3.11の震災当時「新鮮舘おおまち」の店長だった斎藤美知さんが突然亡くなった。
昨年1月の「つーすけさん」に続き志を同じくする貴重な仲間を失ってしまった。
二人は生産者の研修旅行や勉強会、それに店の運営等で熱く語り合った盟友だった。
美知さんは数年前に心臓疾患で死地をさまよい奇蹟的に生還したものの、既に第一線は
退いていた。
それでも、主婦として買物に来た美知さんと顔を合わせた際は、お茶や食事をしながら
近況を語り合っていた。
店長当時は年老いた姑の介護をしながら妻や母の役割も、と一人何役もこなすスーパーレディ
だった。
病に倒れたのもその無理が祟ったのかもしれない。
しかし、「あの頃が一番充実していて楽しかった」と述懐するのを聞いて「凄い人」と改めて
感心させられた。
そう言いつつも「貴方たち夫婦も無理をしちゃダメよ」とアドバイスすることも忘れなかった。
「つーすけさん」の葬儀の際、感極まってたどたどしい弔辞を奉読した私を見て「熊谷さんが
こんな人とは思っていなかった」と話していた。
では「どんな人と思っていたのか」をいつか確認しようと思っていたが、その機会は遂に訪れ
なかった。
一年前から教会に通い始め「洗礼を受けフランシスカ斎藤美知として帰天された。」と今日の
葬儀で神父さんから説明があった。
天に昇った今は、聖者達を前にエネルギー溢れる持論を展開しているに違いない。
合 掌
昨年1月の「つーすけさん」に続き志を同じくする貴重な仲間を失ってしまった。
二人は生産者の研修旅行や勉強会、それに店の運営等で熱く語り合った盟友だった。
美知さんは数年前に心臓疾患で死地をさまよい奇蹟的に生還したものの、既に第一線は
退いていた。
それでも、主婦として買物に来た美知さんと顔を合わせた際は、お茶や食事をしながら
近況を語り合っていた。
店長当時は年老いた姑の介護をしながら妻や母の役割も、と一人何役もこなすスーパーレディ
だった。
病に倒れたのもその無理が祟ったのかもしれない。
しかし、「あの頃が一番充実していて楽しかった」と述懐するのを聞いて「凄い人」と改めて
感心させられた。
そう言いつつも「貴方たち夫婦も無理をしちゃダメよ」とアドバイスすることも忘れなかった。
「つーすけさん」の葬儀の際、感極まってたどたどしい弔辞を奉読した私を見て「熊谷さんが
こんな人とは思っていなかった」と話していた。
では「どんな人と思っていたのか」をいつか確認しようと思っていたが、その機会は遂に訪れ
なかった。
一年前から教会に通い始め「洗礼を受けフランシスカ斎藤美知として帰天された。」と今日の
葬儀で神父さんから説明があった。
天に昇った今は、聖者達を前にエネルギー溢れる持論を展開しているに違いない。
合 掌