穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

N(26)章 女子修道院というところ

2016-10-27 09:08:30 | 反復と忘却

 ボヴァリー夫人はエンマというのだが父親は田舎の富農だったので、娘が13歳になると教育を受けさせるためか、躾見習いかしらないけど女子修道院の寄宿舎に入れた、と平島は話した。 

「女子修道院というのは修道女を育てるところだろう」

「かならずしもそうではないらしい。十九世紀前半の話だよ。よく知らないが修道女を育成するだけが目的ではなかったらしい。希望者で、勿論資産もある家庭の子女を受け入れて普通の学校みたいなことをしたらしい。勿論メインは宗教教育だろうけど一般的なことも教えたらしい。いわば女子教育が完備していないというか、全くないに等しかった時代に慈善事業みたいにやっていた副業らしいな」

なにしろナポレオンが男子教育は19世紀の初めに力を入れたらしいが、女は考える能力がないから教育等不要だとして女子教育は放置していたらしいんだ、と平島は続けた。 

日本だって教育の不備を補ったのは寺小屋といって寺院のボランティア活動みたいな物だったじゃないか。それで彼女もそこですっかりはまってしまったんだな。なにしろ宗教というのは宗派に限らず途方も無いことを吹き込むからな。法悦とか恍惚なんてことを浅いながらもエンマも味わったわけだ。同時に結婚についても理想的なことを吹き込むから、とてつもない期待に胸を膨らました。ところがエンマが結婚したのは平凡な田舎医者だった。

こんな筈じゃない、と彼女は不満だった。ドラッグと同じで法悦中毒は一生直らない。それで手を変えイロを変えた。現実の男性で誠実でかつ恍惚を長い間味あわせてくれるなんて都合のいい相手はいない。中年の遊び人に入れあげるがていよく逃げられる。つぎに年下の学生と出来る。彼女の不倫が大胆になると共に彼女の濫費がひどくなる。それにつけ込んだ悪徳商人の口車に乗って言われるままに手形を書く。

ついに莫大な借金の期限が来る。彼女は学生か見習いの情人に金策を頼むという出来っこないことをする。勿論体よく断られて彼女は村の知り合いで金のありそうな連中に身体を代償に金を工面しようとするが、皆に逃げられて自殺するという話さ。平島は話し終わった。

「だけどさ」と少し酔いが醒めて来たらしい女が口を出した。彼女が結婚生活に不満を持ったのは修道院時代に読んだ恋愛小説の影響だって言うのが定説だよ」

「それは間違いだな、何しろ評論家とか出版社は途方もないほらを吹くからな。たしかに文庫本の帯にはあんたの言ったようなことが書いてあるが完全な間違いだな。文章は短いが全編にわたって最終部分にいたるまで修道院の教育が彼女の欲求不満の原因であると書いてある。本は丁寧に読まなくちゃいけない」

外で馬鹿でかい声でカラスが鳴いた。彼女はびくっとして壁の時計を見た。

「まだ四時まえだよ。カラスも酔っぱらっているのかな」

バーテンが呟いた。「このごろは夜でも街灯なんかで明かりが有るからな。それにもう車も走り出す頃だからライトで照らされることもある」

「鳥が夜は目が見えないというのも嘘だな」と平島が言った。真っ暗じゃ人間だって見えないが、薄明かりなら鳥も自由に飛べる」

女がいった。「そろそろ帰ろうか。もう店もおしまいでしょう」

「ええ、あなた方が帰れば店を閉めます」

見ると和服の女はいつの間にかいなくなっていた。

 


N(25)章 「ボヴァリー夫人」

2016-10-26 08:03:00 | 反復と忘却

恍惚とは宗教用語であった。

現代では精神医学用語であり、またポルノ作家の濫用するところとなっている。

ボヴァリー夫人エンマは少女時代を女子修道院ですごし宗教的恍惚の中毒となった。

つまり、精神という子宮は最大限に膨張したのである。押し広げられた膣道は以後

巨根でなければ満足しなくなった。

なぜならばそれは上質新鮮なゴムが持つ可塑性、柔軟性を失ったからである。

彼女の形状記憶合金は極大に固定されたのである。

彼女はイロ(愛人)をとっかえひっかえて拡張された膣道を満足させよう

としたのである。

 

 

 

 

 


N(24)章 「ボヴァリー夫人」まえせつ(前説)

2016-10-26 07:43:37 | 反復と忘却

 女のからだってのはな、と平島が話し始めた。粗悪なゴムで作った風船みたいな物だよ。そうなんだ、と三四郎はすぐに彼の人生の師匠である平島の言葉を採用した。何の問題もない。

「おんなにも精神があるわよ」とポルノ小説編集者がよこから口を挟んだ。もう大分アルコールが回ったような話し方だ。

「それはある。しかし女の場合、四輪駆動なんだ。精神と肉体は分離しがたい。それだけにいざギアがかかると全車輪が分ちがたく連動してとんでもない暴走をする」

女がむせて口に含んだ液体を霧状にカウンターの上にまき散らした。彼女は濡れたカウンターを手のひらでなで回している。バーテンダーが飛んで来てダスターで拭いた。

彼女は濡れた手を平島君の上着の肩で拭いた。そしてポツンと「上だったの」と三四郎に聞いた。

「えっ、何ですか」

「それは上だろうな」と平島君が注釈を入れた。「まさか後ろじゃないだろう」

「レスリングじゃあるまいし、バックをとるなんて手が初心者の彼に出来わけがない」

「それもそうね」

上下、前後と大分ややこしくなってきた。平島が初めて気が付いた様に呟いた。「いつからだろう、正対位になったのは。類人猿の体位はどうなんだろうな」

「ホモ・エレクトスからじゃないかしら。物理的にも」

「ホモ・エレクトスってなんですか」

「ホモ・サピエンスの前にいた種じゃなかったかな、違うかな」

彼女が言った。「哺乳類に正対位は不可能ね。四つ足が邪魔してどうアクロバットをしてみてもドッキング不可能よね。鳥類も駄目だ、魚も無理よ」

「ちょっと待てよ」と平島が言った。「クジラはどうなんだろうな。アザラシとか。あの体系だとなんだか正対してやれそうだな。水の中でくるくる回りながら出来そうだ」

「からだ付きからすると水棲の哺乳類は正対位で可能じゃないかな。第一それ以外の体位は不可能なからだをしている。クジラなんかは」と平島は得意そうに総括した。

彼女が馬鹿にしたように言った。「そんなこと、専門の動物学者に聞けばすぐ分かるわよ。私たちが知らないだけでありふれた知識でしょうよ」

「そうすると、人間だけが三十八手の使い手ということだな」

ところで、と三四郎は聞いた。「お前、ボヴァリー夫人がどうのこうのと言っていたな。なんか体位と関係があるのか」

「彼女が唐突に妙な質問をするから話がそれてしまったな。ボヴァリー夫人の物語というのは膨らんだ風船は元に戻らないという話でね」

「それで、それがなんで俺と関係があるんだ」

「あるといえばある、ないといえばない」

 


N(23)章 つまらない話

2016-10-22 08:16:02 | 反復と忘却

「そういえば俺にも一つ報告することがあるぜ、ぎょっとする女に会って、ぎょっとすることをしたんだ」

平島の連れの女が三四郎のほうへ顔を向けた。正五角形と台形の中間の輪郭をしている顔だ。目が大きくバーの暗闇の中で猫の目の様に光っている。鼻筋は太くて長い。口は間口二尺半と長くて唇はやや厚めである。我の強い職業婦人(キャリアウーマン)という感じだ。あきらかに平島より年上で30歳にはなっているだろう。平島が狙いそうな女だ。 

「通過儀礼か、たしかお前はまだだったよな」彼はグラスに入っている茶色い液体を一口飲んだ。

「なんだって、うん、そうかもしれない。お前はやたらと民俗学的用語を使うな」

「よかったな。鱒添君の門出を祝して乾杯をしよう」と彼は女も誘った。液体が皆の胃袋に到着すると平島が催促した。

「それで?」

「それで?」

「どんな塩梅だった」かれはまたグラスを傾けた。三四郎はだまっていた。どうっていわれても友に語るほどの感銘はなかったのである。それに一癖有りそうな女性だが、未知の女の前であまり露骨な話をするのをためらったのである。 

「遠慮しないで話せよ。彼女に気を遣っているのか。そんな心配は要らないぜ。彼女はその道のプロだからな」

というと、AV女優かな、あるいは風俗の女か、と三四郎は考えた。

「彼女は週刊誌の編集者なんだ。雑誌にエロ小説を連載している某先生のためにネタを蒐集して、出来上がった原稿を毎週貰ってくる役さ。だから免疫はある」

「それじゃ彼女のお役に立つ話はできないな。なんていうのかな、肩すかしを食った感じでね。これってこんなものなの、っていうほど平板な展開でね」

女が平島の背中から話した。「ひょっとして期待が大きすぎたからかな」

ふむ、うまいことを言う。

「女性の場合はどうなんですか、人それぞれでしょうけどね」

「女性の方は、それはもう大変な期待をしているのよ」

「恐れとか言うのはないんですか。男の場合恐れというのはないけど、女性の場合は恐怖心があるんじゃないですか」

彼女はタバコを深く吸い込んで猛烈な勢いで吐き出すと、恐れなんて、と馬鹿にした様に言った。「今時の女性にはそんなものはないわよ。あなたの相手は未通娘だったの」

「えッ?」

「初体験だったの」

「いや経験者でしたね」

「じゃあ彼女がリードしたんでしょう」

「そうですね、ツアコンみたいだったな」

「きっと期待が大きすぎたのでしょうね。想像していたほどでなかったというのは」

なるほどそうかも知れない。

平島が言った。「おれも思い出したよ。お前ボヴァリー夫人を読めよ」

「なんだい、それは」

「フローベールの小説さ、期待が大きすぎて欲求不満になり不倫を繰り返して破綻する女の物語だ」

また平島の読書指導が始まったと三四郎は苦笑した。

 


N(22)章 四谷荒木町

2016-10-21 09:00:24 | 反復と忘却

夜の十時、平島から電話がかかってきた。これから四谷のバーに来いと言われた。平島は連絡がないときは全然ないが、電話をかけてくる時は時間にお構いなしだった。夜の十二時過ぎに電話をかけてきて朝まで引き止めることもあった。 

三四郎はもう寝ようと思っていた所で断るのだが、しつこく誘われて結局いつものように平島の要求に応じてしまう。着替えをして四谷に着いたのは午後十一時だった。荒木町のバーだと言うのだが土地勘のない三四郎には右も左もわからない。さっき聞いたバーの電話番号に公衆電話ボックスから電話をかけた。場所を聞いてバーに入った時にはもう新しい日になろうとしていた。

バーは安アパートの建物の外階段を上って行くと二階に入り口があった。バー ダウンタウンと看板が出ている。ドアを押開けてなかに踏み込むと真っ暗な店内はむっと籠ったタバコの煙が目をちくちくと刺激した。暗闇に目がなれてくると、店は狭くて細長く奥行き三、四間で鰻の寝床のような空間を真ん中でカウンターが中央分離帯のように区切っている。平島は一番奥のスツールに腰掛けていた。カウンターの中には中年のバーテンがひとり、平島の横には連れらしい若い女がいた。そのほかに客は和服姿の女がひとりいた。顔はよく見えないが雰囲気やガラやうなじの感じから判断すると50代の雰囲気だ。もっとも素人では無さそうだからかなりの誤差があるだろう。 

「何だ、用でもあるのか」と三四郎は仏頂面で聞いた。

「まあ何か呑めよ」と平島はいった。バーテンがよって来た。

三四郎はバーテンの方を向いて「アブサンはある」ときいた。

彼はぽかんとしていたが、しばらくして「あいにく切らしていて」と返事をした。

「それじゃ水でいいや」というと平島の連れの女が「ふふふ」と笑った。

平島が「そんなことをいうなよ、まずビールでも呑め」と取りなす様に言った。

「そうか、それじゃ小瓶はあるのか、瓶のまま持って来てくれ」と三四郎は言った。バーテンがもってきたビールを自分でコップに注ぐと三四郎は顔をしかめて一口飲んだ。「ところで何だ」と彼は質問を繰り返した。

「別になにもない。君と話したくなっただけさ」と平島は言った。「そうだ、報告することが一つあるな。こんど専攻を変えた」

へえ、文学部を辞めて法学部とか、と聞くといや心理学を止めて哲学をすることにした、と彼は答えた。

「ふーん、理由があるのか、君のことだから理由なんてないだろうな」

「馬鹿馬鹿しくなったのさ、それに心理学というのは女子学生がやけに多くてな。雰囲気が悪い」

「哲学を専攻するのは男ばかりか」

「そうでもないが、いわゆるぶりっこはいないな。そのかわりぎょっとするようなのはいる」

「ぎょっとする女の方がいいわけか」

「それはそうだろう」

 


N(21)章 あれよあれよという間に

2016-10-20 11:07:03 | 反復と忘却

一週間ぶりに予備校に行く。お茶の水の橋の上で三十分もバスを待っているうちに骨の中心まで凍ってしまったらしい。翌朝目が醒めたら起き上がれない。額は火傷しそうに手のひらを焦がす。いつまでも起きてこない三四郎の様子を見に母が上がって来てほとんど人事不省に陥っている彼を見て驚いてしまった。病院に行くことも出来ない。一歩も蒲団から離れられない状態が三日続いた。四日目に嘘の様に熱が引いた。しかしからだの自由がきかない。ぎこちない。紐の先で操られる人形芝居の登場人物の様にぎくしゃくしてのろのろとしか動けない。首がスムースに回らない。鳥みたいに30度ごとにギクッギクッ動く。 

這う様にしてトイレに行くとびっくりするくらい大量に小便が出てきた。昨日あたりから食事が出来る様になった。席につくとベレー帽がよってきた。「どうしたの、病気?」と聞いた。きっとまだ真っ青な顔をしていたのだろう。ところで彼女の名前は足立洋子というそうだ。その日に始めて名前を聞いた。階段を下りる時も手すりにつかまっていないと怖くて歩けない。その後は結構回復が早かった。それから更に十日したころには彼女の部屋に誘われて彼女が作った食事をごちそうしてもらい、気が付いたら彼女と一緒にベッドにいた。

なんなんだ、こういうものなのか、と彼はいささかあっけにとられた。山もなければ谷もない淡々としたものだった。「週間特ダネ」のヌード写真を相手に大暴れするのとは全然違っていた。

「もう大丈夫だよ。完全に回復したみたい」と彼女は彼の髪のなかに手を突っ込むともしゃもしゃと彼の髪をもてあそびながら彼の耳にささやいた。

そうか、もう操り人形みたいなギクシャクしたところが無くなったらしい。

そういうものか、と憮然として彼は考えていると、どうしたの、急に黙っちゃってというと、彼女は蒲団を撥ね除けてベッドの上に立つた。そして彼を跨ぐと床の上に飛び降りた。からだに何もつけていない。彼はぼんやりと感心した様に彼女の後ろ姿を見ていた。彼女はバスルームに入ると何をしているのかなかなか出てこなかった。

 


ノーベル文学賞がボブ・デイランに

2016-10-18 09:09:58 | ノーベル文学賞

ノーベル賞の胡散臭さをボトムからリストすると文学賞と平和賞が最低となることはどなた様もご異論があるまい。むしろ廃止すべきだろうね。

ところで、ボブ・ディランの名前は数年前から賭け屋のリストにあったと記憶している。あまり高い順位ではなかったが。その頃から不思議だと思っていた。賭け屋はインサイダー情報を持っているのだろうか。あるいはディランは強力な推薦エンジンを持っていたのか。それだと今回の彼の態度は理解出来ない。

選考課程や選考委員の意見は50年後でなければ発表しない、などと尊大にかまえているが、ノーベル賞選考委員会は自分たちを何様と思っているのか。極端なブラック・ボックス化がむしろ失笑をかうことは豊洲、東京オリンピック問題と同じだ。

むしろ、選考委員の自信の無さ、意見の稚拙さが表面化するのを怖れている様に思われる。

一連の科学関連賞の権威にあやかる文学賞や平和賞は廃止すべきだ。

 


第N(20)章 官能的な楽器

2016-10-15 10:18:29 | 反復と忘却

質問をすることを思いつかないから彼は黙ってしまった。彼女もうつろな目付きをして店内に流れる曲を聴いているらしい。突然彼女がラフマニノフはお好き?と聞いた。そうすると今流れているのはラフマニノフらしい。

「いえ別に、これはラフマニノフなんですか」

どんな音楽家が好きなの、と彼女は質問には答えないで聞いて来た。聞かなくても分かったらしい。彼はこういう曲は好きではないと理解したらしい。本当のところは好きでも嫌いでもないのだが。

「別にありませんね。音痴ですから。強いていえばハッキリとした曲かな。よく途中をちょこっと聞いてこれは誰のなんと言う曲だとかクイズを当てるみたいにいう人がいるでしょう。そういう人を見ると驚いちゃうんですね。僕が聞いてすぐにこれは誰だって分かるのはエルヴィス・プレスリーくらいですよ」

猫も杓子もビートルズの時代である。古いわね、というように彼女は顔をしかめた。「嫌いな曲というのはありますよ」と彼は言ってみた。「たとえば演歌ですね。流行歌も大体嫌いですね」

「それじゃスナックじゃ浮いちゃうわね」

「そうでしょうね。童謡もすきですよ」と彼は追い打ちをかけた。「演歌が嫌いなのは母親の影響なんですね。クラッシックは母親がよく演奏会に連れて行ったから好きにもなってよかったんですがね。どうしてだろう。もっともドニゼッティのレコードはよく聞くけど」

「ドニゼッティって」

「イタリアの歌劇作者です。ちょっと古いけど」

「どうしてその曲が好きなの」

さあ、どうしてだろうと彼は考えた。普段は反省的に分析していないのである。

彼女は新しいハイライトに火をつけた。

「そうですね。考えてみると、人間の肉声というのも一種の楽器ですよね。そしてもっとも官能的な楽器である。ドニゼッティは非常に技巧的な作曲家で非常に技巧的なテクニックを歌手に要求する。そんなところが関係あるのかな」

「なるほどね、演歌が嫌いというのもその同一線上にあるみたいね。非常に技巧的にもっとも嫌らしく官能的に歌うのが演歌だものね」

三四郎は彼女の顔を見た。なるほど、そう言うことかも知れない。

彼女は左腕をすこし挙げると目を細めて時計を見た。ちょっと待っててね、というとハンドバックをさらって席を立った。三十分ぐらい戻ってこなかった。

「そろそろ出ましょうか。さっきからボーイが催促するみたいにこっちをみているから」

彼女はお茶の水から電車に乗るという。外に出ると雨が降り出していた。二人は傘もなしに駿河台の坂を登りびしょ濡れになってお茶の水駅に着いた。

「あなたの家は?」

「僕はバスで帰りますから」といって分かれた。バスはなかなか来なかった。川底からは冷たい風が橋の上に吹き上げて来ていた。

 

 


村上春樹で賭け屋は大儲け

2016-10-14 08:09:41 | 村上春樹

賭け屋(ブック・メーカーという)に不正はなかったか。相対の商売だから不正という言葉は適切ではない。客に一杯食わせるのが商売人だからね。 

村上春樹氏のオッズが一位とか二位とか報道されていたが、イギリスの賭けは日本の公営競技(競馬、オートレースなど)とは根本的に違う。日本の場合、客同士の張り合いであって、主催者(中央競馬会など)は25パーセントのテラ銭を取るだけである。

ようするに客同士が予想の優劣を競う。イギリスの場合、オッズはブック・メーカーが決める。主なブック・メーカーだけでも複数(多数)あり、それぞれオッズは違う。イギリスの場合は賭け屋と客の騙し合いである。

客が外れ券を買えば賭け屋はすべて呑んでしまう。日本中央競馬会では外れ馬券を買った金がテラ銭を差し引いて当たり馬券の配当になる。いってみれば客に外れそうな馬券をなるたけ大量に買わせることによって商売が成り立つ。

絶対に、あるいはほとんど当選しないと分かっている候補者に大量に賭けさせれば一番儲かるわけである。当選しそうだよ、授賞しようだよ、ともっともな理屈を挙げて適当なオッズをつける。このさじ加減もむずかしい。あまり高い(つまり穴っぽい)値段をつけても客は買わない。逆に1・5倍とか2倍と低く設定すると客は儲けるためには大量に馬券(ノーベル文学賞券)を買わなければならない。

これでも売り上げは伸びない。オッズをつけるのも難しい。村上氏のオッズはどのくらいだったのかな、5倍あたりだとちょうど呑みやすいのではないか。俺が賭け屋だったらそのあたりにする。

そして、どうせ村上馬券を買うのは日本人だろうから、日本のマスコミに村上確勝の予想記事を書かせる。例のブック・カフェあたりで中年ファンや、おばさんファンを動員して雰囲気を盛り上げる。一連の作戦じゃないのか。ああいう映像には相当数のサクラが混じっていると思うね。

余談だが、この間何処かのテレビでノーベル文学賞がとらないのは、通俗文学とSFだとか。確かに村上氏は通俗性が強い。論評はしないが。

SF云々は初耳だったが、SF的構成で問題提起を、あるいはプロテストをしている作品はあるんだけどね。しかし、村上作品ではSF的要素は場面の安易な転換のためにだけ用いられていることは確かだ。

作品全体の構造を決定するためのSF的手法、カフカの変身がこれに当たるだろう。もっともカフカはノーベル賞作家ではない。有名になる前に死んでしまった。

テーマを強調するためにSF仕立てにする物では古くはオーウェルの作品等がある。村上氏の作品は壁抜けとか漫画的な手法を多用するが、上記の二つの場合には当てはまらない。安易な場面転換に利用しているにすぎない。

 


幼女の鑑、「骨董屋」のネル

2016-10-13 08:16:49 | ディケンズ

ネル、ネルリ、コゼットと名前をあげると読者は何を連想するだろうか。寡読な私の印象に強く残っている主役級の幼女である。博覧強記の読者諸君はもっと例を挙げられるであろう。 

ネルはディケンズの「骨董屋」の主役級共演者である。ばくちに失敗したショックで痴呆状態になった祖父をつれて、債鬼を逃れるために夜逃げをして祖父を介助しながら田舎を放浪する少女である。

これの本家取りをしようとしたのがドストエフスキーの「虐げられた人たち」である。ドストはほぼ同時代人であるが、一回りほどディケンズより若い。ドストの作品では祖父はイギリスから帰化し破産した実業家スミス氏である。ネルリはその孫娘である。命名からも分かる通りドストは明白に本家取りを揚言している。しかし、出来上がった作品では二筋の流れの一方に現れ、ドストの例にもれずやたらと登場人物が出てくるので主役級とまではいかない。

読者によって印象は違うだろうが、「虐げられた人たち」でもっとも印象に残るのはこの祖父と孫娘である。もっともドスト節が冴えている(人によって感じ方は違うだろうが)。

コゼットは言わずと知れたユゴーの「レミゼラブル」の登場人物である。この場合脱獄囚として追われるジャンバルジャンが家主に虐待されていたコゼットを助け出して一緒に逃避行をする。つまり『骨董屋』とは逆にコゼットは非保護者である。「骨董屋」の場合は幼女が祖父の保護者になる。

この難しい役回り(おそらく他の作品には例がないだろう)を主役級として最後まで描いたディケンズのほうに軍配はあがるであろう。よって幼女描写に関しては三作の順位はこうなる。

一位 骨董屋

僅差の二位 レミゼラブル

三位 虐げられた人たち

 


カフカのKと穴村の三四郎の場合

2016-10-12 08:05:21 | カフカ

ミラン・クンデラのエッセイ「小説の技法」(岩波文庫)の第五部は「その後ろのどこかに」である。これは三十ページ弱のカフカ論である。 

欧米でもカフカの小説は独裁体制とか官僚制度などの未来を予見したという説が主流らしい。日本のカフカ論は勿論これを踏襲している。クンデラはこの説を退ける。このブログで前に書いた様に人間社会で古今東西を通底する構造をカフカなりに切り取った作品だとはこの本を読む前に書いたが、クンデラのいう『その後ろのどこかに』も同様の意見である。

カフカの場合、最初の試みは「判決」という短編に現れ後に「審判」につながる。

彼の場合はボス(社会、父親、権力)に追求されて、Kはその訴追を正しい物として無批判に受け入れ、次になんとかして自分の罪(過失)は何だったのかと知ろうとする。必死に自分の過去を追求する。なんとかして自分を納得させたいのである。これは独裁者会、共産主義社会の自己批判にあたる。

クンデラは共産主義独裁体制のチェコからの亡命者であるが、かってのチェコでこの種の例を多数見ている。つまり当局や「お仲間」に追求されて必死に自分で自分の罪を見つけようとして躍起となる自己批判者の群れである。

かれらは自分の「罪」を見付ると安心して死刑になっていったそうである。そういう知識人がチェコには多数いた。戦後戦勝国やその追随者に操られる日本の「戦後民主主義者」が「自己批判する能力を権力者に認められてもらう最大の武器」と捉えるのもおなじメカニズムである。そういう連中が平成の御代にいまだに日本人の三割もいる。

しかし、カフカの場合は一例にすぎない。権力者に追求糾弾されてひたすら自己批判にはしるグループのほかに、それを機に権力者にすりよるグループも多い。転向者もそうだし、密告者に変身する連中も多い。わたしはこれを猿社会になぞらえてボス猿の毛繕いをする連中と名付けたい。こういう連中もまた多いのである。

穴村の「反復と忘却」のなかの三四郎は上記のいずれにも該当しない。理由の分からない、理由の開示されない非難に対してひたすら自分の中に閉じこもり沈黙する少数派グループである。もちろん「なぜ」という追求は密かに粘り強く続けられるのであるが。

 


第N(19)章 あなたは?

2016-10-10 07:18:43 | 反復と忘却

 小説家になるんですか、と三四郎は聞いた。世間を知らないから文学部に行くということは小説家になりたいということだな、と短絡したのである。ところがこれがあたりだった。彼女は小説を書いてみたいというのである。

「いつも熱心に読んでいる本は小説なんですか」

「大体そうね。ところであなたはどこにいきたいの」

これを聞かれてかれは困ってしまった。目新しい質問に戸惑ったということではない。大体が誰でも聞くことなのであるが、気の利いた答えが出てこない。別に立派な模範解答をする必要もないのであるが、いつも彼はこういう質問につまってしまうのである。

かれはどきまぎしながら「まだ決めていないんです」と答えた。

「理科系でしょう、そんな感じだわ」

彼女に勝手に決められても困るのである。

「結局僕もどこかの文学部に入れて貰うことになりそうですよ」

「小説に興味があるの」

「全然ありませんね。読んだこともないし」

「じゃどうして文学部なの」

「なんだか一番あいまいな学部みたいなきがするんですよ。たいして拘束力がないような。よく言え包容力があるような、間口が広いような」

「ふーん、文学部と言ったって歴史学とか哲学もあるしね、心理学なんて文学部にあるところが多いんじゃないの。そうだ、社会学なんてのも文学部だよね。大学によって違うんだろうけど。たしかに間口は広いわね。そう言うことに興味があるんじゃないの」

「そういうわけでもないんですね」

彼女は困った様に口をつぐんでしまった。取りつくしまがないと思ったのだろう。

「あなたは小説を書いたことがあるんですか」と彼は聞いた。

「練習には書いているわよ」

彼は質問されるのは嫌いだからまた答えられないことを聞かれない様に彼女を質問攻めにしようとした。

「どんなことを書くんですか。例えば誰の小説を模範にしているんですか」

「あなたと同い年だけど、いろいろと世間を見て来たからそう言う経験を書いてみたり」

「告白小説ですか」とかれは思わず言ってしまってから、まずかったかなと心配して彼女の顔を見た。

「ふふふ」と彼女はかすかに顔を緩めた。「暴露小説かな、もっとも小説のていをなしてはいない筆ならし程度だけど」

「お手本はあるのですか」となにも斯界の事情を知らない彼は間抜けな質問をした。

「林芙美子の放浪記かな」と彼のまったく聞いたことのない名前を彼女は上げた。

 

 


第N(18)章 左利き

2016-10-09 10:58:20 | 反復と忘却

 彼女はスプーンでカップの中の紅茶をかき回している。「左利きなんですか」と三四郎は聞いた。彼女は上目遣いに三四郎の顔を見上げて頷いた。

「気になりますか」

「いいえ、そう言う訳じゃないんです。もともと高校時代までは右と左が区別できなかったんですよ。例えば心臓は左側にあるというでしょう。自分のからだのどちら側が左か分からなかった。からだの真ん中と言われれば分かるんですけどね」

かれはまじめに言ったのだが、彼女は冗談と思ったのかおかしそうに笑った。

「本当に?」

「本当に。体操の教師なんかに左足を出して、とか右肩が下がっているとか言われても分からなかった」

「「へえ、変わってるわね」と彼女はまだそれがからかわれていると思ったらしい。

「人は何時頃から自分の右と左が区別出来る様になるんだろう」

「そりゃあ子供の頃でしょう。わたしの弟なんて五歳だけどもう分かるわよ」

なるほどやはり俺は異常なんだ、と三四郎は思った。いまでも右と左を区別する時には精神を集中しないと出来ない。それが車の教習所に行かない理由なのである。

「だけどね、他人の左利きとかは瞬時に判別出来るんですね」

彼女は呆れた様に彼を見た。「だから私が左利きだってすぐ分かったのね」

三四郎はショルダーバッグから小型のノートを出すと平島への質問事項を書き留めた。

「何を書いているの」

「僕の友達が大学で心理学を専攻しているんですよ。今度彼に聞いてみようと思って。子供はいくつから左右の判別が出来る様になるかの研究があるのかなって。僕は記憶力もとても弱くてね。すぐ忘れちゃうんで、なんでもメモするんです」

「お友達はもう大学の専攻課程なの、あなたは浪人何年目なの」

「恥ずかしながら三浪です」

「へえ、若く見えるけど。一浪くらいかと思ったけど」

三浪しても時々高校生と間違えられることもあるのだ。

「三浪と言うと私と同い年かな、遅生まれなの」

「いえ、早生まれです」

「そうするとわたしのほうが年上だわね」というと彼女はバッグからハイライトを取り出して店のマッチを擦って火をつけた。たばこを左手の人差し指と中指の第一関節あたりで挟む。様になっている。吸い慣れている感じが出ている。

「女性の三浪というのは驚いたでしょう」

「いえ、別に」と三四郎は慌てて答えた。

「私は四国の太平洋側の小さな漁師町で育ったのよ。高校を出てからしばらくは松山のバーで勤めていてね」と話しだした。

「ちいさなスナックだったけど、結構いろいろとあってね。先が見えちゃったというのかな、これじゃいけないなんて遅まきに思いはじめた訳」

「どこを狙っているんですか」

彼女は泥臭いことで有名な東京の大学の名前をあげた。文学部を目ざしているそうだ。そういえば予備校の休み時間には大抵小説らしい文庫本を読んでいた。

 


まめなカフカ、その二

2016-10-08 08:25:54 | カフカ

生前カフカの作品で刊行されたのはいくつかの短編あるいは小品だけであったのは、おそらく作品に市場性が無かったからだろう。つまり出版社からの注文がない。売り込んでも出版してくれない。とくに長編はそうだっただろう。だから既に小説家として一家をなしていた友人のブロートの紹介でわずかの短編が世に出たと思われる。

その辺の事情を「カフカの生涯」に期待していたのだがあまり書いていない。よく専門家がいうことだが、カフカは長編の結末がはかどらなかったから長編は遺作になったというが本当だろうか。出版のメドがつかなければ作家という物はいつまでも作品を弄くり回し、手を入れるものではないか。あえてまとめる必要もない。これがカフカの長編にいくつものバージョンがある理由だと思う。 

さてカフカの作家としての生活は修道僧を思わせる。出版のあてもない作品を毎日(毎晩)書き続けるという態度は真摯というか「マメ」というか。彼は判で押したような日常を送ったらしい。役所のようなところに勤めていて勤務時間は午前八時から午後二時まで。家に帰ると家族と昼食して一眠り、夕方から母親が作った夜食をぶら下げて仕事場に歩いて行く。そして明け方に一眠りして役所に行く。 

仕事場も妹が借りていた部屋だったりした。プラハの冬の夜は零下10度に気温が下がるが、彼は暖房の無い部屋で外套を着て足に毛布を巻いて朝まで執筆したらしい。この熱意と言うか執念はなんだろう。