首相補佐官秘書の丙は通り魔問題の自然科学系分科会の議事論を読んでいた。容疑者全員の遺伝子検査を行ったが、異常な行動に結びつくような異常はなかったらしい。精神鑑定の結果も失望を誘うものだった。もっとも精神鑑定などと言うものはいくら時代が進んでも変わるようなものではないだろう、と思いながら議事録から顔を上げた。隣室の秘書の部屋から争うような騒々しい人声がしてきた。
秘書が制止するのも聞かずに入ってきたのは覘き屋の庚戌であった。秘書には中に入れるな、と指示していたのだが、彼は机の前にずかずかと歩み寄ると来客用の椅子にいぎたなく腰を下ろした。
「何を読んでいたんだい」と彼は丙が慌てて裏返しにした書類を覗き込んでから「例の通り魔の対策会議はどうなっているんだ」と聞いた。
「さあな、大した進展もないようだよ」
「遺伝子解析でも精神鑑定でも特異な点は発見できなかったらしいな」
「なんだ知っているのか。相変わらず早耳だな」
「ご挨拶だな。早耳なんかじゃないよ。皆知っている。君はまだ議事録を読んでいないのか」
丙はあきらめて隠すように持っていた書類を机の上に放り出した。
「今読んでいたんだ」
この庚戌は丙の大学時代の同級生で丙が官僚としてまずまずのキャリアパスを昇ってきたのに対して、卒業後いくつかの業界紙で記者をして渡り歩いたりして、現在は煽情的な実話雑誌の記者をしている男である。卒業後は交際がなかったが、政界に出馬した丙の同僚の出馬応援パーテイでばったりと顔を合わせてから、丙のところへ押しかけてくるようになった。
庚戌はとがった三角眼を丙の額に据えると「秘書には俺を通すなと指示しているらしいな」
「なんだ、怒っているのか」
「あんまり気持ちがよくないな。同窓生にそういう風にあしらわれるとな」
丙はしばらく彼を無言で見返していたが、「タレこみ屋としてなら歓迎するぜ。覘き屋は謝絶だ」と学生時代のようなぞんざいな口調で答えた。