チンケな女が逃げ出すと店は虚脱したような静寂に包まれた。
ウェイトレスの女の子たちがお礼を述べに老人たちの席に来た。
「大変だったね。びっくりしたでしょう」と下駄顔が彼女たちを慰めた。
「あの女は前に来たことがあるの」
彼女たちは顔を見合わせていたが「初めてだわよね」と一番年長らしい三十歳くらいの女性が言うと、みんなが頷いた。
「しかし何だな、余計なことをしたかもな。仕返しに来るかもしれない」
「そういえば、デコボコ組なんて言っていましたね。本当にあの女と関係があるんでしょうか」と第九が聞いた。
「さあな、はったりかもしれないが」
「しかし、コンドームが商売道具だとすると、そういう勢力の庇護があるかもな」と禿頭老人が口を挟んだ。「しかし、あれは商売道具かな。あのご面相で」と疑問を呈した。
いやいや、お客もいろいろだからな。デブのばあさんじゃなければ勃起しないという客もいるしな。案外ああいうピカソの絵に出てくる女に欲情するマーケットもあるだろうよ、と老人は顎に生えた無精引けを撫でながら言った。
それに、と第九がフォローした。酔っぱらったらあんな女でも美人と区別がつかなくなる客もいるだろうしな、と付け加えた。
ウェイトレスたちが慌ててばらばらとレジのほうに戻っていった。ちょうど和服を着た女性が店に入ってくるところだった。また、女性の客だ。まさか新手のクレイマーじゃないだろうな、と第九が見ていると、彼女たちは女性にペコペコしている。和服の女性は五十歳前後の上品な顔立ちをしている。彼女たちはレジの周りで話している。客じゃないらしい。
そのうちに和服の女性は第九たちのテーブルに歩み寄り、「大変お世話になりましたそうで有難うございます」とびしっと着こなした和服を崩すことなく三十五度上半身を前傾させて頭を下げた。
「いやいや出過ぎたことをしました。あいつが仲間を連れて店に仕返しにくるかもしれません。あなたは?」
「申し遅れて失礼いたしました。この店をやっております」
「オーナーのかたですか」
彼女は微笑むと軽く頭を下げて肯定した。
「彼女たちに聞いたんですが、今日みたいな嫌がらせはこれまでなかったそうですね」
「ございませんでした。でもこのような経営をしていると、いつか主義者から反対運動があるんじゃないかと心配をしておりました」
「このような店にするというのは貴女のアイデアなんですか」
「いえ、亡くなった主人が始めたんです」
「ご主人は?」
「三年前に亡くなりまして、主人の方針で続けて参りましたがご時世ですから、店を閉めようかと思うときもありますが」というとレジに戻った女性たちのほうを見た。「人を雇っていると閉店するのもなかなか難しくて。かといって主人の方針を変更してありきたりの喫茶店とかファストフード店に切り変えるのも気が進みません」
今日のことは警察に報告したほうがいいですね、と第九が言った。
「そうですね、早速交番に届けます」
「交番もいいが、警察署の生活安全課にも届けたほうがいいですよ」
「は、生活安全というと」
「多分そういう課があるはずです」
「わかりました。そういたします」
下駄顔老人が言った。「どうだ、我々も自警団を作ろうじゃないか」
「おれも参加するよ」と禿頭老人が早速手を挙げた。
「どういう風にやるんです」
「なるだけ、店に来て異変があれば対処する。警察に通報するとかね。俺なんかほとんど毎日来ているから、来ている間だけでも注意するのさ」
「おれも毎日来よう」と禿頭老人も請け負った。
「私もなるたけ来ましょう」と第九。
「少なくともここ一週間ぐらいは注意したほうがいいかもしれないね」
和服の夫人は苦笑しながら断るように言った。「そんなご迷惑をおかけできません」
「どうせ毎日来ているわけだから変わりはありませんよ、店になるたけ長くいるようにするだけだ。もっとも込んできたら退散しますがね」