穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

131:いまさらカント批判でもあるまいが 

2020-08-30 07:44:17 | 破片

 レジで新しい客を出迎えるざわめきが起こった。立花が入ってきた。

「今日は休業日ですか」とエッグヘッドが尋ねた。まだ三時である。パチプロならまだ働いている頃である。

「いや、店を追い出されたんですよ」というと出されたおしぼりが破れるほどの勢いで汗だらけの顔を拭いた。

「どうしてですか、東京都の衛生局の査察でもあったんですか」

「いや、そうじゃなくてね。店員にいきなり台に鍵をかけられたんですよ」

「そりゃひどいな。どうしてですか」とCCがびっくりして聞いた。

 

 立花はコップのお冷を一気に呷ると大声を出してコップを高々と上げてお代わりを要求した。「いや、午前中は一進一退でしてね。それが昼過ぎから馬鹿当たりの連続ですよ。ピーピーと囀りだしたんですわ、台が。そうしたら店員が飛んできて何も言わずに鍵穴に鍵を突っ込んで回して台を止めてしまった。そしてもう終わりだ、と言うんですな」

「無茶苦茶だな」

「ことわりもなく、説明もなしにですからね。わたしも反射的に立ち上がって店員をにらみつけましたよ。背は高いが馬鹿に痩せたひょろひょろした若い男でね」というと運ばれてきた二杯目のお冷を一口で飲んでホーッとため息をついた。「細い吊り上がった目をしたヤツでね、子供みたいに髭のない男でしたね。しかし、考えましたね。こういう奴はいきなりポケットからナイフなんかを出すことがある。そうしたらその男は逃げるように行ってしまった」

 

「いったいどういうことなんだ」と下駄顔が糺した。

「いや、分かりません。まあ、こんな店でけんかをして大立ち回りをしてもばかばかしいとそれまでに出た玉の入ったかごを持ってカウンターに交換に行きましたよ」

「何箱ぐらいあったんですか」と誰かが下種な根性で聞いた。

「五箱ありましたね」

「それはすげえや」

「それでそれをカウンタの上に放り投げるように置いたんですよ。さっきのいきさつから交換を拒否するかと思いましたがね」

「さっきの店員がそこにいたんですか」

「いや別の店員でした。交換はいつも通りでしたがね」

 

「一体どういうことなんでしょうね」と第九は首をひねった。

「後で考えるとね」と立花は続けた。「おそらく店長に指示されてその台は釘を閉めておけと言われたんじゃないか。それで出ないように調整したつもりがバカバカで出だした。これじゃ店長にどやされると思って慌てて止めに来たんじゃないですかね」

「しかし、そんなしくじりなんてあるんですか」

「釘師というプロがいてね、そういう連中なら間違えないんだろうが、店員は技術が未熟だったんでしょうね」というと今度は尻ポケットからテッシューを出して顔を拭きだした。

 そこへ、立花がいるのを見つけて憂い顔の美女がやってきた。「あれ読んだ。どういうことなのよ」

「ああ、ざっと眺めたがね」と言いながら立花はショルダーバックから二冊の単行本を出してテーブルの上において長南のほうへ押しやった。表紙には「思弁的実在論入門」とあり、もう一冊には「有限性の後で」とあった。

 

 

 


130:精神に食わせるものが無くなった

2020-08-28 07:01:22 | 破片

精神に食わせるものが無くなって、第九は焦った。ギトギトに脂ぎった四十路を超えた女性ファイナンシアル・プランナーの腹の上で主夫を務めて世過ぎをしている彼は精神が空洞化しないように時々精神にガソリンを食わせて精神のバランスをとっているのであるが、コロナ騒ぎでガソリンスタンドが全部閉鎖してしまった。精神は真空を嫌う。アリストテレスが言っていたかな。いや、自然は真空を嫌うか、どっちでも同じことだ。この分じゃ早発性痴ほう症になる。自動ジョイスティックに成り下がる。漠然とした焦りを彼は感じた。夏の終わりのセミのようにカラカラになってしまう。

 久しぶりにスタッグ・カフェ「ダウンタウン」に行くと下駄顔がびっくりしたような顔をして彼の顔を見た。

「すこし痩せましたな。夏痩せですか」

 

 

 


129:段ボール活用法  

2020-08-11 07:22:02 | 破片

「まず大切なことは一度にどかっと整理しようとしないことですね。もっとも、これはその人の性格によりますがね。蔵書の半分を一度に気前よく思い切って処分できる人は別ですよ」と脇に座った第九のほうに目をくれた。

「わたしにはそんな思い切ったことは出来ないな」

「それなら私の例が参考になるかもしれない。とにかく一度に大量に処分しないことですよ。一度に一冊とか二冊捨てるんです。まず持っている本の種分けをします。人によって持っている本が違うからその人なりの分け方をすればいいわけだが、私の場合はね、まず、文庫本から整理しますね。例えば文庫本の小説から始めますね。たとえば、一般小説とエンタメに分ける。さらにそれでもまだ沢山あればそれをそれぞれ日本の小説と外国の小説に別ける。あるいは同じ作者の本がたくさんあれば、それを一固めにするとかね」

「細分化する目安はあるんですか」

「特にありませんね。分類がそうですね、段ボールに収まるくらいになればそれ以上は別けない」というとコーヒーカップを口に運んだ。

「そうすると」と思案気に第九が聞いた。「段ボールの大きさにも影響されますね」

「いいところをついている。その通り。大きすぎると分類の意味がない。第一重くて整理移動が難しくなる。小さすぎてもいけない。中くらいの大きさがいいな。私の経験で言うと文庫本の山が四つ入って、そう高さが三十センチくらいかな」

「そうすると段ボールが沢山要りますね。第一家には段ボールはないから。なにか商品を取り寄せた時でも包装を解くと捨ててしまいますからね」

「私は新しいのを買っていますね。安いものだし」

「ダンボールなんて売っているんですか」

「大きな文房具店では売っているところがありますよ。それからロフトとかハンズにもあると思うな」

「それで」と第九は不思議そうな顔をした。立花の話では本を捨てる話が出てこない。分類保存は整理したり、思いついて古い本を引っ張り出すときには役に立つかもしれないが。

立花は続けた。「いよいよ処分する方法ですがね。こういう風に分類しておいて、なにか新し本を買いますね。そうすると、例えばエンタメ小説だとすると、同じ種類の本が入った段ボールを見て捨てる本を選ぶわけです。ここがミソなんですが、一冊買ったら一冊だけ選択する。二冊買ったときには二冊処分する本を選ぶんです。こうすると蔵書は増えないでしょう」

「しかし、その時にもどれを捨てるか迷いませんか」

「迷いますね。それについても一つの目安があります。まず将来まず再び読まないだろうと思うものは捨てる。あるいは私は本を読んだ時の日付を書き込んでいるのだが、それが古いものを選ぶ。さらに文庫本のなかには版を重ねて常時店頭にあるいわば定番ものというのがある。これは捨てても読みたくなればすぐに手に入る。こうしたものは捨ててよい」

「なるほど、合理的ですね。私もすぐに始めてみます」

「そうそう中には間違えて二度買ってしまう本がある」

「そういうこともありますね」とCCが応じた。「そういうものは、整理してしまえばいいわけだ」

 


128:買本は女の安衣装集めと同じ

2020-08-10 07:39:09 | 破片

 買本は買春と同じで癖になるからな、と下駄顔が呟いた。

皆はポカンとした顔をしていたが、銀色のクルーケースの男が思いついたように「癖になると言えば女が衣装の異常収集に奔るのと同じかな。女房がやたらと衣装を狂ったように買いまくるんですよ」とぼやいた。

「あなたは資産家なんだね、知らなかったよ」とエッグヘッドが失礼なことを言った。

「資産家なんかじゃありませんよ。私が診療所を回って検査サンプルを集めてくるのと、女房がコンビニのレジ叩きの収入しかないんですから。衣装を買いまくるといっても特売場なんかで安衣装をあさるだけですがね。それでもその数は馬鹿にならない。狭いマンションの一室は床の上にじかに積みあげられてた洋服で一杯になっているんですよ。その大部分は一回ぐらいしか着ていないようですがね」

「そうかと思うと、靴を買いまくる女がいますね」

「そう、資産の多寡によっては宝石や指輪を買いあさる女もいる」

「本を買いまくるのも、同じことなんだろうな」と第九が気が付いたように発言した。

「本を全然読まないというか、買わないという人もいるが、一方で買う人は買うね。どうしてかな」とクルーケースの男が聞いた。

「悪質な宣伝のせいでしょうね」と第九は考えながら答えた。

「宣伝が悪質な業界のベストスリーに入るからな。出版業界は」と下駄顔が断定するように言った。

「へえ?そうするとほかのベストスリーはどこですか」

「不動産業界とサプリメント業界だよ」

「なるほど、言えてるね」と一同は賛意を表明した。「宣伝に引っかかってツイツイ買ってしまうわけだ」と頷いた。

「ところで」と第九のほうを向いて「一旦トランクルームに預けてしまうと引き出して読むなんて言うことはなくなるでしょう」

「そうなんですね。トランクルームというのは便利なようで、実際は利用もしない本のための倉庫代を長期間にわたって馬鹿丁寧に払っているようなものでね。今回も本の整理を断行しようと思ったんですが、本の山を前にするとなかなか決断が付かないことがわかりました。何かいい方法がありませんかね」

 それまで黙って皆の話を聞いていた立花さんが口を開いた。「私もね、十年ほど前に本の整理を始めたんですがね。どうにも溜まりに溜まった屑本に生活を圧迫されてね。夏目さんの参考になるかどうか」

「ぜひ聞かせてください」

「いろんな方法があると思いますがね。人によって事情が違いますから。あくまでも私のやり方ということでお話ししましょう」と立花さんは自分のやり方を説明した。

 


127:先入れ先出しの勧め

2020-08-07 07:52:44 | 破片

 いったん戻りかけたスタッグカフェ「ダウンタウン」の客足も再度のコロナ感染者数の激増でぱったりと止まってしまった。女主人も顔を見せることが少なくなった。レジでは愁い顔の美女長南さんが仏頂面で腕組みをして外の廊下をたまに通る通行人を睨みつけている。しかし下駄顔をはじめとする常連はいつもの席に来ていた。月曜日である。

「終末の成績はどうでしたか」と誰かがコロナ騒ぎでパチプロから俄か馬券師に変身した立花さんに聞いた。

「いや、全然ダメですね。だんだん悪くなる」

「夏競馬は難しいのですか」

「そうですねえ、それにずいぶんと競馬から離れていましたからね、カンが戻らない。明日からはパチンコに戻ろうかと思ってね」

「そうすると、今頃の時間は肉体労働の最中ということですね」

「そう、この時間には店に来られない」

「それは寂しいね、じゃあ今日はどこかでぱーっとお別れパーティをしましょう」とCCが提案した。

「だめだよ。宴会、飲み会は自粛しなければいけない」とエッグヘッドが注意した。

 話頭を転じるように下駄顔は第九のほうを向いて「新居はどうです。あの辺は洪水で停電することもないでしょう。余丁町あたりは」

「さあ、どうですかね。しかし水が出てマンションの電源装置が冠水してエレベーターが動かなくなっても、50階も階段を上り下りしなくていいから彼女も安心したようです」

「今度の部屋は何階なんですか」

「三階です」

「なるほど、それなら歩いて上り下りしても大して苦痛にはならないね」

「電源が止まるとトイレへの給水もできなくなるからな、女性は大変でしょうね」

「別に女性だけに限らないでしょう」とCCが抗議をするかのように補足した。

「それで新居の住み心地はどうですか」

「新居といっても中古のマンションですからね。ま、前より広くなったからようやく主夫用の部屋が与えられたのでよかったです」

「ベッドも別にしたんですか」といつの間にか来ていた長南さんが興味深々と言った表情をした。

「わたしもそうしたかったんですがね。エクストラベッドは彼女が認めないんですよ」と第九はため息をついて肩を落とした。

「そうすると、天蓋付きのマリーアントワネット風のベッドに同衾しなきゃならないわけ」と単刀直入に発すると美しい顔を同情で曇らせた。

「あのベッドはトランクルームに預けたんですよね」と物覚えのいいCCが確認した。

「ええ、そうなんですけどね。エクストラベッドは主夫契約で認められていないと彼女が言うのですよ」

「大変ね」と同情したのは二十歳を出たばかりの老成した憂い顔の長南さんであった。

「それでね、そのかわりトランクルーム預けていた本を出して部屋に置こうと思ったんですがね。取り寄せてみると部屋に収まり切れない。また半分ほどをトランクルームに逆戻りさせました」とため息をついたのである。

 

 


126:ブスの天下来る

2020-08-05 10:39:45 | 破片

 マスクは女性のおしゃれアイテムになっているようですね、と第九が話した。

「どうせしなければいけないなら、いろいろ細工しようというのかな。いろんな色のマスクが多いね」

「そうですよ、ロフトで売っていたマスクは全部色付きでしたね。白いのは無かったな」

「あなたは何色を買ったんですか。ピンクのですか」と立花さんがからかうように混ぜ返した。

「そう、うっかりピンクのを拾うところでしたよ。手に取ってはっと気が付いてね。これじゃ恥ずかしくてしていられない、と気が付いてうすいベージュの奴をとりました」

「そういえば黒いマスクをしている男も見かけるね。もっとも黒は男女使うようだが」

「しかし全員がマスクをするようになって、一番得をしたのはブスだろうね」と下駄顔がコメントした。

「なーるほど」とみんなが感心した。

「マスクをしていては美人かブスがわからないものな」

「しかしねえ」とエッグヘッドが思案するような顔をした。「マスクをしても美人かそうでないかは大体見当がつくようになりましたね」

「へえ、どうして、マスクをしていたら分からないでしょう」

「ドリンクを飲む時なんかマスクを外すでしょう。そうすると外す前に判断していたことと大体一致する」

「なにか、ジャンクフードを電車のなかでむしゃむしゃする女もいるね」

「ええ、そういうときも素顔が見える」

「するとあなたはマスクをしている女性でもみんな美人かどうか想像しているのですか」とあきれたように誰かが質問した。

「自然とね。電車の中って退屈でしょう。私はスマホなんていじらないしね」

立場氏が考え深げに述懐した。「もと医者の立場からすると、とくに精神科医としては患者の表情というのは注意して観察しますからね。人相学というのではないが、目と鼻と唇というのは相関があるね。マスクをして鼻と口は隠れていても目は外に出ているわけだ。目から貴方は判断しているんじゃないですかな」

「うーん、そうかもしれない。それと全体の態度でしょうか。美人はいつも注目されているというので身構えているところがある。また自信みたいなものがありますよね。それかな、目も相関があるでしょうが」

「そうすると、やはり不美人は分かるわけだ」

「いや、そうとはわかりません。並みか不美人かは区別できない」

「松か竹かは分からないわけだ」と下駄顔がうなぎを注文するようなことを言って一座を笑わせた。

「しかし、マスクの効用は大きいんじゃありませんか。なんとなくそれほど目立って美しい、魅力的じゃないと受け取られるのと、自分の鼻がペニスを張り付けたようなものだと注目されるのとでは天地雲泥の差があるものな」

 

 


125:特売場に群がるおんなたち

2020-08-04 14:16:15 | 破片

「そういえば、マスクを特売場で売っているところがありますね」と銀色のクルーケースを持ち歩いているCCが言った。

「デパートかなんかでですか」

「さあ、デパートでやっているかどうかは知らないが、この間ロフトでやってましたね。もっともロフト側からすると特売場のつもりはなかったかもしれない。このあいだロフトに入ったらどこの売り場もそんなに混んでいなかったのに、一か所だけ若い客の群れているところがあった。ほとんどは女性でした。それで店員に何を売っているのかって聞いたんですよ。そうしたらマスクが入荷したので客の取り合いになっているというのですよ。よほど特殊なマスクなのかと聞くとそうでもないらしい。なんでも新素材で夏用に熱さを軽減するような製品だというんですね」

「このごろ日本製で涼感のあるマスクが開発されているという報道があったから、そういうのかな。結構高いですね。わたしもこのあいだ、薬局のマツモトキヨシでマスクを買おうとしたらこれしかないと店員がいうのが750円ぐらいもした」

「何枚かセットになっているんですか」

「いや、一枚750円」

「そりゃあベラボウな値段だ。買ったんですか」

「いや買いませんでした」

「それも日本製だったんですか」

「店員はそういっていました。それでロフトのマスクの値段はいくらだったんですか」

「三枚セットで500円でした」

「ということはあなたも特売で買ったわけだ」と下駄顔が言った。

「ええ、だけど女たちが群れていて近寄れない。それであきらめてほかの予定していた商品を買って戻ってみると、やや人垣に隙間ができていたんですね。ちょうど前に店員が持ってきた商品が売り切れて、まだ新しい補充が来なかったらしい。店員が少しずつ商品を持ってきて箱に入れるらしいんです。そうしたら店員が小脇に商品を抱えていくつかある小箱に並べ始めた。ちょうど私の前にある箱にも来たので一つとりました。そうしたら女どもが遠くから、四方八方から手を伸ばしてきた私の手から商品を奪おうとするんですな。中には一人で三つも四つも鷲掴みにしている奴もいる。私も手の甲を引っかかれました」

「みんな年の甲羅を経た強欲なおばさんたちでしょう」

「ところがみんな若い女なんですね。年配の女性もいましたが気配に気をのまれたのか、まあ怖いなんていっているんですね」

「その女たちはなんで幾つも買うんですかね」とエッグヘッドが不思議そうな顔をした。

「さあ」

「おそらく、転売しようというのじゃないか、三枚で500円といいましたね。それをネットかなんかで千円とかの値段をつけて売ろうというんじゃないかな」

「なるほど、そうに違いありませんね」とCCは感心したような表情で頷いた。