これは伝聞で確かではないが、「私を離さないで」は彼の著書で一番売れたそうである。英文でも日本訳でも。私は先に書いたようにこの小説を途中で投げ出してしまった。この辺の受容のギャップが気になっていた。あれこれ考えたのであるがそのことをすこし触れる。
最初は、映像化の影響が大きいのではないかという疑問である。もっとも小説がベストセラーになったから映像化されたという経緯ならこの仮説は成立しない。その辺の事情は私にはわからない。とにかく映像化されれば、それを契機に本の読者は増えるという循環になる。映像化されやすい理由として考えられるのはテーマの衝撃度である。臓器提供者を育成するクローン人間の飼育というのは映像制作者の食欲(?意欲)をそそるだろう。しかも大変わかりやすく映像化しやすい。
この仮説を裏付ける(それほど大げさではないが)理由として、インターネットで検索すると映画化されたものやテレビドラマ化されたものについての記事が圧倒的に多い。また、映像化されたものをベースに原作に触れるものがわずかにある程度である。それと、この本の批評に専門家すなわち文芸評論家の書評が見当たらない。あるのは哲学研究者、倫理学研究者、脳医学者、心理学者などの縁辺分野の専門家が多い。SFファンや勝手連の投稿も散見されるが文系評論家の書評には気が付かなかった。これが意味するのはテーマについての興味が主で小説としての月旦ではないということである。
もう一つの理由は一般読者に評判がいいのは彼の文章が素晴らしいのではないかということである。これは日本訳には当てはまらないが原文(英文)の質に原因があるのではないか。そこで原文の洋書を買った。ところがこれが(出版社はfaber and faberのペイパーバック)ものすごい細字なので、通読できない。それで拾い読みをしたが、彼の文章は流麗、平明でかつ端整である。これは処女作以来のことであろうが、彼の成功の重要な理由の一つと考えられる。完全なネイティブではないが、外国系でも完全な英語を書く人は英米圏でも尊敬される。書く言語というのは往々にして外国系の人の場合のほうが優れている場合がある。もちろん、少数例であるが。
とくにこの才能は読書人の間では高く評価される。話すほうではいくら流暢でもそうは評価されない、通訳猿としてかるく見られる。ミーハーにはともかく読書階級には。