穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

講義は分かりやすかった

2014-10-26 13:13:52 | 書評

ヘーゲルの生前に出版された著書は雑誌などに投稿された論文を除くと四冊である。死後講義録が四冊発行されている。講義録を読むとこれが親切で分かりやすい。当然だろう、学生の知的水準を無視して他の著作のような調子でやっていたら学生は煙に巻かれたような気になるだろう。

ヘーゲルはTPOを心得ていたのである。学生相手に持ってまわった韜晦した説明をしても意味がない。死後出版された講義録は学生のノートをもとに、弟子が編集した物である。

ヘーゲルの思想は政治的に危険思想に通じるところがある。幾重にも謎をかけて叙述しないと政府当局から無神論であるとか、反政府陰謀を使嗾したとかで最低でも大学教授の職を解かれる。

マルクスが非常にヘーゲルに惹かれたのは弁証法云々もさることながら、著作の文章の間から、着物の下から鎧がチラチラするような過激思想を察知したからだろう。

ショーペンハウアーは富裕な商人の息子で遺産もあり、大学が気に食わなければ、すぐに辞めても一生生活には困らない。一方ヘーゲルは大学教師を辞めさせられたら職がなく、食べて行けない。それでも二十代のころには土地の有力者の家庭教師(使用人)になる道もあったが、四十代、五十代になってはそういう道もない。

それで証拠が残る著作にはあまりはっきりとしたことは書けなかった。講義録は学生のノートだから証拠にはならないし、当局の目に触れない。死後には出版されたが、当然政治情勢も変わっていただろうし。

だから、講義は学生の知力に合わせてやさしく、そして学生に受けるような過激な思想も少しは開陳しただろう、余談としてとか。こういうことが学生の人気の秘密ではないかと思う。

また、著作は七面倒くさく書くが、ジャーナリスティックなセンスも有ったらしい。ナポレオンの侵入後失職していた時期には生活の必要から雑誌の編集者もした。また、晩年にも新聞に多くの寄稿をしていた。そういうことも世間の人気の秘密だろう。雑誌の記事を精神現象学の調子で書くわけにもいかない。たしか岩波文庫でヘーゲルの政論集みたいなのがあった記憶があるのだが、最近は見つからない。記憶違いかもしれない。 

さて、日本でなぜデカンショなのかという謎であるが、単に日本への紹介が遅れたという事情なのかも知れない。分かりやすい講義録などが先に翻訳されていたら事情は変わっていたかも知れない。変わらないかな。分かりやすいというだけで、ショウペンハウアーの名調子はないからな。

追加:一つ書き忘れた。ヘーゲルはドイツ南部のシュワーベン地方の出身だが、この地の方言はかなりきついという。日本で言えば津軽弁とか薩摩言葉みたいなものらしい。彼も矯正には勤めたらしいが、終世アクセントやイントネーションは変えられなかったという。これがご愛嬌だったのではないか。かって会津なまりをむき出しにして受けを狙った政治家がいたが。

学生にも地方出身者が多かっただろうから、案外ヘーゲルのシュワーベンなまりは受けたのではないか。

 

 

 


デカンショ節

2014-10-26 09:09:19 | 書評

旧制高校生が歌った替え歌に「デカンショ節」というのがある。 

> デカンショ、デカンショで半年暮らす

  後のはんとしゃ(半年)寝てくらす < だったかな

デカンショはデ・カン・ショである。つまりデカルト、カント、ショウペンハウアーである。旧制高校生の教養書だったわけだ。

デカルト、カントは分かるとして、ショウペンハウアーというのは意外だろう。フィヒテ、シェリングや大御所ドイツ観念論の最高峰を占めるヘーゲルを押しのけてショウちゃんが取りを飾っている。自分がカントの正当な後継者だと任じていた彼は大得意だろう。もっともとっくに死んでいたが。ま、語呂がいいということもあるのだろうが。

ヘーゲルとショウペンハウアーは同じ大学で同時期教鞭をとったことがあり、ショウちゃんは対抗意識からヘーゲルと同じ時間に授業時間を意図的に設定したというのは有名な話である。

結果はヘーゲルの講義は学生で満員、ショウペンハウアーの授業は客、もとえ、学生が集まらなかった。頭に来たショウちゃんは大学を辞めたというのは有名な話である。

文章家としてヘーゲルより数段すぐれているショウペンハウアーがヘーゲルより学生に人気がなかったというのは不思議な気がする。そのショウペンハウアーが日本では逆にヘーゲルより人気があったのも不思議だ。

そこで次回は「不思議発見」といこう。


ヘーゲル錠

2014-10-25 07:46:59 | 書評

 学生時代に読んだ哲学書といえば、まだ流行りだしていなかった科学哲学、当時は論理実証主義とか分析哲学といっていた。いまでも分析哲学という言葉は生き残っているが、論理実証主義というのは見かけなくなった。それとショーペンハウアーかな。その陰鬱な厭世主義が合ったというよりか、その文章の明晰さに惹かれた。

 現在になってみると、いずれも食いが足りないというか、腹応えが無い様に感じる。特に科学哲学については、当時は物珍しさに新しいもの好きで飛びついたが、所詮は独創的な科学者の取り散らかした仕事場の掃除をしているお手伝いさんでしかない。ショーペンハウアーの諦観も所詮若者向きのものだ。

 それで、もうすこし腹応えがある物をというので結局ドイツ観念論に落ち着いた。したがってヘーゲルも初読である。若いときはラッセルやウィトゲンシュタインの「彼らの説はジャーゴン(たわごと)の堆積物であるという判決を鵜呑みにしていたわけだ。

 哲学者には二種類ある。本文(あるいは訳文)だけでは分からないもの、つまり解説書につい手が出るもの。もっとも解説書を見て余計不得要領になるものも多い。なお、立花隆だったかな、原文で読んだ方が分かるという説は首肯しがたい。明治初期ならいざしらず、それは極論だろう。分からないものは原文を読んでも分からないと考えてよろしい。もっとも、単語については、とくに日常語に概念を託しているものは、原文でどんな言葉があてられているか確かめると理解しやすくなる場合がある。

 第二の種類は解説書がいらない場合である。解説書を読むと解説者の所見がオリジナルの思想を覆い隠してしまう恐れがあるもの。カント等は原著の方がよほどすっきりしていて、理解しやすい。

 言うまでもなく、ヘーゲルは第一の種類に入る。そして厄介なことに、解説書を読むと余計分からなくなることが多い。ごくわずか、読解の便に資する著書がある。そういう解説書、伝記に巡り会うことが大切である。

 ヘーゲルの叙述には癖があり、そのこつを掴むことが大切だ。「だんだん良くなる法華の太鼓」という言葉が有るが、ドンドン耳元で叩かれているうちにこころもちが良くなってくるところがある。彼の場合は、結論にいいものがある。そこへ持って行く過程は、わざと韜晦しているのか、隠蔽しているのか、あまり論理的ではない。

 彼の人生がそういう処世術を取らせたということは伝記を読むとわかる。青年時代フランス革命に熱狂し、ナポレオンに世界精神の体現を見る。牧師の職を捨て、不安定な従者(家庭教師)を長く続ける。そうした人生で「へつらいの言葉」も身につけた。韜晦しなければドイツ哲学界をリードし、ベルリン大学の総長にはなれなかっただろう。幸いなことに哲学界では韜晦、説明不十分、非論理的なことが学説に威厳を与えるのだ。

 学界の頂点に上り詰めたが、政府からは最後まで警戒されていた。かれはコレラで急死したということになっている。これにも疑義があるようだ。プロイセン政府はコレラということで彼の埋葬場所まで干渉しようとした。また、葬儀の参列者学生などが「香港暴動」に発展しない様に工作したともいわれる(ジャック・ドント「ヘーゲル伝」)。

それとヘーゲル錠の一徳は睡眠導入剤であることである。ぼけ防止にも効果があると言われている。

 

 

 


トルストイ「戦争と平和」第三巻

2014-10-14 06:38:17 | 書評
第三巻からいよいよナポレオンのロシア侵攻が始まる訳だが、トルストイの叙述の生彩が前二巻にくらべて著しく劣る。いわゆる「小説」なんだな。細かい、疑わしい講釈、屁理屈が多くなる。日本でいえば「国民的作家」司馬遼太郎になるわけだ。叙述も下手だ。

トルストイは思想家ということになっているが晩年の平和主義とか、晩年のいくつかの短編はともかく、この年代のトルストイはまだ「小説」を書く技量は出来ていない。ロマン、叙事詩を書く才能は開花しているがね。

第一巻だったか、アウステリッツの会戦を書いたあたりは一気に読ませた。それでいて、戦争の原因はどうだ、戦術がどうだったとか言うことは一カ所も書いていない。開戦の経緯も歴史的背景の講釈もない。いきなり、騎兵が疾駆するわけだ。それでいてなんだなんだ、どうしてこうなったんだ、という疑問を一瞬も読者に抱かせない。

第四巻の終わりに戦争論みたいな、論文みたいなのが長々と付いているらしい(そこまでまだ読んでいない)が、週末部分はいくらかましになっているのかな。

この小説は七年くらいかかったらしい。なんども書き直したというし、構想も何度も変わり、最初の構想ではいきなりボロジノ会戦(つまり現在の第三巻)から始まるようなものだったらしい。7年もあれば筆力も成長する。第一、第二巻は実際には最後に書いた物かも知れない。それなら三巻との落差も分かる。



今年のノーベル文学賞

2014-10-09 21:21:42 | 書評
今年のノーベル文学賞が決まったようですね。フランスの作家だとか。今年もマスコミは村上春樹氏が大本命だと大騒ぎをしていました。細かい話ですが「大本命」というのはおかしいですね。

競馬で大本命といえば、日本式というかメリメチュールという方式でいえば、オッズが1.5倍以下というのが普通です。ノーベル賞の予想はイギリスのブックメーカーがオッズを出しています。やり方がJRAと違うから一概に言えないが、テレビを見ていると日本式では5倍程度じゃないですか。日本の競馬では一番人気がこのレベルだと混戦と表現することが多い。もっといえば、どの馬にも勝つチャンスがあるともいえる。

ノーベル賞のブックメーカーの掛け率で村上春樹氏が一番人気だが、その他の作家もオッズには差があまりない。「大本命」と騒ぐのはどういう神経かな。

このブログでも村上氏を相当回数とりあげたが、後記の作品は評価していません。ある意味で私もノーベル賞の行方は関心があったわけです。テレビによると私が酷評した「たざきつくる君・・・」も英訳が出て大変な人気だとあるので、この書評ブログの評価(なんじゃい)が落ちるのではないかと有る程度は気になってウオッチしていたんですけどね。ま、妥当じゃないですか。混戦だったのだから。もっとも受賞した作家の作品を読んだことはないのですが。



トルストイ「戦争と平和」

2014-10-05 16:00:28 | 書評
長雨に振り込められた気の滅入るような日ですな。そこで書き込みをする気になった。十日以上ご無沙汰でした。さぼってはいけません。

トルストイの「戦争と平和」第二巻第三部あたりまで読んだ。例によって進行形書評である。恥ずかしながら初読である。普通は中学生の頃読む本らしいが。

ところがどうも記憶にある場面が出てくる。はてな、ぼけたかなと思ったが、なに、映画を見たのをかすかに思い出したのだ。何度も映画されているようで、何時の誰の作品かはまったく憶えていないから相当昔のだ。

トルストイ40代前半の作品だが、他の長編に比べてツヤ、粘り、弾みがある。アンナ・カレーニナになるとすこし枯れてくる。復活になると抹香臭くなる。文章の比較の話で作品の程度の話ではない。

ドストエフスキーの中年時代の作品「罪と罰」がもっとも小説的で文章に艶があるのに似ている。

というわけで、まだ途中だが、長編では一番好きになりそうだ。ナポレオンとの数次の戦争の場面が出てくる。二巻の途中までだと、ロシア軍が敗走したアウステルリッツの戦闘場面が出てくる。ヘミングウェイが絶賛した様に戦闘場面はすばらしいというか見事である。

トルストイがこれを書いた頃にはロシアにも鉄道が出来たようだが、19世紀の初頭にはすべて馬車である。モスクワーペテルブルグ間も馬車しか無い。それにもかかわらず、貴族達は新幹線で東京・大阪を行き来するように往来している。

ドストエフスキーを読んだときにも感心したがロシア人というのはあのくらいの移動は苦にしないらしい。両都市間は東京大阪くらいの距離があるだろう。馬車でいって、昼間だけの移動だろうが、駅ごとに替え馬が置いてあるにしても馬車だと時速20キロがいいところだろう。30キロは出まい。ロシアは平野ばかりで真っ平らだから出来るのだろうが、それにしても三日以上はかかるだろう。雨でも振ったら立ち往生だろうし、ロシアの小説を読むたびに非現実的で不思議に思うところである。冬は豪雪だろうしね。

クッションの悪い馬車に三日も乗っているだけで疲れてしまうだろうに。まして貴族の女性も一緒だろう。いつもほんとかなと思う。もっとも本当らしいからしょうがないが。

今のウクライナに領地がある主人公等も馬車で旅行するんだから感心する。

ヘミングウェイを空間的作家だと書いたが、トルストイは時間的作家だ。ナボコフも同じことを別の表現で言っているらしいが。

妻を離縁したピエールがフリーメイソンに入る。アンドレイ公爵がアウステルリッツの戦闘で瀕死の重傷を負い、臨死体験というか神秘体験をする。この二人が主人公なのかなと思って読んでいる。