「わたくし・小説」の作家西村賢太氏が亡くなった。なんとなく藤沢清造みたいな最後だと一瞬感じた。どこの新聞だったか忘れたが、彼の遺作の書評が載っていた。それで久しぶりに読もうと書店に行ったのはいいが、間違えて2014年作と言う「ヤマイダレの歌」と言うのを買ってしまった。読んでいるうちになんか変だと思って買おうとしていた本を間違えたことにきがついた。刊行年代からいうと苦役列車とあまりかわらない。
この本、ヤマイダレの歌は二十歳までの家庭すなわち父母と姉のことを書いている。たしか2011年だったか「苦役列車」で芥川賞を取ったときに、いずれおやじのことを書いてみたいと書いていたのを記憶していたので、ははあ、これがそうだなと思った。
しかし父親や母親のことを書いているのは前半だけである。それも新聞記事というか週刊誌の特集記事風の書き方で小説と言う感じがしない。後半の舞台は貫多の二十歳の物語であり、西村賢太風の書き方になる。
二十歳になるのを機に心機一転しようと都内から横浜の安アパートに引っ越して植木屋(造園会社)でアルバイトをして3か月ほど働く。西村賢太節は読んでもらうことにして、ここでちょっと触れてみたいのは、田中英光の作品に出合った衝撃の書き方である。
よく作家や、作家でなくても有名人が書いた「私の人生を変えた本」なんていうのがある。自伝とか随筆でね。だが大抵は第三者が読んでも無味乾燥で体感的な受け止め方が伝わってこない。これは筆達者な大家の文章でも同じである。
ところが西村賢太氏の田中英光との遭遇の書き方は、こういう言い方があるのかどうか、内容がある。全身全霊が根底から揺さぶられた様子がなまなましい。これは田中英光を知らなくても、あるいは私のように一応読んで、それなりの評価はしているものの、西村のように全人生を鷲掴みにされていなくても、伝わってくる。例によって失恋し、仲間外れにされた賢太が田中の小説にからめとられていく様子が生々しい。
この小説の後半はほとんどが田中の小説との出会いの衝撃の物語である。
やがて田中ショックから例の藤沢清造に出合う。しかしそれは最後の際に1,2ページしか書いていない。その後の西村氏の活動から彼の興味研究の対象は藤沢に代わっていくのだが。
冒頭にちょっと仄めかしたが、西村氏の死は田中の死よりか藤沢に似ている。これもなにかの因縁か。田中は太宰治の墓前での覚悟の自裁である。藤沢の死は厳冬の夜、芝公園で凍死である。人はこれを野垂れ死にと表現することもある。西村賢太氏はタクシーの中での発作と言うことだが自裁ではない。むしろ最後に没後弟子を名乗った藤沢清造のパターンといえよう。