儀式)を見に行く。
「あんたは空を知っとるか? あれを作ったのはこのわしだ。それに星もだ。星たちはわしの孫だよ」

ブードゥー教は非常に複雑な宗教だが、ハイチのブルジョアジーからヒンシュクをかっている。
彼らはカトリックを信じている。ブードゥー教の中には「カトリシズム」が浸透している。
ブードゥー教の主な機能は基本的にほかの宗教と違わないように思われる。
生者と死者の間に国境がない、死者が立ち上がって、生者の中を歩いたりもする。

祭壇室から3人の少年が出てきた。彼の顔は雌雄同体の、ほんとうに美しい、青黒い肌、、、
若い司祭は、開かれていないドアに駆け寄りざまぶつかった。歌いながら、叫びながら、ついには血の跡がそこに記された。
その障害の向こうに、真実の秘密、純粋な平和があるのだから。
そう彼が信じていることだけが大事なのだ。




「ヨーロッパへ」(1948)既読
「イスキア」(1949)既読



「タンジール」(1950)
人々は午後中ずっと午睡をとり、10時か11時に夕食をとる。

ここに来る前に3つのことをしておかなければならない。
腸チフスの予防接種、銀行から貯金をおろす、友だちに別れを告げる。
束の間の休暇に訪れ、何年も過ごしてしまった旅行者の数はビックリするほどだ。

修道院とタンジールの共通分母は「自己充足」
平均的アラブ人は、ヨーロッパとアメリカが同じ場所にあると思っている、それがどこにあろうと構わない。

人が多くの時間を過ごすのはプティ・ソコという、カスバのふもとにあるカフェでごったがえした広場。
嘆かわしいのは、アラブ女性の間で広まっているサングラスへの情熱だ。
彼女たちの目は、ヴェールの上からわずかにのぞいている時のほうが、つねに挑発的だった。

グラン・ソコは大きなアラブの市場。

タンジールで1晩以上過ごす者は、ナイサの話を聞かされる。
12歳で彼女はあるオーストラリア人に拾われ、『マイ・フェア・レディ』のように教養ある優雅な娘に仕上げられた。
そのために、ヨーロッパ人も、アラブ人も誰一人彼女を心から許そうとしない。
彼女は最大の罪を犯したと映っているのだ。「クリスチャン」になるという。

オーストラリア人はもう年寄りだ。ある日、ナイサの家のベルを鳴らすと、彫像のように立ち尽くしていた。
その夜、オーストラリア人は発作に襲われたのだ。

アラブ人にとって「ラマダン」は禁欲の月だ。
ラマダンの終わりの頃、モロッコ中からアラブ人たちがシディ・カチェムにやって来る。
私たちは、ごった返す人の波でたちまち離れ離れになった。

髭を生やした老人たちがリズムをとり、踊り手たちは、針を刺されても気づかぬほど熱中していた。
アラブ暦で、今年は1370年だ。
踊り手にもまれ、フルートの音を聞いていると、簡単に信じられてくる。
自分が1370年に生き、時がけっして前進しないことを。

我々は近づく朝日に身を震わせた。
それに触れられた時、我々の世紀に戻るだろうとわかっていたから。




「スペイン縦断の車中」(1950)既読
「フォンターナ・ヴェッキア」(1951)既読
「ローラ」(1964)既読



「高台の家」(1959)
私はブルックリンに住んでいる。みずから選んで。
「ブルックリンハイツ」と呼ばれる一帯だ。

そこでもっとも古く、なお実用に供されている家は、私の裏庭に面するフィリップ・ブロートン夫妻の邸だ。
1790年、ある船長の家として建てられた。
ある文書によれば、この一帯は帆船の出入りの激しい港町だったと描写されている。

ヘンリー・ウォード・ビーチャーの教会は、19C後半、高台の精神生活を支配した。
港は拡張され、耳障りな音をたてる大企業になり、牧草地から子どもたちを追い出し、枯らせ、叩き潰して、
腐ったバナナの悪臭がたちこめる黒い宮殿のように巨大な倉庫用地とした。

1910年までに移民たちが集団でどっと侵入してきた。

この一帯は、絵描きやトマス・ウルフら作家が住んだ。
ジョージ・デーヴィスの家は、ある馬鹿げた都市計画のために、戦時中に打ち壊された。
多くの古い家は軍隊に徴発された。戦後、箒とペンキバケツを持った野心的な若いカップルたち、
ほとんどは医師、弁護士、ウォール街、その他の職業の卵が高台を修復した。

ある友人がウイロー通りに家を買った。
部屋が28もあり、床は素晴らしく、本物で、堅いツヤのある材木を使っていた。そして壁も!
1820年、その家が建てられた時、人々は壁の作り方を知っていた。
水牛のように分厚く、どんな過酷な寒さ、激しい暑さにも耐えられる作り方を。
そうして私は、その家で暮らすようになった。

この辺の人たちは「マンハッタン」に行くことを「町に行く」「橋を渡る」と言う。

胸をワクワクさせるのは、ナップという百貨店に新しい船荷が届くことだ。
そこの主人は、世界旅行家で、あらゆる国からハガキが届く。

ミセス・コーネリアス・オーストゥイゼンはこの辺一帯の女王だった。
主人は亡くなり、彼女はある新興宗教の計画に反対する嘆願書へのサインを集めていた。
彼らは高台の家々を買い占め、信者のための宿舎を建てようとしていた。

オーストゥイゼンの家には拾ってきた犬猫の一団がいた
ここではペット総数の高いパーセンテージが道で拾われたものだ。
「今放したら、またセント・ジョージ小路のひどい生活に戻るでしょう」

セント・ジョージ小路の小さな映画館のそばに浮浪者のための暗い小屋がある。

TCは日記になぐり書きした昔のメモを頼りにこの原稿を書いている。
「ついに見た、幽霊ホテルに1つの顔を!」の意味は、ある廃墟と化したホテルに男の姿を一度だけ見た時のこと。

子どもの頃、我々はミステリーに敏感である。閉ざされたドアの背後の囁き声など。
だが年をとるにつれすべてはあまりに説明可能になり、楽しい驚きを創り出す能力は衰えていく。
これは酷すぎる、残念なことだ。我々は生涯、幽霊ホテルの存在を信じるべきだ。

ブルックリンがブルックリンになろうとする所に「ジプシー街」がある。

「コブラ通りの雷様」というメモのことを思い出すTC。
非行少年の一味にカメラを狙われ、「ヘイ、白ん坊、おれの写真撮ってくれねえか?」と言われた。
TCは勇敢ではないため脅えきっていたところ、雷がとどろき、「雨だ!」と言いながら高台目指して走りまくった。
わが家! しあわせなわが家。



「ギリシア断章」(19568)
イタリアの友人が優美なヨットに乗っていくギリシア諸島めぐりに招待してくれたが、
突然の訃報で一緒に行けないから、一人で出るよう言ってくれた。その記録。


キング・ミノスという酒と大きな桃を食べている。
乗組員らは、村に上陸した。TCもロバで行き、港や星のかがり火を見た。

メルテミ
7~8月にかけてこの忌々しい風が吹きまくる。船は沈みかけ、メルテミはやみ、急いで入江に隠れた。

こわい話
イタリア人の船長はヨットが嫌い。乗るにはロマンティックだが、乗組員にとっては仕事が多すぎるから。
彼は17歳の時に起きた事件の話をする。

イギリス貴族のヨットの乗組員として乗っていた。8月、未亡人で40歳くらいの婦人に貸した。
16歳くらいの息子を溺愛していて、彼は足が悪かったが学者だった。
息子はある奇妙な島の古い寺院を訪ねたいと言い、母子はピクニックの用意をして島に行き1泊過ごした。

明け方2人を迎えに行くと少年は肉をそがれて骸骨になっていて
母親は半狂乱で、恐ろしいほど傷だらけになって、水の中を歩いていた。

数ヶ月後、病院で取り調べを受け、話を聞くと、はじめはステキだったのだが、
夕暮れになり、夕食の包みを広げると、大きなネズミが寺院から吐き出され、歯を剥き出しにして夕食にとびかかってきたという。
息子のエリックは逃げようとして倒れ、ネズミは母子の体中に食いついてきた。
「ネズミは海岸まで追ってきて、ひと晩中私の叫びを聞いてくれる人はいませんでした」

目にふれたもの
どんな貧しい村にも、手、心臓などの小さな複製を売る商人がいる。
悪いところの部分を身につけていると病を治すと信じられている。

青い入江
ささやかでもいい、小高いところがあれば、私はそこに家を買うか建てるかすることを考える。

カフェで
世界漫遊家でタンジールを歩き回った者は、ほとんど今はアテネに出没している。


vol.2につづく・・・

コメント

『ローカル・カラー/観察記録 犬は吠える』(早川書房) vol.2

2016-02-27 21:43:45 | 
『ローカル・カラー/観察記録 犬は吠える』(早川書房) vol.1

【観察記録】(1959)

「アイザック・ディネーセン」
ひと目見れば、経歴を一切知らなくても、彼女が本物の人物だと分かる。

「私が死んだ後は、建物を鳥小屋にし、庭を公園にして、ここを小鳥の聖域にするつもりなの」

「私が小説を書き始めたのは、耐え難いことを忘れるため。戦時中もそうだった」

「お医者さんはどうしてそれで生きていられるんか分からないと言ったわ。
 だけどそれは昔から知っていることなの。死が私の一番古い幼なじみですもの。
 でも、どうしてこんなに体が弱いのかしら?」

客は帰る時、彼女のお気に入りの小説『アフリカの日々』をプレゼントされる。「これは真実の物語よ」

「私は答える カレン・ブリクセン」

「私は答える、美しいモットーでしょう。人間だれでも自分の中に答えを持っていると信じているからなのよ」

彼女自身の答えは、人生に対して「イエス」と言うことだった。



「メイ・ウェスト」
ある顔の広い若者がとんでもないティーパーティの計画を立てた。
メイ・ウェストを主賓に向かえ、デーム・イーディス・シットウエルをホステス役に招く。
夜の女王と、貴族の女流詩人というまったく別世界で有名な2人を見ようと、NYの人々は招待を願った。

デームが喉頭炎で出られないと電話がきて、客たちは騙されたかと不平を言い始めた。
7時、主賓が到着したが、それはミス・ウェストではなかった。

舞台の彼女の力業的性質、絶対的完璧さとは真逆で、保護領の外に連れ出された彼女はまったく無防備で、
長いつけまつ毛が触角のように震えていた。

熱心な若い娘が近づき「先週『ダイヤモンド・リル』を観ました。素晴らしかったわ
「あら、そう? どこで観たの?」
「近代美術館で」
「で、いったいなんなのビジュツカンて?」



「ルイ・アームストロング」
きっとサッチのほうは忘れているだろう、彼は筆者の最初の友だちの1人だった。
1928年、4歳の時、ニューオリンズとセントルイス間を行き来する遊覧船で彼は演奏していた。
ニヤニヤ笑う仏陀が♪サニー・サイド・オヴ・ザ・ストリート をどなり始めながら、
トン!トン!と足で拍子をとる。サッチは私に優しくしてくれ、才能があるからヴォードヴィルに出るべきだと言ってくれた。

私に竹の杖とペパーミント色の飾りバンドのついたカンカン帽をくれた。
「淑女、紳士のみなさん、ただいまからアメリカの素晴らしい子どもの1人をお目にかけましょう。
 彼のタップダンスをお楽しみください!」

私は客の間を回り、5セント玉、10セント玉を集めた。
10月になると、乗客は減り、遊覧船はおしまいになった。
私は彼が好きだった。今でも好きだ。



「ジャン・コクトーとアンドレ・ジッド」
道徳を説く不道徳家、誠実を愛し想像力を否定する作家アンドレ・ジッドは、コクトーをけして認めなかった。
アンドレの日記の抜粋。
「彼は相手と同じ悲しみをもって悲しみたいのだ。私は彼が立派な軍人になるだろうと思う」

筆者は2人の最後の出逢いをたまたま観察できた。
ジッド「静かにしてくれんか。君は目障りだぞ」
そのとおりだった。

ジャンは、17歳のアヘンを吸う天才児としてデビューして以来ずっとそうだった。
40年以上、この永遠の放浪児(ギヤマン)は、画家、デザイナー、小説家などに早変わりした。
もっとも有能だったのは仲介業者の時だ。他の人の思想と才能を世に出し宣伝する仕事である。


「ハンフリー・ボガート」
他人のヴォキャブラリーに注意深く耳を傾ければ、その人の性格の鍵となる言葉が繰り返し出てくることに気づく。
ボガートの場合、「ぐうたら(バム)」と「プロフェッショナル」だった。

NYの医師である父について「1万ドルの借金を残して死に、俺が返さなければならなかった。
女房子どもにちゃんと暮らしていけるだけのものを残さない奴なんて、ぐうたらだよ」

彼は理論を持たない俳優だった。
規律を守ることが芸術家として生き延びる道と心得ていたために長生きし、歴史に名を残した。


「エズラ・パウンド」
23歳の時、ジャガイモで飢えをしのぎながら処女詩集『消えはてた光にむかって』を出版。
それがイェーツとの熱い友情を結ばせた。

ヘミングウェーの証言。「パウンドは、自分の時間の1/5を詩作に捧げている。
残りの時間は、友人らの運命を物質的、芸術的に高める努力をしている」

彼の強い関心をひいていったのは経済学だった。そのために破滅へと導かれた。
ローマのラジオを通してファシスト的論説を放送しはじめ、アメリカの反逆者として告発された。
裁判の前夜、彼は狂人だと発表された。芸術家精神をもつあらゆる詩人そうであるように。

1958年、72歳になったパウンドは、自分が“不治の精神異常”だという宣告を聞いた。
そこで彼は発言した。「アメリカで生きていけるものはみんな精神異常だ」
そしてイタリアに行く準備をした。


「マリリン・モンロー」
モンロー? ただの白痴だ。だらしない女神だ。
実生活といわれるものにおいてザ・モンローはなかなか正体を見破られない。
事実、モンローと言われなければ分からないことがしばしばある。

その典型的な外見に関わらず、ザ・モンローはその種の女ではなく、そうなれるほどタフではない。
それどころか感受性を集中することのできる女だ。

彼女は精神においても、実際においても“孤児”である。
だれ一人信用せず、そのくせみんなを喜ばせようと農夫のように働く。
我々ひとり一人を愛情深い保護者にしたがる。

彼女の不安の深さは(約束の時間に1時間以上遅れて来るのは心配と不安のためで、虚栄心のためではない)
一も二もなく同情心を起こさせる。

ザ・モンローは1つの“公共物”であり“シンボル”だと聞かされてきた。
現在の夫アーサー・ミラーでさえそのような文章を書いている。
しかし、公共物は陰気なものになりがちで、シンボルはさらに生気のないものになりやすい。
もしこのイキイキとした愛すべき女が、そんなじめじめした言葉の牢獄を真面目に受け入れたら、
どんなに暗い日々が訪れることか。



「ジェイン・ボウルズ」(1966)
彼女は永遠のいたずらっ子のように見えるが、血管には血よりも冷たい物質が流れ、
その知恵は、どんな不思議な奇跡の子(ヴユンダーキント)ももったことのないエキセントリックな叡智だった。

ジェインは言葉の大家だ。それは、彼女の放浪癖の産物なのである。
いまでは永住するタンジール人と言っても間違いではないだろう。

ジェインについて私のもっとも嬉しい記憶は、1951年パリの冬、みすぼらしいホテルの隣り同士の部屋で過ごした1ヵ月だ。
何年か後に私は『エデンへの道の1つ』という短篇を書いたが、気づかないうちに、その女主人にジェインのいくつかの特徴を与えていた。

私は熱烈な演劇ファンではない。たいていの舞台は一度として最後まで観ていることができない。
でも『夏の別荘にて』は3度も観た。義理ではなく、鋭いウィットという新鮮なピリっとする味があったから。

書くことは簡単ではない。
誰も知らないかもしれないが、それはなにより難しい仕事だ。

悲劇的な見方が彼女のヴィジョンの核心にあるとはいえ、ジェインは一種のユーモリストだ。



「セシル・ビートン」(1969)
※逐語:翻訳・解釈などで、原文の一語一語の意義を忠実にたどること。逐字。

セシルは写真以外のいくつかの媒体における才能で名を残したいと思っているのではなかろうか。

過去20年間のもっとも優れた写真家たちの作品に与えた影響、彼ら認めようと認めまいと、
意識さえしていなかろうと、国籍を問わず、彼の恩恵を受けていないものはほとんど一人もいるまい。

カルティエ・ブレッソンを例外にして、ファッション雑誌や広告代理店まで仕事を広げずに
純粋に自分の専門だけで生計を立てている写真家を、私は即座に一人として思い出せない。

ビートンも、純粋に商業的や要素に規制されたおかげで興味深い写真のいくつかを生み出している。
だが、写真家という種族は、そのような仕事場での労働からはあまり満足を得ていないらしい。

ビートンは別だ。彼は立派な職人で、見栄を張る男ではないので、
どんな形であれ自分の作品が生かされれば有り難いと思うのだ。

ビートンが“時間の連続場面(タイムシークエンス)”と呼ぶ一連の作品。
その主題は彼が40年にもわたって撮る機会のあったピカソである。

ビートンの優れた多彩な業績の1つは“戦争写真集”だ。
ビートンが戦時中従軍したインドと中国の写真についても言える。

専門的写真家は、必然的に専門的旅行者だ。
編集者は委託料を与えて彼らをジェット機に急がせ、世界中を飛び回ってなにかへの追求の旅へと急がせる。
どんなに才能の貧しい者もこうした援助を受けている。

セシルは常にハッキリとした意志をもつ放浪者だった。

我々は時々、共同作業をした。彼の写真に私の文章を添えるという形で。

それぞれの写真家の仕事ぶりのなんと違うことか!
アヴェンドンはなによりもまずスタジオ写真家だ。
彼は完全に機能する機械と助手に囲まれている時、もっとも創造的くつろぎの状態にあるように見える。

私は彼とアメリカ中西部で仕事をした。
午前中のすべてを奴隷のように働き、暑さと埃の中を何マイルも車を走らせた。
モーテルに戻った時、アヴェドンは突然われわれの労働が無駄だったと発表した。
助手なしで仕事をするのは久しぶりだったため、その日本製カメラにフィルムを入れ忘れたのだった。

カルティエも同じ穴のムジナだ。失敗を自給自足するのである。
神経質で、陽気で、身も心も献じて、芸術的“孤独者”で、ややファナティックだ。



「白昼の亡霊たち――『冷血』の映画化」(1967)
私が初めてペリー・スミスと話し合ったのは、1960年のはじめだった。
彼はよそよそしく、疑い深かったが、

「映画を書いたことはねえのかい?」
「あるよ、一度だけ。『悪魔をやっつけろ』だ」
「ああ、覚えてるぜ。ハンフリー・ボガートが出ていたから観たんだ。
 大好きな俳優だよ。『黄金』を何回も繰り返し観たな。理由の1つは、気違いじみた金鉱捜しの役で
 ウォルター・ヒューストンが出てたろ? あいつが俺のおやじに似てたんだ。
 テックス・スミスに。ソックリだったよ、まいったねえ」

ペリーは、自分が逮捕された時「あそこにシネマの連中が来ていたかい?」と聞いた。
人に“認められる”ことを喜ぶ虚栄心を隠して誤魔化そうとした。

その事件の映画を撮っていることに苦笑するTC。

私が二度と繰り返したくない経験だった。
ペリーを演じる役者を見た時、亡霊が彷徨い出てきたと思った。彼はペリーだった。
TCはホテルに戻り医者に注射を打ってもらったが、障害は精神にある、と日記に記す。

あらゆる芸術は、選択されたディテールから構成されている。
私の本が出版されるとすぐ、多くの監督らが映画化を希望した。
TCはリチャード・ブルックスに仲介役をしてほしいと決めていた。

モノクロ映画にすることと、無名のキャストを使うことを希望。
各シーンをすべて現場で撮影すること。
アシスタントは、運び出されていた家具を苦労して取り戻した。
このようにして現実は、1つの物体を通して、芸術へと広がっていく。

殺害シーンでは強力な懐中電灯を使った。ふつう懐中電灯は、記録できるほどの光を作り出せないため。
どんな監督も作家が後ろから見つめていることには我慢できないものだ。TCはスタッフに任せて去る。

1959年。私がそこに着いた時、私は誰一人知らなかったし、数人以外は誰一人私の名前を聞いてなかった。
地方紙の編集長は“我々は悲劇を忘れたい、ところがこのNYの作家は忘れさせまいとしている”という思いから挑戦的態度で、
撮影反対のキャンペーンもしたが、西カンザスの人々は協力的だった。

ブルックスは非常に秘密主義な男だ。台本を一人で抱え、フィルムも他人には一切見せないまま、TCと試写室に入る。
「この映画にかかってからいろいろ辛い時もあったが、今日が一番辛い」

映画には本に使った「対位法的技法」が使われていた。
途中でフィルムが燃えるアクシデントがある
映画が終わるとTCは再び自分がどこにいるのか分からなくなり、やっとブルックスを認めると、言った。
「それはそうと、ありがとう」



「自画像」(1972)(問と答のインタビュー方式だけど、自問自答?

Q:1つの場所に住まなければならないとしたら?
A:寒気がする考えだ。ほんとうに選ばなければいけないなら、きっとNYだろうね。
NYなら多様な人間になれます。10種類の人間になって、10組の友人を持って、重なり合わずに済むのです。

Q:人より動物が好き?
A:どちらも同じくらい好き。人より動物のほうに温かい気持ちをもつ人にはひそかな残酷さがあると思う。

Q:友だちに求める資格は?
A:頭が鈍ければダメです。友だちになれるかどうかは、会った途端に分かります。

Q:暇をつぶすには何が一番。
A:私は読書が好き。初期のサリンジャーとか、、、( この2人どこか似てるのに名前が出てこないのがフシギだと思ってた
映画も大好きです。途中で出ることもしょっちゅうですが。一人で、空いている昼間にかぎる。

どんな女性でも私はなかなか満点をつけません。
エリザベス・テーラーについて「神経過敏、自力で学んだ、タフだが本質的には無邪気~男と寝たら結婚しなきゃならない~を見せる女」て!

私は社交的だと思われているが、一人でいるのが好き。一度だけ精神分析医に診てもらったことがある。

Q:一番恐れるものは?
A:死ではない。苦しむのは嫌だが。ある晩眠って目を覚まさないというなら別。
1966年に自動車事故で危うく死ぬところだった。
その後、がんの手術を受けたこともある。

永遠に生きたいと思う人なんていますか? それは馬鹿げた考えです。人生の飽和点というものがある。
そこに達するとすべて苦労だけになり、完全な繰り返しになるような点が。

お金について。私は俗物ではないと言ってるのではない。ただ貧乏を恐れない。
1点だけ、愛情の裏切りは今でも外傷のように私の心を傷つける。

Q:あなたにショックを与えるものは?
A:子どもを殴る人、動物をいじめる人、、、

Q:『冷血』後の活動は?
A:ドキュメンタリーフィルム『死の市街USA』はABCの依頼で作ったのにアメリカでは放映されていない。

『冷血』を書くのに5年、そこから回復するのに1年かかった。今でもあの体験のシーンが心に影を落とさない日は1日とてない。
今は『叶えられた祈り』にとりかかっている。
だが文学とは、それ自身の生命をもち、自身のリズムで踊ることを主張する。

Q:作家でなかったら、何をしていた?
A:最高裁判事らから“君は法廷弁護士になれる”と言われた。

Q:もし忘れ難い人という文章を依頼されたら誰を書く?
A:アメリカの詩人ロバート・フロスト。彼は私の最初で最後のサラリーマンの仕事をクビにし、恩恵を与えた。
それで私は『遠い声 遠い部屋』を書いたから。

10歳になるまで、私はアラバマの田舎で親類にあたる独身のお婆さんミス・スーク・フォークと暮らした。
それは『クリスマスの思い出』『感謝祭の客』に書いた。

私は女優、男優がそう好きではない。
もっとも無口な者がもっとも才能に恵まれている。

ボブ・ディランについても語ってる/驚
ボブは、純情な、革命的だが、センチメンタルなヒルビリーを装う、すれっからしの音楽的詐欺師だ(w

Q:一番希望に満ちた言葉は?
A:

Q:政治的関心は?
A:私はロナルド・レーガンが好きです。私がよく知っていた2人の政治家はケネディ大統領とその弟ロバート。
政治には何の関心もない。投票したこともない。

Q:変身できるなら何になりたい?
A:透明人間。

Q:あなたの悪徳は? 美徳は?
A:私は悪徳など持っていません。主な美徳は感謝の念でしょう。

Q:あなたの答えには矛盾があるように思われます。
A:首尾一貫して、矛盾しないような人の頭はビスケットでできているのです。

Q:死ぬ直前に、人生の大事なシーンが心をよぎるそうですが、どんなイメージがよぎると思いますか?

A:まずアラバマの暑い1日(子どもの頃の思い出)、、、
10年後、一番好きなアメリカの歌手、ミス・ビリー・ホリデー。「おはよう、頭痛さん、また来たのね・・・」
地中海。私がよく知っている人が「さようなら」と言った。
黒い乱れ髪の若者。20分後、彼はロープの先にぶらさがって死にました。
もう一度、あの小川です。しなやかな死の死者、白い毒蛇モカシン。だが私は恐れはしません。恐れるものですか。
(TCはその時噛まれた



【観察者としてのカポーティ/川本三郎 内容抜粋メモ】
カポーティほど作品と作家本人の公的イメージがかけはなれてしまった作家はいない。
公的イメージは「タイニーテラー(小さな厄介者)」と呼ばれたスキャンダラスな有名人だ。

孤独な少年(作品)とノイジーな道化(作家)。この極端な差がカポーティ文学を複雑で分かりにくいものにしている。
「私はアル中だ。私はヤク中だ。私はホモセクシュアルだ。私は天才だ」
「私の中には2人の人間がいるようだ。1人は非常に知的で想像力豊かな大人、もう1人は14歳の子どもだ」

彼はジャーナリストとして都市や人物を描写する。
本書は、そうした観察者に徹した姿勢がうかがえる。
それがあったからこそ、ノンフィクションノヴェル『冷血』が書けたのだ。

本書が出版されたのは1973年だが、文章はそれよりずっと以前に書かれている。
(私が借りた初版は昭和63年、1988年

1959年に出版された時の『観察日記』は、カメラマンのリチャード・アヴェドンとの共著で、
アヴェドンの写真に、カポーティの文章が添えられた写文集だった(だから短いのか

すべて“年のいった芸術家”であるところが特色。
1959年に出版された時には、ココ・シャネル、チャップリン、ピカソなどもあったが、再録時に割愛された(読みたかった!
「アイザック・ディネーセン」は映画『愛と哀しみの果て』の原作者として知られる(驚

カポーティは、明るさ、温かさの裏に隠された腐敗、退廃、虚無、失意に視線を向ける。
そこには「孤児」「南部出身」「ホモセクシュアル」という独得の負性を背負ったデカダンス感覚がある。
彼は、孤独、苦悩という普通の人なら負性になるものこそ、芸術家の条件だと考え続けた(同感




また1冊読み終えてしまったよ、カポーティさん。


コメント

『grapefruit juice by YOKO ONO』(講談社)

2016-02-26 17:56:58 | 
『grapefruit juice by YOKO ONO』(講談社)
オノ・ヨーコ/著 南風椎/訳 1993初版

※notes and movies(2002.1~ part1)からの転記。

1964年、500部の限定盤で東京で出版、その後加筆されて1970年英語版が世界で発売された“grapefruit”。
その中から選び直し、著名な写真家のコラボで生まれたのが今作。
ジョンはこの本からインパイアされて♪IMAGINE を書いたとか!
簡潔な言葉の何に、透明な優しさが流れている。



【内容抜粋メモ】

CLOSET PEACEⅡ(1964)

「put one memory into one half of your head.
 Shut it off and forget it.
 Let the other half of the brain long for it.」



LAUGH PEACE(1961)

「keep laughing a week」



SLEEPING PEACEⅡ(1960)

「Write all the things you intend to do.
 Show that to somebody. Let him sleep for you until you finish doing them.
 Do for as long as you can.」



SLEEPING PEACEⅠ(1960)

「Write all the things you want to do.
 Show that to somebody. Ask others to do them and sleep until they finish doing them.
 sleep as long as you can.」



DOLLAR PEACE(1963)

「Select an amount of dollar.
Imagin all the thing that you can buy with that amount.[a]」
Imagin all the thing that you cannot buy with that amount.[b]
Write it on a piece of paper.」



PROMISE PEACE(1966)

「Promise.」


篠山紀信さんの撮ったどこかの湖畔?池?沿いの道を歩くジョンとヨーコのモノクロ写真は、
もしかして日本だろうか?


コメント

topics~シリアの内戦~アレッポせっけん、刺繍との絆@あさイチ ほか

2016-02-26 17:29:26 | 日記
最近の気になるトピックス。


<6日間限定 追悼上映> 『デヴィッド・ボウイ・イズ』@ル・シネマ Bunkamura

2/27(土)~3/4(金)※3/3(木)は休映

監督:ハミッシュ・ハミルトン(BAFTA受賞監督)
司会:ヴィクトリア・ブロークス、ジェフリー・マーシュ キャストデヴィッド・ボウイ、ヴィクトリア・ブロークス、ジェフリー・マーシュ、山本寛斎
作品情報:98分/英語(日本語字幕付)/イギリス

とっても観たいが、ぴあやらでチケット売らないのが面倒なのと、混みそうだ
きっとDVD化されるよね。家でゆっくり観たい。


ちよだ猫まつり

こんなのもあったんだ/驚

2月22日の「猫の日」は別のイベントに行ったけど、こっちも行けばよかった


フィギュアスケート四大陸選手権、宮原知子優勝

私、中継を見そびれたのかな?


インフルエンザ予防に「あいうべ体操」で鼻呼吸
 

 

医師:
鼻は乾燥した冷たい空気をのどの奥に送り込む時に、
温めて、潤して、キレイにして、体内に取り込む。
口呼吸だと、直接空気を取り込むので、体内の細胞がダメージを受ける。

「あいうべ体操」を毎日30回行う(10回1セットでいつでも
 

「あ、い、う」はそれぞれ口を大きく使い、「べ」で長く舌を出すことで、
口周りの筋肉を鍛えて、普段から口を閉じるようになり、口呼吸→鼻呼吸になる。

これをやった児童の感染率が下がり、他の学校でも広まっている


「正しい舌の位置」は、上についている状態
 


シリアの内戦~アレッポせっけん@あさイチ
 
髪、顔、体、全身洗えるところが人気

とても穏やかで、人々は人懐こい地域だった
 

アレッポせっけんは地域の名産品。作り方は昔と同じ
 

内戦で地域は破壊され、大家族はバラバラに


販売者:
普通に売り続けることが大事だと思う。
僕らがやっていることは支援ではない。
普通に作ってくれた伝統的な石鹸を日本で売っているだけ。
それは内戦があろうが、その前からずっと変わらず続いている。
内戦が終わっても販売して、仕事ができて、食べていくことができるんです。


女性のつくる伝統的な刺繍


日本人女性のAさん(お名前忘れてしまった/謝)は、夫とシリアで20年住んでいた。
シリアに住んでいた頃、周りの人が親身に助けてくれた。夫が急逝し、日本に帰国。


Aさん「住んでいる人たちが、ゆったりと、おおらかに、優しく住んでいて、その寛容さが身に染みて嬉しかった」


Aさん:
今の生活も、もう1回やり直していかないといけない。
手に職がついて、シリアで何かできるような土台を持ってかえってくれたらいい。


Aさんと刺繍の販売を通じてつながっている現地のリーダー、マイヤーダさん

マイヤーダさんは家族と離れ離れになり、トルコに避難している難民生活

マイヤーダさん:
生活はとても厳しい。金銭的にも、精神的にもすごく辛い。

やってきた仕事もすべて捨ててしまったから。

トルコには馴染めないわ。
どこまで行っても、私たちは難民。トルコ国民ではないの。

仕事をすることは金銭より、精神面で必要。
ただ援助を待つだけじゃないっていうのがいいの。


私たちの仕事をちゃんと認めてくれる人がいるから、
とてもとても嬉しいってみんな言っているの。

戦争が終わってほしい。それだけ。
誰かが殺されるのをもう見たくない。
ほかに頼むことなんてないわ。


刺繍の収入でお茶会を開いた
 


Aさん:
例えば、大きな世界の機関は、大きな支援物資を入れられるけれども、
そうじゃなくて、知っているこの人が大変なんだから一緒にやろうよ。



“一緒にやっていこうじゃん”というのが私らの活動をやっている気概。
SNSなどでつながる、心配していることを伝えることも大事。


ボタンやタペストリーをネット等で購入可能
 

ボタンは1個600円で、5個売れれば、1家5人の1日の食費になる。
タペストリーには、魔よけの目がついている。糸などの材料が手に入りにくい状況。

作った人の名前が刺繍されている。


「イブラ・ワ・ハイト」

facebook


コメント

topics~たけしのネットマガジン創刊 ほか

2016-02-25 18:02:59 | 日記
最近の気になるトピックス。

たけしのネットへのイメージが変わり、ネットマガジン創刊へ
『お笑いKGB』は、2/22から有料版(月額540円)がスタート



トップページは一番カッコいい『その男、凶暴につき』の時の写真っぽい。
「無料公開中!」の「たけし大放談」だけでも笑えるww

いろいろやりたいのに、いちいちたくさんの人を通さなきゃ出来ない媒体より、
ネットのほうが小回りきくし、まだまだ規制も曖昧だからね

昔やってた「オールナイトニッポン」や「スーパージョッキー」や「風雲!たけし城」とかの
なんでもありなお笑い番組の頃の自由さがタイムリーに発揮できるのは、ネットじゃないかな。

あとは、これだけ娯楽やネットの使い道が多様化している中で、
どれだけ定期的・継続的に見る人がいるかか?
今は、記事を読んだりするより、自分から発信するほうが楽しい世代だからねぇ。


アートシーン 特別編
井浦さんのライフワークは、「縄文文化」だって/驚×5000

ストーブ列車で東北の旅
 

 


見てすぐ様式の名前を言ってた

 
かあいい~

 

 

画家 蓑虫山人もまた、縄文文化に惹かれて、東北方面を放浪した。

 

折り畳み自在の家から覗く自身の姿を蓑虫と呼び、ユーモラスに自画像を描いている。
旅先で世話になった人にお礼として絵を贈ったそう。

 
縄文土器を花瓶や、茶道具に見立てて描いた屏風

井浦「とっても興味が湧いてきました。“自由”てこういうことだなーって思う。
   常に自分の心が瑞々しくいられるものを求めるために旅がある。
   僕にとっても内側を潤すのに旅は必要」

 


土器を掘り出す現場にも足を運んだ

 

 

実物は7cmほどの大黒天を、手前の人物と同じ大きさに描いている。
山人に自分の寺にある名品を懸命に熱弁する和尚の絵w

 

生前はほとんど評価されず、一生独身で、64歳で亡くなった。

 


ドラマ『精霊の守り人』


アニメ『精霊の守り人』(全26話)

綾瀬はるかちゃんが主役てビックリ。とっても楽しみ♪
木村文乃、藤原竜也、東出昌大 ほかのキャストも豪華!


山本草太くん
 
「オリンピックと名前のつく大会で金メダルをとれたことは、これからの自信につながります」


森永さんのB宝館面白そう
以前も『モヤさま』で書いたけど、「あさイチ」にまで取り上げられて、行ってみたくなった。

 

 

 

 

喫茶店のコースターは私もキレイだなって思う。昭和喫茶のはとくに。あと、マッチ箱とか。完璧、嫌煙者だけど
 




さかなクンに「惚れた」の声殺到



黒のハコフグ帽子ってww

“さかなクンによると「中学生の頃、水槽がある部活と勘違いして吹奏楽部に入部して以来、音楽と楽器に夢中になりました」とのことで、楽器経験者らしい。
 2月19日にYouTubeで公開されたWEBムービーは23日0時までに175万回再生された。”

氷結 あたらしくいこう WEB限定スペシャルムービー「さかなクン×スカパラ」

氷結 あたらしくいこう さかなクン篇



「氷結のCMでさかなクンとコラボしました。昔からスカパラのこと好きでいてくれたんだって笑
 昨日もわざわざメールを頂きました。嬉しかったな。
 さかなクンは俺のバリトンサックスより更に音が低くて大きな楽器バスサックスを吹いてくれました。
 収録中とにかく楽しそうで、こっちが嬉しくなるほどだったね。つられて笑顔の谷中! 変身後も格好良かったよ、さかなクン。」


友だちに教えてもらって見てみたら、想像以上のカッコよさ!
それほど知らないけど、普段の姿とのギャップがハンパなく、スカパラメンバになりきってる/驚×5000
バリトンより大きな「バスサックス」てゆうのもあるんだね。管楽器も奥が深い!

コメント

サン・テグジュペリミュージアム(2000.6.17)

2016-02-25 18:01:59 | 町歩き
※notes and movies(2000.1~ part1)からの転記。

「おでかけスポットリスト」カテゴリーの「小さな旅」に追加しました。


金曜の夜はずぅーっと会社のKさん対決のことを考えていて眠れず、
2時頃まで満月を見ていた。

土曜日。
9時 新宿西口待ち合わせで「ロマンスカー」に乗る。
全席指定と知らずに、満席か!?と思いきや、9:30のがあってラッキーv

小田原からは「登山電車」に乗り換えて、紫陽花を見ながら揺られ揺られ「箱根湯本」へ。




そこからバスで「仙石案内所」下車。徒歩で、

「箱根 湿生花園」


この時はもう本降りの雨で寒いっ!

4月いっぱいの花は終わって、咲いているのは、アヤメ、菖蒲とか日々草?
回り道はチケットの写真の景色が広がっていて、すごく清々している!
見応えのあるコース。







サビみたいな鉄分、油分が出るのが湿地の特徴。
母に出そうと思って、紫陽花のてづくりハガキも買った。

バス停まで戻って、徒歩で、

「星の王子さまミュージアム」

 

お客の9割が女性。男はカップルで来ているのみ。
中の教会で結婚式も挙げていた。

1940年代くらいのパリを再現したという町並みのテーマパークにウットリ
なぜここに建てたの?て疑問は残ったけど。




豪邸の中、飛行機内みたいな作りの展示コーナー、
『星の王子さま』のストーリーをまとめた映像コーナーも、すっかり童話の世界にひたれる。

レストランとカフェは寄れなかったけど、ショップで水色のトートバッグを買った。

すっかり薄汚れてしまったが
 

キーホルダーも



17時閉館。歩いてバス停へ。バスで箱根湯本。
帰りは新宿までの指定席がとれて2020円。1時間半。

20:30頃最寄駅着。
お腹ぺこぺこで(途中、Nさんのチーズケーキを食べた)、
写真を受け取って、最近気に入ってる冷凍の鍋焼きうどんを食べたv


長年使っているアドレス帳もここで買ったんだろうか?
 

 



アルファベット順のイラストは絵本からのもの
  

コメント

ジム2月9回目(2016.2.25)

2016-02-25 17:33:10 | 日記
ゆうべ夜遅く、雨かな?て思っていたけど、今朝、雪が少し積もっていてビックリ!


健康体操
まずは足をほぐして温めてから、立って体を大きく使った呼吸法から始まって、
このネーミングの軽さの割に筋トレ感が強いプログラム。
毎回いろいろ工夫しているインストラクターさんの努力がうかがえる。

大体、腹筋強化だったけど、いつも呼吸法がヨガより強くて速いから、頭がクラクラしてくる

今日は、寝て、両膝たてて、片脚あげて、お腹締めて呼吸だっけか???
お腹をペッタンコにして呼吸するだけでも腹筋を使うから、朝っぱらからそんなに動かない

足先も冷たくて、ストレッチをちゃんとしないと左がとくにつりやすいと分かった。
股関節のストレッチも大事。左右にパタンパタンと倒してみて、倒れにくいほうを少し伸ばす。



20分くらいの間隔があいて、次は私の中で一番ハードなプログラムだから、
少し炭水化物をお腹に入れて、水分とって準備。


バレトン
今日は緑色のインストラクターさんがお休みでガッカリ。ここで笑うのが楽しみなのに。
代わりの男性インストラクターさんは初見。
いつもはラストに1回だけやる、音楽に合わせたバレトンの動きを初めて最初からみっちり最後までやった

お水をたくさん補充しておかないとヤバい。
最近、590mlのペットボトルを見つけたから、そこにたっぷり入れて参加。
水分補給の時間は30秒くらいが数回だから、慌てて飲まなきゃならないんだよね

ヨガの木のポーズやらのバランスも、音楽に合わせて、バレエの手足の動きまでつけて、速く繰り返すから、
途中から分からなくなって、だいぶ省いた

それでも、全然ダメだった初期の頃よりかは幾分マシでは?と思うんだけど・・・

最後、いきなり横になって、ヨガのクールダウンみたいな雰囲気にされたから、
激しい運動からの落差がすごかった/驚

屍のポーズでもするのかと思いきや、筋トレ独特のストレッチがあって、
今度はそれを習得するのに時間がかかった
片脚ずつ伸ばして、脚のストレッチ、犬のポーズみたいになって、背中のストレッチなどなど。


ストレッチ
バレトンをやると、グッタリだから、ストレッチで汗だくの体をクールダウン。
プラス、バランスボールやストレッチポール、マットの上でできるトレーニングを黙々とやってきた。


帰りがけに「これもらっていってください~!とチョコレートっぽいものが置いてあったので、
「チョコレート大好きなんです」とゆったら、袋に20袋ほどもらってしまった
「賞味期限が29日までなので。1袋のカロリーが高いので、食べたら、また運動してくださいねw」て

お菓子みたいな栄養食品系かと思って、持ち帰ってよく見たら、全然違う!
恐る恐る食べてみたら、トーストに乗せるチーズのチョコ味みたいな・・・
一応冷凍庫に入れてみたけど、失敗した感が満載。
誰か欲しい方がいたら、お譲りします・・・

スライス生チョコレート


追。
今月の家賃振込み終了v

コメント