どうも昭和十二年ごろまでは興味が持てない。最初のころは歌舞伎界との交流が毎日に記述で、それもどこで飯を食ったとか、誰と会ったかという一日二、三行の記述で興味がわかない。それに、秋庭太郎の伝記では交友範囲の具体的人名が一切ない。これはのちの伝記を通していえる。これは致命的な欠陥である。
ぷらいばしーへの配慮があるのだろうが、荷風の記述が「誰それと飯を食った」という記述にとどまっているから、そういう配慮を必要としない。まれに配慮を必要とする人物が出てくるが、その個所はしかるべき書き方があるだろう、職業的売文家としては。
昭和初年になると歌舞伎界との付き合い記述が一変して変名?の人物との銀座界隈での会食の記録の連続連日であるが、これも無味乾燥である。もちろん女出入りも記録しているが興味をひくものではない。この変名が誰であるかがわかれば興味が持てるかもしれない。秋庭太郎の伝記でもその辺の記述は全くない。したがって興味が持てない。交友関係が一変しているらしいので。これらの人物が誰であるかが分からければ全く無意味な記述である。
昭和十年前後になると、一年以上にわたって浅草の小劇場で自作の上演の経緯が中心となる。これも正直言って興味が持てる書き方ではない。しかし、連日連夜夜明けま舞台台稽古に付き合ったり、けいこが終わった後女優や、踊り子たちを引き連れて飯を食ったり、吉原に上がったりの記述が延々とつづく。はっきり言ってモノトーンである。
昭和十年以降になると険悪な、政治情勢や軍部横暴に対する荷風の嫌悪、批判が多くなり、やや読めるようになる。ひっ迫する日常生活の具体的記述が多くなり、読める。
これは昔所読した時の記憶であるが、このころから戦争末期、終戦直後の混乱の「体験記」は「読める」