大晦日で大掃除も終わり、あとはジャンボ宝くじの抽選を待つばかりとなりました。私は紅白を見ないので。そこでアップをひとつ。
加藤典洋氏の「村上春樹はむずかしい」(岩波新書1575)を見ました。読んだとか理解したとは言えないのですが。
もっとも私にとっても村上春樹はむずかしい。どう難しいかというと、なぜあんなに売れるのか、理解するのがむずかしい。テーマとかが難しいというのは加藤典洋氏ですが、たしかに「テーマはなんだ」と詮索すると村上氏はむずかしい。だけどそう言う詮索しようと言う気持ちがそれほどわかない。
私は村上氏の文章はうまいと思うのです。文壇ギルドではあんな翻訳調は、とけなす人たちがいるそうですが、私はそうは思いません。むしろそういう人たちよりかは数段うまいのではないですか。
しかし、これはあの売れ行きの理由にはなりません。加藤氏は村上氏の初期の作品から順を追って解説しているので、わたしも未読の初期作品をいくつか読みました。すなわち、「短編集中国へのスローボート」や「パン屋再襲撃」です。確かに初期の作品の文章は良い。二、三読んだ後期と言うか最近の作はゴツゴツしていて名文とは言えなくなっている。
加納氏は文章の質についてはまったく触れていませんが、彼のテーマについての「推測」を読むとなるほど、そうもとれるな、とも思います。
私なりに要約すると村上春樹は左翼運動、過激な学生運動が最後の線香花火をあげている時代にノンポリ学生としてすごした。左翼運動というのは保守勢力に対する否定性を体現しているが、そういう否定性が民衆の歓心を引かなくなりつつあった時代に学生時代を送った。村上氏は団体行動というのが嫌いのようです。これは作家としては正常の部類に入ります。左翼運動が生理的に嫌だからと言って右翼が好きではない。ノルウェイの森を読むと分かりますね。だけど、問題はほとんどの学生が参加していた左翼運動に背を向けていたことが潜在意識で罪障感になっている。この図式でみるとたしかに初期の作品は説明出来ないこともない。
さすがに評論家は偉いと思うが、私の課題である村上作品が売れる理由が、うまくノンポリ学生の心の動きを捉えた所にあるとも思えない。加藤氏がいうように、それはこういう図式なんだよと教えてもらわないと村上ファンにはそんなことは分からないと思うんですよね。だからそれがベストセラーの理由ではないと思うわけです。