「中途退職者 新屋敷第六氏の生活と意見」初版について二か所誤植がありました。お詫びして訂正いたします。
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ニースの事件 >> パリの発作
2・296ページ6行目
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「中途退職者 新屋敷第六氏の生活と意見」初版について二か所誤植がありました。お詫びして訂正いたします。
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岩波の漱石全集第十三巻に「トリストラム、シャンデー」(ママ、昔は中点は使わなかったらしい)という論文があります。冒頭「今は昔し(送り仮名ママ)十八世紀の中頃英国にローレンス、スターンという坊主住めり。もっとも坊主らしからぬ人物にて、もっとも坊主らしからぬ小説を著わし云々」とあります。スターンはキリスト教の牧師でした。スターンには私の知る限り二著ありますが、ここで漱石が言っているのは
The Life & Opinions of Tristram Shandy, Gentleman のことであります。いささか与太ったスタイルの奇書であります。お察しのように拙著「中途退職者 新屋敷第六氏の生活と意見」というタイトルはこれをもじったものであります。拙著もかなり与太っているというか傾いでいるのものです。
新屋敷第六という架空の人物の伝記というか日常を描いたわけですが、そのスターン風の文体のせいか、書店によっては文芸棚ではなくエンタメ・コーナーに並べてあるようです。著者としてはどちらでもよろしいわけで、著者にジャンルの指定権があるわけではありません。著者としては文芸棚でもエンタメ棚でも、場合によっては精神世界棚に並べてもいいかな、と思います。読んで戸惑われる方もいらっしゃるようですので一言弁解をいたしました。
漱石はまた「スターンの文章は錯雑なると同時に明快に、怪癖なると共に流麗なり云々と言っています。拙著はとてもそこまではいきませんが。
ビギナースラックというのは癖になる。第六は一時占い本を読んだ。といっても書店で売っているような本だ。それが吉方、凶方を和暦で算出するものなのだ。われらが主人公は時々原因不明の突発的な発作に襲われた。朝起きたら金縛りにあったように起きられないとか。もちろんに、二、三日後に医者に行く。なにしろ身動きできないからそうなるのだが、いつでも原因が不明なのである。
書店でぶらぶらと昼休みを過ごしているときに目についた本なのである。その時、第六はハッと気が付いた。発作が起こるのは必ず旅行中なのである。すると、と俄かに興味を覚えてその本を買い、家でやってみた。そうしたら、金縛りの一回はドンピシャだった。大凶方だったのだ。初めて馬券を買って大穴を充てた時にはああいう気持ちになるだろうな。
ところが後がいけない。大当たりは一回だけなのだ。あとは日にちを正確に覚えていないということもあるが全然当たらない。大吉方なんてこともある。医者に行ってもわからない。占いでも当たらない。科学でもオカルトでもわからない。じゃあ何なんだ。第六はライプニッツの充足理由率の信奉者である。理由があるはずなのに分からない。
さて、前回は「*中途退職者* 新屋敷第六氏の#生活#と%意見%」について、なぜ中途退職をしたのかについて簡単に触れた。今回はわれらが主人公新屋敷第六氏の生活について述べる。
毎朝の行事というのは大切である。公園に行ってラジオ体操をするのを日課にしている老人たちがいる。われらが主人公の朝の行事は慎重な段取りで行われる。これも十五の夏のインシデントの影響と思われるが新屋敷氏の朝は非常に不安定である。これまでの人生経験の蓄積から得た知恵で、われらが主人公の朝のお務めには慎重な考慮が払われている。
意識がこの世に再び戻ってくる朝の彼の体調は非常に不安定である。オフモードからオンになるときに暴走をおこしやすい。でもってわれらが主人公は目が覚めたといってもすぐに布団をはねのけて飛び起きるようなことはしない。かれの意識構造は電子回路のそれと同じでオフからオンに急速に電流が流れると、いわゆるスターティング・ノイズが発生して暴走を始めるのである。
彼は目が覚めてもすぐには起きない。寝床の中できょう一日の計画を立てるのである。30分ほどベッドの中でぐずぐずしている。それからそろりと這い出すのである。腎臓が生産した一晩の活動の結果を排出すると、朝飯に支度にかかる。独身者の朝飯である。たいして細工があるわけではない。トーストかオートミール(今はシリアルというのかね)、それにコーヒーである。コーヒーには独特のレシピがある。十五歳の挫折依頼かれが試行錯誤して確立したレシピに従って濃いインスタントコーヒーを淹れる。インスタントでなければならない。理由はいくつかある。まず味であるがインスタント以上にうまいコーヒーはない。永井荷風はアメリカの最大の発明はインスタントコーヒーであると言ったことがある。
もっとも、これは薄く淹れてはいけない。この点はグルメを気取る諸君諸嬢に同意する。最低でもスプーン山盛り三杯は必須である。これだけでは不味い。砂糖を最低でも15グラムほどぶち込まなければならない。砂糖は向精神性の麻薬だということを諸君は知っているかね。これをドンブリにぶち込んでゆるゆると小半時もかけて飲むと平穏に意識はオフからオンに移行する。前夜アブサンを飲みすぎて腰を抜かした場合にはコーヒーをスプーンに五杯、砂糖は30グラムを入れないといけないのである。
彼には出口がなかった。十五歳夏の夜重大インシデントに見舞われて以来。
正確かどうかわからないが、はやりの言葉でいえばPTSDということらしい。こういう時の出口というのはだいたい決まっている。自殺である。これは新屋敷第六の視野には入っていなかった。自殺しても魂は無傷で「この世」を永遠にさまようと平田篤胤のように信じていたのである。ちっとも解決にはならない。彼は空中遊泳にも自信がなかったしね。自殺が論外だとすると、青少年が思いつくのは決まり切っている。
精神世界本を読み漁り、さとりを求めたり、超能力にあこがれる。これも新屋敷第六には論外であった。悟りというのは痴呆状態の別名である、とかれは考えたのである。超能力はお話にならない。これは病気である。目の不自由な人の聴覚が犬のように鋭敏になるのと同じでいやなこった、と第六は思ったのである。
ま、早く言えば第六は窓のない単子(ライプニッツ流にいえばモナド)になったのである。なにものも外界から彼のなかに入ってこない。何事も彼のなかから出ていかない。それでいて彼の中には全宇宙があったのである、ライプニッツ流にいえば。
そうはいっても生きていくにはちと工夫がいる。そこで第六はデカルトのアドバイスに従ったのである。自分の本心は隠して何事も世間のしきたりでやっていく。デカルトはこうして世間から怪しい奴とにらまれるのをさけて自分の非世間的疑念をとことん掘り下げてコギト エルゴ スムの境地に達したのである。
不思議なものでこうしていると、世間でも普通の人間と思うようになったらしい。大学を出て会社員になり、ヤング・ビジネスマンとして活躍していたのである。ところがである。会社に組合分裂騒ぎが発生、第六は嫌気がさして会社を飛び出したのである。
あとがき第一部終わり