「優駿」を最後まで読みました。前に書いた様にベトナム戦争当時の世相の雰囲気を調べたくて資料として優駿をピックアップしたわけですが、今は昔の馬丁とか馬番単枠指定などの懐かしい言葉が出て来たがやはり競馬界がテーマで一般の世相のことではあまり参考にならなかった。単枠指定なんて懐かしいな。何のことだか分かる?馬単も馬番連勝もなかったころの話です。
社長令嬢が町で公衆電話を探して連絡するとか、車で走っていて電話ボックスを見つけるたびに停車して公衆電話をかけるとか(ということは自動車電話も普及する前であったことだ)、これなどうっかりすると携帯電話を登場させそうになるのを注意する意味では参考になるといえばなる。
さて、優駿と一緒に同じ著者の「泥の河」と「蛍川」の入った新潮文庫を同じ目的で買った。「泥の河」を読んだ。これは1977年の太宰治賞作品だそうだ。50年に一度くらいは太宰治賞もいい作品を選ぶね。もっとも、ほかに太宰治賞の作品は読んだことはないのであるが。
解説は桶谷秀昭氏である。これはいい。古風な小説というが昭和三十年を描けば古風になるわけで、作風には古風という評はどうかな。とにかく時代の雰囲気はくっきりと描かれている。大阪のことはしらないが、東京でも似たようなものだったであろう。
「原色の町」とかいう作品があった。読んだかどうか記憶しない。とにかく、内容の記憶はまったく無いのであるがタイトルがいかにも戦後の日本の町を一句でよく表現していたと感心したのである。
廃墟とそこから復興に無秩序に立ち上がる熱気が町中に溢れていて、そこらじゅうに原色が散乱しているという印象に括られるだろう。町の明るさも現在より数段鮮明だったような気がする。現在の日本の町が60ワットの照明下あるはサングラスを通して見た色調だとすると、裸眼に飛び込む200ワットの照度であった。
照明が強烈であれば影の暗さもまた現在とは比較にならない。そんな暗さを少年少女の描写から浮き上がらせたのが「泥の河」である。ひさしぶりにいいものを読ませてもらった。