穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ディック・フランシスの「混戦」

2010-02-22 20:27:38 | ミステリー書評

この小説はエアタクシーの操縦士が主人公である。5,6人乗りのチェロキーとかセスナで騎手や競馬関係者をほうぼうの競馬場に運ぶ。

イギリスの競馬場には飛行機の離着陸を認めるところがあるようだ。4ハロンも直線路があればコンクリートで舗装してなくて芝生でもセーフらしい。パドックや検量室のすぐそばに降りるから、お座敷を掛け持ちしている売れっ子の騎手には便利だ。

利用するのは有名な(忙しい、金がある)騎手、調教師、馬主、競馬愛好家など。料金は乗客同士で割り勘にする。地方競馬なんかにいくと最寄りの駅から相乗りタクシーというのがあるが、あれと同じだ。

小さな会社が複数あるらしい。よく利用する騎手一人を乗客として確保するかどうかが会社の浮沈にかかわると言うから小さな業界である。有名ジョッキーの奪い合いが暴力沙汰になるところも書いてある。

主人公は飛越と同じタイプである。エリートあるいはキャリア・パイロットがわけありでエアタクシーの運転手に身をやつしている。飛越では伯爵の息子、混戦ではもとBOACの国際線搭乗員。事故がらみの過去で今はタクシーの運転手。

ところでBOACて分かる?昔のイギリスのフラッグ・キャリアでたしかつぶれてしまった。日航みたいな会社だ。いまはBAというのが一応フラッグ・キャリアらしい。

そして、飛越も混戦も主人公は挫折して消極的な人生を送っており、影の薄い青年と言う設定になっている。下腹部はセメントでかためたような、この小説に出てくる若い挑発的な女の表現を借りれば、氷ずけになっている。

それが事件に巻き込まれていって大活躍と言うのは飛越と同じだ。なんだか航空関係者を描くと人物の性格が似てくるらしい。飛越は66年作、混戦は70年作だが。

事件は(言ってしまっていいかな)保険金詐欺である。ここでもDFの黒髪フェチぶりが出ている。有名ジョッキーの妹で美人のあいかたは黒髪である。

190ページあたりから経験の浅いパイロット(これが黒髪美人)が兄を乗せて悪天候の中を飛行するが、計器が故障してしまった(これも犯罪の一部、壊されたのである)。計器飛行が出来ない。主人公が後から離陸して追いかける。各地の管制官に誘導してもらって彼女の飛行機を発見、雁行して無事着陸まで誘導する。

こううまくいくかなという感じはあるが、このあたりはやはりパイロットでなければ書けない。少なくともイギリスの航空管制システムを熟知していないと書けないだろう。

前にも書いたがDFは第二次大戦で空軍パイロット、除隊してこの小説に出てくるようなエアタクシーの経営者兼パイロットだった。その経験が生かされた小説だ。


哀悼ディック・フランシス、「飛越」

2010-02-20 08:47:15 | ミステリー書評

先日DFの訃報があった。享年89歳、ご冥福をお祈りする。

さて、今回は66年物、「飛越」。お話は馬匹航空輸送業者と厩務員のはなし。

舞台は馬の航空機による国際輸送。出てくる飛行機は古い順に、DC4、B707。あえて蛇足を加えれば前者はレシプロ四発エンジン輸送機。旅客機仕様では60人のり、馬匹輸送では大体8頭くらいらしい。第二次大戦末期就航。

B707はジェット旅客機第一世代。DC8とともにジャンボが出現するまで航空輸送の主力機である。

馬匹の輸出入業務というのは当然日本にもあって、かっては野崎産業だったかな、そんな名前の専門業者がいたが今でもあるのかな。大手商社も参入しているはずだ。

イギリスはさすが競馬先進国で小さな業者が沢山あるらしい。舞台はその一つの会社で馬匹輸送と言うのはかくれみの、実は共産圏(らしき)国のスパイを密出入国させたり、密輸をしたりしている。通関、入管の盲点をついている。日本にもあてはまりそうだ。

しかも、欧州やアメリカと頻繁な交流があるから日本と違って大量の馬が行き来する需要があるわけだ。

国際馬匹輸送に添乗する厩務員というのはフルタイムとパートタイム(普段は陸上の厩舎の厩務員)とあるらしい。主役の厩務員に金はあまりないが、伯爵の息子がなる。かれは障害競馬の騎手で大レースにも勝つ実力がある。その上、自前で事業用航空機の免許も取得している(その程度の財力はある)。

それが上流階級に反感を持っている下層階級の厩務員といざこざを起こすという設定。

この布石は基本的には彼の「興奮」でつかったものだ。興奮ではオーストラリアの成功したブリーダー(生産牧場主)がイギリスの競馬不正を暴くために厩務員に紛れ込む。

ただ、飛越のほうは自分の意思で厩務員になった。この辺の描写が前半だが、動機が不自然で弱いだけに筆はもたついている。彼が仕事を何回かしているうちに不正に気がつくと言う寸法である。

彼の後年の作とは違い、前半もたもた、後半充実である。200ページあたりから別人が書いたような感じになる。DFには珍しく純愛物語(といってもプラトニックじゃない)があるが、これも後半筆に粘りが出てくる。

付録:

1.この小説に限らないがDFの描写に馬の匂いの描写がない。とくに本作では狭い気密された機内で大量の小便を垂れ流すであろう(そして馬糞も)馬と同じ空間に長時間いるにも関わらず、匂いの描写がまったくない。不自然じゃないのかもしれない。輸送前には馬に水をまったく飲ませなかったりして。

2.DFは黒髪フェチであることは間違いない。飛越の相手はイタリア娘だから黒髪でもいいが、イギリスの女性でも小説の中でDFがポジティブに描く女性は黒髪、黒い瞳である。あちらではマイノリティだからなのか。DFではとくに目立つ。本作では二人が最初に出会う場面で黒髪だけでなく、黒いドレスを着せている。黒フェチだね。彼の奥さんはどうたったのかな。

3.フランシスはパイロットだと前に書いた。かれが航空機を舞台にした小説はこの「飛越」と「混戦」だという。次回は混戦を読んでみよう。


75年物のお味は、D.フランシス「重賞」

2010-02-14 21:30:02 | ミステリー書評

大変よろしい。1975年前後が脂ののりきっていたころのようだ。競馬サークルの話が一番安心して読める。本編は馬主と調教師の話だ。

調教師が馬主の知らないうちに出走馬をすり替える。それも同じ馬でのべつ幕なしにやる、という馬券愛好者にとっては死活問題のおそろしいお話。

しかけは馬のすり替えである。この間大井競馬で出走直前に違う馬が見つかったというニュースがあった。大したフォローもなかったところを見ると単純なうっかりミスということで処理されたようだ。

小沢一郎言葉なら「形式的ミス」だ。

この馬の取り換えが軸になっておる。しかも取り換え三つ巴というか三連単である。イギリス屈指の騎手経験者である作者があり得る話として書いているわけで、馬の確認方法が現代でもそう変わっているとも思わないので、日本でも大いにあり得るのかな、と思ってしまう。

これがあり得たらテーヘンなことだよ。まさか生まれた時に、というか最初に出走する時にDNAを採取保存されて、各出走ごとに血液を採取してDNA検査なんか出来るわけもなかろう、非現実的で。

あるいはユニークな番号を記録してあるマイクロチップを馬の皮膚の下に埋め込んでしまうか。実用的かな。とにかくそんなことをしていることも聞かない。

これは、アナタ、来週から馬券戦術は見直しだよ。

これまでに何回かラストが甘いと書いてきたが、この作品はラストでも手を抜いていない。グーである。

このハヤカワミステリー文庫には解説はないが、訳者あとがきがある。著者の経歴が紹介してある。それによるとD.Fは第二次大戦中パイロットだったらしい。かれは妻と一緒に騎手専用のエアタクシーの運転手(操縦士)をしていたこともあるという。

それで思い出したのが、帝国陸軍騎兵中将からかって聞いた話だ。

昭和になって軍隊の機械化が進んで騎兵の役割が小さくなった。騎兵の役割は戦車部隊と航空部隊にとってかわられたわけである。

なかでも航空機パイロットには馬乗りは向いているそうだ。なんでも手綱の持ち方と操縦桿を握る感覚とは同じだそうだ。陸軍省編纂の「騎兵操典」には手綱は掌に鶏卵を抱くようにせよ、とあったという。アナログ時代の航空機とくに戦闘機ではそうであったらしい。

ジョイ・スティック(隠語で操縦桿のことを昔堅気のパイロットはこう呼ぶそうだ)も手綱さばきと通じるところがあるのだろう。

遊び人はいちもつをジョイスティックというらしいがね。

もっとも今はすべてデジタル制御だから話は違うだろうが。最近のトヨタ自動車でもデジタル制御だからね、今回のトヨタのリコール騒ぎの本質はそこだろう。いみじくも常務がフィーリングの違和感といってひんしゅくをかったがね。あれはプロやテスト・ドライバーには通用する理屈だが、たしかに一般の客には通用しない弁明だろうね。

卵を固く握ればつぶれてしまう。ゆるすぎると卵が落ちて割れてしまう。卵の代わりにヒヨコを持つように手綱を持てという格言もあったらしい。固く握ればヒヨコは窒息して死んでしまう。ゆるければてのひらから落ちて死んでしまう。

D.Fはいい方向にリストラしたわけだ。

あとさきになったが、この本の151ページに馬のパスポートと言うのが出てくる。内容が紹介されているがこれじゃ場合によってはすり替え大いに可能のようだ。


小さな書店のメリット

2010-02-11 19:15:08 | 本と雑誌

*貨物自動車やダンプカーが疾駆する田舎の県道沿いにある書店、大きな書店や都会の書店ではとっくに返品されている数年前の買いそこなった本が砂塵にまみれた書棚にあることがある。

*大都市のビジネス街の中心にある規模の小さな書店はスペースがないために、陳列されている書籍は売れ筋が絞られている。それぞれのジャンルでどんな本が売れているか書棚を一瞥するだけで分かる。

中には書店主のセンスが現れていて、陳列されている本が厳選されている書店にぶつかることがある。こういう店ではあれこれ見ないで簡単にその分野で適当と思われる本が見つかりやすい。

これらが小さな書店のメリットである。時々はのぞくものだ。


本屋のビニール袋

2010-02-04 10:13:37 | 本と雑誌

本屋で本を入れるビニール袋のことだ。本は重量物である。それをあのビニールの袋に入れると取っ手のところに工夫がないから鋭くて細い切断面で長くぶらさげていると手が切れる。そこまでいかなくても痛くなる。スーパーの袋には工夫がある。持ち手は幅があり、手にやさしい。それから底部にも面積が広く取ってあり全重量が分散されて取っ手の一点にかからないようになっている。材質そのものも柔らかいようだ。揉んでみるとよくわかる。

書店で使うビニール袋は色や大きさは色々あっても上記のような欠点は同じで画一的だ。寡占的に書店に提供しているメーカーがあるのか。

あれなら、取っ手がなくても昔のような紙袋に入れてもらったほうが数段よい。もっともどの書店でも紙の大きな手提げ袋は置いてあるようだが、山のように本を買わない限りずうずうしく要求もしにくい。それに持って帰ってもあとで始末に困る。