尿意を催した日藤智弘はデパートのトイレに入った。便器の前に立ち、ズボンのチャックの間から手を突っ込んで探索するが入り口が見つからない。時々どういう具合か朝寝ぼけてパンツをずらして着用していることがあるので、彼は左右くまなく遠方まで探索したが入り口がない。とうとう彼はパンツを前後ろさかさまに履いたと認めざるを得なかった。かれは後ろを振り返ると空いていた脱糞用のブースに飛び込んで鍵をかけた。ベルトを緩めてズボンをずり下げるとパンツも一緒に下ろしてようやく目的のものをつかみだした。放尿を終了すると彼はズボンを脱いでパンツを履き替えようとした。
周りを見回すと狭苦しいスペースではそんな作業をするのは無理のようだ。周りの壁は気持ち悪く汚れ放題で一面に落書きがある。中にはハングルのもある。とても壁にあるフックにズボンをかける気にはなれない。便器の蓋を下ろしてみたがこれも汚れている。とても脱いだズボンを置く気にはなれない。
大体彼は公共の場での大便所には入ったことがないのでその不潔さに驚いた。学生の頃は日中でも外出先で時ならず腹痛に襲われたり便意が我慢できなることがあったが最近ではそういうことがまったくなくなったので外出先で大便所を利用することがここ数年無かったのである。
小便をしていると、若い男が昼日中でも大便所に入ることが最近は多い。五人のうち三人は脱糞スペースに入る。よほど腹具合の悪い若者が増えてきたのであろうか。こういう連中は放尿スペースが空いていても脱糞ブースに入る。昔から馬上、枕上と並んで脱糞ブースは瞑想に最適の場であると言われている。彼もしばし疑似瞑想状態に陥ったが、いつかテレビか新聞の記事で読んだことを思い出した。近頃の若者は子供のころから母親に小便も座ってするようにしつけられているという。立ってすると飛沫が便器や床を汚すので掃除が大変だというのが理由らしい。そうだ、なにも子供に限らないという。それで若者たちは外でも小便を大便スペースでないと出来なくなっているというのだ。近頃では若妻も夫に小便は座ってするようにしつけるとかいう話だ。妙な世の中になったな、と瞑想から我に返ったわれらが主人公は思うのであった。