水上勉の作品読了。前半、おやと期待を持たせ、後半並みというところか。
作者の後書きによると、娼婦杉戸八重は「ソーニャのように男主人公にとっては無償の愛を交わし合う相手でなければならぬ」とある。多分ドストエフスキー『罪と罰』のなかの娼婦ソーニャのことだろうが、作品のなかでの肉厚さは全然ちがう。風俗作家(ちがったかな、何となく私のなかではそういうイメージなんですが)の水上勉らしく詳しく描かれている。罪と罰のソーニャは幽霊みたいな存在です。
それともこのソーニャというのは別の誰かの作中ヒロインのことだろうか。いずれにせよ、彼女は罪と罰ではチョンの間役ですからね。それはともかく、水上氏は「犯罪小説」のお手本として罪と罰が念頭にあったようです。
尾崎秀樹氏の解説もついている。『レ・ミゼラブル』と比較している。たしかに、この小説は樽見京一郎という逃亡者を大きなシャドーとして据えている。がレミゼは逃亡者の視点、行動が主体だが、樽見京一郎の場合は黒い影として追われる得体の知れない人物として描かれ、最後の最後にいわゆる謎解きのところで主役になる。
そう言う意味ではこれは警察小説とも言える。
また、ジャンバルジャンは何度も脱獄をして重罪になっているが、その罪はパンを盗んだというだけだ。一方樽見は殺人(もっとも最後の告白で十年前の事件では襲われてやむを得ず殺したと主張している)犯である。だから尾崎氏の比較も首をひねらざるをえない。
こういうことの無理というか、不自然さが気になるのである、最後まで読むと。
細かいところでいくつか: 「不在証明」という言葉がかなり出てくるが違和感がある。アリバイという言葉はそのころの推理小説では使われなかったのかな。昭和37年の作品。
最後の方で、昭和32年の記述で「炊飯器のスイッチを入れる」とあるが、そのころ(電気、ガスでもいいが)炊飯器があったのかな、と疑問に思ったので調べたら35年頃からかなり実用的な商品があったらしい。意外と古いんだなと思いました。
作者の後書きによると、娼婦杉戸八重は「ソーニャのように男主人公にとっては無償の愛を交わし合う相手でなければならぬ」とある。多分ドストエフスキー『罪と罰』のなかの娼婦ソーニャのことだろうが、作品のなかでの肉厚さは全然ちがう。風俗作家(ちがったかな、何となく私のなかではそういうイメージなんですが)の水上勉らしく詳しく描かれている。罪と罰のソーニャは幽霊みたいな存在です。
それともこのソーニャというのは別の誰かの作中ヒロインのことだろうか。いずれにせよ、彼女は罪と罰ではチョンの間役ですからね。それはともかく、水上氏は「犯罪小説」のお手本として罪と罰が念頭にあったようです。
尾崎秀樹氏の解説もついている。『レ・ミゼラブル』と比較している。たしかに、この小説は樽見京一郎という逃亡者を大きなシャドーとして据えている。がレミゼは逃亡者の視点、行動が主体だが、樽見京一郎の場合は黒い影として追われる得体の知れない人物として描かれ、最後の最後にいわゆる謎解きのところで主役になる。
そう言う意味ではこれは警察小説とも言える。
また、ジャンバルジャンは何度も脱獄をして重罪になっているが、その罪はパンを盗んだというだけだ。一方樽見は殺人(もっとも最後の告白で十年前の事件では襲われてやむを得ず殺したと主張している)犯である。だから尾崎氏の比較も首をひねらざるをえない。
こういうことの無理というか、不自然さが気になるのである、最後まで読むと。
細かいところでいくつか: 「不在証明」という言葉がかなり出てくるが違和感がある。アリバイという言葉はそのころの推理小説では使われなかったのかな。昭和37年の作品。
最後の方で、昭和32年の記述で「炊飯器のスイッチを入れる」とあるが、そのころ(電気、ガスでもいいが)炊飯器があったのかな、と疑問に思ったので調べたら35年頃からかなり実用的な商品があったらしい。意外と古いんだなと思いました。