穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

小論理学(下)のある書店

2010-04-23 09:10:06 | 本と雑誌

書店に個性のあるのとないのがある。前に書いた。店主、経営者、仕入れ担当の個性が感じられる書店と言うのは印象に残る。散漫な仕入れで印象の拡散した書店とちがい、統一があるし、きりっとした感じを与える。

岩波文庫の青帯(哲学)でカントは大体どこにでもあるがヘーゲルは意外に少ない。しかも大体おくものが決まっている。小論理学というのもまずない。版数を見ると結構最近まで相当回数版を重ねているが書店で並んでいることはない。

ところが、ある書店ではこれを常備している。しかし、いつも下巻ばかりだ。またこれがゆっくりとだがはけていくらしい。時々なくなる。売れない本を仕入れてしまった、と思っている経営者はこれで不良在庫がなくなったと清々しているかとおもいきや、しばらくするとまた下巻を仕入れて陳列している。

つまりわずかだが確実な需要があるということだろう。下巻しかないというのも理解しがたいところだ。小生なんか上巻のほうがおもしろいと思う。

もっとも、岩波文庫では読んだことはないから、岩波の上巻に相当する部分ということだ。理由はなんなのかな。上巻には決定的な誤訳があって、しかも訳者が死亡していて改訂の仕様がないのか。

あるいは、下巻部分には特定の主義者などの教科書として手堅い需要があるのか。分からん。

なお、その書店の立地であるが、もと場末、いまアッパーミドル用のマンションの林立する新開地である。ヘーゲルとは無縁のところのように思われるのも面白い。


古着はたたる

2010-04-08 08:53:56 | 本と雑誌

古着はたたる、なんてことをもうしますな、と志ん生なら言うところだ。最近は古着屋なんてない。いやそうは言わないと言うべきか。リサイクルショップかな。ジーンズなんか着古したものが高く売れるらしいが。

古着の話じゃない。このブログだから古本の話だ。ここまでは落語でいえばマクラだ。

おいらは古本を好まない。誰が読んだか分からない本は気持ちが悪い。それは古着は祟るとおなじ系統だろう。ブックオフなんかも同じだ。同じ理由で図書館へいくのも好まない。ま、マイノリティだろうね。超マイノリティでなければこのブログでは取り上げないんだから。

したがって新刊本を買うがたまる一方だ。これの始末がまた往生する。古本屋と折衝するのがこれまた不愉快な経験だ。どうせ金になる古典籍なんてないからいくらでもいい、持って行ってくれればいいのだが。そうも言えないから黙っていると

古本屋というのは、いちいちケチをつけながら値決めをしないとこけんにかかわると思っているのか、業界の知識をひけらかしながら、ねちねち、延々とやる。こっちはタダでもいいから早く持って行って清々したいというだけなんだが。

それに、携帯電話を買う時みたいに身分証明書を見せろというだろう。店頭に持っていく学生なら万引きを疑ってそういうことをやることも昔はあったが、カバーも帯もないし、赤線も引いてあるような本なのに、何のためにするのだろう。

古本屋なんて、職業に貴賎はないとは言うものの、こちらから見れば得体のしれない商売だ。ただでさえ、大企業でもうっかり個人情報を渡すとすぐに悪徳市場に出回る。古本処分のためくらいにそんな危険を冒すわけにはいかない。


ハンフリー・ボガード

2010-04-07 09:16:16 | ミステリー書評

三つ数えろ、マルタの鷹、カサブランカとボガードのDVDを三枚持っている。いずれもモノクロだが。

最近、三つ数えろ、とマルタの鷹をもう一度見たので印象を。いずれもミステリーの原作の映画化だ。

三つ数えろ、は邦題でチャンドラーの大いなる眠り(ビッグスリープ)の映画化。この邦題はいただけない。それと原作とはめちゃくちゃに違う。悪いほうに違う。出だしはちょっとキレがあったが、すぐにだれる。これはだめだ。小説はいい。これはマルタの鷹より大分後の作品だが、ボガードの演技も劣化しているようだ。画像ももとのフィルムが大分劣化していたようでDVDでおこした画像もぼけている。それだけ、当時から評価が低くて、フィルムの保存もおろそかになっていたのではないか。

マルタの鷹はダシール・ハメットの同題の映画化。筋は原作に忠実だ。それよりも驚くのは映画として完成している。ある意味では原作以上の傑作ともいえる。原作を読まなくてもこれだけで十分独立している。筋は原作に忠実だがそんなことは関係ない。画像もいまなお鮮明である。

カサブランカ、これは芝居の映画化らしい。再見していないが、記憶では画像も不鮮明で、映画としても並みという印象だったが。物の本によると、この映画は不朽の名作ということになっている。ついでに、カサブランカも再見するつもりなので、感興がわけば、あとでアップするが、どうかな。

三つ数えろ、で驚くのはチャンドラーがよくこの映画を認めたな、ということだ。彼はシナリオライターあるいはシナリオ添削者として数年間ハリウッドとかかわった人間だけになおさら不思議な気がする。彼の作品はほかにも数作映画化されているが今に残る映画はないようだ。彼の小説はもともと映画にならないような個性があるのかもしれない。

それに比べるとハメットは、たしか影なき男だったかな、は芝居(映画?)としても大成功したと言うし、芝居、映画という他メディアとも親近性があるのかもしれない。

ある人によればハメットのセリフが映画向きという(そうとばかりは言えないと思うが)。そうするとチャンドラーは地の文が命ということか。二人の前身にも関係があるようだ。

チャンドラーはシリアスな元詩人、ハメットはメッセンジャー・ボーイから始めた元探偵。