ヘーゲルの生前に出版された著書は雑誌などに投稿された論文を除くと四冊である。死後講義録が四冊発行されている。講義録を読むとこれが親切で分かりやすい。当然だろう、学生の知的水準を無視して他の著作のような調子でやっていたら学生は煙に巻かれたような気になるだろう。
ヘーゲルはTPOを心得ていたのである。学生相手に持ってまわった韜晦した説明をしても意味がない。死後出版された講義録は学生のノートをもとに、弟子が編集した物である。
ヘーゲルの思想は政治的に危険思想に通じるところがある。幾重にも謎をかけて叙述しないと政府当局から無神論であるとか、反政府陰謀を使嗾したとかで最低でも大学教授の職を解かれる。
マルクスが非常にヘーゲルに惹かれたのは弁証法云々もさることながら、著作の文章の間から、着物の下から鎧がチラチラするような過激思想を察知したからだろう。
ショーペンハウアーは富裕な商人の息子で遺産もあり、大学が気に食わなければ、すぐに辞めても一生生活には困らない。一方ヘーゲルは大学教師を辞めさせられたら職がなく、食べて行けない。それでも二十代のころには土地の有力者の家庭教師(使用人)になる道もあったが、四十代、五十代になってはそういう道もない。
それで証拠が残る著作にはあまりはっきりとしたことは書けなかった。講義録は学生のノートだから証拠にはならないし、当局の目に触れない。死後には出版されたが、当然政治情勢も変わっていただろうし。
だから、講義は学生の知力に合わせてやさしく、そして学生に受けるような過激な思想も少しは開陳しただろう、余談としてとか。こういうことが学生の人気の秘密ではないかと思う。
また、著作は七面倒くさく書くが、ジャーナリスティックなセンスも有ったらしい。ナポレオンの侵入後失職していた時期には生活の必要から雑誌の編集者もした。また、晩年にも新聞に多くの寄稿をしていた。そういうことも世間の人気の秘密だろう。雑誌の記事を精神現象学の調子で書くわけにもいかない。たしか岩波文庫でヘーゲルの政論集みたいなのがあった記憶があるのだが、最近は見つからない。記憶違いかもしれない。
さて、日本でなぜデカンショなのかという謎であるが、単に日本への紹介が遅れたという事情なのかも知れない。分かりやすい講義録などが先に翻訳されていたら事情は変わっていたかも知れない。変わらないかな。分かりやすいというだけで、ショウペンハウアーの名調子はないからな。
追加:一つ書き忘れた。ヘーゲルはドイツ南部のシュワーベン地方の出身だが、この地の方言はかなりきついという。日本で言えば津軽弁とか薩摩言葉みたいなものらしい。彼も矯正には勤めたらしいが、終世アクセントやイントネーションは変えられなかったという。これがご愛嬌だったのではないか。かって会津なまりをむき出しにして受けを狙った政治家がいたが。
学生にも地方出身者が多かっただろうから、案外ヘーゲルのシュワーベンなまりは受けたのではないか。