穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

前回アップで思い出したこと

2016-08-31 08:02:55 | ドストエフスキー書評

別のとらえ方をすると「罪と罰」は更正物語である。ソーニャが重要となる。更正物語で思い出したが、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」である。脱獄囚が前身をかくして地方都市の市長となり、発覚して追われ途中で不幸な少女の保護者となりながら逃亡生活を続ける。

そもそもの彼の罪は空腹に堪え兼ねてパンを一切れ盗んだことである。それが脱獄を繰り返して徒刑場送りの重罪人となった。ラスコリニコフとは全然違う。逃亡追跡ものとして屈指の出来映えである。 

もう一つ更正物語ということで思い出した。大分前にこのブログでも取り上げた水上勉の「飢餓海峡」である。終戦直後の混乱期に殺人を犯して逃亡し終えて、たしか会社社長かなにかとして地方の名士に成りおおせている主人公だったと記憶する。大分前の話でほとんど記憶がない。ドストほど印象的でなかったということだが、書評ではドストを下敷きにした小説らしいと言うことで取り上げた。「レ・ミゼラブル」と同様、昔のことが発覚して追われ、終わりがどうなったかは記憶にない。 

たしかこの本の文庫の巻末解説だったと思うが、ソーニャを念頭においた娼婦が登場してくる。罪と罰では最初の老婆殺しの場面の迫力がなければ小説は平板になっていただろう。飢餓海峡ではこの発端の殺人事件の記述はあった記憶はあるのだが、内容は全く覚えていない。筆力が及ばなかったのであろう。

 


ドストエフスキー「罪と罰」

2016-08-30 03:26:49 | ドストエフスキー書評

 ドストエフスキーについては、この書評ブログで取り上げた回数は一、二を争うと思う。何年かぶりで何かのおりに読み返す作家というものはあるもので、十年ぶりだったり、5年ぶりだったりするが、最近新潮文庫の『罪と罰』を半分ほど読んだ。

前にも書いた記憶があるが「罪と罰」はドストエフスキーのアクメ(活動最盛期)の作品だな、と改めて感じた。作品の質も後期の五大長編小説では最高である。

世間では「カラマーゾフの兄弟」や「悪霊」を最もあがめたてまつるようだが、抹香臭く、思想小説っぽく、潤いがない。そこを世間は評価するのだろうが。

ドストエフスキーの特徴は、その技の冴えは、人間の内部の矛盾した葛藤を描くところにある。数学でいえば二項対立だ。ポール・リクールのいうinner disproportionである。そして小説の長所を生かした構成はそれが同一人物内で起こるということである。芝居ではうまく表現出来ない。やろうとすればモノローグの連発になるだろうが、観客にインパクトを与えることは不可能に近い。小説だから出来るのである。もちろん天才が必要だが。

また、同一人物のなかで起こるから深刻で興味津々となる。他人同士の葛藤を描くと活劇に堕しやすい。もっともドストエフスキーの場合はそうでもないが。例えば「カラマーゾフの兄弟」や「悪霊」がそれで、登場人物にそれぞれ特徴が割り振られている。そういう小説が好きだという人がいるだろう。比較の問題だが私の評価は低くなる。

一方「白痴」は「徹底的に善人(いい人)」としてムイシキンを描写する。周りの人でも彼に徹底的に対立する登場人物はいない。ロゴージンが対照的な人物として出てくるがムイシキンと対立するわけではない。また「未成年」はメリハリのすくない小説である。

inner disproportionを描いた作品の系列は、実質的な処女作である「ダブル(岩波文庫の二重人格)」に始まる。この場合、「世間としっくりいって他人を蹴落として出世するタイプ」が新ゴリャートキンである。「どうしても世間と折り合いがつかないタイプ」が原ゴリャートキンである。これを全く他人の二人として小説で書いても大した小説にならないことは明瞭である。

つぎは「地下室の手記」だろうか。「離人癖」と「やたらと他人と交わりたくなる時機」とが間欠的に同一人物のなかにあらわれる。すなわち『俺』のなかに。

「罪と罰」はあまりにも有名だから筋を解説するまでもない。ただ前二作より複雑で「犯罪を正当化、理論化、実行するキャラ」と「他人の苦難を見ると助けに猛進するキャラ」が交互に現れる。前二作の「世間とうまく行かない離人癖」と「他人とうまくやりたい性格」の対立が、「世間とうまくいかない」パートと「積極的に助けに飛び込む博愛精神」パートの対立になってはいるが。

問題はテーマではない。思想ではない。ドストエフスキーの思想はどの作品においても平凡である。彼の「作家の日記」を読むと思想家としてのドストエフスキーのレベルが分かる。天才と言われるのはそのinner disproportionを描く技の高さである。

 


第D(12)章 パターン

2016-08-28 09:40:08 | 反復と忘却

俺は勤め人をやめてから遅く家を出る。もう管理人は出勤している。朝の巡回や掃除が終わったらしく彼は管理人室のガラス戸の向うにいた。目が合ったら何時もと違って軽く会釈してきた。こちらも反射的に会釈を返す。この間の偽NTT職員撃退のこともあるから,このごろではいる時には愛想良く挨拶することにしている。 

まったく、彼が慎重であったおかげで助かった。うっかりしていると盗聴器を仕掛けられるところだった。管理人もそれから、なんとなくこちらに親近感を示す様になった。俺がなにか情報関係の仕事をしていると勘違いしたらしい。自分のかっての仕事と同じことをしていると思い込んだようなのだ。それからは、向うが見ていると思うと、そのまま素通りせずに相手がいる時はかるく挨拶するようになったのである。

サラリーマンをやめたから当然ライフスタイルも変わってくる。最初のうちはその日その日でバラバラだったが、その内に大体パターンが決まって来た。朝は遅くまで寝ていたいのだが出来ない。彼の部屋は東向きで場末だからまだ周りにはマンションはすくない。八階の東向きの部屋には天気がいい日は、強烈な朝日がカーテンを通して室内に侵入してくる。

夏には四時過ぎには室内はもう電灯をつけたように明るくなる。かれは部屋が明るくなると寝ていられないのである。カーテンをもう少し厚いのにすれば少しは違ってくるのかも知れない。とにかく、そういうわけで遅くても六時にはベッドから出る。夏は五時前に起きだす。朝はトーストかオートミールですます。それからどんぶり一杯に濃厚なインスタントコーヒーを淹れる。そこへ砂糖を二十グラムほどぶち込んで一時間ほどかけて飲むのである。ときにはアスピリンをサプリメント代わりに二、三錠かじる。

それから昨日の朝刊を床の上から拾い上げて読む。不動産の行商人と新聞販売の勧誘員は相手にしない。インタフォンをうるさく鳴らしても相手にしない。新聞は外出した時に駅の売店で買うのである。夕刊は買わない。それを読まずに家に持って帰る。新聞は床に放り出しておいて翌朝読むのにとっておく。

三日に一度は髭を剃る。頃合いを見計らって昼飯を食いに出る。自炊はいろいろと面倒だからしない。いっときはやってみたが食材が余ってしまってどうしようもなくなったので止めてしまった。勤め人で溢れる時刻をやり過ごして飯屋に入る。その後は夕方まで街をほっつき歩く。

いっときは暇つぶしに旅行をしきりにしたが、旅行をすると、一日の時間配分に無駄が出過ぎるのでこのごろは町中を「日和下駄」している。自転車にぶつからない様に大体裏町の路地を伝って歩くのである。

 


第D(11)章 婆さんの定番話題

2016-08-27 08:44:58 | 反復と忘却

午前中は雲一つ浮かんでいない青空だった。地平線のかなたにスモッグが棚引いているだけであった。俺は勤め人で込み合う昼休みの時間が終わったころに飯屋に入る。今日はどういう日なのか婆さんたちが多い。二月に一度の年金支給日なのかもしれない。 

となりにもお婆さんの二人連れがいた。ひとりは七十歳代くらいの女である。相手は九十歳前後とおぼしき女だった。七十おんなが馬鹿でかい声で相手に話している。まわりの客のこと等眼中にない。どうやら相手の九十おんなの耳が遠いらしい。首がまっすぐ立たないらしくほとんど九十度前傾したまま蚊の鳴くような声をだしている。座り方も変だった。腰痛なのか浅く腰掛けて今にも椅子からずり落ちそうなのだ。あまり七十おんながうるさいので相手の顔をしげしげと観察したついでに九十婆さんの顔を見てみた。上品な顔をした婦人だった。

どうして年配の女性の話題というのは病気のことばかりなのだろう。彼女達もあそこの病院はどうだとか、どこの先生はいいだとか悪いだとか延々と話している。どうやら七十女が「脊椎狭窄症」にはどこの大学病院に行ったら良いとか相手に教えているらしい。ふんだんに専門用語のようなものを使っている。あちこちの病院で暇をつぶしているうちに相手の医師から聞き出したことをもっともらしく話しているらしい。それもおなじような話をさっきから何回も繰り返している。

珍しくもない光景である。彼女達が熱意を持って飽きもせずに出来る話題はもう「病気」の話しかないのである。

老婆達の反対側にも妙な女たちがいた。一人は普通の上品な感じのミッドサーティーてな見当の女である。相手はアラサーの異様な印象を与える女で最初は中国人かと思った。壁を背にした席に座っていたが、とても上座に座る人品ではない。上品な女性がなにかのセールスウーマンで商談でもしているのか、接待でもしているのかもしれない。ひょっとするとこの女はたちの悪いクレイマーなのかも知れない。それに係が対応している様にも見える。二人は普通の声で話しているから、何を話しているか分からない。日本語であることだけは分かった。

ちょっと目を下にやると、別にいやらしい意図があったわけではないが、この中国人風の女が足首を反対側の膝に乗せている。男でも人夫土工の類いが道路にたむろしている時にしか見かけない。足を組むなんてものではない。これにはさすがの俺も驚いた。このごろの女にはチンチクリンなのが多いがここまでひどいのはまず見かけない。今日の昼飯の収穫はそんなところだ。後は和風ハンバーグステーキね。

レストランのある大型商業ビルを出ると先ほどと打って変わって空一杯に雲が湧いている。そして雲の底は泥でも塗った様な灰色である。大抵の日は夕方まで街を徘徊して帰るのだが今日はまっすぐマンションに戻ることにした。

マンションにはまだ五時前だったので日勤の管理人がいた。管理人室の前を通ると彼が中から出て来た。「鱒添さん、電話の調子が悪いんですか」と聞いた。

「いや、どうして」

「さっきNTTの職員がきて電話が故障だから直しに来た、というんだ。あなたから聞いていなかったからなかには入れなかったけどね」

「へえ、おかしいな。電話は故障していませんよ。NTTに連絡したこともないし」

「インチキかな。このごろは色々なことがあるからな。それから鱒添さん、電話が故障した時にはこちらにも連絡してくださいよ」と管理人はいった。

「それはもう」

この管理人はいかにも意地悪そうな人で相当な年配だったが。なんでも戦争中は香港で憲兵隊の下士官だったそうである。米軍占領中は後難を怖れて地下に潜っていたという噂がある。

部屋に入ると電灯をつけた。留守番電話があったことを知らせるランプが点滅している。メッセージは録音されていない。受信履歴を確かめた。いつもの無言電話である。管理人が言っていたNTTの職員を騙る連中はなんだろう。ひょっとすると、これは会社の陰謀屋が盗聴器を仕掛けにきたのかもしれない。彼らは反対派の組合事務所に盗聴器を仕掛けたことがある。第一組合の連中がそれを発見して警察に訴えたことがあったのである。管理人が職業的に疑い深くてよかったと俺は思った。


第D(10)章 監視対象となる

2016-08-26 08:39:10 | 反復と忘却

会社を辞めてからしばらくは電話に悩まされた。同期入社の西川からある夜電話があった。かれとは同期入社とはいうものの、ほとんど話したことがない。最近5年ほどは共産圏の駐在員をしていて日本に帰って来たばかりである。電話で「西川です」と言われてもしばらく誰か分からなかった。声も識別できるほど話したことのなかったのである。

「社内報で見たけど会社を辞めたって、いま何をしているの」と言われてなるほどと思った。今度同期会の幹事になったそうである。さっそく俺の送別会をやろうという話だった。同期のほとんどは俺の憎む第二組合員だったし、会社を辞めた事情もあって俺はその話を断った。西川はしつこく送別会にこだわったが、あきらめて「今は何をしているの」と聞いて来た。会社を辞めたと聞くと、大抵の人間は今何をしているのか、と聞く。なにか勤めていないと悪人のような気分にさせられる。 

そう聞かれるたびに俺はうんざりするんだが、いつも用意しておいた答えを言うことにしている。「毎日が日曜日さ」

「えっ、えっ」と西川は理解出来ない外国語を聞いた時の様に反応した。これもどいつもこいつも同じだ。送別会と言ったって、俺が今何をしているか根掘り葉掘り聞き出すのが目的に違いない。それも彼らの上にいる陰謀家の先輩の意を受けてのことだろう。そんなところに出て、言葉遣いに注意しながら、無難な言葉を選びながら酒の相手をしながら飲んでもうまい筈がない。

なんだか不得要領のような印象を受けたような雰囲気のうちに西川との電話は切れた。それから昼間も夜もかなりの頻度で電話がかかってくる様になった。電話に出ると相手は無言である。最初のうちは「もしもし、どちらさまですか」と一々応対していたが、相手は押し黙ったままである。同一人物かどうかも分からないが、どうも俺の所在を確認しているらしい。働いていないというが昼間は内にいるのかどうか、ということを探っているらしい。あるいは嫌がらせ電話か。とくに相手の心当たりはなかった、一カ所を除いては。

そこで俺もバカらしくなって考えた。無言電話に生活のペースを乱されてはたまらない。こちらは大望を抱く、大事な仕事?を抱えているのだ。そこで留守番電話に切り替えた。留守番電話の使い方については大分研究した。その頃は留守番電話の機能がかっての電卓の様に目覚ましく進歩しつつあった時代である。

その内に、相手が電話番号を通知してこないと着信を拒否する機能が出て来た。それでもかけてくる相手にはこちらも無言で電話をかけ直して相手がどんなやつか試した。それでわかったのだが、無言電話をかけてくるようなヤツは大体電話を受けても自分を名乗らない。なにも話さない。相手が話すのを待っている。だからにらめっこをするみたいに、長い間双方が無言で電話を見ている。大体そう言う物だとわかってからは、そんなことも止めてしまった。

勿論まともな用事をもった電話もかかってくる。そうするとメッセージを残して行く。それで分かったのだが留守番電話に分かりやすい伝言を吹き込む人は非常にすくない。慣れていないのだ。あれは技術だ。アナウンサーの様に言っていることがハッキリと伝わる人は少ない。慌てるのか伝言の最初で自分を名乗るところで明瞭に話せる人はまれである。そして大体において話し方が慣れないのか早すぎる。声が小さすぎる。

そこでコールバックするのだが、まず何を伝言して来たのか一から確認することから始めなければならない。

 


第N(16)章 父母未詳

2016-08-25 21:07:17 | 反復と忘却

父母未生とはどういうことであろうか。ここは父母未詳ならうまく繋がるんだがな、と翌朝目が覚めると三四郎は考えた。父母未生以前とは父母が生まれていない前という意味だろう。つまり祖父祖母以前ということなんだろう。本来の面目とはなんだ。主語は何だ。当然に公案を与えられた「おまえの」ということだろう。つまり回答を考える「自分の」と考えるのが普通だろう。

その面目はなんだ、というわけだ。面目は本性と捉えていいのかな、と三四郎は考えた。まず問題が何を聞きたいのかとらえなければ話にならないと彼は思うのであった。

こういうことかな、と段々朝日が差し込んで来た網代天井を見ながら彼は以下の様に総括した。

「とおちゃん、かあちゃんも生まれる前にお前は一体なんだったの」、これでよろしいか、と彼は訊いた、見えない質問者に。答えは簡単だ。「何でもない」ということだ。それ以外に考えられるかね、と彼は見えない問題作成者に反問したのである。

これではどうも問題が簡単すぎる。一癖も二癖もある禅坊主がこれじゃ納得しないだろうと三四郎は溜息をついた。蒲団から起き上がると遅い朝食を一人で食って神田の予備校に行った。数学の講義の間も公案を考えていた。仏教では輪廻転生ということを言うらしい。キリスト教では魂は不滅であると言う坊主がいるらしい。すると、『父母未生以前 おまえは何だったのか、豚だったのか、絶世の美女だったのか、ゴキブリだったのか、とかそう言うたぐいのことを聞いているのかも知れない。 

いわゆる前世体験だとか前世記憶のことを調べろと言っているのかも知れない。しかしこれは分からんぜ、と三四郎は諦めた。LSDかなんかをやってラリって前世にサイケデリック・ツアーでもしないことには分からんぜ。ひょっとしたらサメだったりして。

まてよ、とまた三四郎にアイデアが浮かんだ。人間は、人間でなくても生物は遺伝子で繋がっているわけだ。いまではDNAとかいうのかな。ミトコンドリアなんてのも神代の昔から連綿としてリレーされて来ているらしい。そうすると、お前のミトコンドリアは父母未生以前は何だったかと聞いているのかな

それにはじいさん婆さんがどういう人生を送ったか知らなければならない。ところが彼はそんなことは何一つ聞いていないのだ。大体父親のこともほとんど分からないのだ。この際ルーツ探しでもするか。しかし、そんなことをしたらオヤジに一喝されるだろうな。オヤジは謎の光源だからな。

 


第N(15)章 二こすり半では駄目

2016-08-25 07:02:24 | 反復と忘却

本郷のキャンパスへ三四郎は来ていた。平島に誘われて煮村六三郎教授の宗教哲学の講義にもぐりこんだのである。誘われた時にはびっくりしたがマイクを使う大教室だし他の大学からのもぐり学生も多いから目立たないと言われて金色に輝く本郷の銀杏並木をくぐったのである。実際他の大学からかなりのもぐりが来ているようだった。宗教哲学の講義ということになっているが、エロ話の連続で品川の教祖のことを思い出した。宗教家の話というのはどうしてエロ話が多いのだろう。もちろん品川の教祖の話よりずっと洗練されてはいたが、エロねたには違いない。大教室を埋めた半数近くの女子学生はきゃーきゃーと喚声をあげて大喜びのていであった。 

その後で三四郎は平島とカレー屋をかねた近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ。

「公案にはとりくんでいるかい」と平島は聞いた。

「いや、どういう公案があるのかさっぱり分からなくてさ。あれは禅寺なんかに参禅すると、そこの和尚さんが見繕って相手の程度を見極めて適当なやつを選んでくれるんじゃないか。寺に行く気はないしさ」

「本があるじゃないか。その中から適当なのを自分で選べばいいさ」と平島は暢気なことを言った。

「市販本であるのか」

「たとえば、無門関とか、なんだ碧巌録だったかな、本屋で売っていると思う」

「文庫であるかい」

「さあ・・・文庫じゃないといけないの」

「おれは文庫本しか買わないからさ」

「街の小さな書店にはないかもしれないな。あんまり売れないだろうし、この辺の書店では見つからないかも知れない。神保町の大きな書店に行けば見つかるよ」

平島は目の前のカップを取り上げると、レモンティーを男にしては小さな口に含んだ。

「公案というのは簡単なものは選んじゃだめだよ。『1+1=2』みたいな簡単に答えが出る物はだめだ。マスターベーションを覚えたばかりの12歳の少年みたいに、二こすり半で終わっちゃう。ボルトが10メートルも走らない間に終わってしまうようなのはだめだ」

「そりゃそうだろう、第一そんなに簡単な公案があるのか」と三四郎は言った。

「ははは、ないだろうな。ものの喩えだよ」。平島はオチョボ口をすぼめてレモンティーをもう一口啜った。

「それからさ、最初から絶対に答えが出ないと分かっている物は駄目だ」

「たとえば」

「宇宙にはじめがあるか、終わりがあるかとか無いとかさ。ビッグバンの前にはなにがあったのかとかね」

「ふーん」

「宇宙の広さは有限か無限かとかいうのもだめだ。人間はもともと善人か悪人か、なんてのもアウトだ。答えがないことが始めからわかりきっているからね。アンチノミーといってさ、カントがそんな物には答えが出ないと言っている」

「そもそも公案なんて質問が何を聞いているか分からない物らしいから、きみの言うような種分けなんて最初から無理じゃないの」

「そりゃそうかもしれないな」と平島は笑った。

やけに面倒くさいな、と三四郎は腹のなかで思った。その時に思い出したことがある。家に漱石全集があった。中学の頃に読んだ。一巻が3、4キログラムはあろうかという重たい初版本で、総ルビだったから中学一年の三四郎にも読めたのである。そのなかに主人公が神経衰弱になって鎌倉の寺に十日ほど参禅したくだりがあったような。そのとき老師から与えられた宿題があったような記憶がある。あれが公案というのではないか。

「今思い出したんだが、漱石の小説で主人公が寺の和尚に公案みたいな物を与えられたのがあったな」

ふいに浮かんで来た記憶なので詳細は思い出せない。一生懸命思い出そうとしていると平島が「それは門という小説だろう」

「そうそう、えーと宗佑だったかな、名前ははっきりとしないが、なんだっけ『父母未詳、いや父母未生以前・・・』かな」

「『父母未生以前 本来の面目如何』だろう」と平島が助け舟を出した。

「あれは宗助が(と三四郎は主人公の名前を思い出した)十日考えても老師の満足する答えが出せなかった、という筋だったな」

そうだ、こいつを少ししゃぶってみようと三四郎は思ったのである。

 


第N(14)章 瞑想は妄想を断つ道にあらず

2016-08-24 07:47:07 | 反復と忘却

平島によれば方法はなんでもいいのである。座禅を組もうと正座しようとかまわない。要は雑念を追い払って瞑想することだという。正座はあまりしたことがない、というかする機会が無い現代では三四郎のような若者には長時間正座するのは難しい。苦痛である。それで座禅にした。はじめて知ったのだが座禅の組み方というのはやかましい規則がある。本を見てちょっとやってみたが非常に不自然な姿勢である。やりなれないからそう感じるのだろうが、こらえ性のない彼はすぐに嫌になった。座禅を組むとすぐにひっくり返ってしまう。彼は座禅を諦めた。ようするに瞑想をすればいいわけらしい。

そこで椅子に座って目をつぶり何もせずにしばらく座ってみた。尻の穴に意識を集中したせいか、すぐに尻の骨が椅子に当たる所が痛くなりだした。何かやりながら、例えば本を読みながら椅子に座っていても尻が痛くなることはない。それが意識をそこに集中すると、尻骨がごつごつと椅子にあたるのを意識しだす。そうすると、上半身の体重がすべてそこに集中してくるようで、どうにも痛くて我慢出来なくなる。

おもわず腰を浮かしてしまうのである。なんだかトイレの便座に座っているみたいで自分でも滑稽な姿勢だと思う。一番困ったのは無念無想になれという要求であった。何も考えるな、というのは大変な努力しないと出来ない不自然な状態である。普段は自然に押さえつけられている妄想が雲の様に心の中から湧いてくる。こんなに妄想を溜め込んでいたのかと自分で驚いた。瞑想しようと不自然な努力をすることで、心が反発をしてパンドラの箱が開いてしまうのである。

こりゃ瞑想等話にならんと警戒心がわいたが、そこはそれ、もう少し我慢すれば明鏡止水の境地に入るやも知れぬと思い直した。

ところがそうは問屋がおろさなかった。心臓が急にどきどきしだす。頸動脈のあたりにどくどくとながれる血液が大きな音で耳の中で聞こえる。非常な不安を感じる様になった。予想外のことも起こった。彼はかって便秘というものを経験したことがなかったのであるが、便秘になってしまった。便意が無くなってしまえば便秘もそんなに気にならないのだろうが、四六時中便意を感じるのだが出ない。大変な苦痛と不安であった。腹が破裂しそうな気配がした。

「こりゃ、全然駄目だな」と彼は平島に会った時にはなした。もっとも彼に話した所で始まらないのである。彼と同じ年令でただ浪人している彼と違い大学で二年ほど心理学のとば口をチョロッとあたっただけの平島に適切なアドバイスが出来る訳ではない。

しかし彼は親切な男で、三四郎にもどうしてだかよく分からないのだが、自分のことを我がことの様に心配してくれるのである。平島は困った様に三四郎を見ていたが、なにか思いつた様に言った。

「そうだ、禅の公案を考えるといいかもしれないな」

 


第N(13)章 女郎屋に連れて行かれる

2016-08-22 08:53:26 | 反復と忘却

品川のその家は彼の知っている日本家屋の家の造りとは全く違っていた。二階建てのその建物は一階も二階も、まっすぐな芸のない無愛想な廊下が真ん中にある。その両側に襖で仕切られた部屋が並んでいる。入り口の三和土には下足箱がある。三四郎は学生下宿なのだろうかと思った。その中の一室に平島と三四郎は入った。すでに十人ぐらいの人が座布団の上に座っている。

平島は天井から薄汚れた四囲の壁に目を走らせると訳知り顔に頷いて三四郎に囁いた。「これは女郎屋だぜ」

平島の方が世間のことは知っていたのである。というよりか三四郎は全くの世間知らずであった。彼はびっくりして「いまでも営業しているのか」と聞いた。

「馬鹿だな、今あるわけがないだろう。売春禁止法が出来たからね。昔の女郎屋のつくりだよ」と平島は訳知り顔に頷いてみせた。「世間の景気が悪いから、建て替えもせずにこう言う家があちこちに放置されているんだ。だから今日みたいな会合に安く借りられるんだ」 

平島が誘ったのは新興宗教の会合で座禅の実習を教えるというのである。平島は好奇心旺盛で宗教心理学の勉強だとか理屈をつけていた。ただ一人で行く勇気がなかったらしい。誘えば断ったことのない三四郎を連れて来たのである。出席者のほとんどは脂ぎった中年のおばさんたちであった。それに生気がなく、言われたことは何でも言うことを聞きそうなおとなしそうな老人が二、三人いた。

やがて初老のはげ頭の壮漢が入って来て、集まっている人たちに向かい合って上座の座布団の上に腰をおろして一礼した。彼に侍って入って来たのは中年の上品そうな婦人であった。壮漢が新興宗教の教祖であるらしい。くだけた口調で参加者の緊張を解きほぐす様にあまり上品ではない冗談を交えながら話しだした。

平島は座禅の会といっていたが、それは正座して行う呼吸法のようなものであった。三四郎が驚いたのはその「導師」が尻の穴で呼吸しろと教えたことであった。勿論比喩的な、分かりやすい表現をしたのであろうが、あまりにも直接的な表現である。まわりの叔母さん達の表情を三四郎がそれとなく横目でうかがうとすでに会場に雰囲気に自縛されたようで導師の言葉に何の嫌悪感を示さずに感心した様に頷いている。

1時間半ほどで教習というのか講話はおわり、三四郎は平島と外へ出た。

「どうだった」

「どうだったって、驚いたね。尻の穴で呼吸をしろというのはどういうつもりだろうな」と三四郎は言った。

「ちょっと度肝を抜かれたな。あれが教祖のキャラクターなんだろうな。ああいうパーフォーマンスはやる気満々の叔母さん達には効果抜群なんだ」

「よく知っているな」と三四郎は呆れて言った。

「常識だよ。ああいう手は常習的でね。宗教心理学のフィールドワークではイロハの知識さ」

「へえ、そうなのか」

「もっとも独創的ともいえない。尻の穴を重視するのはインドの行者もそうなんだ。尻の穴に注意を集中してそれからだんだんと意識を背骨を伝わって腹から胸、そして頭にもってくるわけだ」

「本当かよ」

「それが悟りを得る手段なんだな」

悟りを得る手段と聞いては三四郎も捨て置けなかった。今の無限地獄を抜け出せるかもしれないではないか。

 


第N(12)章 だんだん悪くなる

2016-08-21 10:16:48 | 反復と忘却

 あるときは女の子に寝顔が可愛いと言われたこともある。きっと田園の夢を見ている時であったのだろう。父親の鱒添林次郎は「だんだん悪くなっていくようだ」と冷徹に科学者として三四郎のことを観察していた。まるで自分の行っている実験を科学者として観察しているようであった。

三四郎の状態は弁証法的に推移していたのである。ちょっと日が射すこともある。又すぐにどんよりと黒雲に覆われてしまうのである。そのスパイラルは新しい局面には上昇しないのである。おなじところを行ったり来たりしていた。そんななかで高校三年生になり、大学受験に失敗してしまった。家にいることは耐えられないので神保町の近くにあった予備校に通った。これで昼間は家にいなくても立派な理由になる。授業は半分くらいしか出なかった。予備校の授業もよく分からないのである。

もっとも、古文とか国語とか漢文は授業を聴かなくても分かっていて退屈なだけだった。英語の授業は興味があったが、講師がその年に芥川賞をとった生意気な田舎者まるだしの中年男で、予備校生を馬鹿者扱いにするので受講するのをすぐに止めてしまった。

自然昼間は街をほっつき歩いて夕方家に帰ってくるようになった。母親に家族とは別に食事を作ってもらって早々と自室に籠ってしまう。

 

神保町の書店街にはよく行った。ほとんど本は買わなかった。小説なんかは読んでもよく分からなかったのでもっぱら立ち読みであった。神保町の大書店はそういう連中には都合がいい。街の小さな書店だと本のバラエティも少ないし、立ち読みをしているとすぐにオヤジがそばまで来てハタキをかけだす。三四郎には不思議な癖があって、やたらに書棚から本を引き抜き帯を読むと、内容を2、3頁眺めただけで書棚に戻し、隣の本を引き抜く。片っ端から書棚に並んだ本を引っこ抜くから書店員が良い顔をしないのである。おまけにほとんど買わないから余計嫌われる。

そんなことをしていたらある日後ろから「鱒添君じゃないか」と声をかけられた。振り向くと高校時代の同級生だった平島であった。彼は現役で東大の文学部にはいっていて、二年近く合っていなかった。

「何処に入ったの」喫茶店の席に落ち着くと平島が聞いた。三四郎が現役で同じ学校を受けて落第したことは知っていたが、その後何処かの大学に入ったのだろうと思っていたのだろう。

「まだ浪人をしている。坂の上の予備校に通っていることになっているけど、よくさぼってこの辺にくるんだ」

平島はなにか何冊か本を買ったらしく書店の紙袋を下げていた。

「いま何を専攻しているの」

「心理学さ」

「それは心理学の本かい、今日買ったのは」と三四郎は聞いた。

「うーん、そうとも言えないな」というと平島は買った本を取り出してテーブルの上に並べた。文庫本で4、5冊の分冊になっている本で「金枝編」とタイトルが書いてある。

「聞いたことのない書名だな。そのタイトルじゃ内容の見当もつかない。哲学の本なのか」と三四郎は聞いた。岩波文庫の青帯だったから多分哲学関係の本だろうと思ったのである。

平島はコーヒーに砂糖を入れるとかき回した。「人類学の本というかな、大分古い本でね。世界各地の未開民族の習慣やら迷信を蒐集した本なんだ」

「へえ未開民族の風習か」

「未開民族だけでもないけどね。たしか最初の方にはイタリアとか古いヨーロッパの習俗の分析もあるそうだ。わりと有名な本らしい。先生に勧められたんだけどね。ちょっと癖のある本ではあるらしいんだ」

「面白そうじゃないか」と三四郎は答えた。

1時間あまり取り留めも無い話をしたが、分かれる時に平島は「また時々合おうよ、電話番号は変わっていないのか」と確かめると「その内に電話するよ」と分かれて行った。高校時代と同じで、大抵の時間黙っている三四郎にテープレコーダーに向っての様に平島は話し続けた。そういう話がしやすい相手なのだろう。またそういう話を時々する必要があったのだろう。

 


第N(11)章 夜半真に力あり

2016-08-19 08:15:36 | 反復と忘却

 あの時以来、三四郎は昼夜が逆転したようだった。昼間は気の抜けたビールみたいに茶色く淀んでいる。泡の残骸がグラスの上部にこびりついている。母が写真好きで何かと言うと写真を撮った。「なにか」理由がなくても気が向くとカメラを家族に向けたのである。それらの写真を見ると三四郎はまるでぼんやりとした表情で生気がない。不活性化した核弾頭みたいな顔で写っている。

そのかわり夜間は活性化するらしい。「らしい」というのは彼自身には分からないのである。全然自覚がないのである。大声で寝言を言うらしいが、まったく夢も見ないから本人は自覚がない。もっとも夢は見ているのかも知れない。ただ夢の記憶が全然残っていない。目覚めると抑圧されてしまうのかもしれないのだ。

母によるとまるで、かたきに襲いかかる時の様にはげしく歯ぎしりをするというのだ。ただ覚えている夢の記憶もあることはあるが、それは大声で寝言をいったり、地団駄を踏む様に激しい物ではない。むしろ穏やかな至福と言っても良い記憶が再三にわたって夢裡に出現するのである。

場面が暗闇から光の中へと一転するのである。その夢というのは彼が小学校に入ったばかりの頃、どういう理由からか、おそらく父と母との不調和がまだ尾をひいていたのだろう、母の実家で一年近く過ごしたことがある。たぶん着いた日の翌日であろう、庭から防風林を抜けて田んぼに出た時に景色が一変した。祖父の家はまだ家にいた叔母や叔父達で手狭だったので、祖父の持ち家である郊外の農家にしばらくの間過ごしていた。

夢に出てくる風景はおそらくその時の記憶だろう。暗闇はもちろん東京の家を表す。庭をかこっている高い木の間の隙間を抜けるとレンゲや名も知らない彩りも華やかな草花の咲き誇る緩やかな土手があり、その麓には用水路を兼ねた澄んだ幅が二メートルもない小川が流れていた。その向うはまだ青々として稲田がはるか彼方にまで広がっていた。

太陽は一面に降り注ぎ、はるか彼方から緩やかに湾曲しながら流れてくる小川の岸辺に点綴する木々は粲粲として栄に向っている。三四郎はうっとりとして無垢至福の時に身を任せるのである。

三四郎はラジオを小さな音でかけっぱなしにして寝入ってしまうことがあった。深夜ふと目が覚めると童謡が流れている。気が付くと彼の目から涙が枕の上に流れ落ちていたのであった。宋の詩人がうたったように、まことに夜半力あり、であった。

 


第X(14)章 デベロッパーだった母

2016-08-15 07:36:26 | 反復と忘却

「母はデベロッパーみたいな人だったんだな」と三四郎は気が付いた。第一のプロジェクトは三四郎プロジェクトであった。自分の理想の男性像と言う青写真があったのである。 

第二のプロジェクトは挫折した自己自身の内面の希望、欲望を娘達に投影することだった。文学少女として、いわば覚醒した女性としてハッキリとした自己意識を母は持っていたが、その実現を悉く父に破壊され抑圧されてしまった。大抵の女性はそれだけでナーバス・ブレークダウンになる。知性のある母はそこをぐっと堪えて娘達に青春の自己の希望を投影したのであった。

一郎が葬儀の時に「お母さんは芯の強い人だったね」と三四郎に言ったのはそういうことであった。といっても次から次へと生まれてくる子供の世話に忙殺される。母は多産系の家系だったのである。加えて一筋縄では行かない先妻のこども達のひきおこす数々のトラブルである。非常に厳しい要求を日常的に母にぶつける父の存在もあった。それらを切れ目無く捌いて行かなければならない。綿密な施行は出来なかった。そこで彼女がとった工法とは「自由放任」であった。

良い麦も育つ。毒麦も育つのである。母は選別刈り入れもしないで死んでしまった。おなじ種から色々な苗が出て来た。三四郎は性善説も性悪説もとらない。生まれてくる人間が全員善人であるというような馬鹿な話はない。同様に人間は全員悪人であるなどという気違い染みた説にも与しない。

三四郎の見る所、根っからの善人という人もいる。全体の20パーセントくらいの見当である。こんな統計は勿論ないし、統計処理の対象になることでもない。同様に生まれつきの悪人も20パーセントくらいいる。また、育て方次第、教育次第でよくも悪くもなる人たちが60パーセントくらいいる。だから家庭の躾とか道徳教育が大切なのである。

生まれつきの善人は心配ないのだが、生来の悪人気質でも教育や躾で良い型にはめることが出来るパーセントは20パーセント半分ぐらいはいる(つかみでね)。

結局俺の結論は性善説かな、と三四郎は思った。躾さえしっかりすればほとんどは善人になるんだからな。目の前のテーブルには母が躾を放棄して「自由放任」という形でプロジェクトした娘達がいた。彼女達を眺めながら三四郎は考えたのである。様々な形に育った女たちである。ちょうど剪定はさみを一度も入れられたことのない雑草の様に育ったバラエティゆたかな妹たちである。

 


第X(13)章 三人の妻

2016-08-14 09:29:08 | 反復と忘却

 久しぶりに合った妹達はぎょっとしたような顔をした。今朝マンションを出る時に入り口で出くわしたタヌキおばさんと同じ反応に似ていた。大分久しぶりに顔を合わせたきょうだい達であった。兄達は退職間近で頭髪は白くなり薄くなっていた。その娘や息子達はもう就職したり結婚したりしていた。いもうと達もすっかりおばさん風に変わっていた。その子供達は料理を取り合って騒いでいる。

そういえば、ここへ来る途中電車のなかで悪態をつかれた。車両は入り口付近ばかりが込んでいて、中央はすいている。なかに移動しようとしたが、行商人風のワイシャツ姿のおとこが立ちはだかっていた。その横をすり抜けようとして肩が触れるとその男は「なんだ、この野郎」とニンニク臭い息を吹きかけた。ぎょっとして相手の顔を見ると一応背広姿でサラリーマン風のなりをしているが、人品からはどういう種類の人間か判断しかねた。普通のサラリーマンでないことだけは間違いない。ちょっと職業不詳であった。消費者金融の取り立て人によくある雰囲気を漂わしている。

こんでいる車内を移動しようとして背中がちょっと触れるだけでこんな風にすごまれることはまずない。相手は彼よりも背が高く柔道選手のような体格をしている。こんなやつの相手をしない方がいいと一目見て判断した。そうしたら次の駅でその男はこそこそと逃げ出す様に電車を降りてしまった。そのときに俺の人相はそんなに悪いのかな、目付きがよくないのかな、とちらっと思った三四郎であった。

さて兄の一郎は大学時代ぐれていたころ「三人の母」という小説を書いたが、その原稿を次兄から見せてもらった印象をもとに三四郎自身が分かる範囲で調べたことがある。兄は新しい母に強い反感を持っていて、原稿にもろにそのバイアスが反映している内容であったからそのまま信用するわけにはいかなかったのである。

父の最初の妻はまだ父が出世街道に乗る前に田舎の家がアレンジした結婚で田舎士族の家系ということであった。此れが一郎と次郎の生母であるが、彼らが幼時に肺炎で死亡しているので兄達には印象が薄いようであった。

二番目の妻は父が世間に頭角を現した後で貰った人で東京の富裕な商人の娘であった。父は大変にこの女性が気に入っていたようである。田舎での最初の妻と異なり非常に社交的で遊び好きで、いかにも下町育ちらしい機転の利いた娘であったらしい。田舎者の父とは正反対の性格ではあるが、かえってその辺が父の気に入っていたようである。

富裕な商人の娘ということで実家からの仕送りが潤沢で兄達にしょっちゅう小遣いをやって懐柔していた。この女性は5年ほどの結婚生活の後出産のときに母子ともに死亡してしまった。

三番目の妻が三四郎たちの生母であるが、二番目の妻とは何から何まで正反対であった。母の父は軍人から実業家に転じた人物であった。どちらかというと、士族出の家風が濃厚で自身も軍人であったので、娘の嫁ぎ先にジャンジャン金を注ぎ込むという「はしたない」真似の出来ないひとであった。それが兄達の反感をいっそう強めた。父も前の妻の都会育ちらしい性格にくらべて、気が利かないという不満をもっていた。父自身が大変な田舎者であったので、都会的な、特に商人的な家庭の雰囲気が好きだったのである。

二番目の妻に手なずけられていた兄達は「武士の家庭」風な新しい母親には反感しかもたなかったようである。それに加えて次から次へと再婚する父への反発も加わっていた。

 


第X(12)章 母は三四郎をプロジェクトした

2016-08-13 08:29:02 | 反復と忘却

駅前再開発プロジェクトなんてあるでしょう。あのプロジェクトです。実存哲学なんかでは「企投」なんて田吾作が作ったみたいなセンスのない訳語がある。母は男としてのつまり夫としての理想像のリストを作っていたのかもしれない、父のメモ「私のハイラーテン観」に対抗して。

勿論それは現実の父の特徴の正反対のものばかりであった。母は三四郎を生物学的にプロダクトするばかりでは満足せずに彼に自分の理想の夫像をプロジェクトしようとしたのである。当然のことであるが、それは三四郎に取っては重苦しく迷惑なものであった。こうして母は夫に対する鬱屈した不満を中和し昇華していたのかもしれない。

三四郎のなかで今にいたるもこの現実を無視したとも言うべき弁証法的矛盾は調停されていない。母は下品なことを嫌った。キリスト教が好きだったというよりも賛美歌の醸し出す上品な雰囲気を好んだのである。そういうとミーハーと代わりがないかって、そう言ってもいいかもしれない。

音楽では何と言っても賛美歌以外ではクラッシックであった。母は流行歌に怖気(オゾケ)をふるった。身を震わせて嫌悪感を表現した。いま流行歌なんて言葉が通用するのだろうか、とも三四郎は思う。歌謡曲とか演歌とでもいうのだろうか。母はまだ三四郎が小学生のころからクラッシックの音楽会に連れていった。彼にはちっとも面白くない退屈な場所であった。とにかく話したり音を立てたりしてはいけないのである。じっと息を殺していなければならない、1時間も2時間も。

美空ひばりというと、古いね、とさすがに三四郎も思う、の唄がラジオから流れてくるとコレラ患者の吐瀉物でも見た様に身を震わせて三四郎にラジオを消す様に命じるのであった。とくに演歌の裏声や小節をきかせるところが我慢出来なかったようである。たしかに下品だし、日本人の感性のもっとも下劣というか、心の奥底に濁って淀む溜まりからわき出すメタンガスを吸うような気がすると三四郎も同意する。

父という太陽が消え母という夜空に輝く星が姿を消した後、三四郎にはそのようなことが見えて来たのであった。

 


第x(11)章 妻をめとらば

2016-08-12 07:47:01 | 反復と忘却

 父の遺品の中に大学ノートがあった。むかしからこのような「大学ノート」というものはあったらしい。大学の講義を筆記したノートまで取ってある。父はおよそ捨てるということをしない人物であった。母の生前、庭いじりは母の仕事でありわずかな息抜きの聖域であった。複雑な家庭の重苦しい空気から逃れる安息所であった。

母亡き後の庭はいささか荒れ放題で雑草が庭を巡る小道を埋め尽くしていた。ある時に家事等の手伝いをしたことのない三四郎が気をきかして雑草を引き抜いて整理したことがあったが、あとで父がそれを見つけて大変に怒りだした。もっとも父の訪問客が庭を覗いて「結構なお庭ですな」と感心した様にお世辞を言うから父もその気になっていたのである。そう言われてみると廃園の趣にも捨てがたい所があったようでもある。

事程左様に現状変更を認めないのである。勿論父自身が整理するなら全然かまわないのであるが家族といえども他人が右においてあるものを左に動かしても不機嫌になる。

畳の上に落ちているゴミまで自分で取りのけないと気がすまないのである。子供達の結婚についても悉く反対した。二人の兄や姉達の結婚の時も猛烈に反対して長い間揉めていた。今日この法事の席にいる二人の兄の妻も長い間家には出入り禁止になっていた。

さて、何冊かの大学ノートには父が女性の様に奇麗な字で丁寧に書いた青春の理想の吐露があった。まるで三四郎が知っている同じ父の手で書かれたとは思われない。いかつい激発的な性格からは想像出来ないが父の手跡は女性のような特徴があるのを知っていたからそれらの若者らしい理想論が父の手記だと分かるのである。

「私のハイラーテン観」なんて文章もある。「妻を娶らば才長けて眉目麗しく情けあり」の近代版とでも言うべく、まるで大正デモクラシーのコピーのような文章である。後世の父しか知らない三四郎からは、これが父の遺品の中からではなくて、ぽっと目の前に差し出されたら父の文章とはまったく想像出来ない文章である。

男なんて若いうちはみんなそう言うものだよ、ということは出来る。大学ノートの中には父が舎監か寮長をしていたらしい少年寮の日誌のようなものがあった。大学時代のアルバイトか、大学を卒業してまだ若い頃にそんな青少年の寮に住み込んでいたらしい。今で言えばボランテアというかNPOみたいな仕事らしい。

ここにも熱意に溢れた大正デモクラシーの教則本から書き写したような熱烈な文字が連ねてある。母だけではなくて、父も長い変遷を経て大きな変貌を遂げていたのである。いわばボス猿へのキャリア・パスとでも言えようか。

俺も変貌しなくてどうする、と三四郎はこころのなかで思った。