穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

推理小説の文庫上下二巻は破綻することが多い

2024-02-22 05:58:18 | 犯罪小説

柚木裕子の盤上のひまわりという将棋少年の小説を上巻だけ読んだ。この作家は前に題名を忘れたがちょっと興味を持ったので頭書を読んだ。下巻に入ると、棋譜もなしに駒の動きを書く。おそらく将棋の練達者でもフォローできないだろう。まして将棋に関心がない読者には意味がない。

こんなことでページ数を増やすのは編集者の悪知恵で推理小説の類で上下二巻に分けるのは売り上げを増やすのが狙いの出版社の知恵だろうが、成功した例は少ない。

 


貫井徳郎「慟哭」

2023-12-31 09:57:28 | 犯罪小説

創元推理文庫で表題の本を読んだ。1999年初版2023年71版でまあ、書評で取り上げる基準を満たしている。百年くらい前になるか、たしか英国のみすてりー評論家が探偵小説の二十規則というのを発表していて、犯人は最初から登場していなくてはいけないというのがある。それも名前があり、他の登場人物との関係がはっきりしている必要があるというものだった、記憶が正しければ。

貫井の小説では、無記名、職業不詳、他の登場人物と関係不明の人物が出てくる。こいつが犯人とはすぐ推測できる、作者が犯人に仕立て上げたい意図があるとはすぐわかる。が他の登場人物との関係は不明、不明じゃないけど明かしていない、という点では二十則を満たしていない。読者はこの名無しの権平が犯人とは最後の10ページで分かるが、小説的盛り上がりは皆無である。

400ページを超える長編であるが、終末の種明かしが10ページ強しかない。構成に問題がある。盛り上がりが全く欠ける。ストレートに呑み込めない。それまでの筋も反復が多く、冗長であった。

 


ベントリー「トレント最後の事件」

2017-05-06 20:26:49 | 犯罪小説

この小説は江戸川乱歩がミステリーのベストテンに入れていたので読もうと思ったことがある。ところが絶版になっていたので原書で読んだ。最近創元社で再版されていたのを見て読んでみた。奥付には

1972年初版、2001年21版、2017年2月初版とある。初版というのはどういうことだろうか。訳者は大久保康雄氏である。すでに亡くなったかただが、この人の訳なら大体大丈夫だろうと思って買ってみた。

 大久保氏はミステリーのみならず英米の小説を多数訳していて水準以上の演奏家だと評価している。私の考えでは翻訳者は演奏家だと思っている。原作者は作曲家である。また、敢えて言えば一般読者も鑑賞者であると同時に演奏者でもある。小説を読んでそれを受け止め印象を自分の中で再現するということは音楽の場合の演奏者と同じである。音譜だけを読んで音楽鑑賞をする愛好家もいる。読者のなかで、読者なりに受け止め再現するのは他人の曲を演奏するのと同じことである

 ま、そういうわけで、昔探して訳書がなかったものが復活したのと、訳者が大久保氏なのを見て読んでみようというわけであった。読んで行くとどうも引っかかる所がある。最初に述べた原書がまだ手元にあったのでそう言う箇所を英文で確かめてみたのだが、訳文の方がどうもおかしい箇所が複数ある。

 ウィキペディアで調べると、大久保康雄氏は下訳者を複数抱えていていわば翻訳工房のようなものを持っていたらしい。田中正二郎氏も大久保氏の下訳者として修行したらしい。どうもこの「トレント最後の事件」は下訳陣の原稿をあまりチェック或は推敲していないまま出版した形跡がある。忙しいとこう言うこともあるであろう。私のこれまでに読んだ他の大久保氏の訳書でこう言うことはあまり感じたことは無いのであるが。

 それはさておき、全体の構成と言うか原著、訳書に関係なく小説としての本書はちぐはぐな印象を受ける。良い所と悪い所が混交しているという印象が強い。彼はジャーナリストであり、humoristだったという。humoristというのは訳しにくいが、辞書なんかにはユーモア作家とあるが確かに文章はうまい。問題は構成だがどんでん返しが二回あるという仕掛けで、自然ではない。人為的というか人工的というか、白けるというか、とって付けたというか。

 また、恋愛要素を相当部分取り入れたというのでミステリーとしては珍しいというのだが、一言で言えば浮いている。

 すなおに抵抗なく読めるのは素人探偵トレントが自分の推理の結論をまとめて、被害者の妻が共犯者ではないかとカマをかけるところ(200ページあたり)まで。その後は作者がもがいているところがもろに伝わってくるようで気の毒になる。ほかに書き方があったんじゃないかな。


ミステリーの分類

2015-06-25 07:36:32 | 犯罪小説

ヴァン・ダインの僧正殺人事件(創元文庫)を70頁ほど読んだ。処女作ベンスンより数段進歩したようだ。目障りな引用過多も是正されている。叙述の確かさもクリスティなどより数段上だ。 

ところで本格ものなんて中学生の遊戯みたいだと長い間食わず嫌いだったが改めなければなるまい。この機会にミステリーの分類を考えてみた。

ハードボイルドと本格という分け方が一般的らしいが、ハードボイルドはともかく本格というのが何のことだか分からない。非ハードボイルドとハードボイルドという二分法があるかもしれない。もっとも、非本格と本格といってもいいか。

一応ハードボイルドと非ハードボイルドというふうに分けてみた。それぞれの特徴は以下の様になるか。

はじまり::

ハードボイルドは失踪、紛失、脅迫で警察に相談したくない事情がある、あるいは警察が取り合ってくれない(忙しくて、とか)事案を私立探偵に依頼するところから入る。あたり前だがいきなり殺人事件で警察を抜きにして私立探偵がもっぱら捜査すること等ありえない。もっとも、失踪など調査しているうちに必ず死体に遭遇して警察との意地の張り合いに成るのが定番ではある。

それに対して非ハードボイルドではまず死体が出てくる。両者の決定的な違いである。

捜査主体::

ハードボイルドは個人探偵(自前営業、マーロウなど)と民間探偵社(コンチネンタルオプ)

 

非ハードボイルド:

1・警察(刑事、海外では地方検事や予審判事)、司法制度の違いによる。

2・警察と親善関係にある素人、シャーロック・ホームズ、ポワロ、フィロ・ヴァンス 

1・は警察小説とよばれることがある。警察主体でも「はぐれ刑事」とかハードボイルドタッチのものもある。

2・はもっとも非現実的であるが、ミステリーの大半を占める。

ハードボイルド、非ハードボイルドのほかに犯人を主人公にする犯罪小説があり、犯人の視点で記述される小説が有る。ときにノワールと呼ばれることも有る。ジェームス・ケインの郵便配達などが例である。カミユの異邦人なども一例である。最近ではその女、アレックス

この分野は文体によってはハードボイルドと呼ばれることがある。

死体の転がり方::

1・密室や突飛な道具や薬品を使ったもの、非ハードボイルドに多い。私に言わせれば中学生系

2・シンプル・アート系、拳銃、撲殺、刃物、アイスピック

いわゆるハードボイルド分野に多い。

推理の過程の複雑さ(緻密さ)::

心理的、と非心理的とがある。両ジャンルにあるが、非ハードボイルド系に多い(それを売りにする)。

犯人::

ハードボイルド系に際立った特徴があり、ほとんどの場合犯人は美女である。チャンドラーで犯人が美人でないのは高い窓くらいではないか。

てなことで分類もまた楽し。

 


ベンスン総括

2015-06-18 10:23:01 | 犯罪小説

 やっとベンスン殺人事件を読み終わった。200−250頁以降無味乾燥、文章に勢い無くなる。読むのが大変だった。

処女作だそうで、文庫の解説でも未完成なところが有ると行っていた。僧正殺人事件がスタイルとしても完成したものだそうだ。次はこれを取り上げようか。

人間の心理的特徴が犯行の行動に刻印されているという主張がミソなんだが、これは今言うプロファイルの考え方だろう。それは現代でも通用するだろうが、それ一辺倒というのが「非現実的」なところだ。

訳者は文章が高踏的だというが、適切に表現すれば「高級俗物」受けを狙った物、スノビッシュとか嫌みなというところだろう。この読者絞り(マーケティング)は当たったらしくて発売直後の売れ行きはよかったそうだ。

高踏的というのは、やたらと絵画や詩文への引用、言及が多いことをいっているのだろうが、非常識なスタイルだ。これが何となく当時のニューヨーカーにはかっこ良く見えたのだろう。

地方検事の友人が捜査にこれだけ介入し、指揮するがことき「非現実的」な記述が許されるなら書くのも楽だろう。

記述トリックに頼るところ大で、探偵小説二十則の作者としてはフェアでないな、と感じた。まあ処女作だからよし、ということにしておこう。

 


ベンスン殺人事件

2015-06-14 06:51:31 | 犯罪小説

創元文庫、半分ほど読んだ。いいんじゃないか。なぜこれを本格物というのか分からない。「本格」と言うのは後付けのレッテルなのか。たとえばハードボイルドと区別するために。

チャンドラーに「簡単な殺人法」という文章があるが、その基準でいくとベンスンは合格である。拳銃が凶器だから。 

不必要にペダンチックだが、読飛ばせばさして気にならない。叙述はしっかりしているし、話の運びもよろしい。

まだ半分しか読んでいないが、これってひょっとして「密室もの」?ヴァン・ダインも馬鹿みたいに最初から密室だとか不可能犯罪とか叫ばないから分からないが。帯やインターネットの評でも密室とは書いていないようだが。 

ヴァン・ダインはクリスティを酷評したそうだ。どういうふうにか、読んだことはないが、クリちゃんよりは数段勝る作家であることは間違いない。デビュー年次は6年しか違わない(栗のほうが先)が。

どうも小説にも旬というものがあるらしい、あらゆる芸術のジャンルには旬という物があるというのが私の従来からの自説である。たとえばオペラならせいぜい19世紀半ばまでとか、ま、これは個人の嗜好の問題では有る。

ハードボイルドも旬は20世紀前半だったんだろうな。いわゆる「本格もの」も旬はそのころではなかったか。大体小説というものも盛期は19世紀と言う気がしてならない。アメリカだけはすこし遅れて20世紀半ばまでということだろう。ヘミングウェイもフィッツGもそうだし。理由はつけられないが、小説にも旬があるんだな。

クライムノベルも読むなら100年くらい前の物を集中して読めば外れはすくない。北欧ミステリーは、そうすると、遅れて来た旬ということになるか。

 


何故ハードボイルドは続かなかったか

2015-06-11 07:52:52 | 犯罪小説

 基本的にはその叙述法(文体)が必然的に筆を遅くする。その叙述法が読者を選ぶ(辛抱強くつき合ってくれる読者は少ない)。読者に労力を課するからである。いずれも大量生産には向かない。現代の作家商売は大量生産で「あがり」を掠めとって行かないと生き残って行けない。この辺は出版業界の責任もある。

チャンドラーの場合、本格的に長編に転向してから20年間で7冊しか書いていない。アガサのクリチャンみたいに毎年作品をひりだすことは出来ない。ハメットの場合は、血の収穫からThin Manまで5冊を7年間で書いた。ペースはチャンドラーよりかは早いが、そのうち、物に成ったのは2冊である(管見である)。その後彼は作品を書いていない。

ある書評屋が「書かないのではなく書けなくなった」と言ったがどういう意味か。要するに息があがってしまった、ということだろう。

叙述法の制約はとくにハメットの場合に言える。極言すれば叙述法の問題だけだろう。チャンドラーの場合はどちらかというと文章の作り方全体の問題だろう。推敲を重ねるのが常であったらしい。速筆にはむかない。そしてそれだけの成果が残されている。

文才が抜きん出ていて、かつ文章制作に手間と時間をおしまない、等という作家はその後絶滅したということであろう。

ハメットも引退時にはかなりな収入を得ていて余裕を持って暮らした(らしい)。それも理由であろう。もっとも晩年は貧窮していたとも聞く(要確認)。

チャンドラーの場合、ハリウッドでのシナリオ制作も含めてさしたる収入はなかったであろうが、ほどほどに余裕のある生活であったようである。彼の場合は利殖、財政の知識があったのではないか。彼は作家生活に入る前はたしか石油会社の重役だった。収入的には作家は副業であったような気がして成らない。チャンドラーの伝記を読んでも彼の財政状態にふれたものはないようで、不満である。 

おそらくあったであろう財政的余裕が彼の妥協しない制作態度と関係していたのではないか。ちょっと、日本の永井荷風に似ている。若い時に銀行のニューヨーク駐在員だった彼は利殖の能力も高くて戦前株の配当での生活で余裕綽々であった(芸者遊びの金もほとんどは株の収入かもしれない)。戦争ですべて無に帰したが、戦後は作品がまた売れだして収入が増えると安定した利殖にまわしていたようである。

作品で食おうとする文士に節操は保てないということか。

たしか断腸亭日乗のどこかで、「恒産なきものは恒心なし」という言葉を引用していたような気がする。

 


本格ものでも読むか

2015-06-10 09:29:01 | 犯罪小説

煎じ詰めるとバードボイルドなる括弧でくくられている作家でも再読に耐えるのはハメット(の一部)とチャンドラーしかない。ケインは読みたくても「郵便配達・」くらいしかないし(カクテルウェイトレスはまあ、現代作家レベルで言えば並)、原文でもケインは入手がむづかしい。もっともケインはノワールというかクライムノベルなんだろうが。 

スピレーンの刺激はすれきった現代では賞味期限が切れている。ロスマグからパーカーとかなんちゃら、かんちゃらいう作家群、ハードボイルドと銘打って早川あたりが出している中には初読に耐える作家すらいない。ようするにHBは一過性のものなんだな。一過性というのは褒め言葉だ。別の表現をすれば屹立する孤峰,秀峰とでもいうのかな。

で本格もののふるいやつでも読もうかと思い立った。幸いほとんどが初読である。ポー、ドイル、クリスティは複数読んだがまったく感興を覚えず、記憶もまったく残っていない。あとチェスタートンもつまらなかったな。彼を本格というのかどうか知らないが。

たしかクロフツという作家がいた? 樽というのは彼の作品だったかな。これは面白いと思った記憶がある。内容はまったく覚えていない。情動記憶とでもいうのかな、そう言うのがあるでしょう。イメージとしての記憶ゼロ、文章的に表現出来る記憶ゼロ、だけどいやなヤツだったとか、面白い本だったとかは覚えている。そういう記憶だ。

思うに、スジの運びとか叙述の過不足がなく水準が高いことが樽という書名を覚えている理由だと思う。でも樽は後回しにして初期本格もの?のヴァン・ダインあたりから始めようかと考えている。

 


「その女アレックス」文春文庫、書評

2015-05-30 20:04:27 | 犯罪小説

後書きで訳者が「サスペンスタッチの語りにも定評がある」と書いているが、描写力もすぐれ、相対的にいえば相当の筆力がある。原作の筆力がすぐれていても翻訳者の能力でつまらなくなる場合もあるが、この訳文はなかなかいいようだ。ミステリー翻訳界ではなかなか得難い才能である。

全体で三部構成だが、一部、二部は無難に来て第三部で最初はどうかな、やはり「まとめ」で破綻するかなと危惧したのだが、、、

狭義のミステリーではもちろんのこと、本書のような謎追いを物語の推進エンジンとしている犯人追い(マンハントじゃないウーマンハント)分野でも対読者のフェアネス(公正さ)が問題となることがある。第一部第二部では気にならなかった、つまり大体許容範囲だと読んでいたが、第三部でこれはどうかな、と思ったが、読み終わると杞憂だった(?)ようである。

第二部でアレックスが自殺する場面の描写があるが、第三部で警察の追求が他殺の線で行われ、おいおい、という感じであった。そして締めくくりは他殺で警察が処理する所で終わる。

で、上に述べてフェアネスの点だが、どうも自殺場面と違うな、と読み返したらうまくヒントがばらまいてある。たとえば、保存していた一本の頭髪を床に落とす所とか、ウィスキーのボトルを下着でくるんで持つところなどである。

つまり、アレックスが恨んでいる兄を他殺犯人に仕立てあげる細工をしたのだ、と読める。しかし警察はその筋書きを信じて兄を逮捕する。

これは趣向だね。新機軸だろう。ほかにも例があるかどうか。この種の小説はかならず警察とか探偵が真犯人を捉えて勧善懲悪が実現するのだが、その定石をふんでいない。しかも、小説で読んだことを記憶しているか、読み返して確認すれば誤認逮捕であるということが分かる様にしてある。おまけに予審判事に「大切なのは真実ではなくて正義だ」としびれるようなセリフを言わせている。大人のミステリーかな。現実にはどこの国の司法でも同種の事例があるような気がする。

さいごに、非情に、非常にかな、細かいことを、、377頁から378頁へ繋がらないようです。翻訳、編集、校正段階で数頁すっ飛ばしているのではありませんか。それともこちらの読解力の足りなさかしら。

377頁はトマの聴取、378頁はルロワの聴取では??

 


「その女アレックス」

2015-05-30 18:56:45 | 犯罪小説

今回はノワール系エンタメ本である。前回もそうだったか。私がエンタメ系を買う基準はまず文庫であることである。単行本を買った日には捨てる時に困る。それからよく売れていることである。もっとも新聞広告は信用しない。また書店が、あれはなんと言うのか小さな幟を立てているのは基準にしない。勿論帯の類いの文章も参考にしない。書評家の書評など論外である。

広告で一番不道徳、つまりお客を騙すのは出版業界が第一である。第二が不動産業、三番目が貸金業である。

 なにを参考にするかと言うと、刷数が多いこと、特に短期間に多くの版を重ねていることである。それから、出版屋や業界が挙行する何々賞受賞とか、第一位というのも全く信用しない。

刷数というのも、厳密に言うと信用出来ないのだろう。まず本当のことかどうか分からない。また一冊で何部印刷するかわからない。一回千部と一万部ではまるで違う。しかしそこまで突き詰めない。他に手がかりは無いからね。要するに売れていそうな本を買うという訳であまり高級な基準ではない。

もっとも、これはあくまでエンタメ小説のジャンルの話である。

そこで最近発見したのが、「その女あれっ!? X」である。何しろ半年の間に14刷とある。  ***