「ところで」とクルーケースのキャリアが訊いた。「橘さんは何派なんですか」
「いやそういわれるとお恥ずかしい。昔からわたしは徒党を組むことが嫌いでね。無党派とでもいいますかね」
無党派?と一座は彼の素っ気ない返事を聞いて彼の顔を見つめた。
「いや、これはお愛想のない返事で申し訳ありません。強いて言えばつまみ食い派ですね。もうすこし上品な言葉で言えば多元主義とか折衷主義というんでしょうか」
「橘さんは少数派ということですか」
「まあね。しかし決め手のない業界だから結構『つまみ食い』を決め込む精神科医はいるんですよ」
「ようするにウィンドウ・ショッピング派ですね」と第九は要約した。
橘氏はびっくりしたように第九を見返したが、「フム、うまいことをおっしゃる」と膝を叩いた。
「医者のほうにもウィンドウ・ショッピングがあるというのは初めて聞いた」と禿頭老人が感想を述べた。
「たまにはあるようですよ。私の親父は町医者でしたがね、ややこしい患者に手こずると、医学部の同級生とか、むかし大学の医局で一緒に働いていた友人や先輩に相談することがありましたね。僕は父がそういう相談を電話でしていることを家で聞きましたよ」と第九は思い出したように言った。
「医者の側もそうだが、患者のほうでも医者が信用できないと思うとほかの医者に行ったりするよね」
「いわゆるセカンド・オピニオンですね」
「精神科なんかは病気の性質から医者を渡り歩く患者が多いような気がするが」
「そうなんですよ。二通りあります。一つは医者の言うことがしっくりしなくて医者を渡り歩くんですね。大体こういう患者は知能がたかい。そうかと思うと一方では、この先生でなければと一途に入れ込む患者がいる。女性の患者に多い。この種の女性にはストーカー的性向がある」
「橘さんも付きまとわれたことがあるんでしょう」
「それは橘さんが男性だからでしょう」と下駄顔が割り込んだ。
「そう、先生が女性の場合は男性患者ということになります。しかし男性患者ではそういうことはあまり聞いたことがないな」
「そうかもしれない」とクルーケースの運び人が言った。「新興宗教とかでも、教団を渡り歩くのは女性信者が多いらしいですよ」
「そうだね、本屋でも精神世界とかスピリチュアルとかの棚にいるのは女性ばかりだからね。やたらと色々な傾向の本を漁っているようだ」と第九は言った。