またぞろ、退屈なカフカの「城」を読み始めた。理由はわからない。ほかに食指が動かなかった、というのは説明になるだろうか。
ま、難解、というより、訳の分からない小説を苦労して読むほうが、退屈しのぎになるという理屈かな。ところが第五章にきてこれはカフカの官僚論(もちろん極端なである)と気づかされた。
官僚は過ちを犯してはならない、というよりか、官僚は過ちを犯す能力がもともとないという無謬論を極端に推し進めた小説と気が付いた。訪問した村長宅でこれまでの経緯を説明されるのだが、官僚は過ちを犯さない、というより、実体論として過ちを犯すことなどありえない、という極端な議論で測量士招聘めぐる経緯を説明される。つまり神は無謬である。その無謬論は現実には多数の矛盾を発生させる。測量士の招聘問題はそれである。
他方小説「審判」は対照的に大衆組織の無謬性というか後戻りできない宿命を描いたものだと納得した。組織された大衆と官僚の無謬性を描いた兄弟的作品であることに気が付いた。
私は専門家の種々の「カフカ論」についてはまったく無知である。この見解が大勢を占めるかどうかは分からないが。おそらく極小意見であろう。
村長の説明は小説の核心の謎解きになっている。カフカの小説で親切に謎解き部分を設けているのは、この小説だけだろう。
とにかく、第五章はカフカには珍しく謎解きを設けている。
年末から、ご苦労にもマスコミを翻弄したぱーてい券のキックバック問題を検察が有耶無耶にした経緯はミニ「城」の問題を想起させた。