穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

序のないカフカ

2023-12-17 07:57:11 | 小説みたいなもの

能の作者の誰かだったと思うが、序破急ということを言った。小説の場合にもほとんどの場合当てはまる。しかしカフカの大部分の作品では序がない。破急とくる。小説の場合、最後に序が来るものがあるが、そういう倒叙法もない。だから世の中は理由もなしに不合理なことが起こると解釈するのがおおよそらしいが、これは間違っている。序を読者が考えなければいけない。この辺を解説した評論家は皆無ではないのか。

たとえば、長編小説「審判」は理由も分からずに主人公が審判にかけられる。なんども裁判が開かれるが最後まで、なんで裁判にかけられたか書かれていない。想像力だけは発達している評論家たちは、これはナチなどの来るべき独裁政権を予想したものであるという。糞飯ものである。カフカは善良な公務員であり、反政府的な意図や行動は見られない。

余談であるが、カフカには「判決」という紛らわしい名前のごく短い短編があるが、これには父の非難の根拠が示されている。そうして息子に入水自殺の判決を下す。おそらく序破急の伝統的構成を取ったカフカの唯一の作品ではないか。


父への手紙余話

2023-12-17 07:44:48 | 小説みたいなもの

父への手紙は新潮社カフカ全集(1980年刊行)にあるらしいが、今では古書か大きな図書館にしかないらしい。それでWikipediaをあさっていたら見つけたので早速ダウンロードした。しばらく読んでいて不振に思った。まず英語が全然なっていない。内容は粗悪品と言っていい。

それで注意してみたら個人のブログらしい。訳者名は西欧人らしいが、英語を母国語としている人間とは思えない。そして、最後にもっと読みたかったら金を払ってログインしろときた。勘弁してくれよ、とプリントしたものを破いて捨てた。

 

 


私の帽子はどこに行ったのでしょうか

2023-12-16 06:26:41 | 小説みたいなもの

私の帽子はどこに行ったのでしょうか、とかいう映画(小説)のコピーがあったげな。

たしか森村誠一という作家の作品が映画化された時のキャッチコピーであった。珍しく私の記憶に残っている。

ニーチェはあるところで「どこに行っても自我という犬がついてくる」と苦情を申し立てている。

そうかと思うと、私みたいに自我を喪失して一生探し続けているものもいる。

森村の言う「私の帽子」が何を意味するかしらない。小説も映画もみていないから。キャッチコピーだけ覚えている。

思い出せが、私の自我が飛んで行って行方不明になったのも13歳の夏であった。夏の日のベランダで。そういえばフランツ・カフカにも有名な「ぱぶらっちゅ」体験というのがある。パヴラッチュというのは東欧(或いは東欧ユダヤ)言葉でテラスとかベランダということらしい。

彼は5歳であったというから、私の体験とは違うが、夜泣きをして、父親に厳冬のテラスに締め出されたという事件があったという。カフカの父への手紙にあるそうだが、私は読んでいない。新潮社のカフカ全集にあるそうだが、ここの図書館の蔵書にはないので内容は読んでいない。

比較しても意味がないだろうが、少ない情報だけで判断すると私のほうがその影響は甚大であった。

 


図書館

2023-12-15 07:48:21 | 小説みたいなもの

相手が去ると、老人は再びノートを広げて真っ新な紙面を睨んでいたがやがて筆を下した。

やはり13歳の夏から始めるのがいいかなと思いを定めた。12,13歳というのは発達心理学でも転換点の定番らしい。彼は最近自伝を書くために買った心理学の参考書をカバンから取り出した。そのころ男女ともに身体的に性的特徴が発達しだして精神が不安定になるらしい。女性なら初潮だろうが、私の場合は顔中にひげが猛烈な勢いで生えてきた。もちろん体毛も濃くなったのである。この分で行くと目の中にも髭が生えてくるんじゃないかと心配した。

中学一年生でもう安全剃刀を日に二回以上使わないと始末に負えない。安全剃刀というのは慣れないと剃刀負けをする。ある朝親父が食卓で俺の髭剃りで荒れた顔を見て電気カミソリを使えといった。なんでも父親の知っている家庭の息子が肌が荒れて、電気カミソリを使ったら治ったという話をした。さっそく電気カミソリを求めて使いだしたら唇の周りの肌荒れはすぐに治った。

知的にも爆発的な発達があった。小学生のころはなんということもなく、平凡なおとなしい性格であったが、中学に入ると学期末試験で全科目満点で全校で一位になった。また暑中休暇中よく実施されていた学校横断の模擬試験でも、いつでも一位となった。

身体的には上記した髭ずらに悩まされたほかに近眼が進行して、3,4か月ごとに母親に連れられて眼科医に通って眼鏡を新しくした。

そして13歳の夏、忘れもしない「ベランダ事件」に遭遇した。後年東欧の作家カフカの伝記を読んでいて彼の幼児に彼の研究者の間で「ぱヴらっちゅ」事件として知られるのに酷似した体験をする。それ以来、さる映画のキャッチコピーではないが、「僕の帽子はどこえへ行ったの」状態になった。

 


図書館3

2023-12-13 08:21:27 | 小説みたいなもの

asuka-netsukeさん、応援ありがとうございます。

水曜日の午後である。今日も老人の姿があった。

万引き女の記事はまだ見つからない。老人はまっさらのノートをテーブルの上に広げた。

『そろそろ、纏めてもいいころだな』とつぶやくと万年筆を取り出してキャップを外した。

『彼女は子供のころから手癖が悪かったが、とうとう本性を現したのかも知れない』

彼はこの疫病神のような女の半生記録をまとめることにした。::ガキの頃から手癖が悪く::というのは歌舞伎のセリフだが、彼女は人のものと自分のものとの区別がつかなかった。だが盗む相手を選ぶ狡猾な知恵はもっていた。つまり強く苦情を言えない相手を選別して盗んだ。

彼女は小学生のころから背が高かった。父親は背の高い女に目がない。彼は三度妻を変えたが、兄のいうところによると皆背が高かったそうである。此の嗜好がどこから来るのかよく分からない。彼自身は身長150センチの小男であった。まさか優生学的見地でもなかろうが。いずれにせよ、彼女は父の寵愛を一身に受けていた。

「まだ見つかりませんか」といきなり声をかけられた。見上げると、『紛失した記事』について相談した相手である。彼は慌てて書きかけのノートを閉じると、「いやまだ分かりません」と答えた。

相手は彼を見ながら、「ちょっと気が付いたことがあってね。その女の夫が務めている会社の名前はわかりますか」と聞いてきた。

老人の怪訝な様子を見て慌てて補強した。「いや会社によっては社員の不祥事によって社名に傷つくのを恐れてもみ消し要員として警察、司法出身者を役員に入れていることがあるんですよ。大手商社なら多分もみ消し用の社外重役かなんかがいるんじゃないかと思ってね」

「ああ、なるほど、、、商社名は日外米州商事ですよ」

「それじゃ、早速調べてみましょう」というと大きなショルダーバッグから携帯用のパソコンを取り出した。そして会社案内のページを検索していたが、「これですよ」と画面を老人のほうに向けた。「ここですよ、警察庁からの社外重役がいます」

「ほんどだ」

幼いころから顕著だった盗癖を父に報告しても逆に怒鳴り返されて取り上げられない。それが彼女に分かっているから盗む相手を狡猾に選ぶわけである。

 


図書館2

2023-12-11 07:19:10 | 小説みたいなもの

いったん紙面の乗った新聞記事が突然消えるなんてことがあるのでしょうか?と老人が突然問いかけた。

私はびっくりしてどういうことですか、と問い返した。

「いえね、数日前に読んだ記事を読み返そうとしたのですが、見つからないのです」

「記事が誤報だったのかしれませんね」

「それなら、お詫びの記事が出るんじゃないですか」

「そうでしょうね。どういう記事だったんですか」

「さる女性が万引きして捕まったというんですよ」

「そんなケースは毎日多数起こっているんじゃないですか」

「それがね、その女性が名前の知れた大手総合商社の部長の妻だったというんですよ。普通は万引きしないような女性の万引きというので記事になったのでしょう」

「どこの新聞ですか」

「読売新聞です」

「一紙だけですか」

「いや、どうか分からない。私が見たのは読売だけです。気になってさきほどほかの新聞を見たのですが、どこにも出ていない」

私は言った。「間違いだったのかな。当人か、関係者から間違いを指摘されたのかな」

私は老人の釈然としない表情を見て、「その女性はあなたの知っている人ですか?」と反問した。

「ええ、記事によると姓名がフルネームで出ているし、住所が江古田のマンションというのもあっているし、夫の職業も当たっている。それでその時読み飛ばした記事をもう一度見て確認しようとしたら記事が消えていた。念のためにほかの新聞を全部見たが、そんな記事は見当たらないのですよ」

「妙な話ですね」と私は言った。「実話週刊誌とかテレビのワイドニュースで取り上げそうなはなしではある」

老人ははたと膝を打つと「そうすると、週刊誌も調べてみるか」

「週刊誌でフォローするのはタイムラグがあるから、来週あたりどこかに出るかもしれませんね」

 

 

 

 

 

 

 


図書館の老人1

2023-12-08 17:45:08 | 小説みたいなもの

図書館1
わたしは毎日の日課でJRのターミナル駅にあるデパートの食堂の一つで早昼を済ますと新宿区の図書館に行った。新聞閲覧所に行くと残っているのは東京新聞だけだった。後は誰かが見ているらしい。東京新聞を閲覧所のテーブルの上に広げてページをめくっていると「おはようございます」と声を背後から声ををかけられた。
振り向くとがっしりとした背の高い老人が綴じた新聞のファイルをたくさん手に抱えて入ってきた。なにか調べ物をしていたらしい。「すみません。独占しちゃって、ご覧になりますか」と言いながら「何をごらんになりますか。それとも全部お渡ししましょうか」
と聞いた。

「いいんですか。もうすんだんですか?」

「ええ、終わりました」と答えたので、「そうですね、今日はだれもまだいないようだから、全部おいていってください。」と私は老人にいった。
老人は向かいのソファに腰を落として、目が疲れたのか、しきりに閉じたまぶたの上から目を擦っている。
それを見ながら、なにか調べているのですか、と私が尋ねると
「ええ、ちょっとね」と言いよどんだ。
この老人は毎日相当時間、図書館で時間を過ごすらしく私か退職してから無聊に苦しみ図書館通いが日課のようになってから、いつからか挨拶を交わすようになっていたのである。


二本立て主人公のキャラ建て

2023-12-04 19:11:53 | 書評

東野圭吾の作品はこのブログの範疇とはちょっと離れているが、この人の作品はかって二作取り上げた。容疑者Xの?、白夜?である。容疑者Xの場合は可能性があると評価した。白夜はあまり評価しなかった。

こんども気の迷いから東野の「分身」を読み始めた。あまり説明する理由はないのだが、、

表紙のデザインや帯になにかひきつけられるものがあるのだろう。これは出版社製作者に対する評価である。

最後まで読んでいないが、帯などによるとクローン問題を扱っているらしい。構成は二人の若い女性、これがクローンらしいのだが、章ごとに変わりばんこに主役となっている。クローンだからある面では区別できないほど似ているという弁解も成り立つのだろうが環境は、違うのだし、ある程度キャラ建ての区別は必要だろう。そのほうが最後の落ちで説得力が出てくるのではないか。

この作品では平板な書きぶりで、読んでいるとどちらがどちらか区別できない。最後まで読むかどうか迷っているところだ。

 


依怙贔屓の弁護

2023-11-22 23:40:32 | 書評

昭和維新の名のもとに元老の人事を批判した維新戦争敗北軍の詭弁を論ず。

明治維新の時代は国の安否に関わる政策決定が切れ目なく続いた時代である。為政者が責任をもって対処するには相手の人物の能力をよく知った相手を選ぶ必要がある。

その第一は維新前討幕運動で死地を一緒に潜り抜けた相手から選ぶのは当然である。それが薩長土肥の人材に偏るのは当たり前である。それが結果として藩閥政治と言われるものである。

また相手の実力をよく知るものから選ぶのは当然である。すなわち戦争の相手である幕府出身者である。維新政府は幕府人材を大量に採用した。外務大臣には幕府軍の惣領であった勝海舟を選んだのが一例である。彼はロシアと交渉して千島列島すべてを日本の領土と認めさした。また樺太での日本の自治権を大幅にロシアに認めさせた。その他薩長軍が維新戦争の相手とした幕府の有能な人材を大量に取り込んでいる。

相手の実力をよく知って、有能な人物を積極的に登用した。自分のよく知らない相手を選ぶ愚は取らなかった。この観点から評価すると維新政府の人事が依怙贔屓であるとするのは、無能者の多かった反幕府諸藩の根拠なき主張である。

翻って「昭和維新政府」の人事はどうだったか。昭和時代に入ってから薩長から陸軍大臣、海軍大臣になった人物は皆無である。そうして彼らが行った人事は漫才的にまで依怙贔屓の恣意的なものである。これは文芸春秋の座談会の出席者から指摘されている。元老政治のもとでは実力主義だったのが、東条の個人的嗜好に基づいている。政策的実力は考慮されていない。

昭和二十年の敗戦までは必然的な一本道である。

 


雑誌の座談会を批評することは書評か?

2023-11-22 23:40:32 | 書評

今月の月刊誌文芸春秋に「昭和陸軍に見る日本型エリート」という座談会がある。期待しないで買った。「期待しないで」というのはいつもの通り読む前から分かっていたから。ただこの題材ではなにかブログに書けるかな、と思ったわけである。すみませんね。

独語 印象は当たっていた。数人の出席者の発言は読む価値がなかった。それに議論のポイントがどこにあるのかはっきりしない。

大正時代から昭和の軍事冒険主義に変わった理由を説明しなければ意味はない。

皆様よくご存じのように、軍事独裁体制は大正時代まで続いた山形有朋などの元老政治を派閥政治と激しく非難して登場した。しかし、実態は目を覆うような新たな破廉恥な派閥政治である。

変化したのは明治維新体制の薩摩長州閥の徹底的排除である。その代わりに維新戦争の敗北者である幕府軍諸藩の派閥政治である。それも実力によるのではなく、お仲間意識による派閥形成であった。

元老政治にあった軍事合理主義は跡形も無くなった。人事は一握りの人間、たとえば東条英機による恣意的な好みによった。

雑誌の政治的、あるいは軍事的座談会を批評することも書評の範囲と強弁して以下何回かに分けて批評する。なぜならこの種の議論では何時も肝心の視点が排除されているようなので「書評」する価値があるかもしれない、と思ったからである。

ちなみに、彼らが非難するように、元老の人物起用にはおそらく個人的な好みによるバイアスはなかったと思われる。具体的には次号以下で。

 

 

 


ハイデッガーを自分の箔付けに使う馬鹿

2023-11-20 07:02:28 | 書評

この本はハイデガーも同じことを言っていると自慢している。ページ29,300,341,342

こうなると救いようがない。現存在の世界内存在とはおいらのいうことだ、というのだ。こうなるとあんぐりと明けた口が閉まらなくなる。

大体こういう著書は学際的で他の、この場合は認知科学などの、後追い、しもべに甘んじている。いうに事欠いて恥ずかしくないのか。


何事も同情を持って

2023-11-19 08:33:29 | 書評

「ぽじしょりぽーと」93ページ。第一章自律的エイジェント読了。何事も同情を持って読まなければいけない。

要するに地方自治かいいか、中央集権がいいかということである。それがどうもこの本の趣旨らしい。ゴキブリの自衛権すなわち危険回避システムは地方自治である。人間もそうしたほうがいいといいかねない本なので心配したが、使い分けているね。常識的だ、結局。そんなに恐ろしいことを主張していない。何事も、本を読む場合でも同情心を持って読むことをモットーにしているが、第一章を読み終わってやや安心した。

この著者はロボットにご執心だが(すこし異常)、誤解されやすい。人間の場合中央集権、言い換えれば社会的性格、言語、文化、法律の優位性がある、と一章の最後で常識的だ。

ただゴキブリ的地方分権システムのほうが安上がりで「すぴーでい」だというのだ。ようするにロボットの制作ではゴキブリ的発想だけで十分だというのだろう。これって、人間で言うと、幼児、子供、未熟な青年それから女性の行動を特徴づけるね。お後がよろしいようで、この辺でやめておこう。

 

 


叙述の仕方

2023-11-18 18:31:00 | 書評

前回の補足、ごきぶりの逃走の仕組みを解説すると、すぐに人間の意識も同じだと飛躍する。

間に当然つなぎというか説明が入るのが当たり前だが、なにもない。異様な書き方だ。

もっと読んでいくと繋がりが分かるのかしら。物事の説明がこんな風に行くなら世話はない。


「現れる現在」

2023-11-18 11:27:34 | 書評

著者はアンデイ・クラークという人で哲学者らしい。それではそれなりの批評書評をしなければいけない。訳者は12人もいる。私は翻訳物で共訳者が多いのは経験から避けている。翻訳の質が確保されないことがおおいから。それにしても12人というのは異常である。

現在68ページあたりまで読んだ。ゴキブリの避難行動を長々と述べている。最後まで読まないと断言できないが、ゴキブリがそうだから人間もそうだ、で終わっているならお話にならない。人間にも、そうだという説明が不可欠である。最もそのうちに出てくるかもしれないが、

 


無聊に苦しみ自然科学もの

2023-11-18 07:59:54 | 書評

荷風物の書評も新しい種が尽きたので、無聊に苦しみ本棚を見渡したところ、早川の通俗科学もので「現れる現在」というのが目に留まった。書棚から引っこ抜いて表紙を見ると思わせぶりな帯が目にはいった。「心は漏れ出しやすい組織である。」

そういえば混雑する駅の構内で日曜日など雑踏の中を歩いていると群衆の頭から漏れ出した有象無象のクモの吐き出す糸の様な粘着性の物質に絡まれて頭痛がしてくる。これってそのことかな、と思って読みだした。

実は昨年だったか、買って少し読みだしたが翻訳の日本語が「処置なし」で10ページほど読んで投げ出した。「人間の脳は動かしていないとさび付く」というわけで、何もないよりもまあいいか、とそろりそろいと読みだした。作者が悪いのか、訳者が悪いのか、非常に読みにくいのは去年と同じだ。ま、何事も勉強である、どういうことが書いてあるのか。

早川 自然科学 早川ノンフィクション文庫