三年前、仙台育英高校が東北勢で初めて甲子園全国制覇を達成して注目され
たが、その礎を築いたのは前佐々木順一郎監督(現学法石川高校監督)と信じて
疑わない。
その類いまれな名伯楽は、今活躍の舞台を福島県石川町に移している。
昨年の春は甲子園だったので「一献傾ける」のは二年振りとなり、妻と次男に
加え今回は監督の早稲田の後輩に当たる長女も同行した。
高校野球界の現場の悩み、苦しみやエピソード等を若干漫談調に面白可笑しく
話してくれるので、夜遅いのが苦手な妻も「監督の話しが面白いから」と二次会
にも同行した。
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若き日の監督は、NTT東北支社時代に本社兼務を命じられて培ったスキル
を活かし、それまで20人掛かりで策定していた釜石支店の事業計画を1人で
作成した力量は今でも「語り草」になっている。
その計画書のタイトルが「本気になれば世界が変わる」だった。
育英監督時代から「昔の上司です」と周囲に紹介される都度「能力の無い上司
でした」と私が言い訳するのは、そんな背景があってのことだった。