昭和維新の名のもとに元老の人事を批判した維新戦争敗北軍の詭弁を論ず。
明治維新の時代は国の安否に関わる政策決定が切れ目なく続いた時代である。為政者が責任をもって対処するには相手の人物の能力をよく知った相手を選ぶ必要がある。
その第一は維新前討幕運動で死地を一緒に潜り抜けた相手から選ぶのは当然である。それが薩長土肥の人材に偏るのは当たり前である。それが結果として藩閥政治と言われるものである。
また相手の実力をよく知るものから選ぶのは当然である。すなわち戦争の相手である幕府出身者である。維新政府は幕府人材を大量に採用した。外務大臣には幕府軍の惣領であった勝海舟を選んだのが一例である。彼はロシアと交渉して千島列島すべてを日本の領土と認めさした。また樺太での日本の自治権を大幅にロシアに認めさせた。その他薩長軍が維新戦争の相手とした幕府の有能な人材を大量に取り込んでいる。
相手の実力をよく知って、有能な人物を積極的に登用した。自分のよく知らない相手を選ぶ愚は取らなかった。この観点から評価すると維新政府の人事が依怙贔屓であるとするのは、無能者の多かった反幕府諸藩の根拠なき主張である。
翻って「昭和維新政府」の人事はどうだったか。昭和時代に入ってから薩長から陸軍大臣、海軍大臣になった人物は皆無である。そうして彼らが行った人事は漫才的にまで依怙贔屓の恣意的なものである。これは文芸春秋の座談会の出席者から指摘されている。元老政治のもとでは実力主義だったのが、東条の個人的嗜好に基づいている。政策的実力は考慮されていない。
昭和二十年の敗戦までは必然的な一本道である。