メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

日本の中のシリア@あさイチ

2017-04-30 17:31:39 | テレビ・動画配信
日本の中のシリア@あさイチ
 

“今月、アメリカがシリアに59発のミサイルを発射しました。
「今世紀最悪の人道危機」といわれるシリア内戦は7年目に入り、
 戦禍を逃れて国外に脱出した人は500万人を超えます

 日本にも、およそ570人のシリア人が暮らしています。
 兵庫県にある日本最大級のシリア人コミュニティーを取材し、
 祖国から逃れてきた彼らがどのような思いで暮らしているのか、お伝えしました。”


独裁政治→内戦→大国も絡んで泥沼化へ

ヤナギー:
アサド政権は独裁的で、民主化を求める小競り合いから始まった
それが内戦となり、反政府勢力がいっぱいできた

複雑なのは、そこにISなども入り込み三つ巴の戦争になったこと
アサド政権の後ろ盾はロシアで、反政府勢力にはアメリカが介入している


歴史ある町並みは廃墟と化した
 
数十万人の市民が犠牲となった



祖国に家族や親戚らを残して、日本に逃れてきたシリア人


 

東京、大阪、広島に多いが、実は、兵庫県に日本最大のシリア人コミュニティがあり
内戦が始まってから来日し、現在、約50人が暮らしている

みんなでバーベキューをする
 

「ここは戦争がないし、みんな優しい」



シリア人をサポートしているホムシィさん
 

ホムシィさんは、15年前に来日し、日本人女性と結婚
中古車を解体し、部品を各国に輸出する会社を立ち上げ
来日したシリア人9人が働いている
ほかのシリア人にも仕事を紹介したり、「就業ビザ」がとれるよう取り計らっている


サーメルさん&ラミースさん家族を取材


多くのシリア人は、先に夫が日本で働いて生活の基盤を築いた後に家族を呼び寄せている
サーメルさんも2年間、一人で働いていた

サーメルさん:
家族と連絡がとれないことがよくあった
いつも家族のことで頭がいっぱいだった
家族が日本へ来ることができて嬉しかった

ラミースさん:
(4ヶ月前に子ども2人を連れて来日した
 子どもが暮らしていたのは、最大の激戦地アレッポ 反政府勢力の拠点があった

 

家が(戦闘で)全焼した 何も持ってこられなかった
連れて来たのは子どもだけ

子どもが安全に暮らせることが嬉しい
シリアでは恐怖の中で暮らしていた
ここは平和 シリアには帰らない



買い物で買ったのはお弁当箱
イスラム教徒は、豚肉を食べず、アルコールを飲まない

ラミースさん:
学校の給食で食べてはいけないものが入っている時は、お弁当を持たせます


ヤナギー:
日本は「難民」として受け入れているのは、ほんの一握り
みんな留学したり、仕事をしている人を頼ってきている



シリア人女性が熱心に通う日本語教室
 

週に1回、専門の資格を持つ日本語教師が教えている
日本語を学ぶことは、シリア人女性の強い希望から始まった
立ち上げたのはホムシィさんの妻

ラミースさん:
子どもたちは5年たったら、シリアなどでは受け入れられない
生活の基盤が日本で確立されるから
子どものためにも日本語を学ばなければならない

ほかの女性:
日本語を学べば、仕事もでき、大学にも行くことができる


アナ:
ラミースさんは、シリア女性は乗らない自転車に乗る練習もしているそうです
お姉さんたちはまだシリアにいるため、毎日ネットの電話で無事を確かめている状態

シリアには、ヒトとヒトのつながりを大切にする文化がある
今までは、ラミースさんもしょっちゅう親御さんを訪ねたりしていたが
それも出来なくなってしまった

もうシリアには帰らず、日本で暮らしたいと思っていると話していました


ヤナギー:
何気ない会話でも、国に残した家族や親戚の不利益になりかねない
日本で暮らしているシリア人のみなさんは、いろんな意味で注意して生活していることも念頭に置かないといけない



シリア人の面倒を細かくみている自治会長の高井さん


ラミースさん:夫がお腹痛い
高井:風邪じゃないの?
ラミースさん:風邪じゃない

心配した高井さんは、夜中にラミースさんを訪ねて、タケノコ料理を持っていってあげると
「ちょっと待っててください」と、逆にシリアの料理をもってきてくれた



ホムシィさんの妻・夏江さん

夏江さん:
彼女たちの要望や不安を聞いて


NPO法人「日本アラブ相互文化センター」

日本で暮らすための団体を夏江さんが立ち上げた

夏江さん:
自分の意見を出してもらって、私たちがそれを聞いて(支援に)つなげていきたい

男性:

(苦難な立場なのに、逆に思いやってくれて涙が出るなあ

女性:
高齢者の買い物のお手伝いが出来るんじゃないかしら


男性:

日本人の助けにもなれる

夏江さん:
では、地域に向けての奉仕活動をしたいと思います


ヤナギー:
イスラム教の国では、なにかしてもらったら、恩返しをするという文化がある
砂漠で水を欲しがっている人がいたら、たとえ異教徒であっても水を分け与えるのは当たり前と教えられる


シリアといっても馴染みがないと思うかもしれないけれども
昔は、日本の外交官がアラビア語を学ぶ時は、大体シリアに行って学ぶことが多かった
だから、けっして遠い国、関係ない国ではない 縁がある


イノッチ:
せっかく日本に逃れてきたんだから、日本が平和じゃなきゃ意味がないって改めて思いました


アナ:
シリアの子どもに「公園で遊んでいいよ」と言ったら
「空から爆弾は落ちてこないの?」
攻撃してくる飛行機が来ないか確認したそうです


ヤナギー:
自治会長さんが家を訪ねたら、すぐに料理を持ってきてくれたシーンがあった
ヒトとヒトとの付き合いなんだと改めて思った

僕らは、肌の色の違いや、言葉の違いがあると別物として相手を見てしまうところがあるけれども
あのちょっとしたシーンに、人間と人間のつながりが垣間見れた
それがある所が、本当に平和な世界だと思う


アナ:
学校からもらったプリントが読めずに困っていたら、
ママ友が「明日、これを持っていけばいいんだよ」と写真を撮ってメールで送ったそう
あの「日本アラブ相互文化センター」では、結局、地域の清掃活動をすることに決めたそうです



将来の夢は?

日本は先進国だから





[FAX]

 

 


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topics~清水ミチコさんが草間彌生さんの顔マネ芸@徹子の部屋 ほか

2017-04-30 17:30:39 | 日記
朝ドラ「ひよっこ」
みね子の就職先を必死に見つけてくれた先生の後ろに埴輪がっ!


みね子たちの就職先は向島 昔はこんな感じだったのね


***

最近「2355」は、にゃんこが出る火曜日しか見てなかったが、
「わたし、ねこ」などのタイトルが急に変わっててビックリ

 
「こんぶ」って ←食べ物やヒトの名前のついた動物に弱い

あのロス・プリモスさんが生で歌うのを初めて見れた/驚
しかも、カラ鉄でよく行く高円寺 この喫茶店の前もよく通りますよv



 

八戸が4を抜かして1~9まであるっていうのも笑った



その他のトピックス。

清水ミチコさんが草間彌生さんの顔マネ芸@徹子の部屋
友だちから教えてもらって動画で見てみた サイコーだな/爆

似てる! 服は布を買ってきて、ただ背中でホチキスでとめただけってww


「女性で権力のある人はおいしい」「アイコンがハッキリしてるとやりやすい」そうで、黒柳さんも!


11歳離れた弟さんを溺愛していて、弟さんは楽器マニアで、細野さんの真似をして、
ミチコさんが矢野顕子さんのマネをしてコラボった



永六輔さんから、芸人ならちゃんと挨拶しなければいけないと言われて
「挨拶が一番キレイな人は誰かなと見てたら、中島みゆきさんがバレリーナみたいで」

SONGS 中島みゆき~歌姫の21世紀

ほんとにこの挨拶はキレイだよね

「マネしてみて」と言われて


100年の声の歌
タラちゃん、ニコルさん?、のんさん、山口もえさん、杉本彩さん
中森明菜さん、平野レミさん、市原悦子さん、どんどん自由になってくる~
草笛光子さん、瀬戸内寂聴さん、きんさん・ぎんさん なんにも怖くなくった~ww

アナと雪の女王 を聴き取りにくい日本人の声で歌う
井上陽水さん、デヴィ夫人、瀬川瑛子さん、、、ほんと笑った


NHKスペシャル ニッポンのポ
“「戦後70年 ニッポンの肖像」と連動し、戦後のニッポンの歩みから 見つけた「懐かしくて、新しい発見」を、毎日届けるポータルサイト”
こないだ書いた柴犬まるちゃんが紹介する戦後70年のサイト


ポール・マッカートニー来日公演
私はジョン派だけれども、一応大きなニュースなので

 




Amazon 今月21日から生鮮食料品の宅配サービス開始
 
宅配業者の人手不足が深刻だっていう時に、当日配達やめたと思ったら、逆に最短4時間で配送って???

[町の声]

相変わらず人数の少ない「ZIP!」アンケート

子ども連れの買い物に苦労しているママの声が多かった
子育て、買い物は、同じ仕事をしていても、まだまだ女性なのね

40代パートの女性:食料品は、見て買いたいなと思う

仕事をもつ女性:
仕事の荷物を持ったまま、カゴを持って買い物することが面倒(それはよーく分かる
仕事が終わって行くと、ものもあまり残っていない

30代主婦:
家の近くにスーパーがあまりない(同じく
子どもが買い物の途中でぐずったりしてしまうので

30代主婦:
かさばる物を一人で買いに行かないといけない時は便利かもしれない

一人暮らしの20代学生:
学校帰りに疲れている状態で、人ごみに行くと疲れる(みんな疲れているんだなあ


禁止薬物の陽性反応の疑いで出場停止処分だったシャラポワ、復帰戦
 



シャラポワの進撃にも止まない批判の声。次の対戦相手は「なぜ特別待遇?」
“15ヶ月の出場資格処分の間、「自分の体調を保持することに務めた。一度それを失うと戻るのが大変だから」”

復帰勝利のシャラポワは「批判されることは人生においてどうでもいいこと」
“「アリーナに入る数秒前、最高の気分だった。またアリーナに戻るんだと、歩けることは特別だった。この時をずっと長い間待っていた」”

“「私は怒りや苦痛を感じるタイプではない。ここ何ヶ月もの間、私はすべてのことに没頭してきた。
 20代のこれまで決してやらなかった多くのことをやった。勉強をし、生活をし、(多くのことに)打ち込み、ビジネスを展開させた。
 これまで全くする時間のなかった交友関係も築いた。29歳(現在30歳)の女性として、それらはとても開放感があった」

「私には人の言うことをコントロールできない。私にコントロールできる唯一のことは、あそこ(コート)でやること。それが私のモットー。
 私は物事をきちんと実行するということをずっと好んでやってきた。そして5度グランドスラムで優勝し、世界ナンバー1になった」

「言葉や発言や記事は人生においてどうでもいいこと。この1年でそれがよくわかった。
 結局のところ、大事なことはコートで何が起こっているかということ。だから私はここにいる」


シャラポワ 復帰戦は4強止まり
“世界ランク19位のK・ムラデノヴィック(フランス)に6-3, 5-7, 4-6の逆転で敗れ、快進撃はベスト4でストップした。”


ウィキを見たら、チェルノブイリとリンクした→here
“1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響により、ホメリに居を構えていた両親(出生前当時、妊娠4ヶ月)が
 ロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意し同地で出生。
 マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、
 フロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーへの入学を勧められる。”

メルドニウムについて


優秀選手表彰祝賀会に羽生結弦、宇野昌磨も
 

真央さん、スケート連盟初の「特別表彰」でサプライズ登場…真凜らにエール
 


「私は応援しています」


「マクロビ派ビスケット」
ファミマで発見 “バター、マーガリン、白砂糖不使用”
“マクロビオティックの略で、穀物や野菜中心の自然と調和した食生活で健康を目指す考え方です”

カカオ風味のグラノーラを混ぜたクッキーみたいで美味しい

「マクロビ派ブラウニー」はカビ発生って・・・危なかった



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『ティーポットのひみつ』 レーシー・ヘルプス(セーラー出版)

2017-04-30 17:29:39 | 
『ティーポットのひみつ』(セーラー出版)
レーシー・ヘルプス/作

「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。

表紙裏に「世界の脳性麻痺児童にささげる」とある


あらすじ(ネタバレ注意
みつばち谷で一番立派な家にネコのタビサが住んでいた
そのため、ネズミはほとんどいなかった

タビサはネズミを捕まえようと家中にネズミ捕りを仕掛けた

この可愛い絵は、そんな怖いシーンなのかw



村でたった2匹のネズミ、ティッピーとトッピーは
タビサの屋根裏の壊れたティーポットに住んでいた
ある日、タビサはそれに気づき「ニャーオ」と鳴くw



それから料理本の「ネズミパイの作り方」をじっくり読み
粉がきれていることに気づき、雪の中買いに行って風邪をひいてしまう





これは笑っている絵かと思ったらクシャミをしているところだったww



タビサの友だちが訪ねて来たが「お休みをとって、どこかに行ってるんだわ」と思う



タビサは腹ペコになってベット(ベッドの間違いだねw)に寝ていたら
2人のネズミはこっそりミルクや食糧を持っていってあげる



ある朝は「かぜぐすり タビサさん すぐに飲むこと」と書かれて置いてあった


くすりを飲んで苦かったのね/爆


そのクスリは以前、家の中で見たことがあるものだった



クスリのおかげでタビサは元気になり、まず、大きなチーズのかたまりを買って
一切れティーポットのそばに置いた




今では、みつばち谷には大勢のネズミが住んでいる


私が最後に出会った時、タビサはまたどっさりチーズを買い込んでいました
ネコがそんなにチーズを好きだなんて、あなたはご存知でしたか?

急に裸んぼ?w



***


SNSで見かけてひと目惚れした絵がこの絵本の中にあったけれども
使われているシーンがイメージと随分違っていて可笑しいww

1つ1つのネコの絵がいちいち可愛くて笑ってしまう
そして、これを描いたのが男性だということをまた忘れていた
このレトロ感にもヤラれる

でも、なぜネコにはミルク、ネズミにはチーズなんだろね?

近所の図書館にはあまりないようだけれども、40冊も翻訳されているのなら他館にあるかな?
他の絵本も見てみたい



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100分de名著 宮沢賢治スペシャル 全第4回

2017-04-29 13:38:17 | 
100分de名著 宮沢賢治スペシャル 第1回「自然からもらってきた物語」
司会:伊集院光、礒野祐子

「作家別」カテゴリーに追加しました。

【指南役】山下聖美(日本大学芸術学部教授)…「宮沢賢治のちから」「賢治文学『呪い』の構造」等の著作で知られる文学研究者。
【童話の朗読】原田郁子(クラムボン・ボーカル)
【詩の朗読】塚本晋也(映画監督)

以前、一度だけ見たことのある番組


カント『永遠平和のために』(4)@100分de名著

私の好きな“画本”シリーズの『銀河鉄道の夜(画本宮沢賢治) 』ほか、
これまで読んだ絵本も映ってた 賢治は大型絵本で読むほうがいいと思うなあ

この全4回の番組の中にも、たくさんの作品が紹介され、
そこに使われた絵がとても魅力的だった これはなんという作家さんだろう?


プロフィール
 

生前は無名 あまりに独創的で掲載も拒否された
童話で売れたのは1冊のみ 利益は5円(今の4500円ほど)

山下さんは学生の時から賢治研究をして、ゼミの学生と今でも花巻をたびたび訪れている
(花巻いいよねえ→宮沢賢治記念館@花巻(1994.12.17)


復刻版を紹介 今買うと200万以上する!


『春と修羅』は自費出版で父がお金を出したがほとんど売れなかった
「ゾッキ本」(古本・古書市場にてきわめて安い価格で売られる新品の本 バーゲンブック)

『注文の多い料理店』
「赤い鳥」など童話は流行っていたが、これも売れず、申し訳なく思った賢治は200部買い取った

山下:
家が金持ちだったので、本で稼ぐ感覚はなかった
一部では知られていた 草野心平、中原中也らは衝撃を受けて、知人に配った



秀才タイプの夏目漱石らと比べ、特別な感性を持っていた


『注文の多い料理店』の“序”を朗読
(もう最初から涙が出る大好きな序文
 

「青空文庫」より



教師のころ

(絵もいろいろ描いたよね

岩手の山野を歩き回るのが日課だった 岩手の豊かな自然から物語をもらった

山下:
書き方も変わっていて、机に向かって難しい顔で書くのではなく
自然の中で、そのエネルギーをキャッチして、それを書くだけ、
書かされているだけだよということをしつこく言っている
実際、手帳やペンを首から提げていた

賢治の特殊な感覚を、最近は「共感覚」というアプローチで研究されている
色を目で見るのではなく、聴いたり、匂いを音で表したり
1つの刺激に対して、2つ以上の感覚が反応してしまう
3歳くらいの子ども、アーティストらの感性と同じ


●賢治の感性を味わえる作品の1つ『イーハトーボ農学校の春』
 

文章の中に楽譜が入っている


山下:
賢治の感性では、春の太陽の光が音として感じられている
ジャンルを超えていく 絵も描くし、すべてを文学に昇華していく
ストーリーやオチもなく 理解よりも“感じる”読み方をすべきかなと思う

もともと理系の人 「光炎菩薩」などは仏教用語 法華経の大変な信仰者でもある
賢治の作品は、科学用語、宗教用語がたくさん出てくる
それを包括して芸術をつくっているのが特徴


物語に吹く「風」
『注文の多い料理店』
 

 

『鹿踊りのはじまり』


賢治の好きな岩手の郷土芸能に題材をとった
青年は森の中でヒトの言葉を話す鹿が輪になって踊る光景を見る
思わず踊りに加わろうとすると、鹿は風のように逃げてしまう

 

山下:
賢治の童話で風が吹くと妖しい「異界」が現れてくる特徴がある
風はなにか得体の知れないものの「息吹」としてキャッチして描いている

言葉もまずは「息」 『鹿踊りのはじまり』も風がヒトの声に聞こえて記録したという
言葉と風のつながりを描いている

自然と一体になりたい衝動に駆られる その恍惚感が描かれる
これをファンタジーとして片付けず、「山がものすごい」って何?!
と、いちいち立ち止まって考えると、自分で解釈したくてたまらない欲求をもつ方が多い

(面白いなあ!



第2回 「永遠の中に刻まれた悲しみ」
37年の短い生涯で800篇という膨大な詩を書いた賢治
彼は自分の詩を「心象スケッチ」と呼んだ
その裏には、最愛の妹トシを失った悲しみがあり、作品の中にも影を落とす




●『春と修羅』は詩ではなく「心象スケッチ」と呼んだ
この「序」は私の中で最高傑作だな


山下:
わたくしという「現象」 「照明」というのは何かのエネルギーによって明滅している存在
本体、本質によって動かされている現象に過ぎないと解釈している


賢治はをよく描いている ヒトの命を「青い光」で表すことが多い
いろいろなものがみんなに共通している 私たちは貫かれているという捉え方

伊集院さんはラジオで喋る時、聞いているヒトの姿は見えないことから、これにとても共感していた

山下:
自分の心の奥の奥の奥の奥を掘ったほうが「みんな」に出会える

伊集院:身震いするほど、すごいなコレ


その日を永遠に刻みつけるために
『春と修羅』には具体的な日付がついているのが特徴

賢治は時間にこだわっていた 着想した日を書いていたりする
その日、その瞬間を永遠化したかったのではないか

妹トシが亡くなった1922年11月27日が3篇


兄と同様、真実を追究し、東京の女子大に進学後、花巻で教師をしていた
厳しい自然で貧しい農家が多い中、質屋を営み財を成した宮沢家に、賢治は深い罪悪感を抱き父とよく衝突した



その一番の理解者がトシ 彼女は病に倒れ、必死の看病も空しく、24歳の若さで亡くなる
 

「永訣の朝」

(この詩は聞くたびに涙があふれる

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)は「あめゆき(みぞれ混じりの雪)をとってきてください」の意(諸説ある


山下:
トシとは幼い頃から仲が良く、法華経の信仰者にもなり、同志
彼女の死は、賢治にとって魂が引きちぎられる思いだった

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)もいろいろな解釈がされている
地元の方に聞いたら「あまゆき(甘い雪)」ではないか

昔の花巻の方が、とくに子どもの頃は雪に砂糖をかけて食べていたという
幼少の頃の思い出など、いろんな時空が混ざった詩と解釈できる

(Ora Orade Shitori egumo)は、「私は私で一人で死んでいきます」の意味
敢えてローマ字にすることで音楽的に聞こえるイメージ


「無声慟哭」
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
(おら、おかないふしてらべ)

山下:
これも「トシ臨終三部作」などと呼ばれている1つ
魂の一部がいなくなってしまう 死ぬということは何なのか
死んだらどこへ行ってしまうのかということを真剣に追究している

実際、賢治は、最北端に行けば魂に会えるのではないかと列車に乗って行き、「オホーツク挽歌」なども書いた

「オホーツク挽歌」
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
悼んでいるのかと遠いひとびとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ


信仰では、みんな、宇宙全体の幸せを考えなければいけないのに、
自分はトシ子のことばかりを考えてしまう

その葛藤を抱えながら、彼はトシの魂と一生懸命交流しようとする
根底の思いは、どうしてももう一度会って声を聞きたい、それらを追究した跡がこれらの作品



童話に描かれた「死」

『やまなし』
 

「クラムボンはわらったよ。」

「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」

「クラムボンは跳はねてわらったよ。」

「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」

(クラムボンは、ここからバンド名をとったのかな


クラムボンとは?

山下:
あなたの想像力に任せられている 音の響きから丸いようなイメージ
水の底の物語なのでファンタジーから始まり、「殺されたよ」と急に物騒な言葉があらわれ
カワセミが魚をくわえていく「死」があるが、後半に生の恵みを象徴する「やまなし」が落ちてくる
死と悲しみとを包む、なにか大きな「命」

伊集院:
ちょっと輪廻転生と考えてしまう 悲しみも恵みも世の中は循環している
トシの死は無駄でもなければ、悲しみだけではないという優しさも感じる

山下:
小さい頃読んだ時と、大人になってから読んだ時の解釈も違ってくる
実際、悲しい出来事を経験してから読むと、またまったく解釈が変わったりする





第3回 理想と現実のはざまで

「雨ニモマケズ」

日本人の理想的な生き方として誰もが習った詩
これは、賢治の死後、偶然発見された


戦争と「雨ニモマケズ」

山下:
「理想的な賢治像」がもっとも表れているのが「雨ニモマケズ」
知らない日本人はいないほど これは賢治の死後、鞄の中から偶然発見された
賢治がこれを作品として発表しようと思っていたかは分からない

私たちが知っているのは「ソウイフモノニ ワタシハナリタイ」ところまで
手帳にはあまり知られていない文句が出てくる

「南無妙法蓮華経」など「法華経」を含めて「雨ニモマケズ」だと言える
パッと見込みだけれども、当時は切られて、賢治の死後、フシギな経緯で広まった

 



 



教師を5年で辞め、百姓となる


「羅須地人協会」(実家の別邸
 

 

農作業のかたわら、地元のヒトと童話の朗読会、楽器の練習をした
だが、賢治の活動は理解されず、社会主義者の疑いをかけられたりして、
「羅須地人協会」の活動は1年ほどで終わる

その後、化学肥料のセールスマンとして、重い見本を持って各地を歩いた賢治は
病に臥せ、「雨ニモマケズ」を書いたと言われる

この詩が見つかったのは賢治の死から半年後
賢治を偲ぶ会の開催中、遺品の鞄から偶然見つかった手帳にあった

 




献身的な詩が注目されるようになったのは「軍国主義」の時代

『常盤樹』に掲載され「欲しがりません勝つまでは」などと同様
戦時にある日本人の精神として広まる(賢治の考えの真逆だな/哀

 

 

戦後、教科書にも載り、今度は戦後の窮乏を耐えて生きる日本人の姿に重ねあわされた
 
玄米四合では多すぎると「三合」に改められた

こうして日本中に広まり、偉人・賢治として知られていった

山下:
戦争が賢治を国民一般に知らしめたという側面がある
学徒兵などが「雨ニモマケズ」を読んで、“この気持ちで戦うんだ”という文章を遺していたりとか
戦時中を生き抜かなければならない人々の気持ちを代弁していた


普通は、戦時中の言葉は、戦後は一掃されていくが、また利用されていく

「玄米四合は多すぎる」とGHQの民間情報教育局から修正を指示された
戦争には勝てなかったけれども「雨ニモマケズ」という敗戦後の日本人の気持ちを代弁する言葉となって生き残った
逆の見方をすれば、時の権力を利用して生き残ったテキスト すごい力を持っているとも言える

賢治がいろんな理想世界を現実に移そうとする時、
「どうせ金持ちの坊ちゃんに農民の気持ちは分からない」と理解されず、誹謗中傷もされたと思う

そうしてもがいた結果が「雨ニモマケズ」 自分の中で呪文のように唱えながら
でも、そういうのが私だというのではなく「ソウイフモノニ ワタシハナリタイ」と言っている
聖人君子として生きていたわけではなく、なりたいけど、なりたいと常に思いながら生きていたというところが重要



ありのままの現実を見つめた童話も数多い


『毒もみの好きな署長さん』
 

国のきまりの第1条で「火薬を使って鳥をとってはなりません」
「毒もみをして魚をとってはなりません」と定められていた
「毒もみ」とは山椒などの粉を川でもむと、魚が白い腹を上にして浮かび上がるところを獲ること

この国にカワウソに似た新しい警察署長がやって来て、毒もみをして捕まり、アッサリ認める

「ああ、面白かった。
 おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。
 いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」


みんなはすっかり感服しました。


伊集院:植木等ですよ 分かっちゃいるけど止められない(ww

山下:
賢治も認める ニンゲンはそういうものだと やりたい時は地獄へ行ってまでもやりたい

伊集院:ニンゲンの感情の中には抑えきれない欲とか性質がある

山下:
じゃあ、あなたにとっての毒もみって何? と考えると自分も持っているから、他人も責められないし、
文学は裁くものではないので、法律で裁かれてしまう人も、文学の中では生きている


命を懸けても欲望に忠実でいられるか
賢治は子どもが読んで、教訓や、明るい側面が注目されがちだけれども
大人が読んでもハッとする作品もたくさんある



「仕事」と「労働」
賢治の作品には働くことへの理想と現実も書かれている

『なめとこ山の熊』


熊の肝は薬効で知られ、男は猟師が生業だが、熊たちと深いところで結ばれていた
山を知り尽くした猟師は、熊の皮や肝を街へ売りに行く時はとても惨めだった
雑貨屋の主人には二束三文で買い叩かれ、それでも家族を養うために体を小さくしてへりくだる



ある時、猟師は熊から「2年だけ待ってくれ 2年後にはお前の家の前でちゃんと死んでいてやるから」
と頼まれ、見逃すと、2年後、約束どおり熊は死んでいた



「てめへも熊に生れたが因果なら
 おれもこんな商売が因果だ。
 やい。この次には熊なんぞに生れなよ」


その後、老いた猟師は熊を撃つ間もなく襲われ、熊は言った
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」



もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。

「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。
それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。

とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。
雪は青白く明るく水は燐光をあげた。すばるや参の星が緑や橙にちらちらして呼吸をするように見えた。






山下:
理想と現実で分けると、理想のほうは猟師は山では生き生きとしている
熊とは尊い命の関係 自然の摂理の中の関係を結んでいる 天から与えられた「仕事」

山を下りると、それを二束三文で売らねばならない それが現実の「労働」
「仕事」と「労働」の対比が描かれていると思う

伊集院:
サービス残業からの過労死も酷い話
でも、天職だと楽しいことは時間を忘れてやってしまう
これを混同することで、とても残酷な結果になる
境目が分からなくなっている人は苦労が絶えないのと同じですね

山下:
自分の「仕事」とはなにか、を見極めることが重要
賢治もセールスマンをやったり労働していく中で
現実と理想の葛藤も見つめてきた人であった



第4回 「ほんとう」を問い続けて
 

賢治が多くの作品で繰り返し使っている言葉がある
生涯を通して「ほんとうのこと」を探求した賢治
しかし、それは答えのない旅

山下:
賢治は命を懸けて「真理の探究」を行った


『学者アラムハラドの見た着物』


教え子との問答
「鳥が飛ばずにいられず、魚が泳がずにいられないように、ヒトは何をしないでいられないか?」


他の弟子の答え


聡明なセララバアドの答えは
「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」

「うん。そうだ。人はまことを求める。 真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。
 人が道を求めないでいられないことは、ちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ。
 これをおまえたちは堅くおぼえて あとでも決して忘れてはいけない」


山下:
いいことをするのが重要なら、じゃあ何が「いいこと」なのかは人によって違います
ある人にとって「いいこと」が、別の人にとっては「悪いこと」かもしれない
じゃあ、「ほんとうのいいこと」てなんだろう

古今東西の芸術家、哲学者がしてきた真理探究のまなざしが賢治の中にもある

賢治の母親イチの口癖が
「ヒトというものは、ヒトのために何かしてあげるために生まれてきたのス」だった

みんなにとっての「いいこと」て何だろうと小さい頃からずっと頭にあって
信仰、哲学、芸術から求めてきたのではないか

私たちは自分自身のことを何も知らない存在と言っても過言ではなく
「なぜ生まれてきたのか」「いつ死ぬのか」もまったく分からない
「何だろう」と考える本能があるということを言っている


『マリヴロンと少女』


牧師の娘ギルダは、父に付き添って旅立つ日、
日ごろ憧れてやまない著名な声楽家マリヴロンを見かけて心からの尊敬を伝える
「あなたのためなら百遍でも死ぬ」というギルダに

マリヴロン
「あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、立派なおしごとをあちらへ行ってなさるでしょう。
 それはわたくしなどよりははるかに高いしごとです。
 私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分か声のひびきのあるうちのいのちです。」

「ええ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよそうでしょう。
 正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。

 ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。
 鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。
 みんなはそれを見ないでしょうが、わたくしはそれを見るのです。

 おんなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。
 それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」

「すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人人は、いつでもいっしょにいるのです」


山下:
今作は『めくらぶだうと虹』をニンゲンに置き換えたもの
どこにでもあるすべてのものに芸術というものはあると賢治は言いたい
職業作家だけでなく、それぞれが一緒に進んでいくんですよということ



芸術をもて あの灰色の労働を燃やせ
農民の生活の向上を強く願った賢治 それをまとめたのが『農民芸術概論綱要』


「かつてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
 そこには芸術も宗教もあった
 いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである

 宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
 芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
 ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある

 世界に対する大なる希願をまづ起せ
 強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ
 なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
 風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 われらの前途は輝きながら嶮峻である
 嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
 詩人は苦痛をも享楽する
 永久の未完成これ完成である


アナ:
山形に赴任した時、農閑期になるとお祭りして能舞台をする
さっきまで農作業していた人が衣装を身につけて神楽を奉納したりしてちょっとビックリした

山下:
いろいろなものがすべて一体だった
近代になっていろいろ区分けした 芸術、宗教、科学をバラバラに理解した
芸術の分野もバラバラに区切ったのが近代の特徴だが
賢治は全部を包括して感じていこうとした
ここでは、農業を芸術にしていく必要があると言っている

伊集院:
伊丹監督に映画に出させてもらった時に、映画の途中でカレーを作っている助監督がいて
「カレーじゃなくて、映画つくってるんだよ」てゆったことが助監督に響いたそう
カレーを作ることも芸術の1つ

山下:
どんな仕事、労働にも美を見出すことができる(仕事に限らないよね



『銀河鉄道の夜』(やっと出てきた!





賢治の代表作の書き出し

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云いわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていた
 このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」



先生は、黒板に吊るした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった
銀河帯のようなところを指さしながら、みんなに問をかけました。

カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。
ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。

たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、
このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、
なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。


ジョバンニはカンパネルラと天の川を鉄道で旅をする
 

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。
 僕はもうあのさそりのように ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

「うん。僕だってそうだ」 カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。


石炭袋に着く2人 カンパネルラは突然消える



山下:
「未完の大作」と呼ばれていて、賢治の集大成 大変な問題作とも言われている
日本近代文学とか、童話の枠を超えて、世界文学の粋にいっている
宇宙を旅するというスケールの大きさが日本をこえている


物語のテーマは「死」

山下:
大きなテーマで考えるほど分からなくなる その賢治の「求道」が描かれているのかなと思う

何度も何度も改稿している、改稿するたびにボンヤリしてくる
どんどん何か分からない「闇」を私たちに突きつけてくる


伊集院:トシの死ともちょっとオーバーラップする

山下:
旅に出る時、夜の列車を選んでいる 夜の闇の中であちらの世界を考えて追究した結果が今作

伊集院:
求めることが正しいとすると、私たちが究極的に正しいことが分かったら、それは終わりだったりするのかな
(深い・・・

山下:
「永遠の未完成 これ完成」という言葉も遺している
未完成ということは、読者に任されているということ

参加する、想像力の余地がある ものすごく刺激されて
読者とテキストでどの時代にも生き残ることができる
私たちの解釈も多様で、文学の豊穣さも賢治の魅力だと思う



最後の締めくくりは、大好きな♪星めぐりの歌
クラムボンの原田郁子ちゃんが、賢治の弾いていたのと似たオルガンを弾いて歌うのがイイ

 


***


私の好きな宮沢賢治だが、この番組、山下さんの幅広い解釈で、さらに魅力的だと思った
絵本になく全集にあるもので読んでいない作品もまだまだあるし

昔、全集を持っていたのも手放してしまった
雑紙のようなザラザラした手触りのいい本だったのになあ

賢治というと、中学の国語の授業を思い出す
みんなが気弱な国語の若い教師をバカにしていて、いつも授業はお喋りで賑やか
教師もそんな生徒を放っていた

教科書で賢治が取り上げられ、「どこが魅力か」と私はあてられた
それまで、前の席で友だちと喋っていたけれども
「岩手の方言の響き、オノマトペの言葉の面白さなどが好きです」と答えた時の
ビックリした顔を今でも覚えている
きっと大した返事は返ってこないだろうと期待していなかったんだろう



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宮沢賢治絵童話集 13『銀河鉄道の夜』 東逸子/画(くもん出版)

2017-04-29 13:37:17 | 
宮沢賢治絵童話集 13『銀河鉄道の夜』(くもん出版)
宮沢賢治/著 東逸子/画 天沢退二郎・萩原昌好/監修

「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。


宮沢清六 筆



【宮沢賢治絵童話集 第13巻 月報10 1993年6月 内容抜粋メモ】

豊沢川


賢治が7歳の夏、遊泳中の小学生が渦にのまれて亡くなった
捜索する舟の光を眺めたこの日の事件は今作に投影された


「宮沢賢治との出会い/王敏」

文化大革命後の後遺症で、中国国内の文学的作品や、外国の作品等が皆無の中、
石川先生が、自身でガリ版印刷した「雨ニモマケズ」と出会い大変ショックだった
異文化、異民族の人々でも、真理を探求する心、精神は普遍的だと解りました

指導教師のこうえい先生は、日本文化学院、陸軍士官学校などを卒業されており
賢治とも「銅鑼」の同人であり、賢治が病床の時は見舞いに行き
詩集なども発表した方で、講義の教材に『オツベルと象』を使用した

このお2人との縁により、『注文の多い料理店』の翻訳をし
文革後、初めての日本文作品の紹介となり、大きな成果を生んだ

その後、日本の文部省の奨学金を受けて、宮城教育学大学に留学したことも
当時の中国ではセンセーショナルな話題となった

国境を越えられるのは、心、精神であるならば、死を超えられるものは何だろうか



「結晶石と宇宙の感情/東逸子」

ふとしたことで手に入れたホタル石を終日眺めていたことがある

ジョバンニとカムパネルラの旅した銀河は壮大な宇宙を想わせながら
同時にこの結晶のような微細な内宇宙ではなかったでしょうか

童話に真正面から取り組む時、彼の視覚がいかに大自然を相手にしているかを想いしらされる

少年たちや、私たちの心を乗せた銀河鉄道は、
マクロとミクロ両極の宇宙を走るとともに
精神の宇宙までも走っている

この美しく透き通った内外宇宙の旅の果ては単純な「死」とは思えない
そこは賢治の魂の真の姿が、サザンクロスよりも輝いているはずです




「あの年、この月の賢治 賢治カレンダー6月」

宮沢賢治記念館/梅木万里子
羅須地人協会がけ下の荒地を、賢治は独居自炊しながら開墾した

「来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働きます・・・」

子どもの頃、質・古着商という家の職業に抵抗を感じていた賢治は
将来の職業について父と意見を深く交わした時期があった

21歳の時には手紙に法華行者として生きる決意でいると伝えているが
卒業後は学校で稗貫郡土性調査に携わった
が、この仕事に対しても賢治は疑問を持つ

31歳、賢治は上京 大島に渡り、水沢出身の伊藤七雄を訪ねる
伊藤が大島に農芸学校を開校する考えに応じ、
賢治が土質の調査、農園の設計をするためだったと言われている
この時の様子は、『三原三部』に描かれている

***

くもん出版:
本文は、原文を尊重する立場に立った上で、一部を除き
『校本宮沢賢治全集』(筑摩書房)を底本とし、一部を訂正した


***

【イーハトーブ夢先案内 内容抜粋メモ】

「心に銀河鉄道を持って/斎藤文一(新潟大学名誉教授・物理学)」

今作の銀河鉄道は、はくちょう座から始まり、こと座、わし座、いて座、
賢治がとりわけ愛した一等星のアンタレスをふくむさそり座、ケンタウルス座、
終着駅は南十字座付近を走る これらはすべて夏の星座である

冬の銀河系と夏の銀河系では、明るさ、天の川の幅、明暗の模様もまるで違う
夏の銀河系のほうが断然明るく、星の数も、その他の物質も断然多い
賢治は、銀河鉄道を銀河系の中心部へ向けて走らせた

『銀河鉄道の夜』は、けっして単に星座から星座への汽車の物語ではない
もともと星座は、単に、太陽にほど近い恒星の偶然の配置にすぎないのですから
銀河系という1個の巨大な物質系の中心部に走る物語ということになる

プリオシン海岸のあたりでは、銀河系の地層を掘る場面がある
つまり、銀河系がどうつくられてきたかを調べようとしている
なんという大きな発掘でしょうか!

今作は、いまだに解けていない謎も多い
まず作品全体に流れる大きな構図を、時間をかけて読み解くのがいいと想う
心に銀河鉄道を持って



「ジョバンニの切符/吉見正信(近代文学研究家)」

ジョバンニの印象は、まるで違った2つの姿に読み分けられる
最初は、家が貧しく、母が病気で寝ていることから、どこか孤独な姿が気にかかる
が、実は、意外にしっかりしていて、元気な少年であることに安心する

ジョバンニの気持ちがガラリと変わるのは、鳥を捕まえて商売をしなくてはならない
気の毒な鳥捕り、船が沈没した遭難者の3人のことが気になってしかたない
自分はどうなっても、なんとかその人たちを幸せにしてあげたいという気持ちになる

そのきっかけは、自分が持っている切符が、どうも特別だということに秘かに気づいたからに違いない

私たちもジョバンニと同じ切符を持つことができる
それさえあれば、人々の幸せのために、どこにでも自由に行くことができるのですから





***

“この宮沢賢治絵童話集は、全15巻あり、人気イラストレーターにより、幻想世界を再現している”とある

東逸子さんの絵は、『銀河鉄道の夜』の世界にピッタリだ

まず、今作は未完成なために、どれを底本にするかも重要だけれども
“子どものため”に旧仮名遣いを、新仮名遣いに改めたのは
賢治の魅力を半分以上奪うことになるのが残念

でも、最初に出会うには、まず難解な言葉を入れずにストーリーを読んでから
より興味をもったら、より生原稿に近い形で読み直すのもいいかもしれない

もう何十回読んだかしれないけれども、声を出して朗読を試みたら
数ページもいかないうちに、もう胸が詰まって泣いてしまうので
心の中で読んだり、またセリフだけ口に出してみたりしてみた

登場人物の中で好きなのは、なぜか鳥捕りの男
解説では、“気の毒な”と言っているけれども、彼の言う

「ああせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな。」

というセリフが大好きだ
現代の働き過ぎな日本人も体にちょうど合う労働が出来ればいいといつも思う

今回は、私の好きなセリフを青空文庫から旧仮名遣いで抜粋してみようと思う


***




「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」さっきのザネリがまた叫びました。
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。

ジョバンニはまっ赤になって、もう歩いているかもわからず、
急いで行きすぎようとしましたら、そのなかにカムパネルラが居たのです。
カムパネルラは気の毒そうに、だまって少しわらって、
怒らないだろうかというようにジョバンニの方を見ていました。




「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。
 ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」





「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」

「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」

「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。」





「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。
 ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」

「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」




「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。
 ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする。
 けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。

 誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。
 だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」





「あの人どこへ行ったろう。」

「どこへ行ったろう。僕はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。
 僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」






「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも
 それがただしいみちを進む中でのできごとなら
 峠の上りも下りも みんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るために いろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」





「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない
 そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときは あんなに一生けん命にげた。
 それでもとうとうこんなになってしまった。

 ああなんにもあてにならない。
 どうしてわたしはわたしのからだを だまっていたちに呉れてやらなかったろう。
 そしたらいたちも一日生きのびたろうに。

 どうか神さま。私の心をごらん下さい。
 こんなにむなしく命をすてず どうかこの次には まことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。」







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毎年恒例上映 『31年目のチェルノブイリ』@ポレポレ東中野(2017.4.27)

2017-04-28 11:06:57 | 映画
毎年恒例上映 『31年目のチェルノブイリ』@ポレポレ東中野(2017.4.27)

1986年4月26日にチェルノブイリ原子力発電所でレベル7の事故が起きてから31年。
 今年も毎年恒例の”4.26上映”を行います。


 今年は、『ナージャの村』(1997)、『アレクセイと泉』(2002)の監督本橋成一が、
 両作品の撮影地ベラルーシを再訪し、ドキュメント映像を製作します。
 
 かつて本橋がとらえた汚染されたふるさとに住み続ける「サマショール」(自ら住む人)と呼ばれる人びとの暮らしは
 31年が経過した今、どのように変化しているのでしょうか。

 福島第一原発の事故からも6年の月日が経ち、日本でも「災害処理」としての復興は進んできたかもしれませんが、
 地域や共同体、人間と自然の共生は分断されたままといえるのではないでしょうか。

 自然と文明のなかで人はどう生きるのかを繰り返し問われる今、ベラルーシの被災地の現在を短編映像と写真で伝えます。
 また今年は、恒例の『ナージャの村』、『アレクセイと泉』をデジタルリマスター版で上映します。
 フィルムとは異なる質感、音の拡がりをお楽しみください。”

本橋成一さんについては※「作家別」参照

ベラルーシの村人は・・・ドキュメンタリー上映会@東京新聞



『ナージャの村』(1997)



『アレクセイと泉』(2002)



「ベラルーシ再訪2017」(2017年 25分 予定)





4/27(木) 15:00~B+C
監督の本橋成一さんのトークも聞きたかったけれども、日程の都合と
昼の部で『アレクセイと泉』(2002)のほうを観たかったのでB+Cを選んでみた

ソファで時間を待っている女性は連れの方に
「私は原発に絶対反対」と声高く話していた

ヤンバルクイナの手作り帽子をかぶった男性がチラシを配っていた

 

トークショーだろうか? 聴きたいけれども、予定がかぶってしまって残念

「2017zenko - 平和と民主主義をめざす全国交歓会」


上映時間までに、外でサンドイッチを食べて腹ごしらえしてから
喫茶店の中でまた催されていた、今回の映画で撮った写真展を観た




壁に掲示された写真や新聞記事等も写真を撮っていいとのことで、いろいろ撮った(インスタにもアップする予定
ディランの映画『Dont Look Back』(1967)のチケットも貼り出されていたけど、どこかでかけるのかな?













沖縄基地問題の記事もあった










***



30分ほど前に着いてチケットを買ったら11番目で、後方の端の席が選べたv
平日とあって高齢者が多かった 若い人にもぜひ観てもらいたい

スタッフ「本日は、本橋成一監督がいらっしゃってますので、ひと言ご挨拶があります」ええっ!?
挨拶も聞けたし、映画を観た後にゆっくり話せて貴重な経験が持てた/感謝


本橋成一:
1986年4月26日にあったチェルノブイリ原子力発電所事故に合わせて、毎年4月26日前後に上映を行っています。
前の2作を撮ってから、12年ぶりに2つの村を再訪したわけですが、何もなくなってしまっていてショックでした

以前、暮らしていた「サマショール」、現地の言葉で“困った人たち”という意味の造語なんですが
彼らも高齢で亡くなってしまったり、村を離れたりして、すっかり人気がなくなっていました

この企画は、これからも毎年やっていきたいと思っていますので、ぜひまた来てくださると嬉しいです



『アレクセイと泉』(2002)


trailer

監督:本橋成一
製作:神谷さだ子、小松原時夫
撮影:一之瀬正史
音楽:坂本龍一
録音:弦巻裕
編集:村本勝
スチール:明石雄介
ナレーション:アレクセイ・マクシメンコ

“ベラルーシ・ブジシチェ村はチェルノブイリ原発事故によって放射能で汚染された。
 しかし村の泉からは放射能が一切検出されない。
 豊かな大地、奇跡の泉と共に暮らす人々を、坂本龍一の音楽と美しい映像で綴ったベルリン映画祭受賞作。”



【内容抜粋メモ】

本当に豊かな自然 その自然の移り変わりとともに生活する村人たちのたくましさ
ここが高濃度の放射能で汚染されているなんてとても思えない

村に住む唯1人の青年アレクセイのナレーションによって素朴な村人の生活が描かれてゆく

“事故があった日、私はじゃがいもを掘って、家に戻った時だった
 急に強い風が吹いて、雨が降り、すぐに止んだ 事故のことは何も知らされなかった

 避難指示が出て、ほとんどの村人が去っていったが、私はこの村が好きだし
 残る両親の手伝いがしたくて、残ることを決めた

 国の人たちは、「ここにいたら病気になる」と言った
 それを証明するために、村の泉の水を持ち帰って調べたら、放射能量はまったく検出されなかった



ジャガイモが主食なのか、家畜の餌にもするので、1年分を収穫するのに
少数の老人たちではムリだから、近所同士手伝い合ったり、街に住む家族が帰ってきたりする

(日本と同じだね 私の母も昨日の電話で、そろそろジャガイモの苗を植えると話していた

とにかく、なんでも自分たちで作る自給自足っぷりに感服
これが本来のヒトの生活だと思った

カラダに合うだけ働いて、自然の恵みを必要な分だけもらって
収穫祭には感謝を捧げて歌って踊り、司祭を呼んで、奇跡の泉に祈りを捧げる
十字架をたて、イコンを「曲がってない?」と慎重に飾るシーン

糸を撚ってセーターを編んだり、生地を織ったり、
枝でカゴを作って、街に売りに行くが二束三文にしかならない

年金を受け取る時は「金持ちになったねえ!」なんてからかわれる
すぐに砂糖などの必需品を買って、あとは子どもたちに送る
“お金はほとんど必要ないんだ”
あとからこっそりウォッカを買って、その場ですぐコップを出して「飲むかい?」て言うお父さんw

アレクセイの誕生日には、ガチョウ?を料理して3人で祝った
他の家族は仕事で忙しくて来られなかった
母親は「早くいいお嫁さんが見つかりますように」と言うと
アレクセイ「いらないよ」と照れている

“お祭りで賑やかになったが、みんな昔話が多くなって、それが寂しい”

ここでは馬がいないと仕事にならない トラクターもあるが、安く買ったものだから
 兄が直してくれなきゃ今ごろは壊れている それでも年寄りばかりの村にはトラクターが大活躍する”

馬もステキだけれども、いつも自由に走り回って、アレクセイの前を尻尾を振って走る白い犬も可愛かった
ネコも2匹いて、殺したガチョウを調理する間、ずっと見ていて、おこぼれをもらっていた

70~80代の男たち4、5人が、井戸の腐った囲いを直すことになった
“洗濯する時に困ると2年ほど前から言われていた”

森に行き、木を伐り、釘も使わずに斧などで器用に角材にして仕上げていく見事な職人技には目を見張る/驚
“女たちのために頑張らないとな”“はじめよう そしたら終わるんだから”ってセリフもよかった

あんなに頑張って立派に作り上げて、ウォッカを飲んで休んでいたら、アレクセイのお母さんがやって来て
「あなたたちはお酒を飲んで、すっかり休んでるけど、あれじゃ洗濯するには狭すぎるわよ!」てww

夫「あれはいつも文句が多いんだ 気にしないでくれ」

ここでも音楽はヒトの心の支えとなっている
刺繍をしながら鼻歌を歌ったり、水汲みをしながらアレクセイの歌う哀しい恋の歌も感動した

あの井戸の水は、今も清いまま湧き出ているのだろうか?

どんなにヒトの手によって荒らされたとしても、自然はやがて復活する
よく“地球が危ない”と言うけれども、危ないのはヒトのほうだ
ヒトがいなくなったとしても、自然は残り、また再生する

映画『あたらしい野生の地ーリワイルディング』(ネタバレ注意)@渋谷アップリンク

アヌップ・シャー写真展 「マサイマラ」@コニカミノルタプラザ(2016.11.22) ほか



「ベラルーシ再訪2017」(2017年 25分 予定)


trailer

“2017年3月11日、本橋成一は12年ぶりにベラルーシ・ブジシチェ村を訪れ、
 今は故郷を離れたアレクセイと一緒に村を歩いた。翌日はナージャ一家を訪ねる。
 事故から31年経って、ベラルーシの人々はどのように暮らしているのか。最新レポート。”



【内容抜粋メモ】

前2作の場所と人々を訪ね、今の様子と比較するという短篇
時間があれば『ナージャの村』も観たくなった

2つの村に住んでいるのは、今では老人1人ずつのみ?!
アレクセイのお父さんも、娘の働く病院で1年間寝たきりの後に亡くなってしまった

それでも、奥さんは懐かしく本橋さんらを迎え入れてくれて、夫たちの眠る墓へも案内してくれた
アレクセイは、今では村から離れた場所の保育園の掃除などをして生計を立てている

本橋「今でも村に戻りたい?」
アレクセイ「いいえ、そうは思わない」


『ナージャの村』に出演した家族に集まってもらって「変わらないねえ!」と本橋さん
家にあがり、ごちそうを頂いた
本橋「あれから、あの家族はどうなったのか、と日本でよく聞かれるんですよ」

それから、映画で撮影した村を訪ねる 今住んでいるのは高齢の女性1人
最初は取材拒否していたが、訪ねるとやはり懐かしんで家に招いてくれた

「送ってくれた写真集を見て、懐かしんでいますよ」

当時撮った写真を見せると、「彼も、彼も亡くなった」と顔を曇らせる
ヒトの住まなくなった家は荒れ果て、雑木林に戻っていた

おじさんが言っていた言葉が耳に残った

「天国なんていらない 故郷をくれれば」


***



本橋成一さんが、映画のパンフレットにサインをしながら、
お客さんと気さくに話されていたので、私もサインが終わるのを待ってから話をさせてもらった

Q:東日本大震災とチェルノブイリとの違いは何でしたか?
A:同じです 全然、違いはない みんな故郷に帰りたくても帰れない状況

Q:高齢者の方は、放射能汚染で亡くなられたんですか?
A:いや、老衰で 観ていただいた通り、撮影した時すでに70代、80代だったので

Q:子どもさんの中には、甲状腺を患っているのと放射能が関係しているのではってニュースもありますよね?
A:そう、だから子どもがいる家族は皆避難して村を離れてしまった

Q:自然は残っていたけれども、動物たちもいなくなっちゃったんですか?
A:動物はいます イノシシとか でも、動物たちもいつまであすこで生き続けていられるかどうか

Q:村の人たちが自給自足で豊かに暮らしていることに感動しました お金なんて必要ないんじゃないかと思った
A:まったく必要ないわけではない やっぱり中国から安いモノが入ってきたりして、生活の形態は変わってきてます

Q:ニンゲンの経済活動が自然を破壊していますよね 原発も最初は経済を潤すと宣伝して
A:そう だから、経済が問題

Q:国はあの村の復興にまったく力を入れてないんですか?
A:まったく何もしてないことはないけれども、貧しい国だから、なかなか復興が進まないのと
  原発事故自体なかったことにしたいんですよね

Q:忘れてしまいたいってことですか 「困った人たち」って言っているのは、同じ国民なんですよね?
A:最初は政府が言い始めて、国民もそのうち同じように言い始めた

Q:日本と同じですね 避難生活をしている人たちへの差別とか
A:同じなんです

“原発避難いじめ” 子どもに何が?大人はどうする?@週刊ニュース深読み

Q:私も震災当時は、節電とかしてたけれども、今はそれほど気にしなくなってしまった
  クリーンエネルギーの電気を選ぼうにも、とっかかりがなくて 電気のない生活に急には戻れないし、もどかしいです

A:とにかく原発はなくすべき 電気のない生活に戻すのはムリかもしれないけれども
  村の人々は、原発による恩恵は何も受けてないのに、あんな風になってしまったんですよ
  チェルノブイリ原発で作った電気は、他の地域へと送られていた


Q:東北で作った電気が、関東で使われているのと同じですね
A:同じなんです

Q:どうしたらいいんでしょう? 巨大な負の遺産を子どもの、そのまた子どもの、、、世代まで残すことになってしまって
A:本当にそこですよね 一歩一歩少しずつやっていくしかないのかもしれない

チラシの中から丸木夫妻の写真展も薦めてくださったけれども、埼玉県松山市の「丸木美術館」はちょっと遠いなあ・・・



原発事故のことを、国も国民も“なかったことにしたい”ということを聞いて胸が詰まった



[その他のチラシ]

 

 

 

 

 

 





【ブログ内関連記事】

NHKアーカイブス「チェルノブイリが語ること~原発事故30年の教訓~」

『セバスチャンおじさんから子どもたちへ 放射線からいのちを守る』

『カリーナのりんご チェルノブイリの森』(子どもの未来社)

『希望の国』(2012)

『1億3000万人の自然エネルギー』(講談社)

チェルノブイリ原発事故から30年目

読書感想メモリスト3の[原子力発電所]も参照



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『遠くをみたい 星の贈りもの』 東逸子/絵(パロル舎)

2017-04-28 11:05:57 | 
『遠くをみたい 星の贈りもの』(パロル舎)
寮美千子/詩 東逸子/絵

「読書感想メモリスト1」カテゴリーに追加しました。

寮美千子
1955年生まれ
91~97年に、衛星放送ラジオ局「セント・ギガ」に約400篇の詩を提供

92年、ACCの助成を受けてアメリカを訪問
NASA、先住民居留地を取材

同年、野辺山電波天文台10周年記念絵本『ほしがうたっている』を制作

2003年、国際天文学連合より小惑星8304が「Ryomichico」と命名される


あらすじ(ネタバレ注意

バラの木に なぜバラの花が咲くのか
ふしぎに思わない子どもはいても
宇宙の果てを思わない子は きっといない

なぜか知らないけど 人はそんな生き物
たかだか百年の命しかない
小さな体の中に 太陽系の広がりを宿す





一番近い銀河でさえ 十六万光年の彼方
(十六万年前 人類はまだ 石器時代)

一番遠くに見える銀河は 百二十八億光年の彼方
(百二十八億年前 宇宙はまだ 生まれたばかり)


人の心には翼がある
心は光よりも速く
宇宙の果てへと かけていく


光は語る
(星が生まれてから 死ぬまでの物語を)

闇も語る
(星が死んでから 生まれるまでの物語を)







宇宙は ふるさと
この地上に暮らす すべての命の






そのわたしたちが 殺しあいをしている
ほんとうはみんな 星から生まれたきょうだいなのに

翼をもった心が
超えられないはずがないのに
国境を 民族を 肌の色を 憎しみを


億年の星のめぐりをへて
いまここに わたしがいる

それを思えば
わたしは わたしがいとしい
わたしは あなたがいとしくなる
まるで わたし自身のように



地球は かがやく命の星の海





美しい夢を見よう 美しい未来を
世界がもっと やさしい場所になるように






***

“2004年11月、西はりま天文台に国内最大の口径2mの望遠鏡「なゆた」が完成
 一般に開放され、誰もが宇宙の果てを覗くことができるようになりました。”

寮美千子さんの経歴が興味深すぎる/驚
小惑星に名前まで付けられるってスゴイな

今作は天文台とのコラボかなにか?

東さんの描く宇宙もステキ
絵本だとせっかくの壮大な1枚の絵が、真ん中で折れてしまうのが残念なんだけど



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キロさん占い@反町(2004.8.1)

2017-04-28 11:04:57 | 日記
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長野から友だちが泊りがけで来て(7.30~8.1)
その3日目に以前行った占い師さんのところに行った

10時頃に家を出て、反町へ
久々の割に教わった通りに行ったらすんなり着いた

友だちのみ40分間占ってもらい、その間、私は「いいとも」を見つつ、
お茶を飲んで、お菓子をポリポリ

友だちは、10月~11月に出会いがあり、来年は結婚し、
女の子が生まれると聞いてかなり安心していた

(これも当らなかったね 2017


→横浜でウィンドウショッピング
そこらじゅう売り尽くしSALEだったが、友だちは「安くない」を連発してた

→ぶくろのプラザでお茶して、16時台の高速バスで帰った


私はビックで時計の電池を交換


顔が火ぶくれになってて、首や腕にはまた湿疹
いつかの悪夢がよみがえる
耳の後ろも触ると痛いし、痒いし/涙



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黒澤明アート展@森アーツセンターギャラリー(2004.12.18)

2017-04-28 11:03:57 | アート&イベント
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F氏と六本木で映画『ポーラー・エクスプレス』を観た後→森アーツセンターギャラリーへ

『乱』『影武者』『夢』などの絵コンテ風絵画
クレヨン、水彩、エンピツで描いた、ラフな色使いやタッチで、
監督が映像化する前に頭の中にあるイメージ映像が伝わってくるものばかり

それらをデカく引き伸ばしたパネルと、ビデオが2ヶ所
枚数も程よくて気軽に見れた


こないだ「HUSH HUSH」で買ったブーツを初めて履いていったら
ヒールが思いのほか高くて、痛いの痛くないの
歩き回った疲れと痛み、昨日もうたた寝後、ダラダラ起きていたせいで
テンションが急激に下がった

夕飯はパスタを食べて、書店でパペマペの本で爆笑して
またウィンドウショッピングして帰ったら、足腰ボロボロ


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「ロバート・キャパ写真展」@日本橋三越本店新館7階ギャラリー(2005.2.18)

2017-04-28 11:02:57 | アート&イベント
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18時過ぎ、F氏と三越前で待ち合わせ
7Fはけっこう混んでた

モノクロの戦争写真が多い中で、貴重なカラー写真は1940年代とは思えない色鮮やかさ
どこか妙にのどかに見えるのは、いつでも変わらず青い空、海、雲、緑があったせいか?

印象的なのは京都シリーズ
おめかしした子どもらや、河原での遠足中の昼食風景
メーデーデモの様子など、今とさほど変わらない日常の感じがしてビックリ

VTRは、今でもいろいろな写真家の作品300万点をおさめているなんとかアートのこととか

ひと通り見て、ラストはキャパを有名にした「倒れる兵士」「ノルマンディ上陸」

 

ドイツ兵の子どもを抱いて、髪を剃られた女性が嘲笑を受けている写真
地雷を踏んで40歳の若さで死んだ数分前に撮ったフィルム

パネルにはイングリット・バーグマンと恋人同士だったこともあった/驚

ショップのポストカードもよかったな

改めて、写真が切りとる「瞬間の美しさ」に感動
写真展もイイなと思った

日本橋の新しいスポットで中華麺を食べて帰った



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