父の存在については大きくて強圧的で、言ってよければ理不尽な存在だったから「壁」という意識は子供のころからあった。しかし、その壁がなんなのか、というのは分からない。壁の向うに何があるのかも分からなかった。だた「ある」という認識は強烈明晰に持っていたわけである。父の死後、村上春樹流にいえばその壁をどうやら夜間知らない間に時々通り抜けているらしいのだ。もっとも戻ってはこれるのだが。そうじゃなかったら大変だ。
母の存在はこれと違って親密で懐かしい存在ではあるが、ふわふわしていて実体観が無かった。ところが死んだ後でじわじわと実体というか手応えが出て来た。ある意味で非常に大きな影響力のあった存在で、逆にそれがために実体が見えなかったということかもしれない。
母の胎内を出たあとも相当長い間強い感染力を受けていた。正調日本語では感染力とは言わず影響力というのだろうけどね。不安の気分である、特に感染力が強いのは。母は元々神経質でなんでも気に病む所があった。それはそれでいい。人それぞれに性格というものはある。いわば人格権の一つである。
困るのはそれが電波の様に媒体のないところを飛び越して俺の所まで伝播してくるのである。大人なら多少そういう空気感染にも抵抗力があるのだろうが、こちらは幼児である。低学年の小学生である。抵抗力がない。どうしてそうなったのか、俺は考えたね。おそらく母があまりにも違う父との折り合いをつけるかつけないかの決断を迫られた不安定な時期と俺の胎生の時機と重なったためだろう。母が父と折り合いを付けて行く決意をしたのに、何年間を要したのか。最低でも二、三年はかかっただろう。それが俺の胎生と新生児の一、二年の時機にだぶっていたのではないか。
母も年子のように次々と生まれてくる妹達の世話に忙殺されているうちに夫との生活にも妥協したと思われる。不思議なことがある。昔からどうしても長兄の声が我慢出来なかった。胎児の聴覚というのは早く発達するらしい。妊娠五ヶ月目には外界の音を認識すると言われている。新しい母に反抗したり、意地悪をして諍いを起こしていた体外の声と母親の反応、表面では平静を保っていても、当然嫌悪の感情は各種の内分泌ホルモンの異常な分泌をもたらすだろうから胎児に条件反射的な回路を作らせることは間違いないだろう。
犬は主人の気分に敏感に反応する。この伝播力も不思議だ。馬も乗り手の気分を驚くほど正確に感知するのはよく知られた事実である。人間も同じなのかもしれない。
母は俺が咳をすると、結核じゃないかと、身を震わせる様にして騒ぎ立てる。俺も巻き込まれて次兄の様に寝たきりになるんじゃないかと暗澹とした気分になったものだ。次兄が結核に取り憑かれて長い間起きられなかったが、それが俺に感染するのではないかと怖れていた。また、母のきょうだいでも結核で死亡した人が複数いたことも母の恐怖の原因だったらしい。
この母の不安が俺の全身に取り憑くのは何とも言えず嫌な気分だった。父が、母を気が利かない、と不満に思っていた理由も案外こう言う所にあるのかもしれない。子供の健康に気を遣ってくれるというのは当然のことだが子供が恐怖で発作を起こしかねないような騒ぎ方をするのも配慮が足りないとは言える。
こういうことは日常的にあって、今でも思い出すのは母が同じ話を繰り返すのだが、夏のある日、警官が家に来て「お宅の坊ちゃんは今うちにいますか?」と聞きに来た。物々しさに驚いて母が問い返すと近所の公園の池で子供が溺れたという。誰か見物人が俺に似ているとか言ったらしくて、警官は確認にきたのである。折悪しく俺は他の所で遊んでいた家に帰っていなかった。母は不安と恐怖で動転してしまったらしい。すぐに身元は確認されたそうだ。俺もそれきり忘れてしまったが、母が執拗にその時の恐怖を後年、もう高校生になり大学生になったおれに繰り返すのである。あれは何故だろう。
母の心配はすべて善意から来ているのだが、ピントが外れているなと思うことがあった。あれは中学の頃だったか、進学のための模擬試験なんてのがあって、週末に時々受けに行った。その成績が「抜群に」、「目を見張る様に」良かった物だから母親は急に関心を持ち出し、心配しだした。ちょうどはしごの上から、今度は落っこちるんじゃないかと余計な心配をしだしたのである。
あるとき、模擬試験の会場で、休み時間にばったりと母親に出会った時には驚いた。なぜここにいるんだ?というわけである。余計なことに母親は近づいてきて「顔が緊張しているわよ、リラックスしないとだめよ」というんだな。余計なお世話だ。俺は緊張してなんかいないし、午前中の答案は完璧な自信があった。
母はおそらく新聞の婦人欄か家庭欄で子供の試験の時は緊張させては駄目だとかいう記事を読んだのだろう。彼女はそう言う記事を切り抜いたりしていた。予期しない時につけて来た母親に受験生達の間で遭うなんてそれだけでも目立つ。「顔が緊張してる」なんて暗示をかけるようなものですっかり調子が狂ってしまった。そのくらいのことで調子が狂うなんてどうかと思うが、それほど前にも書いた様に母親の不安は俺の全身に影響を与える様に出来ていたのだ。午後の試験は午前と違って全然駄目だったのは言うまでもない。