穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

宮本輝の『優駿』と『泥の河』

2016-06-30 09:35:45 | 宮本輝

 「優駿」を最後まで読みました。前に書いた様にベトナム戦争当時の世相の雰囲気を調べたくて資料として優駿をピックアップしたわけですが、今は昔の馬丁とか馬番単枠指定などの懐かしい言葉が出て来たがやはり競馬界がテーマで一般の世相のことではあまり参考にならなかった。単枠指定なんて懐かしいな。何のことだか分かる?馬単も馬番連勝もなかったころの話です。

社長令嬢が町で公衆電話を探して連絡するとか、車で走っていて電話ボックスを見つけるたびに停車して公衆電話をかけるとか(ということは自動車電話も普及する前であったことだ)、これなどうっかりすると携帯電話を登場させそうになるのを注意する意味では参考になるといえばなる。

さて、優駿と一緒に同じ著者の「泥の河」と「蛍川」の入った新潮文庫を同じ目的で買った。「泥の河」を読んだ。これは1977年の太宰治賞作品だそうだ。50年に一度くらいは太宰治賞もいい作品を選ぶね。もっとも、ほかに太宰治賞の作品は読んだことはないのであるが。

解説は桶谷秀昭氏である。これはいい。古風な小説というが昭和三十年を描けば古風になるわけで、作風には古風という評はどうかな。とにかく時代の雰囲気はくっきりと描かれている。大阪のことはしらないが、東京でも似たようなものだったであろう。

「原色の町」とかいう作品があった。読んだかどうか記憶しない。とにかく、内容の記憶はまったく無いのであるがタイトルがいかにも戦後の日本の町を一句でよく表現していたと感心したのである。

廃墟とそこから復興に無秩序に立ち上がる熱気が町中に溢れていて、そこらじゅうに原色が散乱しているという印象に括られるだろう。町の明るさも現在より数段鮮明だったような気がする。現在の日本の町が60ワットの照明下あるはサングラスを通して見た色調だとすると、裸眼に飛び込む200ワットの照度であった。

照明が強烈であれば影の暗さもまた現在とは比較にならない。そんな暗さを少年少女の描写から浮き上がらせたのが「泥の河」である。ひさしぶりにいいものを読ませてもらった。

 


明日の競馬は馬丁組合のストにより中止

2016-06-24 08:09:06 | 宮本輝

宮本輝「優駿」の良い所、悪い所 

現在上巻の終わり当たりです。進行形書評を。

競馬サークル(生産者、馬主、調教師、騎手、馬丁<差別用語かな>、競馬記者)を描いたところはいい。あたしがアウトサイダーだから真偽は判定出来ないが、いかにもありそうに書いてある。面白く読める。

一方興ざめなのが青少年婦女子を描いた部分である。恋愛とか色事のところですね。著者はあまり得意とは思えない。描写に艶がない。

それに比べて、競馬サークルを描いた所はツヤがある。イギリスの騎手あがりのディック・フランシスという推理作家・冒険小説作家がいるが、勿論描いている国が全く違うが、描写にツヤがあると言う点では宮本氏の方が優る。岩波剛さんもドストとの見当違いな比較をするなら、ディック・フランシス作品との比較をすべきだったね。

ポリフォニーというが、それなら青少年を描いたところも水準に達していなければならない。ドストにも妙なところはあるが、力量の差は比較を超えている。

前回、当時の世相を知るために小説を探していたと書いたが、そのころ馬丁から厩務員という言葉に変わったわけだ。正確な年月は不明だが。あたしも競馬をやるが時々長い中断がある。勝(的中)が不自然に続きすぎたときと、負け(外れ)が不自然に続きすぎた時はしばらく馬券を買わないのである。いつかアタシの競馬哲学でも書こうかな。

そんなある中断のあとで久しぶりに競馬を再開したら競馬新聞に厩務員なんて言葉がある。長い間意味が分からなかった。

馬丁は差別用語だというので馬丁組合が騒いだらしい。それでこの「非日本語」に変わったようである。「優駿」に書いてある。馬丁組合は戦闘的で左派勢力が浸透していたらしく昔から何かというとストライキをした。競馬場にいくと「馬丁組合のストライキにより本日の開催は中止」という立て札があったりした。中央競馬でですよ。

昔競馬開催が中止になるのは大雪と馬丁ストに限られていた。大雨の時には中止にならないのだね。大雪だと地面が見えなくなるので、馬がおびえるせいかもしれない。雪だとすべるから? それならどろんこの不良馬場も同じだからね。そうそう、一度新潟だったかな、台風で開催中止になったことがあったっけ。

 続く予定(最後まで読めれば)



宮本輝 「優駿」

2016-06-21 19:14:25 | 宮本輝

なぜそんなものを読むかとびっくりする人がいるかもしれない。実は別稿で「小説のようなもの」を書いていて、ベトナム戦争時の世相を確認する必要があった。べつに資料は小説でなくても良いのだが、ここが小説等の書評ブログなので、資料的な小説がないかな、と探してみた。これが意外にない。おおまかにいえば1960−1975当たりなんだがね。

携帯電話がまだ無かったことは間違いないと思うんだがな。JRはまだ国電なんていっていたような。自動車電話はあったような。ちょいと小味をきかそうと思ったんだが、そのくらいのことしか思い出さない。そこで小説を探したんだが、ようやく見つけたのが優駿なわけ。ベトナム戦争より小説がカバーしている時機は前後に長いんだけどね。これが新潮文庫で上下二巻。こんなに長い小説はよほどのことがないと読まないのだが、他になければしょうがない。いま上巻の176頁。いや、ひろいものだった。なかなかいい。

いつも途中か最初に解説を読むんだが、これは全くのピント外れ。岩波剛とかいう演劇評論家だそうだが、やたらドストエフスキーと比べる。とんちんかんだ。

ほめるならもうすこしましな褒め方がほしいな、プロなら。もっとも作者はこの解説をつけるのを認めているのだから、ドストと比較されてまんざらではないのかも知れない。

そうそう、もう一つ、小説の記述によると1960年頃らしい(複雑な計算をしたので間違えているかも知れない)が、JRAはまだオッズを発表していなかったなんて書いてある。さっそく確認しなくちゃ。これもなにかに使えるかも知れない。そういえば、いまはない競馬新聞もあったな。

JRA文化賞を取った小説というが分かる。面白いことには異論がない。文章がうまいということだ、わたしが面白いというのは。ドストがどうのこうのなんて関係ない。 

そうそう、東京都庁は鍛冶橋にありましたね。いま国際フォーラム(東京フォーラムだったかな)のあったところです。これは使わせていただきました。