監督:マーティン・スコセッシ
だいぶ前にテレビで放送されたのを録画して、そのままだった
前編が1時間53分、後編が1時間35分の超長編
本人の回想とともに、生まれた町から出て
人前で歌い、有名になっていく様を
当時関わった人たちのインタビューを交えて進めていく
途中、途中で、1966年のブーイングを浴びたライブ映像を挟む
【内容抜粋メモ】
自分の家を見つけたかった
♪LIKE A ROLLING STONE イギリス ニューカッスル 1966
フォークからロックに転向した時のライブ
当時はすごい酷評されたんだよね
今聞くとロックというよりとてもゆっくりでフォークロックぽい
演奏が終わるとブーイング
“時間を止めることはできない”
ギターを始めたのは10歳
♪DRIFTIN TOO FAR FROM THE SHORE/ビル・モンロー
間違った両親の元に生まれた気がした
「ミネソタ州 ヒビング」
田舎町に生まれた
みんな鉱山で働いてた
哲学、思想も、スタイルもなかった
父は兄弟で電気屋をしてた
ある日、サーカスが来た
見世物が面白かった
ハンク・ウィリアムス(この曲、カバーで聴いたことある
深夜のラジオが楽しみだった
ジョニー・レイは泣きながら歌うんだ
ウェッブ・ピアース
マディ・ウォーターズ かっけー
心をとらえたのはサウンド
町を出たくなった
ジーン・ヴィンセント
ロックンロールはカントリーと似てると思った
♪リトル・リチャード
高校の担任:
彼の演奏はかなり突拍子もないものだった
ピアノを壊しそうなほど叩いて、校長が止めた
♪HOW MUCH IS THAT DOGGIE IN THE WINDOW/パティ・ページ
当時の音楽は現実離れしていた
病的な不安を持つ人が増えた
当時の彼女、女優みたい/驚
映画『理由なき反抗』
ジェームズ・ディーン、マーロン・ブランドーが出て変わった
過去と縁が切れた
冒頭のライブ後
ファンの男性の感想:
彼は別人だ
コマーシャルに走ったんだ
大衆に迎合して、金で自分を売ってる
ハモニカが貧弱でリズムがズレてた
♪ミスター・タンブリン・マン
目がイっちゃってて、なんだか退屈そう
卒業の翌日、街を出た
♪スージー・ベイビー/ボビー・ヴィー
田舎で売れてる男がいた
彼らと一緒にやった
友人:ボブはヴィーになりたがってた
ミネソタの大学に入ったが授業は出なかった
ジャック・ケルアック
ジョン・J・ナイルズ(ものすごい高音!
以前からフォークを聴いていた
♪THE WATERBOY/オデッタ
「ヴァウッ!!」ってなんだろう???
ギターでストロークするからドラムはいらない これは使えると思った
歌を覚えるのは早いんだ 1、2度聴けば歌える
エレキをアコギにかえて人前で歌った
若い頃のディランはほんとカワイイな
ミュージシャン リアム・クランシー:名前をディランと変えた
D:自分でも分からない 過去の発言などどうでもいい
フォークシンガー トニー・グローヴァー:
人種問題で変えたのかもしれない
反ユダヤの長い歴史があったから
音楽評論家 ポール・ネルソン
(ディランも最初はいろんなカバーをしてたんだな
メンフィス・ジャグ・バンド
クランシー・ブラザーズ・アンド・トミー・メイカム
ウディ・ガスリー やっと出た
大切なことを言っていて特別に感じた これだと思った
歌は生き方を学べる
自分と重なると思った
今を歌っていると思った
♪ヒョウ皮のふちなし帽
ロビー・ロバートソンのギターソロ、いいね ブルース
♪ランブリン・ラウンド
ウディのレコードは入手不可能だった
貴重なものばかりもらってきた
レコードが25枚消えていた(!ww
♪ランブラー、ギャンブラー
ジョーン・バエズには圧倒された
フォークそのものだった ギターも上手かった
「ジョン・F・ケネディ 1961年の演説」
国があなたに何をしてくれるかではなく
あなたが国に何ができるか問おう!
詩人 アレン・ギンズバーグ
グリニッジ・ヴィレッジに詩人を探しに行った
ミュージシャン デイヴ・ヴァン・ロンク:ジャズに夢中だった
ヴォーカリスト マリア・マルダー:みんなコーヒーショップで演奏した
ジョシー・マイルズ
「NYで初めてのディランのフィルム」
ギターケースからいろんな帽子を出して試してる
♪ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー
NYで歌い始めた
出演料の代わりにバスケットをまわした
♪ディンクス・ソング
強い印象を与えたかった
ミュージシャン ブルース・ラングホーン:真剣にやってるのが分かった
フォークシンガー マーク・スポーストラ:彼には芝居っ気がある
♪廃墟の街(今聴いても、何について歌ってるのか難解
撃つと脅迫電話があった
♪THIS LAND IS YOUR LAND
「ディランの元恋人 スージー・ロトロ」(ワオ! ジャケットの女性?
モリスタウンの精神科の病院でウディを見て悲しかった
B.J.セラーズ
デイヴ・ヴァン・ロンク
“君には知らないことを知っている”という目をしていた
自分もそうなりたかった
♪MAN OF CONSTANT SORROW(バックは山の書割!
彼はNYでリアルなパフォーマーになった
♪SONG TO WOODY
ウディを卒業した
誰も書かなかったウディの歌を作って歌いたかった
フォークロアセンター主宰者 イジー・ヤング:
平凡な子に見えた
いい曲をつくると周りに紹介するようになった
400枚もレコードを借りて返してないことも知った(ww
♪TALKIN BEAR MOUNTAIN PICNIC MASSACRE BLUES
ジョン・リー・フッカーの前座のチャンスが来た
ラジオ出演
ニューメキシコの生まれとかウソついてる
♪SALLY GAL
スカウトが来てたけど関係ないと思ってた
ジョニー・マチス
レコーディング・プロデューサー ミッチ・ミラー
ロングヒットになる曲、声のいいアーティストを探してた
マイク・シーガー(フシギな楽器だな
ジョン・コーエン バンジョーを弾いて歌う
ハリー・ベラフォンテ みんなクセ強いな
♪奇妙な果実/ビリー・ホリデー は気が滅入る・・・
コロンビアレコードと契約しないかと言われてウソかと思った
♪BABY LET ME FOLLOW YOU DOWN
声に変なクセがあったが個性だから捨てなかった
最初のレコーディングは普段歌わない曲にした
♪HOUSE OF THE RISING SUN
選曲を間違えた 自分の曲を録音すべきだった
自分で曲が書けたんだから
いつでもどこでも歌を書いた
フォークシンガー ピート・シーガー:
昔の歌を今の時代に合うようにちょっと変えたり、加えたりしてきた
われわれはウディの子どもなんだ
核シェルターが作られ、不安に満ちていた
スージー・ロトロ:
私はCORE(人種平等会議)の仕事をしていた
ボブも同じ気持ちだったと思う
♪BLOWIN' IN THE WIND
あの歌がいいか悪いか分からないが、時代に合っていたと思う
歌い継がれるかは分からない
シンガー メイヴィス・ステイプルズ:
人間扱いされなかった父のことだ
ボブは白人なのになぜ書けるのか不思議だった
ゴスペルと同じ 真実を書いている
♪DON'T THINK TWICE, IT'S ALL RIGHT(やっぱりジャケの女性だ
スージー:ボブも私も部屋がなくて泊まり歩いてた
♪A HARD RAIN'S A-GONNA FALL
ケネディと子どものフィルム
軍と原発実験のような映像
こうした暗い時代があったから生まれた名曲なんだな
チベットの諺:自分を超える弟子がいな者は師ではない
ラジオ
Q:♪激しい雨が降る とは原子爆弾の雨のこと?
違う みんなそう言うが激しい雨だ
トピカルソングは書かないし、その言葉も嫌いだ
1966年のライブが時々はさまる
♪BALLAD OF A THIN MAN
ディランがピアノ
(女性ファンは肯定し、男性ファンは批判してるのは
ディランのアイドル性か? 女性のほうが変化に柔軟だからか?
ディラン:
ブーイングには耐えられない
演奏できないよ
ブーイングで音がとれない
何も聞こえない
やる気がなくなる
なんでチケットはすぐ売り切れたんだ?
♪RAINY DAY WOMEN がラジオから流れる
最初のアルバムは売れなかった
2枚目から周りの見る目が変わった
グロスマンが現れた(金の成る木に集まる連中か
権利をおさえて金にする
ディランの曲をピーター・ポール&マリーに売る錬金術師
マリーはグロスマンにスカウトされ、グループを組んでフロリダにいたが日に焼けずにいた
グロスマンが「青白いブロンド娘が売り」だと言うから
それを聞いてゾっとしたが、したたかさで言うとボブのほうが上だった(w
スージー:必要な人間を嗅ぎ当てる 勘が良かった
音楽業界は著作権会社が中心だった(今でもそう変わらんのでは?
音楽出版社 アーティ・モウガル:
ジョン・ハモンドがボブを見つけたとよく言われるが
有名にしたのは私だ
社長も金の匂いを嗅ぎつけた
♪MASTERS OF WAR
(戦争で金を儲けるヒトがいて、それを歌って儲けるヒトもいたってことか
ヒトって、平凡な幸せより、悲しみや怖れに強く反応する生き物だな
マネージャー/プロモーター ハロルド・レヴェンタル:
トピカルソングは左翼から生まれた
ウィーヴァーズ
ヴァン・ロンク:
彼は政治的な人間じゃない そう見られていたが
“赤狩り”がフォーク復興運動の邪魔をした
レッドベリー
♪グッドナイト・アイリーン は全米でヒット
♪ONLY A PAWN IN THEIR GAME
公民権運動が盛り上がった
♪WITH GOD ON OUR SIDE
ジョーン・バエズ:
彼は母性本能をくすぐる
“何を歌ってるか、自分にも分からないのに、いつかバカどもが僕の歌について書く”
彼は歌を書きまくってた
宿泊を断られた悔しさをひと晩で歌に書いた
♪WHEN THE SHIP COMES IN
ボブとバエズの仲良さそうなショットがつづく
「ニューポート フォークフェスティバル 1963」
この客の多さは狂ってるな!
ジョニー・キャッシュ(すごい低いイケボでモテたろうな
ハウリン・ウルフ すげー面子!
バエズ:1万5000人も集まった
ステイプルズ・シンガーズ
マレー・ラーナー監督『フェスティバル』にはボブも出てるのか
ギターの調子を何度も直して、横にいるバエズが苦笑してるw
ボブはプロテストソングを歌った
最終日にボブとバエズが手をつないで登場
いちいち世話を焼く姿は母親みたい
どんな天才の横にも女性がいたってことか
2人とも独特な声と歌唱法だから、一緒に歌うのはものすごい化学反応
ロンク:
ユングの言う「集合的無意識」を信じたくなる(この言葉、ユングなのか スピ系だと思ってた
アメリカの「集合的無意識」があるなら
ボブはそれに訴えていた いつも共感がある
♪BLOWIN' IN THE WIND
ボブ、バエズ、シーガー、P.P&M、フリーダム・シンガーズ
大歓声でパート1が閉じる
だいぶ前にテレビで放送されたのを録画して、そのままだった
前編が1時間53分、後編が1時間35分の超長編
本人の回想とともに、生まれた町から出て
人前で歌い、有名になっていく様を
当時関わった人たちのインタビューを交えて進めていく
途中、途中で、1966年のブーイングを浴びたライブ映像を挟む
【内容抜粋メモ】
自分の家を見つけたかった
♪LIKE A ROLLING STONE イギリス ニューカッスル 1966
フォークからロックに転向した時のライブ
当時はすごい酷評されたんだよね
今聞くとロックというよりとてもゆっくりでフォークロックぽい
演奏が終わるとブーイング
“時間を止めることはできない”
ギターを始めたのは10歳
♪DRIFTIN TOO FAR FROM THE SHORE/ビル・モンロー
間違った両親の元に生まれた気がした
「ミネソタ州 ヒビング」
田舎町に生まれた
みんな鉱山で働いてた
哲学、思想も、スタイルもなかった
父は兄弟で電気屋をしてた
ある日、サーカスが来た
見世物が面白かった
ハンク・ウィリアムス(この曲、カバーで聴いたことある
深夜のラジオが楽しみだった
ジョニー・レイは泣きながら歌うんだ
ウェッブ・ピアース
マディ・ウォーターズ かっけー
心をとらえたのはサウンド
町を出たくなった
ジーン・ヴィンセント
ロックンロールはカントリーと似てると思った
♪リトル・リチャード
高校の担任:
彼の演奏はかなり突拍子もないものだった
ピアノを壊しそうなほど叩いて、校長が止めた
♪HOW MUCH IS THAT DOGGIE IN THE WINDOW/パティ・ページ
当時の音楽は現実離れしていた
病的な不安を持つ人が増えた
当時の彼女、女優みたい/驚
映画『理由なき反抗』
ジェームズ・ディーン、マーロン・ブランドーが出て変わった
過去と縁が切れた
冒頭のライブ後
ファンの男性の感想:
彼は別人だ
コマーシャルに走ったんだ
大衆に迎合して、金で自分を売ってる
ハモニカが貧弱でリズムがズレてた
♪ミスター・タンブリン・マン
目がイっちゃってて、なんだか退屈そう
卒業の翌日、街を出た
♪スージー・ベイビー/ボビー・ヴィー
田舎で売れてる男がいた
彼らと一緒にやった
友人:ボブはヴィーになりたがってた
ミネソタの大学に入ったが授業は出なかった
ジャック・ケルアック
ジョン・J・ナイルズ(ものすごい高音!
以前からフォークを聴いていた
♪THE WATERBOY/オデッタ
「ヴァウッ!!」ってなんだろう???
ギターでストロークするからドラムはいらない これは使えると思った
歌を覚えるのは早いんだ 1、2度聴けば歌える
エレキをアコギにかえて人前で歌った
若い頃のディランはほんとカワイイな
ミュージシャン リアム・クランシー:名前をディランと変えた
D:自分でも分からない 過去の発言などどうでもいい
フォークシンガー トニー・グローヴァー:
人種問題で変えたのかもしれない
反ユダヤの長い歴史があったから
音楽評論家 ポール・ネルソン
(ディランも最初はいろんなカバーをしてたんだな
メンフィス・ジャグ・バンド
クランシー・ブラザーズ・アンド・トミー・メイカム
ウディ・ガスリー やっと出た
大切なことを言っていて特別に感じた これだと思った
歌は生き方を学べる
自分と重なると思った
今を歌っていると思った
♪ヒョウ皮のふちなし帽
ロビー・ロバートソンのギターソロ、いいね ブルース
♪ランブリン・ラウンド
ウディのレコードは入手不可能だった
貴重なものばかりもらってきた
レコードが25枚消えていた(!ww
♪ランブラー、ギャンブラー
ジョーン・バエズには圧倒された
フォークそのものだった ギターも上手かった
「ジョン・F・ケネディ 1961年の演説」
国があなたに何をしてくれるかではなく
あなたが国に何ができるか問おう!
詩人 アレン・ギンズバーグ
グリニッジ・ヴィレッジに詩人を探しに行った
ミュージシャン デイヴ・ヴァン・ロンク:ジャズに夢中だった
ヴォーカリスト マリア・マルダー:みんなコーヒーショップで演奏した
ジョシー・マイルズ
「NYで初めてのディランのフィルム」
ギターケースからいろんな帽子を出して試してる
♪ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー
NYで歌い始めた
出演料の代わりにバスケットをまわした
♪ディンクス・ソング
強い印象を与えたかった
ミュージシャン ブルース・ラングホーン:真剣にやってるのが分かった
フォークシンガー マーク・スポーストラ:彼には芝居っ気がある
♪廃墟の街(今聴いても、何について歌ってるのか難解
撃つと脅迫電話があった
♪THIS LAND IS YOUR LAND
「ディランの元恋人 スージー・ロトロ」(ワオ! ジャケットの女性?
モリスタウンの精神科の病院でウディを見て悲しかった
B.J.セラーズ
デイヴ・ヴァン・ロンク
“君には知らないことを知っている”という目をしていた
自分もそうなりたかった
♪MAN OF CONSTANT SORROW(バックは山の書割!
彼はNYでリアルなパフォーマーになった
♪SONG TO WOODY
ウディを卒業した
誰も書かなかったウディの歌を作って歌いたかった
フォークロアセンター主宰者 イジー・ヤング:
平凡な子に見えた
いい曲をつくると周りに紹介するようになった
400枚もレコードを借りて返してないことも知った(ww
♪TALKIN BEAR MOUNTAIN PICNIC MASSACRE BLUES
ジョン・リー・フッカーの前座のチャンスが来た
ラジオ出演
ニューメキシコの生まれとかウソついてる
♪SALLY GAL
スカウトが来てたけど関係ないと思ってた
ジョニー・マチス
レコーディング・プロデューサー ミッチ・ミラー
ロングヒットになる曲、声のいいアーティストを探してた
マイク・シーガー(フシギな楽器だな
ジョン・コーエン バンジョーを弾いて歌う
ハリー・ベラフォンテ みんなクセ強いな
♪奇妙な果実/ビリー・ホリデー は気が滅入る・・・
コロンビアレコードと契約しないかと言われてウソかと思った
♪BABY LET ME FOLLOW YOU DOWN
声に変なクセがあったが個性だから捨てなかった
最初のレコーディングは普段歌わない曲にした
♪HOUSE OF THE RISING SUN
選曲を間違えた 自分の曲を録音すべきだった
自分で曲が書けたんだから
いつでもどこでも歌を書いた
フォークシンガー ピート・シーガー:
昔の歌を今の時代に合うようにちょっと変えたり、加えたりしてきた
われわれはウディの子どもなんだ
核シェルターが作られ、不安に満ちていた
スージー・ロトロ:
私はCORE(人種平等会議)の仕事をしていた
ボブも同じ気持ちだったと思う
♪BLOWIN' IN THE WIND
あの歌がいいか悪いか分からないが、時代に合っていたと思う
歌い継がれるかは分からない
シンガー メイヴィス・ステイプルズ:
人間扱いされなかった父のことだ
ボブは白人なのになぜ書けるのか不思議だった
ゴスペルと同じ 真実を書いている
♪DON'T THINK TWICE, IT'S ALL RIGHT(やっぱりジャケの女性だ
スージー:ボブも私も部屋がなくて泊まり歩いてた
♪A HARD RAIN'S A-GONNA FALL
ケネディと子どものフィルム
軍と原発実験のような映像
こうした暗い時代があったから生まれた名曲なんだな
チベットの諺:自分を超える弟子がいな者は師ではない
ラジオ
Q:♪激しい雨が降る とは原子爆弾の雨のこと?
違う みんなそう言うが激しい雨だ
トピカルソングは書かないし、その言葉も嫌いだ
1966年のライブが時々はさまる
♪BALLAD OF A THIN MAN
ディランがピアノ
(女性ファンは肯定し、男性ファンは批判してるのは
ディランのアイドル性か? 女性のほうが変化に柔軟だからか?
ディラン:
ブーイングには耐えられない
演奏できないよ
ブーイングで音がとれない
何も聞こえない
やる気がなくなる
なんでチケットはすぐ売り切れたんだ?
♪RAINY DAY WOMEN がラジオから流れる
最初のアルバムは売れなかった
2枚目から周りの見る目が変わった
グロスマンが現れた(金の成る木に集まる連中か
権利をおさえて金にする
ディランの曲をピーター・ポール&マリーに売る錬金術師
マリーはグロスマンにスカウトされ、グループを組んでフロリダにいたが日に焼けずにいた
グロスマンが「青白いブロンド娘が売り」だと言うから
それを聞いてゾっとしたが、したたかさで言うとボブのほうが上だった(w
スージー:必要な人間を嗅ぎ当てる 勘が良かった
音楽業界は著作権会社が中心だった(今でもそう変わらんのでは?
音楽出版社 アーティ・モウガル:
ジョン・ハモンドがボブを見つけたとよく言われるが
有名にしたのは私だ
社長も金の匂いを嗅ぎつけた
♪MASTERS OF WAR
(戦争で金を儲けるヒトがいて、それを歌って儲けるヒトもいたってことか
ヒトって、平凡な幸せより、悲しみや怖れに強く反応する生き物だな
マネージャー/プロモーター ハロルド・レヴェンタル:
トピカルソングは左翼から生まれた
ウィーヴァーズ
ヴァン・ロンク:
彼は政治的な人間じゃない そう見られていたが
“赤狩り”がフォーク復興運動の邪魔をした
レッドベリー
♪グッドナイト・アイリーン は全米でヒット
♪ONLY A PAWN IN THEIR GAME
公民権運動が盛り上がった
♪WITH GOD ON OUR SIDE
ジョーン・バエズ:
彼は母性本能をくすぐる
“何を歌ってるか、自分にも分からないのに、いつかバカどもが僕の歌について書く”
彼は歌を書きまくってた
宿泊を断られた悔しさをひと晩で歌に書いた
♪WHEN THE SHIP COMES IN
ボブとバエズの仲良さそうなショットがつづく
「ニューポート フォークフェスティバル 1963」
この客の多さは狂ってるな!
ジョニー・キャッシュ(すごい低いイケボでモテたろうな
ハウリン・ウルフ すげー面子!
バエズ:1万5000人も集まった
ステイプルズ・シンガーズ
マレー・ラーナー監督『フェスティバル』にはボブも出てるのか
ギターの調子を何度も直して、横にいるバエズが苦笑してるw
ボブはプロテストソングを歌った
最終日にボブとバエズが手をつないで登場
いちいち世話を焼く姿は母親みたい
どんな天才の横にも女性がいたってことか
2人とも独特な声と歌唱法だから、一緒に歌うのはものすごい化学反応
ロンク:
ユングの言う「集合的無意識」を信じたくなる(この言葉、ユングなのか スピ系だと思ってた
アメリカの「集合的無意識」があるなら
ボブはそれに訴えていた いつも共感がある
♪BLOWIN' IN THE WIND
ボブ、バエズ、シーガー、P.P&M、フリーダム・シンガーズ
大歓声でパート1が閉じる