100:山手線でヘーゲルを読んでいます
若き女性哲学徒の長南さんがコーヒーを持ってきた。ドスンとテーブルの上にカップを置いた。中の液体が波を打った。コーヒーが津波をおこしカップのふちを超えた。相変わらず彼女は粗暴だ。「結構久しぶりだね」と彼女はお愛想をいった(お愛想のつもりなのだろう)。
「そう、外出自粛要請以来だからふた月になるかな」
「まだふた月にならないよ」と彼女は訂正した。哲学徒として誤りは容認できないのである。
「大学は休みなんだろう」
「ウン」と短く無愛想に答えた。
「ここはずっと開いていたのか」
「ウン」
「よかったね、ちゃんと収入はあったわけだ」
「ウン」何を聞いてもウンですましてしまう。もう聞きこともなくてカップを口に運ぶと一口啜った。彼女はプイと向こうに行ってしまった。
第九はラックから新聞を取ってくるとざっと目を通した。コロナの記事ばかりだ。近々帝都も自粛要請が解除されるらしい。コーヒーが効きだした。コーヒーが効くというのもおかしいが、このくらい濃いと体にじわじわ効いてくるのがわかる。目を閉じてソファに体を預けているとレジのあたりが騒々しくなった。
「これはお珍しい。すっかりお見限りでしたね。またパチンコで地方遠征でしたか」とママが浮かれた声であいさつをしている。
「いやいや、そんな反社会的な行動はしません。市民の義務は守っていますから」
「そうすると、ずうっと家に籠っていたのですか」
「そういうわけでもないんですがね。おや今日は珍客がいるな」と第九を認めて彼はこちらに寄ってきた。
「時々いらしてたんですか」とおしぼりでごしごしと顔を拭きながら橘さんが聞いた。
「いやふた月ぶりくらいですよ」
「ははあ、それじゃ私と同じだ」
「ずっと、自宅にいらしたんですが」
「それがそうもいかないんですよ。ガキがうるさくてね。それに女房と一日中部屋にいるとイライラしてきますからな」
「お子さんは何人いるんですか」
「恥ずかしながら、三人もいましてね。上が中学生の娘で、その下に小学生のガキが二人もおります」
「それは賑やかでしょう」
「賑やかなんてものじゃありませんよ。狭いうちに五人も犇めいているんですから」
101:悪無限
そりゃ大変ですね、と第九が言うと「まるで鉄板で出来た狭い檻の中で拳銃をぶっ放したようなものですよ。耳を聾する騒音のなかにいるようなものです」
しかし、鉄板で囲われているなら騒音は外には漏れないでしょう、と第九が混ぜ返すと
「それが実際には安マンションの薄い壁なんですから、近所からは苦情が絶えないんですよ」
「それは大変だ」と同情した。「パチンコには行かないとかおっしゃってましたよね」と思い出したように第九が聞くと
「勿論です。善良な市民ですからね。自粛要請を守らない店を探して朝から行列するようなことはしません」というと橘氏はコップの水を一気にあおり、ハーっと農夫が熱いお茶を飲んだ後のように大きなため息をついた。
「あなたはいいな、専業主夫にはコロナ失業というのはないのでしょう」
「それはそうなんですがね、彼女が在宅勤務で一日中家にいるので、かえって大変です」
「なるほどね、わたしもパチンコができないから馬券師に戻ろうかと思ったんですがね」
「へえ」と第九は改めて彼の多能ぶりに驚いた。「あれはいろいろデータを調べたりするのでしょう。毎日忙しいでしょう」
「ところが、貴方、平日はすることがないんですよ」
「データの下調べはしないんですか」と競馬のことは詳しくない第九が聞くと
「私はオッズ派でね、当日のオッズが出ないことにはすることがないんです」
「というと大穴狙いですか」
「そういうことでもないが、とにかく週末だけが忙しくてね、月曜から金曜まではすることがないのです。そして家の中では鉄板の囲いの中で一日中太鼓を叩くみたいに子供たちがけんかをする、女房は金切声で怒鳴り散らす、進退窮まって私は朝飯を食うと家を飛び出すんですよ」
「公園にでも行くんですか」と第九は暢気な質問を投げかけた。
「いや、貴方、ヘーゲルの本を持って一日中山手線に乗っているので」
第九が首をひねっているのを見て「いやね、学生時代にやはり狭くて周りが一日中五月蠅い下宿にいた時の習慣を思い出してね。山手線に乗って時間をつぶしたものです。なにか読む文庫本なんか持ってね。それを思い出してね、山手線に逃避したわけで」
「それは安い消暇法ですね」と第九は感心した。
「都県をまたいで移動してはいけないというんでしょう。山手線しかありませんよ。中央線だと市川だともう千葉県だしね、西に行けばうっかりしていると山梨県に入っちゃう。
それにコロナ騒ぎで電車はがら空きだしね。座りくたびれれば駅で降りて腰を伸ばす。エキナカの売店でスナックを買ったりドリンクを買ったりして一息いれればいい」
「うまいことを考えましたね。山手線には何回りくらいするんですか」
彼は馬鹿なことを聞いちゃいけないというように、「それはまちまちですよ。べつに規則を決めて乗るわけじゃない」と答えたのである。
「それでどうしてヘーゲルの本なんですか」と第九はまた愚問を投げかけたのである。
102:別の視点からヘーゲルを考えた
「あなたは医学部に転部する前には哲学科だったんですよね」と専業主夫は前に彼から聞いたことを思い出した。「そのころからヘーゲルを読んでいたんですか」
いやいや、というとクタクタになった紙おしぼりを丁寧に伸ばすと耳の穴を拭きだした。
「ま、哲学科の学生としてはいろいろと手を出しますからね。もっともヘーゲルなんて言うのは哲学科の専売特許というわけでもない。法学部であろうと、経済学部であろうと、たいていの学生は興味を持っているでしょう。最近のことは知らないが、学生運動が盛んな時代だったから社会主義や共産主義の遠祖みたいだったヘーゲルにはみんな手を出していましたよ。何しろ初代教祖マルクスだけじゃなくて二代目教祖のレーニンもヘーゲルをソ連流に仕立て上げようとしていたんですからね」
「マルクスが彼らの教祖様じゃないんですか」
「そう、そのマルクスが陶酔してヘーゲルを絶賛するからヘーゲルを疑う学生なんかいない」
「どう絶賛するんですか」
「ヘーゲルは頭で歩いている。つまり観念論ですな。それをひっくり返して足で歩かせれば、つまり唯物論でお色直しをすればそっくり使えるというように思いこんだ」
「本当にそんなことが出来るんですか」
「さあね、無理でしょうな」とあっさりと否定した。
マルクスの主著は資本論でしょう、それがどう関係するんですかと言うと、パチプロから馬券師に転身した彼は困ったように第九を見た。
「彼ら、つまり社会主義研究者はヘーゲルの「論理学」と「資本論」をパラレルにみるようですね。もっとも最近では資本論はヘーゲルの「法の哲学」の真似だという意見も出てきたらしい。「いずれにしても死後二百年もしてそういう詮索がなされるということがヘーゲルの偉大なところでしょうな」と橘氏は答えた。
私はね、と彼は話した。最初に「精神現象学」を読んだんですよ。ヘーゲルの処女作、ただし、匿名出版は除きますがね。これは面白く最後まで読みました。それでね、彼の第二作である「論理学」にとっかかったらチンプンカンプンでね。当時のしてきたウィトゲンシュタインや勃興してきた分析哲学の連中が嘲笑ったように「ジャーゴンの堆積」としか思えなかった」
なんですか、ジャーゴンって。
「たわごとということですよ。しかしねえ」と彼は思い入れよろしく大きなため息をついた。「たわごと」と聞いて安心したものの、学会の一部か大部分かしらないが、世評の高いヘーゲルが理解できないのは何となく残念というか不安でね。それでね、今回のコロナ騒ぎで家の喧騒から山手線に避難したときに、もう一度挑戦しようと思った。不思議なことに彼の論理学は捨てないでまだ残してあったんですよ。私はたいていの本は読んだら捨ててしまうんですけどね」
「なんだか気になっていたんでしょうね」
103:あれは論理学ではない、と気が付いてね 五月三十一日
新馬券師がヘーゲル、ヘーゲルと連呼するものだからレジから憂い顔の女性哲学徒が寄ってきた。断りもなくどっかりと隣に腰を落とすと右足を左の膝の上で乗せた。彼女は左利きらしい。
おいしそうな膝が露出したあたりに目をやりながら、ヘーゲルって読んだことある?と問いかけた。彼女はフンと馬鹿にしたように漏らしただけであった。彼女をからかうことをあきらめて橘氏は続けた。改めて読んでみてね、彼のいう論理学は論理学じゃないということに気が付きました。「あれは俗にいう形而上学であり、また存在論なんですよ。そうするとなぜそうなるんだなんて考えて頭を悩ます必要がなくなる」
「どういうことなの」
「きっかけはね、昔どこかで、たしかバートランド・ラッセルがどこかで書いていたと思うんだが、ヘーゲルの哲学は彼の神秘体験が元になっているのではないかというのだ。そうすれば、論理学という本のタイトルを素人分かりしては間違えるかもしれない。
「形而上学なら根拠はなんだ、とか、どうしてそんなことが言えるんだとか憤慨しなくてもいい。定義も必要ないし、公理も必要ない。ヘーゲルが唾棄する悟性的分析は必要ではない。そうかい、そうかい、と受け流せばいい。そうしてそんなら次はどうなるの、と手品を見るように見ていればいい」
「手品の出来栄えだけが問題になるのね」と長南さんが総括した。「それで彼の神秘体験は調べたの」
「うん、彼には死ぬまでフリーメイソンの会員だったという疑念があった。プロイセンの秘密警察にも疑問を持たれていたらしい。ヘーゲルが兄事したゲーテはフリーメイソンだったしね。その入会儀式で、イニシエイションというのだが、神秘体験をさせるものだったらしい。しかし、これには確証がない。それでまた考えた。自分が神秘体験をしなくても同時代人か先人で神秘体験をした人の思想とか経験に影響をうけたという可能性があるのではないかと思ったのさ」
彼女は意外に鋭いな、と馬券師は内心で感心した。「なんか無底とか言った人がいたんじゃない」と彼女は第二弾を繰り出したからである。彼はますます彼女を見直した。「たしか靴屋の息子だとかいう人じゃなかったかしら」
「そうヤコーブ・ベーメといってね、まさにヘーゲルが非常に評価した哲学者ですよ」
「たしか、ドイツ最初の哲学者と言われている人でしょう」
「まさにその人ですよ。ヘーゲルの本に哲学史というのがあるが、ベーメについてはカントと同じくらいの紙数を使って紹介している」
じゃあ、どうして「論理学」なんてタイトルをつけたのかしら、と若き哲学徒は疑問を口にした。
さあねえ、世界というか、いや存在の仕組みとかそういう意味で使ったんじゃないのかな、と元パチプロは答えた。ギリシャ語のロゴスにはそういう意味もあるからね、と。
「それでね、長南さん、あなたは実にするどく核心をついている。僕もベーメのことに気が付いて調べたらね、驚くほどヘーゲルの論理学はベーメの思想に似ている。ベーメの思想は最初に全部(オール、英語で言うとね)と無(ナッシング)がある。最初というのは説明の都合でベーメの思想にははじめも終わりもない、つまり円環をなしている」
「ウロボロスのようにね」と若き女性哲学徒は補足した。
ベーメのいうオールとナッシングはヘーゲルの論理学の冒頭の有論のSein(いまだ無規定の存在全体すなわちAll)とNichts(Nothinng)に対応する。
104:マルクスにはヘーゲルの没後弟子を名乗る資格はない
近くに巨大な存在感を与えるものを感じて振り返ると下駄顔老人が店に入ってきた。
「お二人とも久しぶりですな」と声をかけた。
「ご老人は外出自粛要請中も来ていたんですが」と新馬券師が聞いた。
「うん、二、三回来たかな。何を話していたの、彼女まで熱心に聞いていたじゃないか」
「いや、外出自粛中に家にいるとガキのまき散らす騒音が耐え難いので山手線に避難したんですがね、その時電車の中で学生時代以来ご無沙汰していたヘーゲルを読み返したんですよ」
学びて時に習う、また楽しからずや、というわけだ。なるほどね、と老人は頷いた。「あの男には悩まされたからな」
「ご存じなんですか」と信じられないような顔をして第九が聞いた。
「多少な」
彼が個人的に知っているドイツ人がいるのかと思って「やはりドイツ人ですか」と聞くと彼は怪訝な顔をした。「ヘーゲルってどのヘーゲルの話をしているの。哲学者のじゃないのか」
「その哲学者ですよ。あなたの話し方が個人的なお知り合いのようだったので」と弁解した。
老人は「そうか、それは失礼したな。俺も彼の思想はしらない。読んだこともない。しかし俺の学生時代はアカの学生運動が盛んでね。その後出てきた過激派とか全学連なんかが子供の遊びに見えるほど恐ろしい連中だったよ。日本国をひっくり返してソ連のスターリンに献上しようという連中が大勢いた。その連中が何かというとマルクスを持ち出して、同時にヘーゲルの弁証法がどうのこうのというわけよ」というと注文を取りに来た女ボーイにジンジャーエールをオーダーした。
「ところでマルクスはヘーゲルの弟子なのか」と老人は太った赤ら顔の男に聞いた。
「いや、マルクスはヘーゲルの死後ベルリン大学に入りましたから弟子ということはないでしょう」
「そうすると、没後弟子を気取ったのかな」
「そうですねえ」と新馬券師は考え考え答えた。
「ヘーゲルとマルクスはまったく関係がないと思いますね。当時ヘーゲルの名声は大変なものだったから、それを利用して自分に箔をつけようと利用したんじゃありませんか」
「その程度の男か」
「たしかにヘーゲルは弁証法ということを言いましたが、弁証法という言葉はギリシャ時代からある。それにヘーゲルの思想は弁証法で覆いつくせるものでもない。第一ヘーゲルの歴史観はマルクスと全く違う。歴史は弁証法的過程を経て、当時のプロイセン国家は絶対理念を実現した最終的なものであるとヘーゲルは言っているんですよ。マルクスがぶっ壊そうとしていた国家ですよ」
それはおかしいな、と老人はつぶやいた。
「私は昔も今も彼らは新興宗教というか似非宗教と思っているんですよ」
「新興宗教にしてはばかに長く続くね」
それまで彼らの議論を黙って聞いていた憂い顔の美女は膝の上にのせていた左足を床の上におろすと、太もものあたりをこすりながら言った。
「彼らは自分たちの思想が科学的だというでしょう。それで無知な大衆はだませたのだが、自分たちの考え方が科学的だと宣伝し始めたら新興宗教のやり口を疑うをべきよ。そう言われるとと無知蒙昧な大衆はひれ伏してしまう。マルクスのお友達でエンゲルスというのが、空想的社会主義から科学的社会主義へ、とかいう著書がある。こういうことを言い出したら似非宗教を疑わなければならないわね」
一同は改めて感心したように彼女を眺めた。
105:弁証法フェチね 六月四日
ねえ、教えてよ、弁証法っていったい何なの。憂い顔の美女が元パチプロに質問を発した。ストーカーに不意を襲われてぎょっとしたように彼はすこし顎を引いた。
「いかれた連中には弁証法フェチが多いじゃない。弁証法を物神化しているわけね。そのわりには弁証法が何かと説明できる奴はいないのよね。教室なんかでそういうことを得意そうに言っている連中に質問してもポカンとするだけだもの。神様って説明して、っていうと大体同じ反応を示すわね。自分じゃ説明できないけど、内心では分かりきったことと安心しているのね」
「うまいことを言うね」と彼は感心した。弁証法とはなにか、と説明できる人はまずいないでしょう。玄人でもそう聞かれるとうろたえるからね。ガダマーにもヘーゲルの弁証法という著書があるけど、どこにも説明がない。ま、ちょっと厳しすぎる見方だから、逃げ口上や間接的な説明以外にはないね、と言い換えようか」と元パチプロ氏は答えた。
「弁証法って翻訳語でしょう。いつごろ誰が訳したのかしら。案外うまい訳かもね」
「たしかに、言語はギリシャ語由来のディアレクティケだが、直訳しても弁証法ということにはならない。しかし、日本語訳語のほうが適切な表現かもしれないな」
日本語の意味からすると弁じたてて証明する(あるいは議論に勝つ)方法ということになるね、と彼は言った。
フンと鼻を鳴らすと憂い顔の若き美女はちょっと考えた。「アタイはね、証明には三種類方法があると思うのよ」と口を閉じた。彼は黙って先を待った。
「最初は幾何学的証明よね。チョチョイと作図して示せば一目瞭然、それ以上の根拠を示せという馬鹿はいないわね、
第二は実証的というか、自然科学的なものね。仮説が実験と一致すれば証明されたことになるというわけ。もっとも、帰納の問題とかあるけどね。
第三は弁じたてて白黒つけるしか方法がない場合ね。法廷での弁論とか政治論争なんてのはその典型だわね。いわゆる弁証法はこの範疇になるんだろうな。だけどこの範疇に入るのにはいろんなものがある。政治や裁判ではアリストテレスも言うようにレトリケ(レトリック)と言われるし、ソフィスト的な詭弁もこれに入るわね」
じゃあ、弁証法という小区分を規定するものは何かということになるのかな、と元パチプロ氏は質問した。
「ギリシャ語ではどうしてディアレクティケというのかしら」
「ディアというのは横断的というか亘ってということらしい。直径のことをダイアメタというのはそういうことだ。差し渡しというわけ。レクトというのは話すということだ。レクチャーなんかも同じ語源だろう」
「そうすると、複数の人の討議してなにが正しいか探ろうとすることか。プラトンの対話編なんかそうだわね。実際には一人芝居を複数化しているみたいだけど。そうするとへーゲルの場合はどうなるのかな。正反合とかテーゼ、アンチテーゼ、シンテーゼとか」
三分法というのはヘーゲルの大好物なんですよ。なんでも三枚におろしちゃう。それで討議者はふたり、すなわち正君と反君が討議して合という答案を書くわけだろうね。もちろんヘーゲルの一人芝居でみんな彼の頭の中でやるわけさ」
「なーる、一応通じるわね」
106:月曜日の朝
今朝は家の中がばかに静かである。朝刊を広げながら橘源九郎氏は妻に聞いた。
「子供たちの学校は始まったのかい」
「ええ、今日からですって。だけど午前中だけで帰ってきます」
そういえば、と彼は思い出した。昔は二部授業というのがあったな。コロナ時代に復活か。
「昨日はどうだったの。そろそろ結果をだしてもらわないと、貯金も二桁になりましたからね」
「えっ、百円もないのか」と彼は驚いた。
「馬鹿なことを言わないでくださいよ。万単位ですよ」
「フーン」
「それで昨日の成績はどうだったの」
「もうちょっとのところだったんだがな。きわどくかすったんだけどね」
「こんな調子だといずれ私がパートに出なければなるわね」と妻は切り口上で宣告した。
「いや来週は絶対だよ」とかれはうそをついた。実は昨日ビックキルを達成したのだった。これが普通のあたりなら素直に報告できるのだが、大きすぎて反射的に隠したくなったのだ。かるく流した百円券が百万円に化けたのである。女房に対してでもおもわず隠したくなる。
彼女は大きなため息をつくと「今日も山手線で読書三昧なの」と皮肉に聞いた。
「いや、自粛要請解除で電車は混みだしたからな」と彼は箪笥の上に置いてある時計を見上げた。今頃はラッシュアワーで満員じゃないかな」
「それじゃ一日中家にいるんですか」と迷惑そうに聞いた。
「いや、もう少ししたら電車もすくだろう。自粛解除で店も開き出したというし、本屋も営業を始めるらしいから、また本屋を冷かしてみるよ」と彼女を安心させた。
彼女が汚れた食器を台所で洗い出すと、彼はショルダーバッグに「ヘーゲルからニーチェへ」という読みさしの文庫本を突っ込んで外へ出た。久しぶりに雨が上がって青空から降り注ぐ太陽の光がまぶしい。サングラスを持ってくればよかった。
いずれにせよ、彼はまた山手線に乗った。空いている席はないが待っていれば空きそうだった。しかしとても本など読む気にはなれない。まして今日持ってきた本はもう投げ出そうかと思ったほど、とりとめがなくて電車の中では読めそうもない。
彼は普段は素通りするターミナル駅で電車をおり、改札を出た。先日来の山手線読書の折に車窓から大きな駅前のビルにある大型書店の広告を見たのである。行ったことがないのでどんな店かのぞいてみる気になった。個人顧客用の様々な店が入っている大型の建物であった。上のほうにはレストラン街がある。もうみんな営業していた。彼はそのうちの一軒で昼食をしたためると、エスカレーターで地下三階におりた。そこに書店があるらしい。行ってみるとブックカフェという看板が出ていて広い書店の横にファストフード店が併設されていた。
書店を一巡したあと、彼はセルフサービスのカフェのカウンターに行って「ブレンドコーヒー」と女ボイに注文した。薄そうなコーヒーを受け取ると席までこぼさないように運んだ。砂糖がないことに気が付いた。カンターに戻ると横においてあるガムシロップを一つとった。スプーンがない。女ボーイにスプーンを求めると「そこにマドラーがあります」という。どこにあるというのだ。ミルクのほかには耳かきの大きなものしか目に入らない
。これなのか、と彼はそれをつまんで、持ち上げると女ボイにこれのことかなと目顔で質問した。彼女は顔を動かすのももったいないというように少しうなづいたのである。かれはシロップと耳かきをもって自分の席に戻った。こういう店でだすコーヒーというのは番茶のように薄い。砂糖を使う客などいないのかもしれないと彼は考えた。
107:ブックカフェにて
橘氏は肩掛けカバンから「岩波文庫・ヘーゲルからニーチェへ;上巻」を取り出した。著者はカール・レーヴィットである。初版の序文には「仙台(日本) 1939年春」とある。
彼はユダヤ人でナチスを逃れて日本の東北大学で教えていたが、日本がドイツと軍事同盟を結び、対英米戦争を準備し始めるとこの直後アメリカに再亡命している。日本への招聘にはドイツ留学時代に親交を結んだ九鬼周造の斡旋があったと言われる。
原文の特徴なのか、翻訳のせいか、この大部の本の記述は散漫であり、流れを追うのが困難である。彼がこの本を買った理由はヘーゲルの急死後たちまち分裂したヘーゲル派の動向に興味があったからであった。いわゆるヘーゲル青年派と老年ヘーゲル派への分裂である。老年ヘーゲル派は中道派と右派とに分けられることがあるが、基本的にはヘーゲルの思想を忠実に継承しようとするものである。
記述がとりとめもなく、かつ延々と続くので筋道を見失わないようにと橘はメモ帳を取り出して、気が付いたことを書き出した。
青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)は思想的には一本にまとめられない。ヘーゲルの哲学を根本的な部分(それぞれが否定する考えが違うのが厄介なところだ)で反旗を翻すということで一致しているだけである。顔ぶれを見ても一筋縄ではいかないくせものばかりである。
フォイエルバッハ、ルーゲ、バウアー、シュティルナー、マルクスといった顔ぶれである。ときにはほぼ同時代人であるキルケゴールを加える。ただ彼をヘーゲル左派に含めるのはちょっとおさまりが悪いようである。
それぞれがお互いを批判しいているが、現代まで流通している(簡単に手に入る)のはマルクスの書いたものらしい。かれには「ドイツ・イデオロギー」という本がある。文庫にも入っているものでかなりの分量がある。しかし、未完の作品で後世行われた原稿の整理にも首尾一貫性がないようだ。マルクスの片言節句を教祖様のお筆先のようにあがめ奉る人間でないと読む人はいないだろう。彼も読んでいないのである。
おっと、忘れていた、と彼は呟いた。マルクスの資本論の序文に何行かあったような。彼は記憶をたどった。そうだ、と独り言を言って彼は立ち上がった。こういう時にはブックカフェというのは便利である。隣の大書店の文庫の在庫は豊富だ。彼は「出典」を探しに大書店の迷路に入っていった。
108:ヘーゲル左派には二つの流れがあるとマルクスは言う
彼は書店巡察の結果、三冊ほど文庫本を購入してブックカフェに戻ってきた。まず学生時代にちらりとのぞいた資本論第一巻を見る。たしか序文にへーゲルへの言及があった記憶がある。あった、あった、第二版の序文である。四か所ほどある。
「私の弁証法は、その根本において、ヘーゲルの方法と違っているのみならず、その正反対である。」なるほど、これが1873年彼が55歳の時の言葉である。
「私は、ヘーゲルの弁証法の神秘的な側面を、30年ほど前に、すなわち、それが流行していた時代に批判した。」なるほど、その頃はヘーゲルの死後十二、三年後のことである。
「その後資本論の第一巻を執筆していたころには」、彼らは(当時の批評家であろう)は「死せる犬としてヘーゲルを取り扱っていた。したがって私は、公然と、あの偉大なる思想家の弟子であることを告白した。」ようするに人がほめそやすときには反対して、世評が悪くなると公然とヘーゲルの弟子であると名乗るわけだ。天邪鬼だね。
「その合理的な姿においては、ブルジョア階級とその杓子定規な対弁者にとって、{ヘーゲルの哲学は)腹立たしい恐ろしいものである。というのは、それは現存しているものの肯定的な理解の中に、同時に否定的な理解、その必然的没落の理解を含むものであり・・・その本質上批判的で革命的なものであるからである。」
要するに諸刃の刃というわけだ。二通りの正反対の解釈を許すヌエ的なものだというのだ。
俺がレーヴィットのヘーゲル左派に関する記述を読んで不審に思ったのは、彼らが批判しているのは個別分野、すなわち宗教哲学であったり、歴史哲学、政治哲学であって、ヘーゲルの土台をなす論理学への批判がないことである。あるいは論理学の前駆的著作である精神現象学への言及あるいは批判がないことである。不自然ではないか。もっともこれはレーヴィットの要約に責任があるのかもしれない、と失業中のパチプロ氏は考えたのである。
そこで今買ってきたマルクスの「経済学・哲学草稿」から読むことにした。マルクス26歳の時の作品である。もう一冊買ったのは「ドイツ・イデオロギー」で彼の27歳の時の作品である。そこでまず、「経済学・哲学草稿」を選んだのである。というのはその中に「ヘーゲルの弁証法と哲学一般の批判」という一章を見つけたからである。
109:フォイエルバッハ
どうもへーゲルの死後、大暴れをした青年ヘーゲル派には二流れがあるらしい。マルクスの記述によると、シュトラウスやバウアーは完全にヘーゲル論理学の枠内に収まっている。つまりうんともすんとも言及がないということだ。
一方フォイエルバッハはヘーゲルの論理学にも言及している。ただし、冷淡にあるいは批判的にということらしい。シュトラウスやバウアーについては普及型?のアクセス出来る資料はないようだ。フォイエルバッハについては文庫本がいくらかあるようだ(これが俺のいう普及型アクセスだが)。フォイエルバッハについては後で読んでみることにした。しかし、シュトラウスやバウアーについてはマルクスのいうことを信用するしかない。
ヘーゲル哲学で弟子たちがしゃぶった師匠のキモは要約すると二つあるようだ。いわく疎外、いわく弁証法である。フォイエルバッハはもっぱら疎外をしゃぶった(発展させた、あるいは応用した)。キリスト教の批判に応用したのである。マルクスは疎外も弁証法も貪り食ったということらしい。
マルクスのよればフォイエルバッハは「古い弁証法と哲学を根こそぎひっくり返した」。一方そのほかの青年ヘーゲル派は観念論を捨てず「生みの親であるヘーゲルの弁証法と批判的に対決しなければならないのではないか、という予感を一度たりとも口にしなかったし」云々。
マルクスはフォイエルバッハには親近感を持っていたらしい。それは彼がドイツ最初の唯物論哲学者だということであるかららしい。またフォイエルバッハは後年マルクスの資本論を読んで社会民主党員になったから好意を持っていたのだろう。
おっと、忘れてはいませんか、マックス・シュティルナーはどうしましたか。調べてみると彼が「唯一者とのそ所有」を発表して世評を沸騰させたのは、マルクスが草稿を書いた翌年でした。したがって草稿には出ていない。翌年(とみられる)マルクスが書いたドイツ・イデオロギーにはシュティルナー論が出ているという。
この辺のいきさつがレーヴィットの本には一言も書かれていない。これじゃ「ヘーゲルからニーチェまで」を期待して買った読者は肩透かしを食わされたような気がするのではないか。