霜後桃源記  

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少年時代の野球の思い出

2017-02-01 22:02:39 | 思い出
昨日のブログに御馴染みのsunasanさんからコメントが入った。

昭和16年生まれにとっての野球の想い出はちょっと切ないものがある。
疎開していた都下(23区以外はそう呼ばれていた。)で小学4年まで通った分教場では、
唯一の遊びが野球であった。しかし、バットは、木の枝、球は、手縫いで直ぐに形が変形し、
中のアンコが見えてしまう。グローブに至っては、捕手だけが竹籠で他は素手というもので
あった。当然、ルールを知っているものもおらず、適当に遊んでいたような記憶がある。
5年生になって転校した都内の小学校では、軟式ボールに皮のグローブ、木製バットを使って
いたのには、少なからずカルチャーショックを受けた。しかし、素手で遊んでいた為か守備は
直ぐに一番になってショートを任された。
この小学校の近くに読売巨人軍の練習場があったので、いまでも巨人ファンである。



sunasanさんへの返信
今は頻繁に交流のある市野々叔母との60ン年前の貴重なツーショットです。
半世紀前から「運命の赤い糸」で結ばれていたのかもしれません。
それにしても「苦み走ったいい男」ですね。(笑)

小学校入学前から野球をして遊んでいたように思えますが、当時の写真はこの一枚だけです。
グランドは野原か田んぼで、用具なども無かったのですが三人集まればゲームが出来ました。

小学校の野球部では「ショートで五番」でした。
チャンスに強いのを買われた打順でしたが、守備の方はイマイチで初めての練習試合で緊張し、
大きなエラー(トンネル)を二連発した記憶だけが生々しく残っています。
当時の写真が皆無なのが惜しまれますがグロープやバットも六年になって初めて本格的に使える
ようになりました。

今考えたら下手くそな選手だったにもかかわらず「将来は長嶋、広岡の三遊間コンビの一角を!」
と途方もない夢を描いていました。
コメント
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