穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

久しぶりに寛太節を読む

2022-07-07 20:41:47 | 田中英光

 「わたくし・小説」の作家西村賢太氏が亡くなった。なんとなく藤沢清造みたいな最後だと一瞬感じた。どこの新聞だったか忘れたが、彼の遺作の書評が載っていた。それで久しぶりに読もうと書店に行ったのはいいが、間違えて2014年作と言う「ヤマイダレの歌」と言うのを買ってしまった。読んでいるうちになんか変だと思って買おうとしていた本を間違えたことにきがついた。刊行年代からいうと苦役列車とあまりかわらない。

 この本、ヤマイダレの歌は二十歳までの家庭すなわち父母と姉のことを書いている。たしか2011年だったか「苦役列車」で芥川賞を取ったときに、いずれおやじのことを書いてみたいと書いていたのを記憶していたので、ははあ、これがそうだなと思った。

 しかし父親や母親のことを書いているのは前半だけである。それも新聞記事というか週刊誌の特集記事風の書き方で小説と言う感じがしない。後半の舞台は貫多の二十歳の物語であり、西村賢太風の書き方になる。

 二十歳になるのを機に心機一転しようと都内から横浜の安アパートに引っ越して植木屋(造園会社)でアルバイトをして3か月ほど働く。西村賢太節は読んでもらうことにして、ここでちょっと触れてみたいのは、田中英光の作品に出合った衝撃の書き方である。

 よく作家や、作家でなくても有名人が書いた「私の人生を変えた本」なんていうのがある。自伝とか随筆でね。だが大抵は第三者が読んでも無味乾燥で体感的な受け止め方が伝わってこない。これは筆達者な大家の文章でも同じである。

 ところが西村賢太氏の田中英光との遭遇の書き方は、こういう言い方があるのかどうか、内容がある。全身全霊が根底から揺さぶられた様子がなまなましい。これは田中英光を知らなくても、あるいは私のように一応読んで、それなりの評価はしているものの、西村のように全人生を鷲掴みにされていなくても、伝わってくる。例によって失恋し、仲間外れにされた賢太が田中の小説にからめとられていく様子が生々しい。

 この小説の後半はほとんどが田中の小説との出会いの衝撃の物語である。

 やがて田中ショックから例の藤沢清造に出合う。しかしそれは最後の際に1,2ページしか書いていない。その後の西村氏の活動から彼の興味研究の対象は藤沢に代わっていくのだが。

 冒頭にちょっと仄めかしたが、西村氏の死は田中の死よりか藤沢に似ている。これもなにかの因縁か。田中は太宰治の墓前での覚悟の自裁である。藤沢の死は厳冬の夜、芝公園で凍死である。人はこれを野垂れ死にと表現することもある。西村賢太氏はタクシーの中での発作と言うことだが自裁ではない。むしろ最後に没後弟子を名乗った藤沢清造のパターンといえよう。 

 

 


パチンコ的読書術

2021-08-01 10:42:49 | 田中英光

 小筆得意のパチンコ的読書術によって、坂口安吾の「ハクチ」と題された新潮文庫の短編集にぶち当たった。ハクチというのは馬鹿ワープロソフトでは変換できない。漢字に変換する手順は勿論あるが、そんなくだらないことはしない。ついでだが馬鹿(バカ)は一発変換できるのにどうしてハクチは出来ないのか、宿題を出しておこう。

 さて、玉をはじいた。最初にぶつかった釘は講談社文芸文庫、田中英光「空吹く風、ほか」である。文庫も特殊だし、あまり売れていないようだ。田中の文庫本についてはこのブログで過去二回書いた。あまり注目されない作家(それも過去の)の書評を二回も書いたので、本屋で上記の本を見た時には義理感で贖った次第である。

 この本はいくつかの短編が収められている。そのうち二つ三つ拾い読みしただけだが、なかに坂口安吾らしき人物とバーで邂逅した場面がある。「高雅な紳士」で親切に田中の作品に意見だか指導をしている場面がある。はっきり思い出せないが「作品の中で講義、あるいは講釈をしてはいけない」というようなテイだった。できるだけ正確に引用するほうがいいので、もう一度本をひっくり返してみたがどこに出ていたか思い出せない。たぶん当時共産党の活動家だった田中の政治談議を指しているのだろう。

「高雅な紳士」という表現にに引っかかった。田中、坂口両名は私小説作家、デカダン派と便利にラベルが貼られている。両名ともアドルムと言う睡眠薬中毒のもとで乱作し、しばしば発狂状態になったと言われる。べつに四六時中無頼派を気取る必要もないから「高雅」に構えるときがあってもおかしくはない。

 それで、玉は跳ねて次の釘にあたった。坂口安吾の文庫本を探した。何しろ文庫しか読まない。坂口の作品では前に「堕落論」という、有名な、作品を読んだが、どこがいいのか印象がなく、記憶もない。で本屋で上記の「ハクチ」を見つけた。終戦直後に書かれたものだが、令和三年、百二十版だ。

 玉はまた弾かれて、この文庫の後ろに掲載されていた福田恒存の解説という釘に当たった。

 これが分かりにくい文章で、福田も書き散らかして分かりにくいかもしれぬという気がしたのだろう、分かり易く書き直そうとする代わりに、解説の最後に分かりにくいかもしれないが何度も読み直してくれと、書いてある。

 この解説は趣旨がどこにあるか、ほめているのか、けなしているのか手ごたえはないが分かるところもある。「わかる」と言うことは「読者として同意する」と言うことではないが。

 福田は言う、「私小説とは作家の処世術である」と。

 第一にここに収められている諸短編が私小説かどうか私には判断できない。ま、そういうことにしておこう。しかし、「私小説は、作家の処世術に堕してしまっている」もいいが、わたしなら『私小説とは編集者、出版社が作家と共謀して行った差別化による付加価値付与的ラベル貼りである』とするだろう。

 もう一つ思い出した。やはり田中英光が、彼の師匠であり、スポンサーであった太宰治のことを「高雅な紳士」と表現していた。太宰治は有名な連続心中魔でそのたびに相手の女は死んで彼は生き残ったという経歴の持ち主である。とても「高雅な紳士」というイメージはわかない。しかし、実際に面ゴ(日篇に吾)に栄に浴したわけではないから何とも言えないが。太宰は田中の作品を雑誌に掲載するように周旋したり出版社に斡旋してくれる命綱だから最大級の場違いな敬意を現わしたのだろう。文壇という狭いギルドを泳ぐのは無頼派にとっても容易なことではないのだ。

 


田中英光「さようなら」は格好の自著解説

2015-12-23 10:52:33 | 田中英光

さて傑作選のとりを飾るのは「さようなら」である。著者が師太宰治の墓前で自殺するのは昭和24年11月であるが、その月の雑誌に掲載されたもので、短編ではあるが、自分の生活、小説を振り返っている。要領よく(要領よくというのはこの場合適切ではないが)まとめられており、すぐれた評伝あるいはこの本の自著解説に変わりうるものである。 

また、これは田中英光の遺書でもある。自殺する月の雑誌に発表されるなんてタイミングがいい。もっとも小説の中では「生きたまま西行のように死ぬ」と告示しているが、本当に死んでしまった。執筆当時は書いてある通りのつもりだったのが気が変わったのか(つまり擱筆宣言だったのか)あるいはカモフラージュなのかは不明である。

いくらなんでも雑誌編集者が生前に自殺の決意を承知しながら放置して遺書を掲載する訳がないからね。

この中でパンパン(まま、いまの読者に通用するかどうか)のリエのことが出てくる。桂子のことであることは明白だが、前回ふれた桂子もののどこまでが私小説かを憶測させるところがある。

 


田中英光は私小説作家か

2015-12-23 07:23:10 | 田中英光

再度疑問を提出する。しかし、今回は小さな声で: 

彼は何時書いていたのだろうか。桂子という「たいへんな女」と睡眠薬と酒のカルテットを演奏していた時か。

睡眠薬と酒、あるいは覚醒剤使用の症例には詳しくないが、とてもあの彼の小説に描かれた躁状態では執筆どころではあるまい。また、薬が切れたときの極端な脱力状態(田中英光の描写では指一本動かせない)では、これまた執筆出来る状態ではあるまい。また書いてもとてもあの文章のツヤは出ないだろう。

桂子もの、あるいは晩年の無頼派ものは短期間におびただしい作品が発表されているらしい。もっとも、いずれも短編らしいが、一体何時書いていたのだ。

これが演技あるいは誇張で相当程度想像(あるいは創作)で書いていたなら分かる。またあり得ると思う。ある意味で彼の描写は非常に客観的で狂躁状態の当事者が書けるようなものではない。大体そういう時のことは本人は覚えていないというではないか。

無頼派時代の小説には多数の人物が登場するが、後世たとえば西村氏のような人が評伝的な裏付け取材をしているのだろうか。

自分の経験三割、創作七割というあたりではないのか。全然タネがなくてはこれまた書けないからね。それでも私小説というのか、という、まあ、定義の問題ではある。

話は飛ぶがこの辺の「誇張」はハードボイルド小説のいくら鉄パイプで殴られてもピンピンしている。クジラが水を飲む様にウィスキーを飲んでもなんともない、という主人公を連想させる。あるいはヘミングウェーの「日はまた昇る」だったかな、重傷を負った足を手術する直前に種馬よろしくベッドの上で女を相手に暴れ回る主人公を思わせるのである。読んでいる方はしらけちゃうんだが、田中英光のすごい所は読んでいても全然読者を白けさせないというところであろうか。おわり

 


[野狐」田中英光傑作選より

2015-12-22 19:58:59 | 田中英光

著者がいう「大変な女」桂子ものの一つである。この文庫本には「桂子もの」がいくつか収められているが野狐が白眉であると西村氏はいう。下拙は野狐と生命の果実しかまだ読んでいないが、後者より野狐の方が優るようだ。収録の桂子ものはいずれも田中が自殺した年に発表された作品である。これらを読むと確かに私小説であるし、無頼派ものである。

大変な女桂子と睡眠薬と酒の三点セットが作り出す愛欲と創作の狂躁状態を描き出している作品である。この種の作品では他の作者の作品を隔絶している。西村賢太氏の小説がTNT火薬であるとすると、田中英光の桂子ものは原爆級の迫力がある。西村氏が手放しで礼賛するのも理解できる。藤沢清造の場合と違い、西村氏の鑑定は妥当であろう。

これらの作品には津島治先生が登場する。云わずと知れた太宰治である。描かれている太宰治はまことに高雅な紳士であり親切な後進の指導者である。連続心中魔というネガティブ・イメージはない。


田中英光のモデル小説その二

2015-12-21 22:33:42 | 田中英光

「風はいつも吹いている」昭和23年発表。「ぼく」から「私」がナレイターになる。すでに30歳をこえたらしい。「オリンポスの果実」がオリンピック日本選手団」のモデル小説だとするなら、これもモデル小説である。二章からなる短編であるが、第一章は作家と共産党活動家の二足のわらじを履いている。 

ちなみに私小説だとすると、田中は当時沼津の共産党支部の責任者であり同時に小説で稼いだ金を支部活動に貢いでいる。おびただしい人物が出てくるがほとんどすべてが当時の実在の共産党員らしい。名前も容易に想像出来る程度にしか替えていないようだ。小筆はその辺の名前には疎いが宮沢とあるのは明らかに後の共産党委員長だろう。その妻も名前を替えて出てくるがモデルは宮本百合子らしい。他にも沢山中央幹部(主として文化宣伝部か)や地方活動家の名前が出てくるがおそらく、共産党関係者や事情を知った連中は容易にモデルを推測出来るに違いない。

第二章は支部活動の責任者を止めて執筆に専念し、時々上京して自分の作品を行商して歩く場面である。ここにも多数の作家との交流が出てくるが、容易に誰がモデルであるか推測可能である。六車小路のような名前もある。有名な作家もおおいようで容易に判別出来よう。田中が死後その作品の流通が先細りになったのは作品の質というより、このモデル扱いの露骨さ(まさに私小説か)が出版界、小説家達に敬遠されたのではないか。

第二章では東京に来るたびに作家や編集者と飲み歩く様になり、後の無頼派と呼ばれる傾向が強くなっている端緒になった事情の一班がうかがわれる。

驚くのはヒロポンが街の薬局で売られていたことである。

共産党のなかでの人間関係の感情的なもつれが大分書かれているが、このような「愚痴」は小さい頃小筆も昔親戚の共産党員(多分)から聞かされてうんざりした記憶が蘇った。あれは彼らに共通する独特の(聞いている方、読んでいる方は)やりきれない思いがするだけの馬鹿馬鹿しい話なのだが。

注:当時はどの家庭でも一人や二人は共産党員みたいのがいるのが普通の世相でした。我が家が特殊というのではありません。

 


田中英光は私小説作家ではない

2015-12-19 09:39:55 | 田中英光

 オリンポスの果実を読んだ。「ぼく」の回想というか告白体で記述されている。1940年発表(昭和15年)。田中自身が早大生で、昭和7年のロサンジェルス・オリンピックにボートのエイト選手として出場したが予選敗退。

「ぼく」がナレイターで自分が出場したオリンピックの道中記を書いたから私小説と云えるのか。彼の作品で読んだのは講談社学芸文庫の短編数作とオリンポスだけだが、私小説臭のある作品はそのなかにはない。「さくら」という作品は自分の父の実家の伝記風なところがあるが(ただし短編なので挿話風)、こんなものを書いた作家は無数にいる。

おっと、京城(今のソウル)での新入社員時代を描いた作品『愛と青春と生活』のみは私小説のにおいがする。これだけで私小説作家とレッテルを貼ることが出来るのか。

もっとも、自社(自者)作品を差別化して付加価値を付けようと自分で私小説を売りにする作家もいる。それは自由であるが、田中英光自身が自分を私小説作家と称していたのか。

太宰治の子分であったから、そう分類されるのか。太宰の初期作品は私小説であると説を立てる者もいるようだが。あるいは彼自身が自分は私小説作家であると云っていたなら何もいうことはないのだが。

ロサンジェルスでのメダリストはほとんどが競泳選手である。ほかに陸上では走り幅跳び、棒高跳び、三段跳びである。それに大障害馬術のみである。団体競技ではホッケーが銀メダルなんだね。女子選手もたくさん出場したようだが、メダリストは競泳の前畑のみ。

この小説を実録風、ノンフィクション流に読むという手もある。「ぼく」と女子選手達の話が相当部分を占めるのだが、嘘かまことか、当時の世相でよく書けたなというところはある。つまり寄宿舎の女性監督風の観点からは問題な箇所がある。

まだよき時代であったのだろう。これが次のアムステルダム・オリンピックあたりになると世相も大分軍国主義的になっていて、たしか馬術の選手(軍人)は入賞を逃したら上官から死ねとか云われたことがあるらしい。

昭和初期のモガモボ(モダンガール、モダンボーイ)時代の終わりで満州事変も始まる直前の「よき時代」の終わりであったようだ。私事になるが、親戚の女性が陸上の選手として参加していた。勿論入賞もしていないが、この小説をみて女子選手団の船上での比較的奔放な行動を読んで、彼女たちのことを思わず想像してしまった。

今のオリンピック選手団の女性の行動の方が当時よりも監視されているみたいだ。マスコミも群れているからね。

付け加えると、ボート選手のなかで年少の「ぼく」はいじめの対象になっていて、その情景がやけに詳しく描かれている。いじめ告発までは云っていないが、体育会風の今に続くいじめとあまり変わらないようだ。

私小説の定義の一つに社会とのつながりが希薄である、あるいは峻拒しているというのがあるらしいが、この小説は女性選手たちとの交流、ボート選手の間のいじめ、現地での二世や外国人女性との交流等むしろ非常に幅広く描写されている。その意味でも私小説と囲い込むのは『贔屓の引倒し』ではないかと思うのである。

 


田中英光傑作選

2015-12-17 19:17:52 | 田中英光

本日市中徘徊の途次妙な本を見つけた。角川文庫「田中英光傑作選」西村賢太選・解説。先月発行。 

2年以上前に田中英光の「桜」という作品の評をこのブログで書いた。講談社学芸文庫にある。二十年ぶりに第二刷が出た機会に紹介した。彼の一番有名な作品(そう言う意味での代表作)「オリンポスの果実」は新潮文庫にあるというが、今は手に入らないと書いた。 

角川文庫の解説で西村氏は新潮文庫でしか田中英光の作品は発行していないと書いているが、新刊本で現在まで手に入るのは上記の「桜、ほか」のみだった。いずれにせよ、彼の作品としては一番言及される「オリンポス」ほかが今回手に入る様になったわけである。

西村氏は一時田中英光に入れこんで、その後藤沢修造に入れこんだらしいが、相変わらず田中英光氏にぞっこんらしい、解説文を読むと。

藤沢修造の作品は西村氏の努力で新潮文庫に確か代表作という「根津権現裏」が収録されていて、この評もこのブログで書いたが、かなり程度がひくいものだったので意外に感じたことがある。さて、田中英光の場合はどうだろうか。