メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ちくま文庫『カポーティ短篇集』(筑摩書房)

2015-12-31 15:23:02 | 
ちくま文庫『カポーティ短篇集』(筑摩書房)
トルーマン・カポーティ/著 河野一郎/訳

内田百間さんの『阿房列車』はこんな感じだろうか?
「ローラ」などは、『ノラや』みたいな悲しい物語だったし。

「作家別」カテゴリーに追加しました。

あらすじ(ネタバレ注意

「楽園への小道」
イヴォール・ベリ氏は、27年間連れ添って亡くなった妻の墓参りに陽気の良さにつられて散歩がてら初めて来た。
あれほど心の休まらない付き合いは二度とごめんだと思いつつ、嫁いだ2人の娘から一度も墓参りに行かないことを責められるのは嫌だった。

墓に黄水仙をたむけていると、ある女性から声をかけられる。彼女も父を亡くしたばかりだという。
共通点が多いことをしきりに持ち出すこの女性に対して、税理士という職業柄“どれほど残酷でも人生の皮肉を楽しむ余裕のある”ベリ氏は好感を持つ。
秘書のエスター・ジャクソンも思い出させた。ベリ氏と彼女は心が通じ合い、そろそろ再婚を申し込もうかと悩んでいた。

女性からピーナツをすすめられると、大好物で断りきれずに、つい長話をしてしまう。
彼女は、子どもの頃、ジェットコースターから落ちて、九死に一生を得たが、片脚が義足だった。
名前はメアリ・アメガン。
ベリ氏がユダヤ系と聞いてちょっとためらうが、「私の生まれはロシアです」と言われ元気を取り戻す。

メアリとは、ヘレン・モーガンに心酔している点でも同じで感激する。
「私の歌うモノマネ聴いてくださる?」
その声はヘレンそのものだった。

ベリ氏が疑った通り、メアリは「再婚をお考えになったことはおありですか?」と聞く。
ベリ氏に脈がないと分かると、メアリは正直に顛末を話す。

親しいアニーから「若くも美人でもなく、義足のあなたは結婚しなければならない」と言われる。
まともで、収入が十分にある人を見つけられる場所は、新聞の死亡告示欄だとも。

「死亡記事って、奥さんをなくした人たちでいっぱいでしょ。
 だからお葬式に行って、自己紹介するんです。でなければ墓地で」

あまりに正直なメアリにベリ氏は笑い、妻への恨み言も晴れ、エスターとの再婚も決意する。
「いつかそのうち、もっと元気いっぱいの男性と知り合えますよ

すれ違いに、陽気で、元気な男がやってきて、「成功を祈りますよ、オメガンさん」


「ヨーロッパへ」
ヨーロッパに来たのは正しかった。再び驚きの目で見ることができたというだけでも。
ある齢を越え、ある知恵を越えると、驚きの目で見ることはとても難しくなる。
それが一番よくできるのは、子どもの頃だ。

ぼくらは(この後もこう言っているが同行者が気になる)ヴェネツィアからシルミオーネまで来た。
かつて、オスカー・ワイルドが、引退してヴェネツィアに住んでは、とすすめられ
「そして観光客相手の記念碑になるのかね?」と訊き返したという。

ルチアという女性は、家なし非行少年たちのリーダーで、「金本位制」の世ではないことを知らないうぶなDが、
チェスターフィールドを1箱まるごとあげてから、完全に受け入れられた。

ルチアは、どこにもついて来て、異常に嫉妬深く、たびたび気まずいことが起こった。
ホテルのマネジャーが彼女をロビーで押し留め、部屋を訪ねてはいけないと言った。

ぼくらはとうとうヴェネツィア去ることにした。
「ベルドーナミ、マ・ターモ」と彼女は叫んだ。許して、でも愛してんのよ、と。

その後、Dはローマへ、ぼくはパリに戻った。
オリエント・エクスプレスの名には、背筋のうずくような期待をかき立てられた。
アガサ・クリスティや、グレアム・グリーンを信じるならば。

でも、実際は違った。上品なイタリア女性が2人いて、鳥かごの中から百袋ほどのヘロインの紙包みが入っていた。
税関吏が鳥かごを分解し、中のオウムは外に飛び出していった。


「イスキア」
上陸騒ぎに巻き込まれて、ぼくは時計を落として壊してしまった。
あまりにも的を射た、ひどい象徴的事件だった。
イスキアは時間を気にして慌てる場所でないのが明らかだった。島はどこでもそうだが。

ジョコンダは美人だが、働き過ぎていた。ペンシオーネでは、部屋係と、ウエートレスを兼ねて夜中まで働きづめなのだ。
だが、今の仕事にありつけて幸運だった。就職はこの島で最大の問題だからだ。
大きな部屋が2つ、ランチ、ディナーもすべて込みで、1人あたり月に100ドルほどの格安だった。

この島には、男が職を求めて南米へ移住し、渡航費を送ってくれるのを5年も待ち続けている妻たちがいる。
カフェのマリアはなんでも手配してくれる、フォリオで一番の金持ちだという噂がある。

ムッソリーニの家族に浜で出会った。
今は亡い独裁者の未亡人と3人の子どもは、自らに課した隠遁生活を送っているらしかった。


「スペイン縦断の旅」
ぼくらはスペインの海湾、アルヘシラスへ行く途中だった。
途中、機関銃の音がして、TCは思わず「山賊(バンディッツ)だ!」と叫んでしまい、列車内に同じ叫び声がこだましていった。
実際は、無賃乗車で何時間もぶら下がっていた老人が落ちて、列車を止めたのだった。
「この列車に医者はいませんか?」


「フォンターナ・ヴェッキア」
フォンターナ・ヴェッキア(古い泉)と呼ばれる家に滞在しているTCら。

魅力的で元気いっぱいな料理女のGの一番の問題は、料理が出来ないこと
セシル・バートンが訪ねて来た時も、茹でたり、焼いたり、また茹で直したりされた鳥の首を出された時は、
藪から棒にどうしても友だちのところに帰らなくては、と言い出すほど

パーティでは、町の男たちは代わるがわるアコーディオンを弾き、シチリアの農村のしきたり通り、全員が踊る。

「タオルミーナ」は、シチリア島でもっとも古いギリシアの町。

第二次大戦中は、ドイツの将軍ケッセルリングの司令部だったため、連合国軍の爆撃を食らい、破壊は軽かったが、町は没落した。
ガイドブックには、「ドイツ人専用のテーブルを設けてあるところもある。同席を好まない人がいるから。
この冬、やっきになった末の最後の手段として、カジノを開く予定にしている。
ぼくとしては、今のままがぴったりだ。ツーリストセンターの便利さを備えていながら、観光客の姿はないからだ」w

とくに若い男たちは、ぼくの言う“ホテルっ子心理”をもっている。
ホテル暮らしをしてきた子どもたちは、すべてが一時的で、けっして何かに夢中になってはいけないことを知っている。
友情にしろ何日かしか続かないからだ(なんだか分かる
若者の多くが片言の数ヶ国語を操れ、広場(ピアッツァ)で旅行者を相手にわざとらしいお喋りを続ける。

買い物に出て、帰る前に最後に立ち寄るのは「煙草屋(タバツキ)」だ。

8月は、アーモンドの林の中で、何百人という農夫たちがアーモンドを叩き落し、地面から拾う。
互いに歌をうたい合い、1つの声がフラメンコ風の声をリードしている。
取り入れには1週間かかったが、日ごとに歌声は正気と思えぬ激しさに達した。

シチリアの男たちは、身内の女たちに「ああしろ」「こうしてはいけない」と注文がうるさい。
しかも、女たちは、それが好きなようなのだ。

料理女のGも、唇を切り、目の周りをアザだらけにして、腕にはナイフの切り傷、全身アザだらけで現れた。
苦笑しながら「だって、きょうだいげんかになって、兄に殴られたんだもの。あたしがあんまりたびたび浜へ行き過ぎるもんだから」
誰に言っても、兄が妹を叱って当然だと賛成する。

氷屋の少年と、月の晩、ちょっとした、しかしぞっとするやり取りを交わした。
夜ふけて家に帰る途中の少年が、吼える動物に襲われたと言い、それが四つん這いになった人間だったという。

TCは笑い「君は狼人間なんか信じてないだろ?」

「信じてるよ。タオルミーナには、昔、狼人間がたくさんいたんだ。今じゃもう2、3匹しかいないけど」


「ローラ」
ぼくは、鳥を昔から毛嫌いしていた。
Gからクリスマスプレゼントに1羽の醜いカラスの子をもらった時はうろたえを隠せなかった。

Gの父は村でも名うての飲んだくれで、母は狂信者、兄は毎週グラツィエッラ(G)を殴りつけて稼ぎを巻き上げたが、それでも兄との仲は良かった。

カラスは翼を根元まで切り取られて飛ぶことができなかった。
地中海人種特殊の気質で、動物の苦しみに無関心だったにすぎない。
私は、そいつを家具のない空き部屋に閉じ込めたが、そいつの孤独を思うと、ついそこへ行ってしまうのだ。

やがてなつき始めた頃、カラスの姿がなかった。
ガラス戸が開いていたので、外に出てしまったと思い、TCらは必死で考えつくあらゆる所を探して回る。
ようやくある事実がハッキリしてきた。私はとても好きだったのだ。ローラが!

もしかして家の中にいるのかも、と探したら、普段使わない居間にいた。

一緒に長く暮らすにつけ、犬2匹と挨拶させなければならない。
どの犬も、とまどった時にはあくびをする(そーなの!?
ケリー犬はおもちゃと決め付け、叩いて追い詰めると、ローラは反撃し、それから犬たちはローラに一目置くようになった。

6月には大きさが3倍になり、翼も戻ったが飛ばずに歩くほうを好んだ。
その時は、予想もしなかった。
自分の本性を捨て、自分以外のものになろうとするものすべてに待ち受けている運命は。

ローラは泥棒で、光ものを好んだ
ある時、金の指輪を囮にして後を追うと、書庫の本の間から、巣作りに使うつもりだったのか何千リラもの紙幣が千々に引き裂かれていた/驚


グラツィエッラはルキノという若者との婚約を発表した。
彼は、スウェーデンから来る老嬢や、ドイツ人未亡人、男やもめなど、孤独な観光客を相手にしているセミプロのジゴロと評判だった。

グラツィエッラは、喜びのあまり、ルキノの写真を家中に貼り、料理が出されないこともあった。

8月の夜、グラツィエッラの父親は、アメリカ人観光客にジンの一気飲みをしてみろと言われて、発作を起こし、それきり身体が麻痺してしまった。
その翌日、ルキノは田舎道でヴェスパを飛ばして、3歳の女の子をはね、即死させてしまった。
グラツィエッラは、自分の暗い前途を思って泣いた。

ローラを“魔女”だと言い、私の家は邪悪な目の館だという神話が広まった。
ある夜、にわかに2年住んだここを出ようと決意し、小さな車に犬もローラも全部乗せて、ナポリからローマへ行った。


ローマの新居は、急な階段を6つも登らねばならないが、ローラはバルコニーが気に入って、そこから離れなかった。
真向かいに住む93歳のシニョール・フィオリは、90歳の時、口がきけなくなったが、用事の際は鈴を鳴らした。
めったに笑わないが、ローラが好きで、可愛い仕草をすると、いたって男らしい老いた顔が微笑にくずれた。

ある日、鈴がけたたましく鳴っているので、バルコニーに行くと、ローラの背後にばかでかい茶トラの猫がいた。
危険を察して、手すりから宙に舞い落ち、翼は広げていたが羽ばたかず、真下に落ちて行った。

「ローラ! 飛ぶんだ、飛べ!」

そこに1台の小型トラックが来て、前に落ちるのは避けられたが、荷台に落ちて、走り去ってしまった。
TCは、追いかけ、眼鏡も吹き飛び粉々になったが、トラックは車の流れの中に見えなくなった。

じいさんは鈴を鳴らして、バルコニーへ呼んだ。
「あの子は自分を別のものだと思ってたんです。犬ですよ。行ってしまいました」
私たちは互いに頭を下げ合った。




※以下は既読にて、メモあり。
「ジョーンズ氏」
「もてなし」
「窓辺の灯」
「くららキララ」
「銀の酒瓶」
「無頭の鷹」


【訳者あとがき内容抜粋メモ】
1948年、処女作『Other Voices, Other Rooms』がアメリカ文壇に登場した時の衝撃は半ば伝説化されている。
ライフ誌は「暗黒の文壇の天空に新彗星近づくと書き、書店には大きく引き伸ばされた著者の写真が飾られた。

ヘミングウェイ、スタインベック、フォークナーも新鮮な驚きをくれたが、
この23歳の作家には、開拓者と自然の宿命的な対決も、失われた世代の自虐的な苦悩もなく、
ガラス細工のように傷つきやすい永遠の少年の姿が、南部の自然を背景に、精巧な文章で焼き付けられていた。

私は帰国後、さっそく翻訳し、『遠い声 遠い部屋』として新潮社から出版された(え、この方のを私は読んでいたのか
書き上げるのに2年半以上を費やした今作は、「実際にはこれくらい書いた」とカポーティは手を30cmほどかざして見せたという。

早熟な読書家で、こう言っている。
「12、3歳の頃から、マンスフィールド、トマス・ウルフ、モーパッサン、チェホフ、ツルゲーネフ、プルースト、
 ぼくはすべてを読み、中でもプルーストから一番大きな影響を受けたように思う。芸術家としてより、1人の人間として

「今作はけして自伝ではない」と後々まで何度も念を押しているが、幼児期の体験が、この父親捜しのテーマを選ばせたことは否定できない。



『夜の樹 その他』、『ローカル・カラー』、『ティファニーで朝食を』を発表。
カポーティ自身は、ホリー・ゴライトリー役にマリリン・モンローを考えていて、
オードリー・ヘプバーンはイメージとまるで違うと不満だったそう。

1984年8月25日、60歳で他界。三島由紀夫は「彼は自殺する」と予言していたが、それに近い最期だった。
長年の友人アーティ・ショウ)は、葬儀の弔辞で「彼は生きることのすべてが病因で死んだ」と述べた。

「楽園への小道」「クリスマスの思い出」「ミリアム」は短篇三部作として映画化された(この情報ネットにないなあ

晩年、いくつかの完成度の高い小品を残している。

「もしヘミングウェイが段落のパガニーニで、ヘンリー・ジェイムズがセミコロンのマエストロなら、
 ぼくはコロンのトスカニーニだ。午前中はコロン1つ入れるのに費やし、午後は取り去るのに費やしている」(1968)

「ここ3ヵ月ほど、もう何十回目か分からないが、ジェイン・オースティンを読み返している」

「最近は、以前に読んだものをもう一度読み返している。16歳までにすでに全部呼んだ作家たちだが、改めて読み直している」

カポーティには“明るいカポーティ”と“暗いカポーティ”があると多くの批評家が指摘しているが、
カポーティ自身は

「歌手であろうと、ピアニストであろうと、芸術家であれば、主題に合わせて音調や色調を変える。
 ぼくの文体はまったく変わっていないが、ただ材料によって、言葉のメロディの修整がされているだけだと分かるだろう」

「無頭の鷹」より

「長い間、山や海辺の孤独に浸っていることもできるが、元来ぼくは都会の人間だ。
 終夜営業のレストラン、夜の闇の中で聞こえるサイレン、不気味だが生きている町。
 その意味では、NYは世界中で唯一の町らしい町だ」

今回このカポーティ選集を編むにあたって、作家の希有の資質がもっともよく現れている作品を選ぶことを唯一、最大の目標とした。
壊れやすいカットグラスのような硬質の文章を、母音が多い暖かみとふくらみを感じさせる日本語に訳すのは、
かなりな困難を伴うが、「無頭の鷹」が書かれた1946年から50年目にあたり、デビュー当時から敬意と愛着を抱いてきた訳者の
これはカポーティへのささやかなオマージュでもある。




また読み終えてしまったよ、カポーティさん。あと2冊ほどしか楽しみがない。
もっと、翻訳できる作品は残っていないのだろうか?


コメント

シンガポール(1996.11.28-12.1)

2015-12-31 14:15:18 | 町歩き
※notes and movies(1996.10~ part1)からの転記。

「おでかけスポットリスト」カテゴリーの「小さな旅」に追加しました。



当時のレート:1シンガポールドル=約85円


【11.28】

最初は台湾の予定で12月7日~だったのが、私の仕事の都合で急遽こちらに決定。

シンガポールは今、気温26~30度、雨量300ミリ?以上という高温多湿の時期。
日本はすっかり冬だし、服装に何日も悩んだ挙句、シャツの上にセーターを着て、ジーンズにした。

6時起床、7時出発、8:30上野正面口に集合京成スカイライナーで小1時間。

第1ターミナル、シンガポール航空は12時発だから、2時間前に集合で、
最初はルックの窓口で引換券を渡して、搭乗券やらをもらって、飛行場使用料2000円払って、ロビーに入る。
唯一、今回、私のデカい失敗は、ここでこの券を落として、また2000円で払い直して入ったこと

30分くらい前から荷物検査をして、番号、クラスごとに乗って、うちらは列の一番後ろ。
窓際で外の景色が見れて、また雲が下に見える席

シンガポールは、雨雲に突入して視界ゼロのフシギな世界だった。
晴れたら夕陽とたくさんの船がとっても美しかった。
(このシンガポール航空がこれまで乗った中で一番快適だったな。スタッフの制服もステキ



外に出ると、とにかく蒸し暑い
湿気が多くて、空港は新しくて、広くて、キレイで、静か!

入国審査でパスポートを見せる。
今回の現地ガイドはジミーさんだったけど、送迎は別で女性。

ホテルは五つ星の「マンダリン」。シンガポールの繁華街「オーチャード通り」にある。
夕方の軽食は「Tripple3」の外で、プール横のビュッフェタイプ。
パサパサのチーズサンドイッチはいただけない
部屋はとってもリッチ。とくにバスルームはカッコよくて満足v



【11.29】




[市内観光]
モーニングコールが鳴らずに6:30起床。7:30朝食は「松葉亭」で和食はなかなかgood

8:30出発。
回った順序の記憶が怪しいけど、まず、シンガポールの国花である蘭園
熱帯植物が育ち放題で、南国!て感じがイイ。煙るほどの湿気



 




ここでは写真にフィルム1本分(24枚)も撮ったから説明不用。
カメラおねえさんにもバシバシ撮られた。

展望のいい丘では、マレーシアやインドネシア方面が見えた。


[シンガポール最古の寺]
中国の木材を運んで、釘を使わず建てたもの。
船をくわえて国を助け、父や兄を亡くしたという女神が祀られていて、線香の香りがすごい。









[スリ・タンダユタパニ寺院]


新しく出来たばかりで写真撮影に2ドルもとられた。
中華街に似たインド系だからヒンズー教?








8回変身する神さまは、今は7回目の段階。毒を飲んで青い顔をしている。
最後は世界滅亡「ハルマゲドン」思考なのが怖い










ここの中は裸足が厳則。観光客は奥までは入れない。
額に赤い点をつけた女性(既婚者?)らがたくさん参拝に来ていた。



[エリザベスウォーク]







英国支配下の時代か。エリザベス2世が通ったのを記念したとか。
ここで「マーライオン」にやっと会えたら、8mサイズ、しかも後ろ姿。
屋形船みたいな船タクシーが風情を感じた。

父は、そこのお土産屋さんで重いマーライオンの像を3体も買った(ほんとベタだな、いつも
そこが待ち合わせ場所だったらしく、私たちはちょっと間違えちゃった。


【マーライオンの由来】
シンガポールに獅子がいた記録はなく、漁業中心の町らしく、下半身は魚、上半身は開拓者が獅子と間違えて、
マレー語の「シンガプーラ」(獅子の町)が英語訛りでシンガポールになった。
「元住民は虫だけだ」っていうのはジミーさんのジョーク。


[インド街]を通ったりして、ランチは[ウエスタン・スタンフォードホテル]70階?
4分間もエレベータに乗って、1階分降りて、展望レストランだけど、真ん中のテーブルに案内されて景色が見えない
(今じゃ絶対ムリなシチュエーションだ・・・/滝汗

「コンパスローズ」にてバイキング。
隣りは、オーストラリアのパースの甥を訪ねてシンガポールに寄った神戸のおばさんと、
8ミリフィルム撮りまくりの無口な旦那さんで、
イタリア(父母だけで行った)や香港、それぞれの旅行話に花が咲いた。語学も達者。

シンガポールは多民族国家。淡路島と同じサイズ。ほとんどが中国の移民。ほかはインド系、マレー人。
小さい頃から英語、広東語、福建語もろもろを習得するスゴイ人たち。料理もgood
丸いカマボコみたいなのや、春巻き、ワインゼリーとか。



午後は興味のない「ジュエリー工場」とショップ、革製品店、免税店(タバコ、酒、香水、化粧品、アクセサリー、服)など。

帰って15:30頃、コーヒーを飲みながら少し休んで、18時に夕食に出かけた。

「グランドシティ」で広東料理はうちらだけ。
落ち着いた雰囲気で、7つのコース内容はブラックペッパーの鯛(ちょっと生臭い)、焼き飯、ボイルエビ、
デザートはきなこ餅みたいな中にゴマの甘いタレが入っててgood!
フカヒレ、ペキンダック、チキンも出た。今回はお腹の調子も快調だったし

帰りは雨がパラパラ降ってたのがやんで、Xmasの飾りやライトアップでキレイなオーチャード通りを歩いて、
高島屋では、ポーチ(サラサっていうスチュワーデスさんの着ていた民族衣装で出来た)をお土産に買った。

母と私でホテル内の店も探索。2階はグルっと店が取り囲んでいて、親しみのある女性店員の民芸品店で、
マーライオンの栓抜き(私もベタじゃんw)、自分には象の置物を15ドルで買った。


(ああ、アレそうなのか、今もテレビの下に飾ってる。ウチには象がたくさんいるんだよねw

母は、サラサを買おうか迷って、結局やめた。
この日の朝、なぜか間違えて荷物を預けて失敗した。
連れが多いと助かることも多いけど、余計な失敗も増えちゃう。
夜は夢の笑い話とかして、兄と3人で23時まで喋ってた。



【11.30】

6:30起床、7:30また「竹葉亭」で朝食。

「セントーサ島」(オプション)


8:30発。ほかのオプションは、コースがダブっていたり、2日前の申し込みでダメだった。
ロープウェーからの眺めはサイコー!






島全部がプレジャーアイランドって感じ。戦時中は死体の捨て場所だったそう
そこらじゅうに竜がいる(神話? 聞かなかった


「Images of Singapore」



戦争、植民地支配時代の歴史や文化の資料館。
細かい動きと、ライト効果がスゴイ蝋人形で再現。雑踏の音や音楽、説明が流れて30分足らずじゃ
とても見きれなくてちょっと待ち合わせ時間に遅刻した。
兄に説教ばかりされてウンザリしちゃう!

【資料館内容抜粋メモ】
中国移民、英国支配(ラツフルさん)は平和な時代だった。

日本の植民地政策で(天然資源を求めてと説明していた)韓国やら周辺を次々と征服。
ヨーロッパでは戦争が起こり、第二次大戦へ突入。
日本がシンガポールを陥落した時点で原爆が落とされて無条件降伏。
降伏文書にサインした当時のフィルムが残っている。
シンガポールは独立を祝った。
(この後も、島に観光で行くと、必ず日本の植民地支配時代の資料館や戦跡があって考えさせられたっけ

こんな恐ろしいことをした(それも、そんなに昔の話ではない)民族の末裔なのが恥ずかしいやら、信じられないやら。
それで終わりかと思いきや、インド式の結婚式、子どもの遊び、影絵、舞踏、祭りなどの文化の紹介も興味深いのに
小走りしなきゃならなかった






次の「世界昆虫館+バタフライパーク」なんて要らない(虫は大の苦手!



ブキミなムカデやサソリ、イモムシ、ピンで刺されて乾燥したどぎつい色の虫なんか気色悪い~~~!

しかもどしゃ降りの雨!!
現地人や白人は全然気にしていなかった。

可愛いチンチンバスに乗って、楽しみだった「UNDER WATER WORLD」へ。



アジア最古&最大の水族館といっても、そんなに広くない、いくつかの水槽と、アーチ型の海底トンネルを
動く歩道に乗って通る。2回も乗った。
エイが幻想的。ウミガメの泳ぐところも見たかったなあ!
2階はお土産屋だけど、また兄に叱られて見ているヒマがなかった




その後、モノレールで島を一周。まるでディズニーの世界。
1~7の駅ごとにテーマパークっぽい遊ぶ施設があるのね。

私たちは雨のしぶきを浴びながら終点まで着いて、途中のジャングルは迫力あったけど、
海岸、砂浜、ゴルフ場、竜の足跡とかは人工的。よくこれだけのものを作ったね。

ランチは、西洋料理のコースメニュー
なんだっけ? またサケのムニエル! マッシュポテトが可愛くて美味しい。
サラダは薄切りキャベツの山盛り。コンソメスープとコーヒー付き

大体、最初の酒類、ジュースを別にオーダーを聞いてきて(ビールは10ドルくらい)、水とかはない。
水道水はマレーシアから買って飲めるらしいけど、観光客には出さないっていうルールがあるらしい。
デザートはチョコレートムースv

シンガポールはなにも資源がなく輸入に頼っている(あれ?さっきの説明とすれ違うような・・・?


こちらはセントーサ島にあるマーライオンで36m! 夜はライトアップされてキレイらしい。やっぱりこのくらい大きくなくちゃね

帰りはボートで10分ほどで本島に戻っちゃった。

いったんホテルに戻って休んで、まだ15時。
チェックアウトの18時まで、父母と私はオーチャード通りを1~2時間ぶらついて
デパートのXmasプレゼントコーナーで、友だちに旅行用ケアセットみたいのを買って(長く使ってくれてて嬉しい/礼
高島屋でマーライオンチョコレートを8ドルで買ったら、母が17ドルで1箱買って、もう1箱オマケでついてきて損した




チェックアウト後、集合の20:30までレストランで時間を稼ごうとして迷った、迷った!

展望レストラン「Top of the M」がイイんじゃないかなんて言わなきゃよかった。
エレベータは間違えて、部屋のあった新館とレストランのある本館を行ったり来たりするし、
着いたらメニューの英語を父が大声で読み上げて、高値のは避けようと努力した挙句、
これなら「Tripple3」のヴァイキングでイイという結論に達して、これが正解。

43ドルでいろんな料理と生バンドの演奏付き!
オーソレミーヨ、SUKIYAKI(上を向いて歩こう)、真珠の首飾り、
カンツォーネから、カントリー、歌謡曲まで、イイ声の3人のストリングスが息が合ってて、
とっても良かったのに、周りは無視してて、私たちのところだけ大ウケ。
メンバーが「ありがと」とニコニコ挨拶してた。

料理もデッカイボイルエビ、チキン、リンゴソースがgood
果物も丸ごと食べられるブドウや、母の好きなスイカ、イチゴ、洋梨、
父が食べたかったソフトクリーム!

イチゴとバニラ味があって、私たちはバニラにいっぱいトッピングしてとっても美味しかった!
トッピングは、ラムレーズン、スライスアーモンド、チョコレートソース。

カニサラダ、生もののシーフードが多い。肉もあったけど。

ちょうどいい時間に出て、ガイドさんに会って、30分でチャンギ空港着。
出国審査でパスポートを見せて、ガイドさんと別れて、22:15にシンガポールを離れた。


行きは7時間弱、帰りは気流の関係か5時間40分くらいで日本には6:30着の予定。
それまでなるべく休もうとしたけど、やっぱり眠れない。
ウーピー・ゴールドバーグのスポコンものの映画をやってたけど、私はずっと音楽やらを聴いてた

エルトン・ジョン、クラプトン♪Let It Grow、ホール&オーツの♪Rich Girl、S.ビショップも流れた。
P.サイモンの大好きな♪Still Crazy After All These Years などなど(この曲は今でも大好き!

ジャズとお笑い番組が一緒で、なんとジョン・クリーズも入ってた
ほんの10分くらいのコントで、タイトルは“The Doctor”と、ビデオにもなってる“あぶねえホテル”。
英語が分からなくても、喋り方が独特だから笑える。

P.セラーズもあったけど、行きの時のプログラムで聞けなかったのが残念。

雑誌も、ビートルズや、キアヌ・リーブスらの特集もの。あまり読めなかった。


今回使った英語といえば、“Thank You.”“How much is this?”“Where is the bathroom?”“How many chochorates in this box?”
と初心者レベル。どーも外国人さんを目の前にすると喋れない。
まあ、シンガポールの人たちも発音は悪いけど。

長いフライトだったけど、1日働いている時間と同じで、最近座り仕事が多くて、お尻を鍛えられているせいか?、あんまり気にならなかった。
最後の機内食は早すぎる朝食で5時!
オムレツにしたけど、果物と白ソーセージ、それぞれひと口ずつしか入らなかった
(毎日、大量の食べ物が捨てられてるんだろうね・・・


向こうでもいろいろ書かされたけど、健康状態のも機内で書かされる
成田では、まず検疫所でその紙を渡して、次に入国審査でパスポートを見せて、簡単な荷物検査。
500ドル以上の買い物で3%税金分返ってくる申請?とか聞かれて、もう手荷物だけだけだから、
京成線方面に行って、各停に乗って、けっこう長かった。

日本は晴れてもマイナス2度。長野は初雪! 異常に寒い
上野で分散。家に着いたのは9時過ぎくらいかな?
掃除、洗濯、おかずを買って、写真も現像できた。あんまり写りのイイ写真が少なかった。3本分も撮ったのに・・・と反省。

明日から1週間働かなきゃ。
日本に着いてホッとするけど、本当に空を飛んで他の国へ行ったのかしら?といつもフシギになる。


追。


14時から伊達公子の引退特別企画の特番をやって、ビデオの調子がおかしいから録画出来なかったのが悔しい。感動ものだった。

1時間半のラストインタビューで、来年からATPランキング制度が改正されて、
プレイヤーにとってよりハードスケジュールを強いるものとなること、
グラフに勝ち、ウィンブルドンのセンターコートで勝ち、夢がひと通り叶ったことなどのもろもろの理由で引退を決めたこと。
(これまでも今年限りと思ってやっていたのかあ)

井上さんが憧れ(彼女も25歳で引退した)で、精神的プレッシャーも強かったけど、
「その緊張感が好き!」と言えちゃうところが関西系の強さ。

芯の太さが世界に対抗できた理由かな。
ラストの今年、11月のATPツアーでもセレス!?を敗ったの!?
やっぱり見ればよかった。優勝!?

「これから人として生きたい」

松岡修造や、親友の杉山愛のコメントも泣かせる。
「これが最後だから」と聞かされ、ロッカーで泣いた杉山の話とか。

本人はいたってクールな表情が、自信と人間の大きさをうかがわせる。
坂井さんも「スッキリした」なんて言ってるし
しかし、女子テニス界も寂しくなるなあ・・・

(そんな伊達さんが今も現役バリバリなんだから、分かんないよねえ!
 これは、テニスのカテゴリーに入れるべきだったけど

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イオンレイクタウン@越谷(2015.12.30)

2015-12-30 23:55:55 | 町歩き
イオンレイクタウン@越谷

★写真は、噂で耳にした本屋のTSUTAYA

気に入ったモノは1つだけボロボロに使うクセがあるから、
ジムも美術館、図書館なども休みに入るこの時期に、
いろいろとまとめ買いしようと重い腰をあげて久々行ってきた。

年末年始はちょうどバーゲンで、どの店も50%OFFなどの赤い文字が並ぶ中、
気力・体力の限界が早いから、ずっとメモに書いておいた必要なモノから探したら、
最初の店でジムで履くスウェットパンツを発見v
同じ店で、今使ってるのと似たリュックも見つけて、2大買い物が安く済んでラッキーv

ほかは、見つかったら買うくらいの気持ちで歩き回ったけど、ほんっと広い
帰って「デイリーステップ」で確認してみたら、7,704歩!
でも、消費カロリーはゼロ
買い物で歩くのはウォーキングと違って、有酸素運動でもなんでもなくて、とにかく疲れるだけなんだよね

途中、イートインのあるパン屋さんでキッシュとかぼちゃスープを注文して休んだほかは、
ほぼ歩き通して、気づけばもう夕方。

行きの電車は、1駅が長くて、揺れが激しく、トンネルもあるため、不安になったけど、
帰りは疲れて、録音したバンバンラジオを行き来で2週分楽しく聞きながらへとへとで家に着いた。

(年末恒例?の番組見直しでは、エロコーナーはそのままに、西川さんコーナーが消え去った
 福島さんは、毎回、スタジオでかける曲を決めてるのか/驚 ライヴでもそうだよね。だから同じ曲も多い
 まあ、リクエストを聞くと、定番が聴きたい人が多いっていうのも事実なんだけど。
 私は飽きっぽいのと、これまでのアルバムにたくさん素晴らしい曲があるのをもっと生で聴きたいのと、
 福島さん&黒川さんの脳内ライブラリーにはさらに多くの曲が入ってるから、そのカバーとかなんでも歌って欲しい



今のジムに通う決まっている期間は、5月まで。その後、継続するかどうか迷っている。
反対方角の同じくらいの所に区立の体育館があって、そっちも見学してみようかと検討中。
その前にHPを見ながら、電話で詳細を聞いてみた

見学はいつでも無料。
月額のセット料金もあるが、1回ごとでも良い(これが魅力。土日も同じ安い料金だし
当日券は、いったん外に出てしまうと、もう一度払わなければならないので注意。
スタジオは第1、第2があり、ヨガなどのプログラムがいろいろある。
プールがある。プログラムもある。
スタッフが常勤していて、マシンの使い方も教えてくれる。

見た感じ、今のジムと似てるように感じるけど、この体育館から今のジムに移ってきた人も多い
理由は、ジムよりは狭い、マシンやプログラムがジムより少ないなど。

とにかく一度見学に行ってみよう。自分で見てみないと分からないし。
その時、プログラムの用紙をもらえるそう(HPからプリントアウトもできるけど

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大河ドラマ『花燃ゆ』 最終回「いざ、鹿鳴館へ」

2015-12-30 19:10:15 | ドラマ
大河ドラマ『花燃ゆ』
脚本:大島里美、宮村優子
出演:井上真央、大沢たかお、三田佳子、江守徹、鈴木杏、田中麗奈、原田泰造、檀ふみ ほか


最終回「いざ、鹿鳴館へ」あらすじ(ネタバレあり

毛利元徳は、楫取と美和を鹿鳴館に招待。かつての塾仲間、伊藤博文らと再会する。


安子は取り巻きと話して退屈していたところに美和が来て、喜んで紹介する。
 
最終回でふせえりさんが!

「皆様方と群馬の女たちは思わぬところでつながっとるんです。
 今お召しのドレスは群馬の女たちが紡いだ生糸でできとるかもしれん」

群馬の生糸がフランスやイギリスに輸出されていることを信じずに笑う華族の婦人ら。
そこに津田梅子が現れ、流暢な英語で近くの外国人に聞くと、「その通りだ」と言う。



「母親の教育にも力を入れていて、英語も取り入れるつもりだ」と話すと、
「なぜ下々の母親まで学ばないといけないのです?」とまったく理解されない。

梅子「女性の教育こそ、日本のこれからの大きな課題です」

美和「その学びこそ、生きる力となるのです。誰でも生まれて初めての教育は母から受けるのですから。
   この国の未来がかかっとるんです!」

(いまだに母親の教育は十分じゃないな。日本も海外も。

楫取は、前橋までの鉄道建設費用に寄付してくれと頼むが、出し惜しむ夫を説得する妻たち。
「またやったな」(女性のほうが先見の眼があって、考えが柔軟なんだ



安子が前日教えたダンスを、楫取と踊る美和。
張り切りすぎたため、翌日は、風邪で寝込んでしまう。


そこに、群馬の就学率が全国1位になったというニュースが入る。
鉄道の敷設も決定し、皆が沸く中、楫取だけは考えがあった。




「一等工女」となって地元に戻るという塾生の3人。
鉄道は、上野→熊谷→前橋への工事が始まり、「迎賓館」の完成も間近に迫る。





楫取は、美和に
「県令を辞めようと思う。群馬での仕事は終わった。あとはこの土地の人間でやっていくのがいい。
 お前の考えが聞きたい。考えてみてくれ」

美和は、せいに相談する。
「本当は迷うとるんです。この場は姉との約束でもある。皆さんにも申し訳ない」

せいは、別れを惜しむ心をグッと抑えて、

「みんな自分で考えて、行動できるようになったんだよ。
 県令さまは、美和さんに託された。責任重大だ。
 あんたは、どこに行ったって、あんただよ!」





美和は楫取に学びの場に植えた花の種を見せて

学びの花の種。どうか1粒のモミとして、次の春の種となれますよう。
 次はどげな場所に植えるんか、楽しみです。
 旦那様と一緒にこの種を新しい場所に植えたいと思います。世話ぁない」

「これまでの1つの命もムダにせぬよう、仲間の命が私を生かしてくれた。
 じゃから、これからも信じて託し、想いをつなげていかねばならん」

楫取は、明治政府に辞表を出す。



塾の学生も、役所の人々も騒ぎ出すが、阿久沢とせいの説得のお陰で、2人は萩に帰ることを決断する。
「臨江閣」(迎賓館)に招かれ、行ってみると、皆が送別会を用意してくれていた。

船津は、東京で新しい農業について教える予定。
船津は美和に「あんたがつなげてくれたんだ」と礼を言う。

阿久沢が涙ながらに謝辞を述べて、最後に楫取にひと言欲しいと頼む。
楫取は、美和にも前へ出てきてもらう。

「私たちは、この群馬で教わりました。みなさんの未来を想う力が、この国を新しく作っていくのだと」

 
工女たちは、シルクの布に、教えてもらった字で寄せ書きを書いて、美和に渡す



 
(汽車に乗るところとか、やっぱり朝ドラと連動してる

せい「馬車でやってきて、汽車で帰るんだね。2人で次の新しい人生に行ぐんだねえ」

 





汽車の中で、楫取は美和に箱を渡す。そこには「涙袖帖(るいしゅうちょう)」と書かれた巻物が3本。
それは、久坂からの手紙を綺麗に装丁したものだった。

楫取「大事にすればええ」

 

 
母・滝は、また2人のためにお風呂を沸かす

 





2人は山口県防府市に居を構え、幼稚園の創設を支援した。
 

 


後に楫取は、明治天皇の第十皇女・貞宮の教育係に任じられ、夫婦で務めたが、
貞宮は幼くして亡くなり、遺品は防府天満宮に収められた。

 

 

 
貞宮御殿での楫取と美和子/楫取と美和の墓は、防府にある


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富岡製糸場 世界遺産へ~世界を魅了した少女たちのシルク~@歴史秘話ヒストリア

2015-12-30 18:38:22 | テレビ・動画配信
富岡製糸場 世界遺産へ~世界を魅了した少女たちのシルク~@歴史秘話ヒストリア

明治5年、総費用600億円(今のお金に換算すると)をかけて完成した。
 

 

 
「日本のシルクは世界最高。贅沢なことですけど、まず軽い、しなやかさがある、何を作っても優雅さがある」


●工場見学

[東繭倉庫]
 
全長100m、煉瓦10万個を使った東繭倉庫

[集められたのは瓦職人]
当時はレンガ職人が少なく、試行錯誤して石を混ぜることで丈夫なレンガをつくった。


 
職人はそれぞれの屋号を入れた


[東繭倉庫2階]
村の森から木材を伐ろうとしたら、森の神様の天狗が怒ると反対した村人に「国の発展のため」と説得して木材を調達した。

 




[繰糸場]

300人の工女がここで働いた


[ブリュナ館]
フランス人技師を高待遇で呼んで指導させた。



[人気スポット~実演]



生糸ができるまで
繭をお湯でほぐして、5本束ねて1本の糸にする。
 

ポイントは、糸がなくなる瞬間に別の繭をつぎ足す絶妙なタイミング。
 




創業当時、工女を希望する少女は1人も集まらなかった
西洋人の飲むワインが「生き血」だと勘違いしたため。
 

初代場長・尾高惇忠は、知人を1軒1軒訪ねて頼んで回ったがダメだったため、
娘の尾高ゆう(14歳)に頼むと、快諾し、第一号の工女となる。
ゆうが始めたことで、噂は消え、各地から大勢の少女が面接に来るようになった。

当時188人の少女が集まった



一等工女は、錦絵に描かれるほど憧れの存在
 
たすきと高草履がステイタスのシンボル


長野から来た横田英が日記に克明に記録した工女の日常
明治6年、15歳で富岡製糸場に来た英。
 

[女性が働く環境は先進的だった]
 

・労働時間は8時間未満
・毎週日曜日は休み。夏と冬には10日間の休みがあった。
1日4束の糸がとれるようになれば一等工女になれる。

※これは、後に書かれた『女工哀史』とはまったく異なる環境だった。


[工女たちの日曜日の過ごし方]
少女たちの興味は、やはりファッション。月払いで着物を買って、オシャレして出かけるのが楽しみだった。


進んだ働き方、最新の機械に驚き、英も一等工女目指すが、最初は見習いから。


しかし、山口から来た少女たちは、最初から糸とりを許された。元は長州藩。新政府内で大きな力を持っていたため。


英は「えこひいきだ」と上司に詰め寄り、女性が発言することが珍しかった時代、上司は驚いたという。
その5日後、英も糸とりを許されるが、その難しさは想像以上で、夜中も特訓した末、
8ヶ月目でやと1日4束の糸がとれるようになり、憧れの一等工女に昇格する。

 


●輸出は右肩上がり
一等工女になった少女たちは、地元に戻り、日本各地に造られた製糸場で技術指導にあたった。

クリーブランドにある博物館には、当時の日本の生糸で作られたドレスが残されている。
 

 

明治42年、日本は世界一のシルク輸出国となる。


●ストッキングの大流行
 

背景には、アメリカで女性の社会進出が進み、短いスカートにストッキングを履くのが流行った。
日本製は、安くて丈夫、薄い生地で、脚を美しく見せると大評判。


今見ると80デニールぐらいに厚そうだけど


●氷川丸の「シルクルーム」
 
昭和はじめには、シルク運搬専用の部屋が3つもあった

ほかの部屋の壁は鉄板だったが、シルクの部屋は板張り。
 
「湿気を防いだり、熱をこの木で抑えている」


太平洋戦争勃発、戦時中の工女たち
明治の末、経営が民間に移った後も生産は増加。
昭和16年、アメリカは日本への石油の輸出を止めて経済を封鎖した。
機械には石油が必要なため、燃料不足で機械が止まる日が増え、代わりに薪拾いをさせられたりした。
太平洋戦争が勃発、最大の輸出国であるアメリカ向けの生産は“敵国”であるため完全に止まる。


パラシュートをつくる
女工が集められ「今日から落下傘に使う絹糸を作ってもらう」と言われて困惑する(美しかったろうね・・・
 

当時のパラシュートが残されている。直径11m。「絹は武器」と言われた。
 
強度を増すため、通常の3倍の太さの糸を使用


[戦時中、富岡製糸場で働いていたミツノさん]
 
「私たちは、国のために軍隊には行けないから」

工場内で軍事訓練が行われるようになった。



[戦時中、製糸場の近所に住んでいた誠さん]


「ここには着剣と銃が置いてあった。背嚢(はいのう。軍人のリュックサック)もしまってあった。
 でも、ここにあることは隠密。子どもたちも喋ることはなかった」


昭和19年の末、戦火は富岡にも

ミツノさん:
「なんでアメリカから日本にB29が来て、爆弾を落とすんだろう。日本が勝っているのにおかしいな、勝つと思っていたから」

 

 


ワイン倉庫なら爆弾が落ちても大丈夫だといって、後輩の女工を連れて隠れた

ミツノさん:
B29の音は本当に覚えています。“ウウウォオオオオーーーー!!”てトラックが来るような音。
 爆弾落としたらダメになっちゃうって話は聞いてるけど、怖いけど、怖がったってどうにもならない」



終戦。製糸場は無傷のまま残った。


●その後、パラシュートは民間人に配給された
 
終戦の年、13歳の黒柳さんは、絹のパラシュートを配給品として受け取った

「そのころは木綿も下着もろくなのが無くて、とてもいいブラウスを母が作ってくれて、本当に嬉しかったし、誇らしかった。
 東京に帰ってきても、パフスリーブのブラウスはまだ長いこと着てました」
 



●時代とともに絹産業は衰退し、昭和62年、115年の歴史に幕を閉じた

 

その後、“売らない”“貸さない”“壊さない”をモットーに、
製糸場を20年間保存したのは、所有する民間企業だった。
年間1億円をかけて維持しつづけ、その後富岡市に引き継がれた。


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香港(1995.11.2~5)

2015-12-29 14:20:42 | 町歩き
※notes and movies(1995.9~ part1)からの転記。

「おでかけスポットリスト」カテゴリーをまとめている時、
「小さな旅」内の【海外旅行】のメモをせっかくだから全部載せたいと思った。

最初に海外旅行に行ったのは、家族と香港。

当時のレート
1ドル=100円
1HK=14円


【11月2日】

朝8:30普段通りに起きて、10:30出発。上野まで20分で着く。
11:10~30分まで待ってみんな合流。
お昼は、正面出口近くで和風スパ(悲劇の要因その1)を食べた。

成田まで京成スカイライナー特急券で1時間、上野→日暮里→成田。
JTBのキャセイパシフィックCX505便は第1ターミナル。第2(新)はJALほか。

搭乗2時間前から受付。

免税品は受付済んだ後、香水を買った。
出国許可証、パスポートを見せて、飛行場利用料2000円買って、半券渡して、荷物検査した。
兄と父がベルトのバックル、電池でアラーム鳴ってた

17:40離陸(南ウング)3時間の空の旅

機内食(悲劇の要因その2)は、ステーキ(orサケ)、ムース、そば、サラダ、ジュース。
降りる頃にすっごい腹痛に襲われて、5回ほど死ぬかと思った
(初めての海外旅行で緊張してたんだと思う。すぐ胃腸に来るからなあ

飛行場で地元の人の入国許可審査を受けて(?)到着。
出口で現地ガイドの李(リー)さんと待ち合わせ。

トイレに入って、チップ2HKをトイレおばさんに渡すのを忘れた
バスでホテル・パーク・レーンへ。
夜まで話していたら23:30頃就寝。

※枕チップは5HK。



【11月3日】

6:30、モーニングコールのテープ挨拶(電話)に受け答えてしまった

朝食バイキングで美味しそうなパン、ヨーグルト、果物、卵、、、とかはやめておいて、おかゆにトースト、紅茶にした
(この時のおかゆの美味しかったこと その後の美味しい広東料理などほとんど食べれなかったから

8:00 香港島へ。空港は九龍側。

「ピークトラム」「ビクトリアピーク」(※参照)
黄色い魚は魚好きの印。その上の子どもは、子を大切な農業の労働力と考えて、増やす農民。
観世音と男の海の神、福を呼ぶ仏像、ジャッキー・チェン、テレサ・テンらの高級住宅がある高台
団体写真を撮って1枚1000円×3枚(←父はこういうベタなの好きなんだよね

香港は、昔、お香を造る工場が多かったため、船で来る人が“香る港”と名付けた。
もうちょっといい説明があったけど忘れた。

ビクトリアピーク
途中までバス。高台の展望台から表側の香港が見える。高台の高級住宅は、昔、英国人の屋敷。
今は、中国人リーさんも、奥さんの誕生日プレゼントにマンションを買った。裏側の香港が見えるんだって。

そこから「ピークトラム(登山電車)」で、逆向きに下って行った。
途中、時々止まると、背中が引っ張られるみたいでヘンだった。
この傾斜は世界一だとか? ビルが斜めに見える。


※写真はイメージ

そいや、15分ごとに光で時間をしらせるランドマーク・プラザ?が世界4番目の27階建て?
(なにもかも怪しいメモだな/謝

どこに行っても、現地の人が売っていたのは、GIジョーみたいな、兵隊が機関銃をタタタタって撃ちながら膝をすりながら進む人形。


「市内ショッピング」
民芸品、宝石工場(なぜか小錦、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ジャッキー・チェンの写真がある)。

ランチは「飲茶」で、ニラのミニおやき、エビシューマイ、春巻き、ビーフン、焼きうどんもどきetc...と、ウーロン茶、鉄観音茶、減肥茶。


※写真はイメージ

リーさんのバイト料がかかっているJTB免税品リストを渡される。買った商品は、ホテルまで配送してくれる。
お寺見学をパスして免税品店へ。
1時間ほど、チョコレートやら、母は亀?のついた木彫りの箸と箸立てを買った。

ディナーは、バクさん(リーさんより若くて大人しいガイドさん)と、海底トンネル向こうのレストランで広東料理
ボイルしたエビ、フカヒレスープ、カニフライ、うどんもどき、フルーツほか。


「慕情の丘」
まずJAMBOのネオン、時計台(時間によって光が変わる)を観た。

父の「本当にそうゆう名なの?」といういきなり質問攻めに頭が真っ白になっちゃったガイドさん。
兄も「映画にあった木、2本はどの辺にあったの?」でも真っ白。
40年も前の映画だもの景色も変わってるよ。

日本で再放送したので観たって、いろいろ知ってるところみると、
ガイドさんは、日本のことを調べて、来日したこともあるみたい。

ホテルに戻り、お風呂に入って、すっかり温まって、もう22:00かしら?



【11月4日】

6:30起床。
昨晩バスタブに浸かったおかげでぐっすり眠れたけど、朝はつらい。
窓から公園を見ると、太極拳をしている。

朝食は同じ。レーズン入りホットケーキ、トマト、シーチキンのもgood。


「マカオ」
8:00集合。
入出国が大変 ものすごい列。香港出国許可証を見せて、荷物チェック。
高速船は1時間で噴射船。♪涙のキッス を熱唱する地元歌手のカラオケビデオが流れる。

入国も難所。緑ランプがvisiter、黄色が香港人。

「聖ポール天主堂跡」

急に陽が強くなった


「媽祖閣」



ほかはパス。

また宝石店に寄る(セットになっちゃってるんだよね、どこに行っても。全然興味ないのに・・・
緑(翡翠)は魔よけ、黄(金)は祝福、赤はお祝いを表すとか。
母はピアスを買った(←オシャレ大好き

ホテル26階の回転展望レストランでステーキ+プリン+紅茶(出る前にせかされて)、これまた興味のない「カジノ」へ。
30分間でスロット、サイコロ、ルーレットをやった。
※展望台にはトイレなくて不便。

また免税品店
知人にジッポのライター、友だちと自分にはリュック型のキーホルダーを買った。




18:00、「オープンバス(2階建て)」に乗って、1時間もネオン街を見学。夜景は最高だった。

オプショナルの夕食は、クルージングでバイキング
中国人カップルの結婚式、獅子舞見物をした。
(メモりながら寝落ち、翌日書き足してたw


土曜は覚えなく寝ちゃったよ。
夕食は「ディナークルーズ」
女性のガイドさんで、「オープンバス」の夜景見物に振り回された(?)後、21時頃にやっと船に乗って、2階へ。

2人の夫婦と丸テーブルで一緒になる。
バイキングは、エビ、各種パン、スイカほかの果物、ケーキ5種類くらい、肉類、ポタージュetc...

女性カメラマンが写真を撮って、キーホルダーにして売りに来たらしいけど、
食後は3階の展望で夜景を観ていた。すっごくキレイ
隅田川の屋形船なんてもんじゃない。

グルっとひと周りして、バスに乗り、ホテルに着いたのは23時頃。
みんな疲れて、死んだように寝ちゃった。



【11月5日】

6:30、モーニングコールでムリヤリ起きて、朝食。
テーブルを間違えて、この日もメニューは同じ。
味噌汁(!)、白ウィンナー(母はコレにハマった)、パンケーキ、マフィンほか。

※ルーム内の冷蔵庫のコーラは500円。近くのセブンイレブンだと50円!

8:00集合。帰りのバスはうちらだけ。
リーさんが2年後、イギリスから中国に返還される前に、3週間のオーストラリアビザで妻と娘とメルボルンに移民して
生活は厳しいだろうけど頑張るって言っていたのが印象的。

サービス業は、大体1ヵ月4~5万の給料。アパートも同じくらいの家賃で1部屋4畳半くらいに5~6人住んでいる。
夫婦共働きが普通。

観光バス等、特別免許を持っている人は高月給でモテる
男尊女卑ならぬ、「女尊男卑」で、金持ちの仕事人が人気。
でも、男は30歳以降、女も28歳くらい、結婚年齢が遅くなっているのは日本と似ている。

男3:女2の割合で女が強い。
映画館で待つのは男。30分遅刻は当たり前とかゆって笑わせてた

貧しくてもチャンスがあふれていると信じている街。
賭博、競馬で一攫千金を狙っている
このツアーで、90歳の老女がスロットマシンで9000万あてたそう。

「マカオの銀行に預けてきますか?」とマフィアのドン風キョウさん(ガイドさん)のギャグは、
「明日になってもキョウですので末長くよろしく

土曜も普通に働くけど、昼休み2時間のうち1時間は昼寝をする!

(香港も、台湾も、シンガポールも、お金、ギャンブルの話をするガイドさん多かったなあ! どうやら国民性ぽい


搭乗券の引き換えが済んで、出国審査(出国許可証+パスポート)、荷物検査(ここだっけ?)して、
搭乗手続きして、10:10離陸

帰りも後ろのほうの真ん中4列。行きは後ろの左側2列前後で翼と夜景、海が見えた。
オープンバスからは飛行場も見たし、ジャッキーの事務所の上をゴォーーーーーーって通っていった(本人はいないw

※香港空港使用料 1人5HK(6000円くらい?


飛行場内の免税店で、友だちにブレスレットを買い直す。バレッタかマニキュアって言ってたけど(なかったのか?
父は国名の入った民芸品(いつもこんな感じ)、母はショルダーバッグを買った(オシャレ好き)、
兄は昨日SWATCHを買ってた。彼女にはGUESS?の財布。


機内ではスカーフ2枚にブランケットで完全防寒したら大丈夫(機内ってなんであんなに冷えるんだろう???
機内食は同じ。

母はリチャード・ギアの新作映画『ファーストなんとか』に夢中。
私はイヤフォンで♪One of These Nights/Eagles や、♪Walk On THE wild side/Lou Reedなんかを聴いてた。

高速船内では、映画『クリフハンガー』を演ってて、女の人がグランドキャニオンにヘリコプターから
真っ逆さまに落ちるシーンはキョーレツ リアルな上、海の上を走ってて、すでに気分悪かったからカンベン

行きの飛行機では『バットマン・リターンズ』やってた。ジム・キャリーが出てる新作。
(今調べたら、『バットマン・フォーエヴァー』(1955)じゃないかな?


広東語の表示がいろいろ面白かったな。
ラーメン食べ放題の「大胃王」のチラシとか、公衆トイレの「公厠」とか、タクシーは「的士」、
母がピアスを買った時、入れてくれた袋には「笑納」と書いてあった。
高速船の席のポケットには「嘔吐袋」ってそのまんま・・・etc...


14:30成田着。
パスポート見せて、入国審査が済む。すごく空いてた。香港からの観光客が半分くらいいた。
スカイライナー指定席で16時発。時間までストロベリーアイス食べて座ってた(父はアイス大好き!

成田→上野着17時。
あさまが18時発で、正面口右側の2階の喫茶店でコーヒーを飲んで、17:30、16番ホームまで見送った。
私は1番、兄は2番ホームで、それぞれ電車が来た。最寄駅着18:30。


いったんアパートに荷物を置いてから、おかずを買いに行って、荷物解体は10分で済んだv
シャワー浴びて、このメモをまとめて、もう21:30。

母たちは3時間かかって、タクシーで帰るって言ってたから、そろそろ電話くるかしら?
私も夕食とらなきゃ。ちょっとお腹空いた。


リーさんたちみたく、家族の生活がかかってて一生懸命働いて、チャンスをつかんで、
頑張って生活を向上させようって賭けてる人もいるんだな。
それを思うと、親に海外旅行代を払ってもらって、適当に働いても
月14万円くらいもらえちゃう私みたいなのもいる。物価は高いけど。

中国や英国移民(彼は“逃亡者”と言っていた)のバラックや、船上生活者(彼ら同士で結婚もしている)も多い。
人口密度も高い。建物はデカいマンションが多くてビックリ。飛行場周辺は低め。

マカオには電柱はなく、電線は壁づたい。それが切れて感電、火事が多い。

「百万ドルの夜景」は、電気料が市内で1ヵ月100ドルかかるという説と、
もうひとつ(忘れてしまった)がある。


とりあえず、旅行記はこのくらい。余った1HKコインもどこかに入れておかなきゃ。
父はHKと、マカオのPETACAもいっぱいコレクションできたみたい←コイン・紙幣コレクター


広東語:
「おはよう」=ゾウサン
「ありがとう」=多謝(ドーチェ)

最初は、あんなにナーヴァスだったのに、案外簡単で近いアジアの隣国は、国内の1泊旅行くらいの気楽さだと分かった。
いっぱい勉強になったな。今度はタイだって噂もある。アジアもイイかも。




と、今、22:30、母から電話
18:30の臨時に座れて、今家に着いたって大変ね

私はこのLOOKのアンケートを書こうかと思っている。
ガイドさん、とくに李さんは親切で丁寧ないい人だったから
それを書いたら、もっと給料が上がって、移民がうまくいけばいいな。

香港、マカオとも地震がないそうで羨ましい。

お土産で今一番の人気は、やっぱり「痩せる石けん」。海藻入りで3ヶ所使うと脂肪が尿として出ちゃう。
プラス、「痩せるクリーム」で完璧!? 広告問題や、もどきも多くて、ちょっと人気は下がり気味だけどね。
減肥茶も人気。


手先が器用だから、ジュエリーデザインが人気。工場じゃ作っているところがガラス越しに見えてる。
気疲れしちゃうだろうけど、盗難防止もしてるのかな。
あとは皮製品。でもやっぱり高いよ(動物の皮は買いません


疲れがたまっているからか耳鳴りがすごい。行きより今のほうがずっと悪化してる。
自分の体がコントロールできないってほんとイヤ。ウルサイから早めに休もうかな。
書き漏らしたことがあれば、その都度書き足すつもり。

ついさっきまで香港を歩いていたなんてフシギ。
この思い出も古くなって、李さんの顔も、街の雰囲気も、エピソードや、家族の会話も忘れて、
写真と、このノートの記憶だけ、平面的なワンショットずつに変わって、他は霧の中になる日が来る。

人の記憶力ってほんと頼りないものだな。
でも、家族でこうして揃って楽しめたって思い出はキレイでいいものだよね。感謝至極。


5日前までジャック・レモンの映画を漁って観てた自分が分からない。
もっと海外にも行くべきだな。

日本はやっぱり故郷で、一番住みやすいと改めて思ったけど、航路につながれた世界をもっと体験してみたい。
その国、その国の文化、歴史、人々の生活があるんだね。
テレビや本より、ずっと感覚的に伝わってくる。


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意外と身近?“モラハラ” 夫が怖い・・・@あさイチ

2015-12-29 13:42:41 | テレビ・動画配信
意外と身近?“モラハラ” 夫が怖い・・・@あさイチ

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ドラマ10「シングルマザーズ」全8回(2012)


言い返してケンカになる対等な関係であればモラハラにはならない


●掲示板に被害の声を集めて「あさイチ」で取り上げてもらおうという呼びかけに殺到


 
「それをいい気になってやなぁ」

 


結婚前はとても優しくて、穏やかな人が多い
「結婚前はとても魅力的だった」と言う被害者が多い。


「車のドアを先回りして開けてくれるとか。とても優しい人だと思っていた」
(外面を良くして、自分を過剰に抑制している反動で、身内を弱い立場に置いて、憂さ晴らししてバランスをとっているのかも


結婚後に急に態度が変化する

「これからは“お前”て呼ぶようにするから」

ご飯にまったく手をつけず、最後に「このご飯ちゃんと混ざってないよな?」と言われ、「とにかく、すごく感覚が違うんだと思った」


[嫌味を言う]

「節約とか考えてる? これオレの金で買ったキャベツだよ?」
反論すると「口答えするんだ。お前、何様のつもりだよ」

「穏やかに話し合いながら調整していければいいと思って、様子を見たりして、
 でも、何をしてもうまくいかない。どんどん態度が酷くなっていく」

[恫喝(人をおどして恐れさせること。おどし)]

「ティッシュ箱の位置がズレてるんだよ! これから勝手にオレの部屋に入るの禁止な」
「息が出来ないところに押さえ込まれて、何も見えないような感じ」
(私も父からこういう圧力を受けてきたな


●身内や自治体の相談窓口に相談したら・・・
ガマンが足りないと言われて、“あなたは知らないかもしれないけど、
 夫婦生活はガマンが必要”と言われた」

(区役所のトイレにも“ガマンしていませんか?”てDVやらの相談をうながすシールが貼ってあるけど・・・


加害者は気づいていない


・何を言ったというより、些細なことで、相手に落ち度があるかのように責める。
・上下関係を作って、追い込む。

被害者は、最初は「あれ!?」と驚き、次に話し合おうなど試みるが、
圧力で押さえ込まれるたびに「何を言ってもムダ」と次第に諦め、
「自分がいけないんだ」と責め、誰にも打ち明けられなくなり、無感覚に陥る。

 

 
(ほとんど、ついこないだまで“男性の当然の権利”だと男女共に認めてきていたことだ

[モラハラ夫の傾向]
・上下関係にこだわる
・独特のルールを作り守らせる(従わせるのが目的
例:正座させて長々と説教する。土下座させる、反省文を書かせる、など

・自分は特別な存在と思っている
・外では別人のようにイイ人


子どもの本音
 

例:20年間苦しんだ母。息子は高卒までその様子を見続けてきた。今は離婚協議中(離婚に応じないケースも多い

母:
「当然、片親にしたくないし、夫の子どもでもあるわけだから、
 歪んでいたにしろ、子どもに愛情はあったとは思う。
 私がガマンすれば何とかなるだろうと思った」

息子:
「小学校の頃から離婚したほうがいいんじゃないかと思っていた」



「両親がケンカしているのを見ること自体イヤな感じですし、その場にいるのが居心地悪い」
(ほんとにそう。“子どものため”っていうのも、経済的な理由もあり、“自分のため”の選択でもあるんだ

「注意がこちらに向くとプレッシャーを感じた。
 うまく立ち回らないといけないというのもあって、
 必要最低限喋りつつ、いかにして関わらないかということに、
 家にいる間は、ずっと気を遣わなければならなかった」



(私も同じ状況。まったく同感。
 こういう男性は自分も同じ家庭環境で育ったんじゃないのかな? だから気づけない。
 だとすると、この心優しい息子さんも、将来家庭を持った時、同じことをする危険性のほうが気になる

母は「うつ病」を患い、やっと離婚を決意した。

「でも、お金のことを考えたら、あなたはお父さんと一緒にいたほうがいいわ」(ヤダよ

「僕のことを考えて、離婚を思いとどまってくれていたけど、
 やっと母が解放されるならそれでいいよという感じでホッとした」

「この子がどう思っているかまで頭が回らなかった。
 私の精神が傷つけられていたのと同じように、子どもも傷ついていたんだなって。そこに目がいかなかったとう後悔はあります」
(そりゃそうだよ。でも、自分の恐怖心でほかのことが考えられなくなる状況なんだな、きっと。
 女性が自立できない社会構造も深く関係しているんだ


[このような家庭環境でとる子どもの態度]
 


「いつもお父さんがお母さんに怒っているようなイメージがあります。
 (父の部屋に)近づかないような感じでした。お父さんが怖いなって思っていました」

子どもからのFAX:
「父からモラハラを受けています。母も父に洗脳されてキツくあたるようになった。
 DVより軽く見られがちだが、立派な犯罪、虐待です」(そうだよ犯罪だよ

「モラハラが原因で母は自殺しました。それでも父は自分の何が悪いのか分かっていません」

「親は“ガマンしろ”としか言わない。逃げ方を知りたい」


ADHD(広汎性発達障害 注意欠如多動性障害)と“モラハラ”の関係
親の精神的暴力を見て育った子の脳のMRI画像。視覚野はモノを見て、気持ちを察する場所
 

視覚野の容積が減少すると、コミュニケーションが上手くいかないなどの弊害が出る。

その環境から離れて、母親の精神状態が安定すれば、症状が落ち着くケースもある。

例:10年間モラハラを受けて、息子が小さい頃に離婚。今は中学生。離婚して5年後に息子がADHDと診断された。

「(診断されて)その時、なにがなんだか分からなくて、ショックで涙が止まらなかった。
 こうなった原因は、遺伝的なのか後天的なのか聞いたら、“両方あると思います”と言われて、本当にショックで立ち上がれないほどだった」

[発達障害との関係]
発達障害は、脳の生まれながらの機能が原因。育て方、しつけが原因ではないが、症状が顕著になったら、環境の影響も考えられる。


●簡単ではない離婚の決断
 
都内にあるモラハラの加害者更生をうながす活動をしている「aware(アウェア)」(“気づき”の意味だよね?

夫が離婚に応じないケースが一番多い。
※母子家庭の貧困問題、大きい子どもは「学校を変わりたくない」というケースもある。

体験談:
「子どもが生まれたばかりで、別れられず、1年間恐怖心との闘いだった」
「動悸がするようになり、ひきこもり、人に会うのも怖くなった」

 
週に1回集まって、自分たちの行動を話し合って、見つめ直す

「みんなでいい人生を送ろうと。
 そのためにはパートナーに贖罪しなければならない。
 そうしてみんなで仲間意識をもって頑張っているようです」

 

 

相手の言動で傷ついているのが分からなくなっている人が多い。
自分は悪くないと思うことで変化していく。

「常にプレッシャーを感じていました。とにかく不機嫌にさせないようにということしか頭になかったんで」


「なんか自分であんまり感じていないと思ってました」

話を聞くことで、自分の感情に気づける。

「“可愛さ余って、憎さ100倍なんだよ”て言われて、それちょっと違うよ、とか思った。
 (ここに通うようになって)夫からやられることも、深く受け止めなくて済むようになった」



相談が来た時に、できるだけ長い文章を書いてくれ、と頼むんですよ。
 それを友だちからきたメールだと思って、いっぺん読んでみてください、
 どう思いますか?と言うと、愕然とされるんですね。
 客観的に見ると、すごく酷いことをされたということが、ハッと気づく方が多い。
 “見える化”するのは、すごく大切だと思います。

 ガマンするのはもう止めて、自分に何が起きているのかしっかり把握して、
 それを外に出していくという行動に出たほうが良いと思います。
 そこでいろんなことが変わっていきますから。
 被害者で居続けないで欲しいです

(これも大きく見れば、それぞれの気づき、学びなんだな


●被害者の方々は意外に気づいていないのが重要ポイント


[気づきのポイント例]
・子どもが怪我をした時、真っ先に夫の怒った般若のような顔が浮かんだ。
・子どもの入試で着させる服を買うという楽しいイベントのはずなのに、夫が怒らないかどうかが基準になっている。

“気づく”ことが第一歩。
→ネット、本などで状況を知る手がかりを見つける。そこには先輩方の解決策がある。
 自分に合う相談相手を探すことも重要。


FAX:「離婚後も男性の大声が怖くて震え、涙が出てくる」

専門家:
「男性恐怖」は一般的な症状。カウンセリングを受ける、心療内科で薬物療法を考えるのもよい。



ナビのほうは、各地域の相談場所を教えてくれる。ホットラインは24時間対応している。

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第84回全日本フィギュアスケート選手権2015 女子フリー

2015-12-28 17:16:46 | フィギュアスケート
第84回全日本フィギュアスケート選手権2015 女子フリー

出口見えないトンネルに…SP5位の真央「気持ちが下降気味」

“「気持ちが下降気味。いいイメージが持てていない」「解決方法を見つけていないから、こういう形になっている」”

もし、今回、樋口新葉ちゃんが優勝したら

てか伊藤みどりさん、さすがにスゴイなあ! その伊藤さんも「自分に似ている」と太鼓判を押している(私もそう思った


【第3グループ】

平均年齢が16.1歳という若手の争いとなった。

荒川「いつの時代も、ジュニア勢は成長の伸びしろは大きいので、この大会でも多くのことを学んで成長の糧にしてほしいと思います」


●木原万莉子


♪映画『ブラックスワン』より ジェフリー・バトル振り付け、3連続片手をあげた、
NHK杯で失敗した3フリップはシングルに、3ルッツも抜けた、レイバックスピンは安定していて美しい。
ダブルアクセル×3トゥーループ、3サルコウ、3ループ、テンポアップして音に合ったコレオシークエンス、
ダブルアクセル×3トゥーループ、コンビネーションスピン。コンビネーションジャンプは同じのがあってもいいんだ。
170.69はSB。感激の表情。


●松田悠良(17)


♪白鳥の湖 おや、曲がかぶった。山田コーチ&樋口美穂子さんの振り付け。
3×3から落ち着いて入った、3ルッツ、3ループ回る時の音が聞こえる。フライングシットスピン、
コレオシークエンス、3フリップ、時折り笑顔も見せて堂々と優雅に滑る華のある選手。3連続も成功、
3×2、ダブルアクセル、コンビネーションスピンまでしっかり決めた! 「課題の回転不足も意識していた」(荒川)
アナ「ジャンプを高くするためにフィジカルトレーニングをした。女子の場合4個くらい回転不足をとられることがある」
実際、回転不足が3つあって、得点は抑えられた。素人目には全然分からないなあ!


●永井優香


♪八月の狂詩曲 羽生くんと同じシェーリン・ボーンさん振り付け。コンビネーションならず、
3フリップ高さがあった、3ループ、衣装は美しい青のグラデーション、魅せる演技。
スピンも安定、後半、ダブルアクセル×3トゥーループもキレイに決まった、得意のルッツで3連続に冷静に調整、
3サルコウ、ダブルアクセル×2トゥーループ、コレオシークエンス、レイバックスピン、
コンビネーションスピン、素晴らしく滑りきった。明るい優しさのあるステキな選手。SB178.86で現1位。

インタビュー:
決めたかったところが決まらず悔しかったが、点数的にはよかった。
悔しい部分と、よかった部分があった。次につなげたい。


●新田谷凛(18)
 

♪ロミオとジュリエット キレイな緑色の衣装。3連続から、3フリップで転倒、3サルコウ、
スピンの軸も安定、エッジを丁寧に踏みながら柔らかな表現力はさすが、3ループ、3ルッツ、
ダブルアクセル×3トゥーループ、みんなこれを得点源にもってきてるのね。
もう1度ダブルアクセル×3トゥーループ、コンビネーションスピン回転速い。
ラストは自らの胸を刺す象徴的な終わり方でプログラムとしても見応えあり。
ちょっと小首をかしげたけど、ステキなロミジュリだった。ステッピングアウトなんてあったのか。
178.48はSB。笑顔が見られた。


●本田真凛(14)
 

♪映画『ビートルジュース』より 「目標は2年2ヶ月後のピョンチャンオリンピック」
血のような真っ赤な衣装が似合う。スパイラルからの3ルッツは転倒、3サルコウ×3トゥーループは成功、
意外性のあるプログラム、妖しいタンゴ調になり、柔軟性のあるステップシークエンス、ダブルアクセル、
レイバックスピンもキレイ、後半、3連続も落ち着いて決める、3ループ、ダブルアクセル×3トゥーループまた入れた。
3フリップで転倒、コレオシークエンスも見応えあり、本人は悔しい表情だけど、期待大の選手だなあ!

荒川「肩の稼動域が広いので、腕が空間を大きく使えるのが魅力。
   後ろから見ても非常にキレイな姿勢、表現ができるのも魅力。
   これだけ大きな会場で、端の人まで届く表現力は大きな魅力」魅力だらけ!

ジュニアとシニアで時間の差があるから、前半・後半の境も違ってくる感覚も身につけなきゃいけないのねぇ。


●青木祐奈(13)


♪ピアノ協奏曲第2番 ラフマニノフ コーチに「イェーイ」て送り出される選手も珍しいなw
「将来の目標はオリンピック金メダル」3×3は3×2に、ダブルアクセル×3トゥーループみんな入れてる。
ダブルアクセル、レイバックスピン、蛍光色の衣装が好きなのかな。3サルコウ、コレオシークエンス、
13歳でこれだけの技術力と表現力を持つ選手がゴロゴロいるってスゴイよなあ!
コンビネーションはシングルに、3ループは転倒、3連続、笑顔も出てステップシークエンスへ、
失敗があっても回復力が早いのも若手の強味。決めポーズ終わって、疲れたあ!て感じ
3ルッツのコンビネーションという難しい大技に果敢にチャレンジした。



【最終グループ】


6分間練習で跳べて、本番で跳べない可能性が一番心配なのは真央ちゃんだなぁ・・・
自分でも原因が分からないって。メンタル面か。全体的に精彩がない感じがあるし。


●宮原知子

やっぱ体を温めるにはスクワットだよね



♪ため息 連覇がかかっている。テーマは初恋。3連続から確実に決める、3ループ、
1つ1つの動きが細やかなステップシークエンス、3フリップ、逆回転のコンビネーションスピン、
そして投げキッス、後半、3ルッツ、ダブルアクセル×3トゥーループ、フライングキャメルスピン、
第一滑走の気負いもなく滑らかなスケーティング、3サルコウ、ラストジャンプもダブルアクセル×3トゥーループ。
コレオシークエンス、レイバックスピンも美しい。完璧。なんの不安も感じられないこの安定感。
世界を回って、これだけの体力、精神力の安定感は本当に素晴らしい。ゼエゼエするような疲れも見られないし。
リストの美しいピアノの調べと、知子ちゃんの演技にじぃ~んと感動。212.83SBどんどん伸びていくなあ。

インタビュー:
ちょっと緊張した感じが演技に出ちゃったかなと思ったけど(全然分からなかったよ!)、
コケるミスとかはなかったので、とりあえず無事に終わってよかったです。
ジャンプの時はジャンプに集中して、他のところではしっかり表現できるように意識して滑ったので、今年最後の初恋を演じられてよかった。
終わってしまったので、順位は何位でもいいので、次は世界選手権、四大陸選手権に出られるように、
新年早々、また練習頑張っていきたいと思います(さすが練習の鬼!


●樋口新葉


♪映画『マスク・オブ・ゾロ』より 最初からスピード感ある。3×3成功。
3サルコウ、レイバックスピン黒い長手袋がカッコいい。体をよく使ったスケーティング、
3×3のセカンドジャンプはオーバーターン、ダブルアクセル、3ループ、コレオシークエンス、
後半も元気いっぱい、3連続、ダブルアクセル、速いコンビネーションスピン、
最後は突きで相手を殴り倒さんばかりの決めポーズ! ゾロだから剣で刺すイメージかな?
ガッツポーズで満足の表情。スタンディングオベーションで歓声に沸く。195.35はSBこれはスゴイ!!

荒川「スピードをちゃんとコントロールしていた。今のジュニアの良さはスピードがある中でジャンプを次々と展開できること」

インタビュー:
今シーズンでこんなにいい演技が出来たのは初めてなので、それが全日本でよかったなって思います。
今年は点数も伸びなかったんですけど、シーズン後半で調子を戻すことができてすごく嬉しいです。
シニアの選手、表現力に近づいていけるような演技が出来た。そこを来年までもっともっと磨いて、
もっとシニアらしい演技が出来たらいいなって思います。


●白岩優奈(14)


♪ナイト・ワルツ~悲しみのクラウン~ サーカスみたいな衣装と笑顔が可愛い。3×3跳ぶねえ、みんな!
3サルコウ、3フリップ、ダブルアクセル、レイバックスピンの軸もしっかり、丁寧なステップシークエンス、
3ループ、コンビネーションスピン、コレオシークエンス、3連続をここで入れた、ダブルアクセル×2トゥーループ、
晴れやかな決めポーズでフィニッシュ。「なんという才能でしょうか! 連続ジャンプの天才、ここで見せてくれました」(アナ)
荒川さんもビックリして解説を忘れるほどの終わり寸前の3連続。186.33。10代が上位を占めるすごい大会だなあ。


●本郷理華
 

♪リバーダンス スパンコールがたくさん入った深い色合いの衣装。このプログラムも好きだなあ。
3×3高さがある、3サルコウは片手をあげて、3ルッツで転倒、まずはゆったりと始まる。
テンポアップして、民謡の旋律。3連続、3ループ、コンビネーションスピン、どんどん盛り上がる。
3フリップ、足踏みの入ったコレオシークエンス、ダブルアクセル×2トゥーループは片手をあげて、コンビネーションスピン。
いつもより緊張感を感じたな。ホッとした表情。転倒は珍しいなあ。世界選手権のプレッシャーがかかったか。
193.28は現3位。厳しい戦い!!

荒川「3ルッツは踏み切りでのミスを気にして緊張したのかも。上位争いに転倒は響く」


●浅田真央
 

♪蝶々夫人 今日も1人でロビーみたいな所で練習してた。「追い詰められた時は力を出しきれる」
哀愁を帯びた最初の表情だけでじぃ~んとくる。トリプルアクセル転倒。なぜなんだろう・・・
3フリップ、3ルッツ、バタフライからのフライングキャメルスピン、コレオシークエンス、
後半にダブルアクセル×3トゥーループ、3サルコウ、3連続決まった、3ループ、レイバックスピン、
蝶々夫人が乗り移ったようなステップシークエンス、コンビネーションスピン。
一度、2度うなづき、とっても複雑で、泣き出しそうな表情で挨拶。やっと終わった安堵感もあるのかな。

 

荒川「思ったよりはミスが少なかったのでホっとしたんだと思います。スピン、ステップには定評がある。
   音楽の世界観と、今の状況が重なり合って生まれていると思う」

カメラを探して「こっち? こっち?」と笑う真央ちゃんは、いつもの明るさが戻っててひと安心。
193.75は本郷を超えて現3位。世界選手権に望みをつないだ。

 

インタビュー:

(衣装に合わせた薄紫の花束の中には真央ちゃんの写真も入っていた



Q:今シーズンの指標にもしてきた全日本、今の心境は?
んーーーーまあ、今シーズンの中では一番いい演技が出来たので、まあまあホッとしてますね。
(目に宿ってる力がちょっと戻っててよかったあ!

Q:フリー演技後ゆっくり目をつぶっていました。何を考えていましたか?
んーーーーあ、全日本が終わったんだなって思いました。

Q:今日はしっかりと大人の滑り見せてくれました。演技構成点でも高い評価でした。
んーーーー得点とかはあまり意識はしてなかったですけど、第一は自分の滑りをすることだったので、
冒頭ミスありましたけど、最後まで諦めることなく、滑りきれたことに関しては満足しています。

Q:2年ぶりに帰ってきたこの舞台。浅田選手を待っていた会場からあったかい大きな拍手に包まれていましたね。
そうですね、今日もたくさんの方が会場にいらしてくださってて、私自身もすごく嬉しかったですし、
みなさん「頑張れ」「出来る」て声援を贈ってくださったので、私自身もすごくパワーになりました。

Q:いろんな想いを持って復帰して、期待と不安と戦いながら進んできたと思います。シーズン前半を振り返って今思うことは?
私自身も復帰すると決めてからは不安とかもあったんですけど、やっていくうちに不安とかはなくなっていき、
休養してなかったような感じでやっていたんですけど、考えてみれば1年休んでいる間に、
やっぱりみんな頑張ってやってきているから、私もそれに追いつかなければいけないのかなって感じはありますけど、
今終わってみて、今後のことはまだ何も決めていないので、とりあえずは全日本が終わってよかったなって思いました。

(今となってはフツーに受け入れてるけど、真央ちゃんが現役続行を決めたこと自体が奇跡だったんだな。
 トップの意地を見せて、負けず嫌いなところも真央ちゃんなんだ。
 もう一度、オリンピックに行って、今度こそ天性の力を世界に見せつけて金メダルをとるところが見たい!


●村上佳菜子


♪映画『SAYURI』より 不安だった3ループから、ダブルアクセル×3トゥーループ、
三味線の音が入って、3フリップは大きく転倒! 拍手で応援する会場。
スピードは落ちないままコンビネーションスピン、袖が大きく広がっているのは真央ちゃんの衣装と似てるな。
ショートの髪も似合ってる。3サルコウ、3連続、ショートに続き調子良さそう。
コレオシークエンス、3トゥーループ、アクセルはシングルに、そしてこの表情で笑いが起きた。

 

あれ?という顔のまま頭をかきながら戻ってきた。なんか、跳びそうなところで跳ばない?て一瞬思ったけどw
キス&クライで頭を叩かれ、急に知子ちゃんの真顔にカメラが行ったから、珍しく爆笑してたww
カナちゃんと織田くんの変顔コレクションに追加されちゃう? 181.58SBだけど、6位。

 

女子は優勝宮原知子、2位樋口新葉、3位浅田真央。女子は4位までが世界選手権枠。


宮原知子インタビュー:


ショートは自分でも納得した演技で、フリーでも大きなミスなく滑れたので、今は嬉しいです。
NHK杯とGPファイナルでしっかり自分の演技ができたことが自信になったのかと思います。
(優勝しても囁き声で冷静な受け答えの知子ちゃん

Q:去年は挑戦者、今年はディフェンディングチャンピオンとして迎えた全日本、気持ちの違いは?
演技をする時はいつもと変わらない気持ちで、自分のできることをしっかりやるっていうことをずっと考えていたんですけど、
去年優勝していたっていうことも少しは頭にあったということを、全然今回は考えなかったのがよかったのかなと思います。

まだまだ、世界で優勝する選手になるには、技術的にも表現的にも足りないところがたくさんあると思うので、もっと頑張っていきたいです。
(とうとう憧れの真央先輩を越えて、ロシア軍勢のほうが今は脅威なんじゃないかな?


[世界選手権選手の発表]

ペア:須藤澄玲&F.ブードローオデ


男子シングル:羽生結弦(5度目の出場)、宇野昌磨くんは初出場。
 

女子シングル:宮原知子、浅田真央(9回目の出場。ああ、よかった!! まだ完成形を観ていないんだ)、本郷理華
 

 

※アイスダンスはISU最低技術点を獲得したカップルが現在いないため未発表。


抱負を話すのに、1本しかないマイクを持っていたのが本郷理華だったから慌てて渡す場面も和やかw

 

宇野昌磨:
 

え~皆さんこんばんわ(今更?爆)今大会はほんとに満足いく演技も出来ましたし、悔しい気持ちも残っていますけれども、
こうして世界選手権に出場できると決まったことはとても嬉しいですし、またしっかり練習していい演技が出来るよう頑張りたいと思います。
(素で面白いw


羽生結弦:
 

皆さん応援していただきまして本当にありがとうございます。
今回の大会でも悔しい思いをすごくしましたが、今シーズン通して成長している部分と、できていない部分とたくさんあります。
世界選手権に向けて僕も一層練習して、またいい演技が出来るよう頑張ります。これからもお願いします。


宮原知子:


今大会でたくさんの応援をしていただきましてありがとうございます。
今回はいい演技を出来たと思うんですけど、また悔しい部分も少しあったので、
世界選手権でしっかり自分の実力が出せるように頑張りたいです。


浅田真央:


みなさん、こんばんわ浅田真央です(真央ちゃんまで、自己紹介から?!w
先ほど終わったばかりですけど、ほんとにたくさんの応援ありがとうございました。
ショート終わった時点では、世界選手権どうなるかなという思いと、フリー大丈夫かなという思いがあったんですけど、
こうして今日終わってみて、選ばれたということで、私自身も練習を積み重ねていって、今日よりもさらにいい演技が
出来るように頑張りたいと思いますので、皆さん応援よろしくお願いします(この笑顔が見たかったんだあ!


本郷理華:
たくさんの応援ありがとうございました。

・・・残念、ここで生放送は時間切れ





真央踏ん張った3位「一つ成長できた」 世界選手権代表決めた
“「自分は最後の最後まで追い詰められることで、力を発揮できることが多い」”
浅田真央 華麗なる復活 写真特集
宮原2連覇=樋口2位、浅田3位-全日本フィギュア
羽生結弦 写真特集
浅田真央が世界切符「どうかなと思っていた」
羽生、宇野、宮原、浅田、本郷ら世界選手権代表に

フィギュア解説者十人十色 伊藤みどりの絶叫、「アナウンサー型」八木沼純子、スケオタ絶賛の「殿」

“「銀盤のゴクミ」八木沼純子さんの演技 最年少で五輪出場、88年カルガリー五輪代表”(ニックネームが時代を感じさせる



【世界ジュニア選手権】
男子シングル:山本草太、中村優、宮田大地
女子シングル:樋口新葉、白岩優奈、本田真凜
アイスダンス:深瀬理香子、立野在組

【四大陸選手権(2月 台北)】
男子が宇野昌磨、無良崇人、田中刑事、女子は世界選手権代表の3選手が出場する。


 





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topics~カフェイン中毒死 ほか

2015-12-28 16:43:26 | 日記
最近の気になるトピックス。

ポータブルハードディスク
BUFFALO TurboUSB portable HDD 250GB HD-PF250U2-BK 6470円
買ったのは2009-06かあ・・・2015.12.25でとうとう容量がいっぱいになったので、
前回買っておいた新品のほうに全部コピーすることにした。

バッファローHDD×キーボード
1TB(1000GB) Mini Station HD-PCFU3シリーズ(USB3.0/2.0)7110円

250GBからいきなり1TB(1000GB)だから、バックアップのバックアップもできちゃうv
だけど、思ったよりすごい時間がかかった



その他のトピックス。

メディア操作による“白人を日本人より優れている”と思い込む「白人崇拝病」
宣伝は置いといて、話は面白い。
てか、外国人に日本語・日本文化を学んで欲しいよ。
そもそも、なぜ英語が世界共通語って前提なんだろう? 母国語を捨てざるを得ない国民もいるほど。
白人自身も「白人至上主義」なのでは?


「20年ぐらい前から…」キンコメ・高橋容疑者 自宅から女子高生の制服など70袋600点
キンコメ面白くて、高橋くんのツッコミも好きなのに、ショック・・・
 




奥田民生、豪華ゲスト16人とコラボライヴ
 
真心も参加したのね!

 


錦織圭くんがCMに

いつもの、カメラにサインしたり、お腹出したりするシーンが盛り込まれているw

 


<カフェイン中毒死>血中濃度、致死量…短期間に大量摂取か

“男性は20代前半。ガソリンスタンドで深夜から早朝まで勤務し、
 眠気覚ましとして1年以上前からカフェイン150ミリグラム程度を含むエナジードリンクを飲んでいた。
 亡くなる約1週間前から家族に体調不良を訴え、吐くこともあった。
 昨年のある日、午前11時半ごろ大量に吐き、寝ていたが、
 午後4時ごろ家族によって意識を失った状態で見つかり、死亡が確認された。”

錠剤でも飲んでいた可能性もあり、医師いわく「カフェインの過剰摂取が原因では」
 

 
この男性は海外とのやりとりが多いため。私も会社でコーヒーを水代わりに飲んでたな。飲み放題だったし

 
今では水代わりにお茶を飲んでる。カフェインレスにしたくても高いし・・・

 


[飲み物でいうと・・・]
 
(45mg→30mgの誤り

 




「lyrics」もアップしました。



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ジム12月9回目~ストレッチポールに初挑戦(2015.12.28)

2015-12-28 16:42:00 | 日記
家にいると、とにかく体を動かしたくて、年内最後営業日のジムに行ってきた。
先月の7回は超えられたから、よしとするか。

年末年始は混むかと思ったら、どっちかといえば空いていた。
午後の時間帯のほうが少し多かったかな?

改めて、来年1~3月のスケジュールと見比べたら、それほど大きな変更はなかったけど、
気になってたストレッチポールを使ったプログラムがデイタイムに入ってきたから、それをやってみたい。
でも、今日ちょこっとだけ使ってみたら固くて(体が固いせいか?)痛かった


ピラティスボディメイク
前回初参加で、あの笑顔のインストラクターさんは家の事情でお休みして、代替の方が教えてくれた。たぶん初見。
人数が少なくて、またインストラクターさん前をキープですv
でも、なぜかヨガよりも記憶に残らないんだよね。フシギ


リラックスヨガⅠ
インストラクターさんは
「ヨガを1日4~5回教えているせいで、体を柔らかくしすぎて、逆に体の調子が悪くなって、
 先週、講習を受けに行って、トレーニングしたら回復しました」

「やっぱり、なんでもどちらか片方に偏るのはよくない。バランスが大事だと身をもって知りました」

このクラスでは、ヨガ本来の「内観」がテーマなので好き。

「型が上手くできたとかできなかったとか、他人と比べてどうかではなく、
 今の自分は、どこが伸びて、どこが固いかを知ることに意識してみてください」


筋トレ
この数ヶ月で覚えたマシンをひと通り(まだメモを見ながらだけど)やってみた。


リフレッシュムーブ
最初にやった“目を閉じて、その場で足踏み15回歩く実験?”は面白かった!
目を開けてみると、ずっと同じ位置にいたつもりが、私は完全に右向き(けっこう前に出てたし)になってる

「大体、みなさん歩く時、自転車に乗る時も右足からこぐ、右が効き脚の方が多い。
 こうしてみると一目瞭然に分かりますね。バッグも片方でばかり持っていると、骨盤から曲がってくる。
 せっかくいろんなトレーニングをしても、最初に自分の体のクセを知って、しっかり左右均等にストレッチしてから運動しないと
 余計歪んだり、変なところに力が入って痛めたりして、それではもったいないので、きちんと整えましょう」

プリティ・ウーマン のエクササイズ風カバー曲に合わせて、立位でいろんな動きをして、
インストラクターさんは、その動きを曲に合わせて「肩を入れて、胸を広げて~♪」と歌いながら説明するから可笑しくてみんな笑った

ここで例のストレッチポールを使った。
真っ直ぐに体を乗せてゴロゴロするだけでもバランスになるんだけど、
いつも一番凝る首の付け根や、力が入らない脇腹などにポールを当ててゴロゴロさせる。
この“ゴロゴロさせる”だけでも最初は難しい

体を動かす前、いろいろ動かした後のストレッチにも使える。
「もうちょっと柔らかいのもありますけど、痛いと思うのは体の固さでもあるので、使い慣れるうちにだんだん痛みはなくなります」

最後は「来週にはまた会いますけど、今年も最後まで皆さんが幸せに過ごせますように
みたいなメッセージをたくさん言って終わらせて、なんだか感動してじぃ~んとした←感動屋

そんなインストラクターさんは、年末年始休みは、いつもやりたくても放っておいている家の中の掃除をするとのこと


ウォーキング
今日の曲は、下記のほか数曲。
Would You Be Happier/The Corrs
Baby Universal/Bowie and Tin Machine

いつも30分は歩くんだけど、途中から疲れからか、眩暈、心拍数が上がって、手先が痺れてきたから、ムリをせず、20分で切り上げた。
ストレッチするのも辛いほど。この感覚はなんだろう? それほどキツイ、エクササイズ系はやらなかったのに



帰りは銀行に寄って、家賃を振り込んだv


今年もまだ新幹線は乗れないから、1人で年越し。
兄夫婦も帰らないことが増えたみたいで、両親は寂しいだろうけど。


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