穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

カフカの「城」、池内訳はどうかな

2016-09-30 06:59:37 | カフカ

不図(フト)思いついた。私もワードでは変換出来ない言葉を使います。広辞苑によると「ふと」という言葉はあるが不図(図らずも、から転じた物だろうが)は当て字だそうです。昔から使っているので漢字の方が最初に頭に浮かぶ。御免なさい。 

それでフト思いついたんだが、他の訳者で城を読んだらどんな印象だろうな、とね。前田訳新潮文庫で第十四章まで読んだが、終章まで(二十章)は池内訳で読んでみようと思うのだ。それについてはいずれご報告。

城は行き当たりばったりの執筆のようだが、カフカの筆力はあきらかに衰えている。彼は一、二年後に死亡している。

アクセルは猛烈に踏み込んでいるのだが、ひーひーと煙ばかりが出ている。筆者に成り代わって案ずるに、城の役人の村娘に対する欲情を軸に両者の疎外感を描写しようとしたのだろう。それを利用しようとするKの立場からね。

役人クルムとフリーダの交情、役人ソルティーニの欲情をはねつけたアマーリア一家に襲いかかった(と一家が思い込んでいる)村八分から一家がもがき出ようとしている有様をくどくどと書いているようだ。これによって、役人社会からの村の住人たちの疎外状況を描こうとしているとも解釈できよう。

しかし、前回も触れた様に筆力意図に及ばず。勿論カフカでメシを食っている評論家、書評家は色々な資料(日記、伝記、友人の証言メモ、研究所書など)を渉猟して立派な理屈を付けているのだろうが。私はそう言う物は一切読んでいないので至らない所はご容赦願わないといけない。

小説とは、たとえカフカの作品といえども、大量消費商品である。専門家みたいに全部の資料や彼らの研究書を読まなければ(味の)批判して行けないなどという主張は通用しない。ざっと読んだだけの印象で批評を展開するのは金を払って本を購入したものの当然の権利である。

 


カフカの『城』に関して「冗長」という意味

2016-09-29 09:17:27 | カフカ

行文で冗長が許される場合がある。筋には関係なく長々と脇道にそれたり、冗長に流れるのが許されるのは文章そのものが読むに耐える、或は読んで感興を覚えるものでなければならない。

新潮文庫の「城」は翻訳とはいえ、文を遣る間に読者を楽しませるという文徳がまったくない。翻訳のせいもあるだろうが、原文にもそう言った性質は欠けているようである。


カフカ『城』訳者前田敬作氏が口述ではなく口授(クジュ)を選択した正当な理由があるのか

2016-09-28 22:24:40 | カフカ

新潮文庫『城』 371ページ、クルスが書記に口授(クジュ)する、とあるが口述という訳語をあてなかったのは正当な理由があるのか。例えば原ドイツ語のニュアンスとか。

クジュは宗教指導者が信者に口づてに教えを授けるという意味だが、ドイツ語の言葉がそれに相当しているのか。訳者の無知、気取り、無神経、知ったかぶり、気取りではないのか。

あながち訳者の日本語能力のためばかりではないだろうが、「城」は相当な駄作と見切った。長編(短い長編)の審判は取っ付きにくい小説だが、そう思って読めば興味津々だし、迫力もある。それに比べて『城』は冗長、しばしば意味繋がらず、また前出を受けているのかどうか不明な箇所が多い。カフカの最晩年の作なのかな。未完だというし。 

『審判』は最後の部分を最初に書いたという。つまり構成としての整序がある。従ってテーマもはっきりと伝わる。それに比べて「城」は行き当たりばったりでしかも未完のまま残された遺作と言う。苦労して意味を慮りながら読む価値は無さそうである。

 


カフカの「城」すくっとのばす?

2016-09-28 08:06:06 | カフカ

前田敬作訳新潮文庫P287、「すっくと伸ばす」なら分かるんだけどな。「すくっとのばす」は初見である。例によって広辞苑、これには無いようだ。もっとも広辞苑に無くても他の辞書にあることもあるけど。初めて見たのは事実です。

「折れ合う」もそうだけど、前田氏の訳は妙だ。普通こういう細かいことには気が付かないことが多い(気が付かないから、そういうことがあるのかどうかも分からないと言えるが)のに、この訳ではどうして目につくのだろうか。

細かいといえば細かい。朝の目覚ましアップは細かいのです。適当に鍵盤の上で指を走らせていると目が醒めてくる、というわけで。

それにしても、この「フリーダ、学校の小使い」パートは長過ぎるね。冗長だ。寓話的な意味もあまりないし。


スルメみたいなカフカ『城』

2016-09-27 09:08:21 | カフカ

経過書評 at P215(新潮文庫)

Kの口調が土方から普通になってきたね。訳しているうちに自然とそうなったのか。163ページ第四行 「人生という物と折れ合うことができます」>>折り合うじゃないの、折れ合うという言い方もあるのかな。

ありましたね、広辞苑「折り合う」=「折れ合う」。いくつになっても勉強することがあるものだ、これはいいわけ。

ところで、読むほどに「だんだん良くなる法華の太鼓」じゃないけど読める様になってきた。まるで噛むほどに味の出てくるスルメみたいだ。

あいかわらず旅館の女中とすぐにベッドでギッタンバッコじゃない、ビールのこぼれているゴミだらけの床を転げ回るというハードボイル探偵並みの活躍を披露する。

これは一種の旅行記で(つまりスタイルとしてあるいはキャリアとして)、15、6世紀の例えばドンキホーテだとか、古代ローマの「東海道中膝栗毛」を踏襲(意識的に)しているようだ。


カフカは予言者ではない

2016-09-25 07:27:21 | カフカ

池内「審判」を読み終えた。以外にすらすらと読めた。

*  誤植、或は翻訳ないしは原文の誤りか

大聖堂という章がある。Kがイタリアの銀行家に街の大聖堂を案内する予定というのだが。10時に大聖堂で待ち合わせる。大聖堂に着いた時「11時の鐘がなった」とあるが、約束は10時では。そして何行か後に相手がこなくて時計をみたら「もう11時だった」とある。 

カフカが素っ頓狂な記述を得意とするからといって、こんなところで相対性理論みたいなトリックを使う訳がない。第七刷までよく訂正しないで来たものだ。

*  港港に女あり

下宿の同宿ビジネスガール、裁判所の門番のおかみ、訪問先でのお手伝いやらとすぐにいちゃいちゃする、Kは。彼は美男でセックスアピール十分という設定だが、何だが二、三十年後に出現したアメリカの安物ハードボイルドの主役みたいだ。

*  彼は来るべき現代社会を先取りしたと評論家はいう。ナチスの出現を予言したというようだとか。そうだろうか。カフカは社会とか、国家だとか、世界とか、それは制度であり掟なのだが、それにシンクロ出来ない人間を描いているという。そこまでは同意である。しかし、こういう人物は有史以来どこの世界にもいたわけで、近代になって個人の自由が相対的に強くなったから、目立って来ただけである。そういう状況を独特の表現で描いたことはすぐれているが、別に時代の予言者ではない。つまり大昔から個人と集団の擦り合わせ、齟齬の問題を鮮やかに描いたのが彼のすぐれた能力で、予言者でも何でもない。 

ついでに::

新潮文庫の「城」をあがなった。現在39ページ。訳者前田敬作氏。1921年生。前述「審判」の池内氏は1940年生まれ。わたしは若い(60歳以下の)訳者のものは敬遠している。なんだか日本語じゃないみたいなんだね。

池内氏ぐらいならまあまあだから、前田氏はもっといいと思ったが期待はずれ。

Kの口調が妙なんだな。変な崩し方である。なんだか田舎の土方みたいな印象である。ここまでやる必要があるのだろうか。

もっとも、測量士というのは日本でも田舎の土方とあまり変わりがないのではあるが。

 


村上春樹とカフカ

2016-09-24 07:52:33 | 村上春樹

村上春樹が影響を受けた作家としてドストエフスキーとチャンドラーを上げていた。もう一人あげていたがはっきり記憶していない。フィツジェラルドだったかな。

ところが彼の作品はドストにもチャンドラーにも似ていない。テーマでも雰囲気で似通う所が全くない。このことはだいぶ前にも書いた。本ブログ「反復と忘却」シリーズでも触れたが、最近カフカの「審判」を三分の二ほど読んだ。村上作品はむしろカフカに似ている。正確に表現すれば真似た、学んだというべきなのだろうが。非現実的な(あるいは幻想的な)「プロセス」をふんだんに繋ぎにいれるところだ。

これは一読子供の書いた小説のように思えるが、さにあらず、ということなのだろう。テーマに似通っている所はカフカと村上春樹にないが、手法には高い類似点がある。

そういえば、村上はカフカ賞を貰っていたっけ?


第D(23)章 五月祭の汚物

2016-09-23 08:20:53 | 反復と忘却

どういうわけか、俺の家族、親戚には医者が多い。父方、母方にも複数いる。やたらに医者が多いのだ。前にも書いたような記憶があるが、父母の死後、まったく謎であった家系を調べてみたのだ。母方にも医者が複数いる。ずっと昔は代々薩摩藩の茶坊主だったらしい。僧侶みたいな名前がついている。医者が増えて来たのは二、三代前かららしい。

オヤジの方はもう少し古くて幕末には徳川譜代大名の御典医だったのがいる。御典医といっても驚くことはない。現代で言えば大企業の診療所の医師みたいなものである。眼科、歯医者、外科、内科すべてに御典医がいるわけで、それも各科で数人はいたらしい。現代の企業付属の病院と同じである。

この医師は御典医といっても特定の藩にながく勤めるというのではなくて、短期間であちこち渡り歩いたらしい。女好きで(どうも家系らしいな)女を求めて各地の大名の間を放浪して歩いたらしいのだ。腕が相当よかったらしい。だから大名家を渡り歩けたわけだが、どうもおんな好きで放浪癖があったというのはカモフラージュらしい。

というのは、調べた所では渡り歩いた大名が幕末維新で政治的な動きをした藩ばかりであったのである。今も昔もそうだが、医師というのは病人がいれば何処にでもいく。言い方を変えればどこの屋敷にも入り込める。そうして大名や維新の志士(今で言えば政治家だな)の間を毛シラミのように情報伝達を仲介する。時には反対派或は佐幕藩にも潜り込める。そうして色々な情報伝達の経路となる。これは今も昔もかわらないだろう。医者というのはそういう役割には目立たなくて自然である。

そういうわけで母親も俺をどうしても医者にしようとしたわけである。それでまだ小学生のころから東大の五月祭に俺を連れて行く。そして医学部の展示を見せる訳である。シナの故事ではないが、孟子三遷の教えだったかな、幼いうちからそう言う物を見せておけば自然と医者になるだろうと短絡的に考えた訳だ。

皆様ご案内の様にそこには切り刻まれ皮を剥がれた人体の標本が所狭しと陳列してある。死体の汚物置き場である。これを見て医者に興味を持つだろうと思うのも短慮の極みだ。

俺の兄にも一人医者がいるが医学部に入って最初の解剖の授業を見た時は昼飯が食えなかったといっていた。まして小学生低学年の子供がどういう拒否反応をするのか分かりそうな物である。そう言うわけで医者は俺のキャリア・パスからは真っ先に消えた次第である。

 

 


第D(22)章 ほとんど感染症といえる

2016-09-21 08:40:35 | 反復と忘却

父の存在については大きくて強圧的で、言ってよければ理不尽な存在だったから「壁」という意識は子供のころからあった。しかし、その壁がなんなのか、というのは分からない。壁の向うに何があるのかも分からなかった。だた「ある」という認識は強烈明晰に持っていたわけである。父の死後、村上春樹流にいえばその壁をどうやら夜間知らない間に時々通り抜けているらしいのだ。もっとも戻ってはこれるのだが。そうじゃなかったら大変だ。

母の存在はこれと違って親密で懐かしい存在ではあるが、ふわふわしていて実体観が無かった。ところが死んだ後でじわじわと実体というか手応えが出て来た。ある意味で非常に大きな影響力のあった存在で、逆にそれがために実体が見えなかったということかもしれない。

母の胎内を出たあとも相当長い間強い感染力を受けていた。正調日本語では感染力とは言わず影響力というのだろうけどね。不安の気分である、特に感染力が強いのは。母は元々神経質でなんでも気に病む所があった。それはそれでいい。人それぞれに性格というものはある。いわば人格権の一つである。

困るのはそれが電波の様に媒体のないところを飛び越して俺の所まで伝播してくるのである。大人なら多少そういう空気感染にも抵抗力があるのだろうが、こちらは幼児である。低学年の小学生である。抵抗力がない。どうしてそうなったのか、俺は考えたね。おそらく母があまりにも違う父との折り合いをつけるかつけないかの決断を迫られた不安定な時期と俺の胎生の時機と重なったためだろう。母が父と折り合いを付けて行く決意をしたのに、何年間を要したのか。最低でも二、三年はかかっただろう。それが俺の胎生と新生児の一、二年の時機にだぶっていたのではないか。

母も年子のように次々と生まれてくる妹達の世話に忙殺されているうちに夫との生活にも妥協したと思われる。不思議なことがある。昔からどうしても長兄の声が我慢出来なかった。胎児の聴覚というのは早く発達するらしい。妊娠五ヶ月目には外界の音を認識すると言われている。新しい母に反抗したり、意地悪をして諍いを起こしていた体外の声と母親の反応、表面では平静を保っていても、当然嫌悪の感情は各種の内分泌ホルモンの異常な分泌をもたらすだろうから胎児に条件反射的な回路を作らせることは間違いないだろう。 

犬は主人の気分に敏感に反応する。この伝播力も不思議だ。馬も乗り手の気分を驚くほど正確に感知するのはよく知られた事実である。人間も同じなのかもしれない。

母は俺が咳をすると、結核じゃないかと、身を震わせる様にして騒ぎ立てる。俺も巻き込まれて次兄の様に寝たきりになるんじゃないかと暗澹とした気分になったものだ。次兄が結核に取り憑かれて長い間起きられなかったが、それが俺に感染するのではないかと怖れていた。また、母のきょうだいでも結核で死亡した人が複数いたことも母の恐怖の原因だったらしい。

この母の不安が俺の全身に取り憑くのは何とも言えず嫌な気分だった。父が、母を気が利かない、と不満に思っていた理由も案外こう言う所にあるのかもしれない。子供の健康に気を遣ってくれるというのは当然のことだが子供が恐怖で発作を起こしかねないような騒ぎ方をするのも配慮が足りないとは言える。

こういうことは日常的にあって、今でも思い出すのは母が同じ話を繰り返すのだが、夏のある日、警官が家に来て「お宅の坊ちゃんは今うちにいますか?」と聞きに来た。物々しさに驚いて母が問い返すと近所の公園の池で子供が溺れたという。誰か見物人が俺に似ているとか言ったらしくて、警官は確認にきたのである。折悪しく俺は他の所で遊んでいた家に帰っていなかった。母は不安と恐怖で動転してしまったらしい。すぐに身元は確認されたそうだ。俺もそれきり忘れてしまったが、母が執拗にその時の恐怖を後年、もう高校生になり大学生になったおれに繰り返すのである。あれは何故だろう。

母の心配はすべて善意から来ているのだが、ピントが外れているなと思うことがあった。あれは中学の頃だったか、進学のための模擬試験なんてのがあって、週末に時々受けに行った。その成績が「抜群に」、「目を見張る様に」良かった物だから母親は急に関心を持ち出し、心配しだした。ちょうどはしごの上から、今度は落っこちるんじゃないかと余計な心配をしだしたのである。

あるとき、模擬試験の会場で、休み時間にばったりと母親に出会った時には驚いた。なぜここにいるんだ?というわけである。余計なことに母親は近づいてきて「顔が緊張しているわよ、リラックスしないとだめよ」というんだな。余計なお世話だ。俺は緊張してなんかいないし、午前中の答案は完璧な自信があった。

母はおそらく新聞の婦人欄か家庭欄で子供の試験の時は緊張させては駄目だとかいう記事を読んだのだろう。彼女はそう言う記事を切り抜いたりしていた。予期しない時につけて来た母親に受験生達の間で遭うなんてそれだけでも目立つ。「顔が緊張してる」なんて暗示をかけるようなものですっかり調子が狂ってしまった。そのくらいのことで調子が狂うなんてどうかと思うが、それほど前にも書いた様に母親の不安は俺の全身に影響を与える様に出来ていたのだ。午後の試験は午前と違って全然駄目だったのは言うまでもない。

 

 


第D(21)章 カフカの謎

2016-09-20 08:15:33 | 反復と忘却

ウィトゲン石の話が出たついでだが、俺だって少しは本を読んだ。大抵は途中までだけどね。カフカの話を少ししようと思うんだが、まず変身ね。これは短いし全部読んだ。ムンムン度満点、迫力十分な面白い小説だ。 

それと「審判」ね、これも読んだ記憶がある。これは非常に世評の高い作品らしいが、つまらなくて最後まで読めなかった。最近ある書評が目に触れた。それに流し目をくれたんだが、この両書に共通点があるらしいと気が付いた。それで又読む気になった。

前に読んだ本が同じ訳者のものかどうかは、もう記憶がない。今回は池内氏の訳。一応買ったんだがまだ読んでいない。

両書とも同じテーマじゃないかと思ったのは、どうしてか理由も分からず災難に遭うという設定が同じなんだな。もっとも審判の方はインターネットという「汚水溜」のような海を漂流している「書評もどき」から得た知識なんだが。

変身では朝、目が醒めたら自分がゴキブリになっていたというんだろう。何故だか分からないというか書いてない。つまり「充足理由律」の圏外なんだ。審判もある朝、目が醒めたら逮捕されるが理由が最後まで分からない。読者にも、ということは主人公にもということだが。それで一年後に死刑を執行されるというわけだ。読者に「充足理由律」は開示されていない。なんだか似ているよね。

当然裏にカフカの経験と言うか見聞があるのだろう。勿論幾重にも原体験は変換されているのだろうけれど。カフカは膨大な日記を残しているらしい。カフカ全集というのがあるらしいが、買う気がしないしな。それに日記の中から原体験を探し出すというのは、堆肥の山のなかから真珠を見つけるような作業であまりぞっとしない。

ま、以上は俺の仮説なんだが、小説家である以上、その媒体である文章がすぐれていなければいくらテーマが斬新でも意味がない。随分昔に読んだ初読の印象が正しいのか、その後俺の文章鑑賞能力が向上して今回は面白く読めるのか、ぼちぼち試してみよう。

 


第D(20)章 父にとっての母とは

2016-09-19 08:14:15 | 反復と忘却

俺が青少年のころウィットゲンシュタインの論理哲学論考を読んで「なるほど」と思ったことが一つあった。哲学は疑問(設問)から始まるわけだが、その設問には意味がありますか、あるいは有意味な答えがだせますか、という第一関所をW石は設けている。この命題は非常に役にたった。

オックスフォード大学で初めて革ジャンとジーパンで講壇にたったというW石の言葉は哲学だけではない。以後の俺の処世術を貫いている。もっとも人間のサガとして問い続けなければいられない問題というものもある。カントはこれを人間の業であるとした。たとえば神はいるのか(存在するのか、あるのか)とかビッグバンの前は何だったの、とか言うのがそれである。カントの言うアンチノミーである。

おれは早々とこういう問題には見切りをつけてしまった。そこでだ、母とはなにか、という疑問はしょっぱなから立ち往生する。「俺にとって、母とは何か」という設問はむずかしい。むしろ非生産的な設問である。しかし、母とは何かよりかは幾分改善している。

母にとって俺とはなにか、この質問は大分すっきりとしている。前にも書いた様に夫に対する不満から来ている。あるべき男性の姿を、それは母の敬愛する祖父のタイプであるが、おれにプロジェクトすることであった。そんなことを勝手に決められては、俺も困るのである。

妹は俺がマザー・コンプレックスだというのだな。そんなことをいわれても困るのである。むしろ、母のプロジェクションを常にうっとうしく感じていたのであるからして。

父にとって妻(母)とはなんであったか、という問題であるが、肉体的に言うと短躯の父よりも三人の妻はみな背が高かったそうである。兄の小説「三人の母」にはそう書いてある。あるいは優勢学的配慮が働いているのかもしれない。

父が一番気に入っていたのは二番目の妻だったと兄は書いている。俺の母と始終ぎくしゃくしていたのは、母を気のきかない女と思っていた不満があったと思われる。二番目の妻は商家の出身であった。下町の娘で社交的で遊び好きでふわふわしているところが父の気に入っていたらしい。

始終二番目の妻の妹や兄たちと父は麻雀をしていたらしい。父は麻雀五段という証書を持っていたが、麻雀に段なんてあるのかな。

それに比べて俺の母は官僚の家で生まれ、下町の女と違ってまったく異なった育て方をされていた。そして山間部の村落出身の父の性格とも合わなかったのだろう。

兄達はこの商家の前妻が好きで彼女が父と死別した後も彼女の家や妹達と定期的に交際していたらしい。この妻は妊娠中に死亡して子を残さなかったのであるが、兄達と交流が続いていた彼女の妹の様子を間接的に見聞していた俺にはその違いはよく分かった。田舎育ちの父には堅苦しい家庭に育った俺の母より商人の娘の方が気楽だったのだろう。

俺にとっては、この妹達、兄達の叔母は高飛車で礼儀知らずとしか思えなかった。兄達が俺の母親を彼女達に讒訴していたのに影響されたのか、あるいは彼女達が俺の母と兄達を離間させる様に煽動していたのか、どちらかだったのだろう。

 


第N(2A)章 さとりを懼れる

2016-09-13 08:33:04 | 反復と忘却

三四郎は自殺をおそれたと同様にさとりをおそれた。自殺のさきになにがあるのか。肉体が滅びても現在の苦悩の発生源である魂が幽霊船のようにいつまでも宇宙を漂っているという説を信じていたのである。キリスト教徒が自殺を嫌悪する様に怖れていたのだった。

本屋にいくと哲学、思想、宗教、スピリチュアルという棚が肩を並べて一塊になっている。彼もそんな棚から二、三冊スピリチュアルとか精神世界本を選んで読んでみたものであった。仏教系であれば「さとり」を開くとか涅槃に寂入するとすべての問題は解決するらしい。これが分からなかった。たとえようもなく三四郎の想念を脅かした。さとりの後になにがあるのか、さっぱりイメージがつかめなかった。

これって痴呆状態になることと非常に似ている様に思われて仕方がなかった。思春期の青少年が目ざすべき方向とはどうしても思えなかった。たしかに痴呆状態になれば何にも煩わされず、恍惚とした幸福状態になることは分かる。それが三四郎を恐怖させた。

キリスト教だと、天国に行くことが究極の目的らしい。天国というのは色々読むと地上とちっとも変わらない世界である。みんな精霊となって只々幼児の様に戯れるばかりの世界らしい。三四郎にはピンとこなかったが「さとり」のように恐怖心を抱かせることはなかった。だがいまさら幼稚園に逆戻りすることにも魅力を感じなかった。

キリスト教には回心という現象があるらしい。地上に生きたまま、一種の悟りを得て人間が変わってしまうらしい。パウロの回心とかね。何の前触れも無くいきなり頭上に雷が落ちるようなものらしい。もっとも厳しい修行をしなければ回心が訪れないということはないらしい。パウロやアウグスティヌスのように放蕩無頼な生活を続けていても回心は来るようである。そこは魅力であるが、こんなことが起きることをあてにして生きている訳にもいかないではないか。

あの夏の夜の一撃以来、魂と肉体とがしっくりいかないことが三四郎の自覚症状としての最大の悩みであったのである。どうかするとコンセントが外れたみたいに両者が離れてしまう。永久に離れるという訳ではなく、くっついたり、外れかかったりする。ちょうどあの地底に掘ったような池で爆死した人間のように不可逆的に頭が吹っ飛んでしまうという訳ではないのだが。

 


哲学書の種類

2016-09-12 07:39:32 | 書評

私は寝起きが悪い。朝はどんぶり一杯のインスタントコーヒーをアスピリン数錠と一緒に飲む。エルヴィス・プレスリーのレコードをかける(CDを聞くというのかな、古いね)。それだけは無く書棚から適当に引き抜いた哲学書を拾い読みする。そうすると小一時間するほどに頭脳活動指数が正常値に達するのである。

小説を選ぶ場合もあるが、目覚ましには哲学書が多い。哲学書と言ってもいろいろある。流派(といっていいのかどうか)にも色々あるが私は流派にはこだわらない。朝の暇つぶしに、覚醒の一助になればなんでもいい。それらを戯れに分類してみた。

1:これはお話にならないな、とすぐ分かる本。「なにを言ってるんだ」と。こういう本を我慢して読むほどお人好しではない。向学心が強くない。すぐに放り出してしまう。

2:おかしいな、と思うことは多々出てくるものの、そこを好意的に理解してやれば案外読めそうだと感じる物。これは我慢して読む。数ページね。結構覚醒効果を期待出来る。

3:学部生、院生の論文みたいな物。日本の出版社は欧州などの哲学者の学位論文みたいなものまで親切に出版することが多い。こう言うのはやたらと出典参照が多い。一行に一カ所は出典注記がある。指導教官にコピペを批判されるのが怖いのだろう。これは日本も外国も同じだ。この手のものを読むほど私は親切心がない。

こういう論文ではどこが著者の主張や思想なのか判然としない。権威に寄りかかるような印象である。

4:小説でもそうだが、私が重視するのは「ムンムン度」である。それを感じる物は読む。代表的なのは(そして一般的に分かりやすいのは)ヘーゲルだろう。小説でもムンムン度は重視するが哲学書でもそうである。ムンムンと迫ってくる物がないのは駄目だ。

カール・マルクスがヘーゲルにいかれたのもこういうところじゃないかな。

もっとも、ヘーゲルでムンムン度が高いのは精神現象学と論理学ぐらいだ。特殊部門に応用した物は退屈である。たとえば法哲学、歴史哲学等。

朝一番の目覚ましアップでございました。

 


第D(19)章 写真はやっかいなもの

2016-09-10 07:31:01 | 反復と忘却

百歳ちかくまで生きた父親が残したものは多かった。本人は晩年まで至極健康で百二十歳まで生きるつもりだったから、生前整理と洒落込むこともなかった。身辺を整理するなんてことはしなかったのである。それでも品物はまだいい。およそ物を捨てない性格だったから、がらくたがやたらとあった。これの整理は時間的には大変だったがさして神経を使わない。捨てる、処分するの判断はすぐ出来たし、躊躇することは無かったのである。

困ったのは反古というか書類というのかそういうものである。ほとんど意味も価値もないものであるが、不思議と処分する時に抵抗がある。もっとも困ったのは写真である。家族写真はともかく残すんで迷うこともなかったが、勤めの同僚らしい人物と映っている写真が多かったので処置に迷った。外交的で社交的だった父にはこういう写真が無数にある。何しろ一世紀近く活動したからおびただしくある。モノクロ時代からはじまりカラー写真が無数に残っていた。ほとんどが整理されずに空き箱に入れてある。

それに若い頃には自分で写真を撮っていたらしく、そのネガがプリントと一緒に未整理のまま放置してある。ネガはそのままでは何が写っているかわからない。ビューアーでいちいち見ないと分からない。最初のうちはそんなことをしていたが、とても続けられるような半端な枚数ではない。

エイヤっとすべて捨ててしまおうかと思ったが、なんとなく引っかかる物があった。というのはざっと見た所ではアルバムには父の子供のころや学生時代の写真が一枚もない。従って祖父母や田舎の親戚にどういう人がいたかも分からない。ひょっとすると、そういう写真もなかに紛れ込んでいるのではないか、と思った訳である。未整理の写真のなかに若い頃の郷里の家族写真が紛れ込んでいるのではないか、と思った。

その時に父が保存していた母親の写真集も初めて見た。こちらの方はすべてアルバムに貼ってあり、さして量も多くはなかった。だがアルバムから剥がした写真が何枚もあるのに気が付いた。女性というのは結婚するに際して独身時代の都合の悪い写真を処分するものだろうか、と俺は思ったのである。

また、母親の写真の中にも父の場合と同様に子供の頃や女学校時代の写真が一枚も残っていない。これも不思議に思った。しかし成人後か結婚後か分からないが郷里の家族と一緒に映った写真は多数あった。俺もこういう母方の親類とは何回も会っているからよく分かったのである。振り返って自分のことを考えると俺の場合、自分の昔の写真を見ることもあまりないが、半数近くは子供時代や学生時代の写真であり、父母揃って成人前の写真が一枚も残っていないのを不思議に思った。

さて気を取り直して父の残した写真をすこしずつ確認していった。それが死者に対する敬意でもあろう。ひまな時にちょこっと見る。こういう成果のない単調な作業はすぐに飽きてしまうからすこしずつしか出来ない。何ヶ月もそんなことをしていたが、大量のバラバラの写真の中には毛色の変わった写真も見つかった。

 


第D(18)章 射界の清掃

2016-09-09 08:14:08 | 反復と忘却

俺は何事も根源的にとらえる。ラディカルなんだな。哲学的なんだ、性格が。ポール・リクールじゃないが、神話は参照すべきものだ。また、フレイザーの金枝編なんてのも示唆に富んでいる。同様な理由から人間を霊長類として把握するために、猿のむれの研究を参照する。もっと遡ってサイケデリック・ジャーニーをしてもいい。哺乳類全般に。ま、そういうわけだ。

さて、ギリシャ神話をひもどくと神様の最初のDNAはウラノスに現れる。ウラノスは妻のゲー(大地)との間に生んだ子供を穴の中に投げ込んだ。そこでゲーは子供のクロノスに斧を与え、父親ウラノスのペニスを切断する様に命じた。クロノスは父親の生殖器を切断して父親を海に投げ捨てた。

このDNAは二代目のクロノスに引き継がれる。クロノスは沢山子供を産んだが男の子は皆食べてしまう。赤ん坊の肉というのは若鶏のようにやわらくて美味しいんだろうな。しかし最大の理由はやがて子供が成長して自分を排除してボスになるのではないかという恐怖だろう。猿の子殺しという現象も同様の理由であるとも言われている。

そこでクロノスの妻レアーは一計を案じたのである。ゼウスが生まれた時に夫に新生児だと偽って石ころを食べさしたのである。クロノスは随分腹持ちの良い赤ん坊だと思ったらしい。そしてレアーは生まれて来たゼウスを隠して育てたという訳である。それでウラノスからの父系のDNAは守られたとさ。

ゼウスは沢山の人間の女と交わって多くの半神半人を生んだ。これが人類の祖先である。クロノス、ウラノスの性質が人間に遺伝しないわけがない。

これが神代の祖父、父、孫の三代記である。これまで何回も父は男の子供を非常に警戒していた話をした。とくに思春期になって男性としての成長が加速し顕著になると必ずそれを押さえようとした。本能みたいなものである。これは父と男の子たちとの関係であり、息子というのは完全にかれの射界に入っていたのである。娘達には警戒心を抱かず自分の毛繕いをさせていたのである。自分の情報源にしていたのである。息子達の情報を娘達から集めていたのである。

父は孫となると全く警戒心を示さなかった。当たり前かも知れない。あまりにも年令が開きすぎている。孫との関係は非常に親密であった。一転好々爺に変貌する。

毎年正月に家族が集まるのだが、孫達が寒いだろうと襖を取り払った二間にストーブを何台もおいてがんがん焚くのである。日本家屋は夏の暑さをしのぐ様に出来ているが冬は寒い。それに加えて普段は節約節約と口うるさく言って暖房を使わせない。父は非常に頑健だから、暖房なんかなくても冬でも快適だったらしい。他人も同様だと思っていた。

それが孫達が来るとガンガン部屋を暖めるので今度は室内の温度が異常に上がる。柱は膨張するのか、みしみし音を出し、部屋が振動するようになる。皆茹だったタコのような真っ赤な顔になるまで温度を上げるのである。そんななかで父は顔を真っ赤にしてニコニコ笑っていた。

父は人並みすぐれて頑健で健康であった。エネルギーが溢れていた。だから原初的なパターンが表に出ていたのだろう。