モディアノの作品をその後一、二読んだ。モディアノ中毒になったかな。読んでもちっともいい気持ちにはならないのだが。
あと数十ページを読み残しているのが「イヴォンヌの香り」。これはかれにしてはちょっと変わっている。日本で昔言った中間小説みたいな、なんというかわりと通俗的なもので、こういう風にもおれは書けるんだよ、と示したような作品である。
映画化されたそうだが、通俗文化向きの傾向が強い。理解出来る。彼の作品は時間軸が複数ある。これは彼の専売特許ではない。百人中九十九人の作家が取る手法では有るが、彼の場合は時間軸同士が融合している。これはあまり他にはない。
普通はここからフラッシュバックですよ、とイントロがあって、はい、ここから時間の主軸に戻りますよ、と書いてある。書かないと読者が文句を言うか、批評家が文句をつける。
モディアノは完全に一体化している。ヘーゲル流にいえば此れまでのすべての内容が持ち越され、含まれている。これはたしかに趣向ではある。
さて、イヴォンヌのかおり、ではt1軸とj2軸はあるのだが、t1軸の方が圧倒的に分量が多い。したがってt2軸はいわゆるフレームになっている。実質t1主力の叙述といってよい。これは私が今まで読んだ彼の作品には無い特徴のように思われる。わかりやすく、映画化しやすい描写といえる。
さてモディアノの性場面の描写であるが、全く書かないか、なんとなくここは性交で場面暗転中断とほのめかすだけだ。イヴォンヌでは比較的世間並みに接近しているが、いわゆるポルノ的な描写は一切無い。書くのに抵抗があるのか、たしなみなのか、結構なことではある。
作家によるセックス描写には三つの種類があるようだ。ひとつはモディアノ流で、現代では超マイノリティである。
二番目はポルノ風というのか、この場面がなかったらどうするの、と性交愛欲描写に命をかけてあくまでもくどくいくもの。マジョリティである。
三番目は村上春樹流である。「性交した」、「挿入した」てなお医者さんごっこのようなあまりといえば、あんまりな即物的なタイプ。ユニークとはいえよう。
之によって此れを観るにノーベル賞選考委員は上品な作品が好きらしい。だいたい、セックスは「する」ものでしょう。読んだり見たりするものではない。鼠蹊部を損傷しているのでなければね。
もっとも、バイアグラを服用して唸りながらするものでもない。