穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

論理哲学論考に対する挑発

2020-01-01 23:01:14 | ウィットゲンシュタイン

 論理哲学論考(論考)は1918年に完成しその後出版された。Wの思考はその後発展していわゆる後期思想へと移っていったと言われる。しかし、W自身は論考の内容を部分的にも否定していないようだ。また、彼が生前出版したものは(モノグラムはあるのかもしれないが)論考だけである。だから第三者が論考をWの思想として捉えて批判するのは当然である。たとえば第三者は1946年のポパーである。

そして論考とはこれまで僭越ながら小生が述べたように穴の多い、つまり批判の対象になりやすい内容である。もっとも、そういう人物は少数かもしれない。現在でも彼の読者は論考に「うっとりしてしまう」(岩波文庫訳者の解説による)のであるが。

1946年当時Wはすでに学会のビッグネームである。ポパーは売り出し中の新人である。ポパーは論考を対象としてWを挑発する作戦だったと推量する。そうすると、すぐにかっとなりやすいWが興奮して我を忘れたという事件の背景が見えてくる。ポパー自身、事件を回顧して挑戦だったとか、挑発だったとかいう言葉を使っていたと書いているそうである。

以下はポパーがそう言っているということではないが、前回触れた6.53にある「科学的命題」という表現も妙だ。普通そういう言い方はしないだろう。自然科学の探求は科学的命題を作ることではない。自然法則の探求、発見を目的とするものだ。Wが自然科学を珍重するのはいい。しかし、科学とはどういうものか、ということに一言も触れないのはどういうことだ。

自然科学活動の最大の問題は方法論である。自然科学がどういうものであるかを論じなければ6・53のような結論は出せない。また、探求の方法はどうあるべきか、を論じるのが科学哲学であろう。そこにまるで触れないのは科学哲学者のポパーにとっては最大の欠点と見えるだろう。この辺を突かれてWは激高したのではないか。

「科学的命題」(Wの評言を使うなら)の作成は科学活動を先導する場合もあるだろうし、後追いする(つまり研究活動の後始末、整理、お掃除)場合もある。そして実際は後追いになるだろう。先行するというのはドグマに基づいて研究するということだから望ましくないことが多い。

そして「科学的命題」(Wの言葉を使うと)つまり科学法則とは仮説を作るということではないか。新しいデータが観測発見されて仮説が覆がえされない限り、「仮説」は「法則」なのである。大抵の人は専門家でも仮説をドグマと考えているが。

Wには自然科学論がない。概念のないところに適切な表現はない。彼には認識論と科学の方法論に対する思考が欠けている。したがって、6.53は「無意味」である。

 


強烈なハレイションを起こす男ウィトゲンシュタイン

2020-01-01 07:51:52 | ウィットゲンシュタイン

 ウィトゲンシュタインの立場から言うと師フレーゲも最大強力なサポーターで彼を世に出したバートランド・ラッセルもウィーン学団もWを理解していない、誤解している。ラッセルには面と向かって何度も宣言している。火かき棒事件のあともWはラッセルに「あなたはいつも私を誤解しているね」と言ったそうである。

 時空を異にする第三者である私にはラッセルやウィーン学団のメンバーが誤解していたかどうかは分からない。しかしすでに一世紀を経た現在も多くと哲学教師や学生から相変わらず熱狂的な支持を受けている。それが誤解かどうかは不問に付すとして。一言でこれを表現すれば、大狂気のように漆黒の闇を貫いて天地を二分する稲妻がWと言えようか。あるいはその閃光を受けたものに強烈なハレイションを惹き起こすものと言えようか。

 哲学的命題はすべて無意味であるという。ちなみに哲学的命題とは何かの定義はおろか説明もない。無意味であるという証明は論考を通読したところ一例もないから頭の悪い人間にはドグマだけ示されても理解できない。また、彼がいろいろと述べているところから自明的に誰にでも証明できるとも思えない。

 推測するところ(根拠はないが)科学的命題のみが正しいというごく常識的な通説のようである。ただし、このことが推測できるのは(6-53)のみである。

6・53:『自然科学の命題以外は、それゆえ哲学と関係ないこと以外は、何も語らぬこと。』
これは単純な話だが、文章としてもおかしいね。「哲学に関係ないこと」は「すべて自然科学の命題」ということになるが、そんなことがあるのかね。

 Wは自分のやっていることは『無意味』だという思いにとらわれることが多かったようだ。
人口に膾炙しているのは6-54の
『私を理解する人は、私の命題を通り抜け、その上に立ち、それを乗り越え、それがナンセンスであることに気づく』、、、
『いわば梯子を登り切ったものは梯子を投げ捨てなければならない』

 このくだりは有名だが、今度初めて読んだ序にも同じようなことが書いてある。
『本書の価値の第二の側面は、これらの問題の解決によって、いかにわずかなことしか為されなかったも示している点にある』
やれやれ、、、

 


Wの火掻き棒振り回し事件の真相を推理する

2019-12-31 09:01:33 | ウィットゲンシュタイン

 さて、若い諸君にまず聞かなければならない。火かき棒とは何だかわかりますか。現在使っていないから多分知らないだろう。まずその辺から始めなければならない。驚いたことに辞書にはヒカキボウは勿論ヒカキという言葉もない。ところが和英辞書にはある。なんじゃい。私の見ているのはシャープの電子辞書である。この国語辞書の収録語数はすごくおおい。広辞苑と乙甲(オツカツ)だろう。もとは「三省堂スーパー大辞林3.0」である。英語は新和英大辞典である。

 和英によるとヒカキとはfire rake あるいはpokerのことである。棒はつけても付けなくても意味は変わらない。
これでも諸君には分からないか。弱ったな。昔はね、石炭ストーブというのがあった。というより暖房というと大体石炭ストーブだった。こたつを卒業したハイカラな洋風建築の家庭とか、学校ではね。火の勢いが弱くなると火掻き棒をストーブに突っ込んでかき回した。ま、そういうもの。だから鉄の棒でしょっちゅうストーブに突っ込んであるから灼熱して鉄は赤変している。黄変まではいかないけどね。

 そのヒカキボウを興奮したWが議論相手に向かって振り回して追いかけたというのが事件である。時は1946年、場所はイギリスたしかケンブリッジ大学のWの研究室。出席者はW,ポパー、学生たち、バートランド・ラッセル。
世に喧伝された事件であるにも関わらず目撃者、当事者の誰もがどんな議論が原因だったかマチマチ、バラバラな報告をしている不思議な事件である。

 目撃談は多数ある。出席した学生や大学関係者(主として大学の教員)、ラッセル、そして当事者のポパー。いかしいずれも事件の発端となった議論についてはまちまちな証言をしていてとりとめがない。

 ここでポパーのことを少々。彼は亡命ユダヤ人でアメリカ人の科学哲学者である。終戦後間もない46年かれはスキャンダラスなプラトン批判を引っ提げて華々しく登場した。ナチスの思想的背景はプラトンであるというのである。この議論は十分に成り立つ。プラトンの国家などを読めばね。しかし、ヨウロッパでプラトンの権威に挑戦することはまずない。学会のタブーである。ナチスと死闘を繰り広げたイギリスでさえもありえないことでポパーの来英はスキャンダラスな事件ではあった。これは当時の背景であるが、これがWを激高させたとは考えられない。W自身が50パーセントのユダヤ人だし、あれだけ口汚く形而上学者を罵っていたWがプラトンの権威が挑戦されたからといって怒るわけがない。

 ポパーはその後数十年経ってから回想録?「開かれた社会」で事件に触れているが原因となった議論の中身には触れていないのである。以下は当事者たちが沈黙しているWがブチ切れた原因を推理しようというものである。

 


徒然(トゼン)に耐え兼ねウィトゲンシュタイン(W)を再読

2019-12-30 20:43:22 | ウィットゲンシュタイン

 気分転換に隙間時間を利用してW氏の論理哲学論考を選んだ。短いのがいい。箇条書きなのがいい。パラパラと適当なところから拾い読みできる。岩波文庫には著者の序が付いている。2ページと5行。短くてますますよろしい。序を読むのは初めてでもある。

 面白い文章に早速ぶつかった。逃げを打っているのか、開き直っているのか、上から目線なのか分からないが、

引用開始:私のなそうとしていることが他の哲学者たちの試みとどの程度一致しているのか、私はそのようなことを判定するつもりはない。実際私は、本書に著した個々の主張において、その新しさを言い立てようとはまったく思わない。私が一切の典拠を示さなかったのも、私の考えたことがすでに他の人によって考えられていたかどうかなど、私には関心がないからに他ならない:引用終わり

 ま、すっきりしていますな。こういう序は珍しい。謝辞が長々と続いたり、参考文献の数ページに及ぶ紹介があったりするのが多いですね。こういわれてみて初めて考えてみると、思い当たる節がある。もっとも読んだのはだいぶ前なので正確な引用は出来ないが、たとえば彼が頻繁に使う『示すことは出来るが、語ることは出来ない』という表現。これは中世スコラ哲学のアナロギアと存在の一義性の議論を思い出させる。

 すこし別の話になるがWと自然科学の関係も非常にあいまいで分かりにくい。一般的には、というよりも専門家の間でもWは科学哲学者の仲間と考えられている。だから当時の科学哲学者の集団であったウィーン学団のメンバーから熱視線を送られた。ところが論理哲学論考を読むと分からない。彼自身もウィーン学団の慫慂にあいまいな態度をとった。なかなか端倪すべからざる人物だったようである。彼自身、似非科学ともみられる精神分析に関心を持っていたとも言われるしね。これは論理哲学論考からは考えられないことである。

 だんだん思い出してきた。ポパーとの大喧嘩について思いついたことがあるので次回に書きましょう。Wは方法論としての科学哲学では非常に素朴な考えの持ち主だったらしい。


Wとヒトラー、ウィトゲンシュタインの火かき棒(八)

2018-09-28 08:50:58 | ウィットゲンシュタイン

 彼の伝記評伝で大抵触れられているがWとヒトラーは同時期同じ工業高校に通っていた。Wは上級生であった。証言、証拠がないからだろう、触れているのはここまでで両者に面識があったかどうかに言及しているものはないようだ。

  その当時ヒトラーがどういう生徒であったか不明だが、Wは相当目立つ生徒だったに違いない。あの風貌、性格からして目立つ存在だったろう。W家はオーストリアきっての音楽家や画家のパトロンであって、W家に出入りしていた音楽家名を見ると著名な音楽家を網羅している感じである。Wの兄パウルはピアニストで、第一次大戦で右腕を失ったが、ロシア、イギリスの有名な作曲家を含めてヨーロッパの多くの作曲家がパウルのために「左腕のためのピアノ曲」をかいている。

  ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインの五歳の誕生日にたしかメンデルスゾーンが「ルキ坊やのために」という曲を献呈している。Wの父は画家のパトロンでもあった。クリプトに彼の娘たちの肖像画を描かせている。

 ヒトラーは画家になりたいという希望があったらしいから、有名なW家のことを知っていたことはほぼ間違いないだろう。Wとヒトラーが直接知り合っていたかどうかは勿論不明である。

 

 


「私はユダヤ人だから」、ウィトゲンシュタインの火かき棒(七)

2018-09-27 07:39:03 | ウィットゲンシュタイン

 Wは「私がユダヤ人だから、こういう考え方しか出来ないのか」と周囲に漏らすことがあったという。もちろん公に著書とか講義でいうわけがないが、親しい知人に言うことがあった。いかにも底の底まで掘り下げて考える人らしい自省である。そこまで下りていかなければ本当の思索家とは言えないのだろう。

  常日頃私が考えていることだが、人間の意識をパソコンに例えて考える。その場合意識と言うのは一部の人間の言うように「無意識」とかフロイトの言うesを含んでいる。皆様すでにご案内のようにパソコンと言う箱は三層構造である。アーキテクチャー(基板)、OS、アプリケイションである。無意識と言うのはパソコン自作者のよく知っている基板にあたる。OSも無意識に含めていいかもしれない。パソコンの基板には多くのメーカーがある。しかし、大体同じ機能である。細部では働きに違いがあるが、たいていの場合どのメーカーの基板をつかっても大体機能は同じである。人類みな兄弟のパソコン版である。短距離に強い人種もいれば、マラソンに強い人種があっても「人類みなきょうだい」というわけである。

  OSはご案内のように一般消費者向けにはマイクロソフトとMacの寡占である。少数Linuxなんてのもある。またOSもマニアでは自作する人がある。アプリケイションは作成者がOSを選んで、そのアルゴリズムに従って作成するから、MSとMac両方で使えるようにプログラムを組んでいない限り、OSを選ぶ。

  人間の意識もこれに類する。Wが「ユダヤ人だから」と言ったのは基板レベルか、OSレベルか、あるいはアプリケイション・レベルか。なお人によっては基板レベルすなわち無意識とかesを「機械」と言う人もいる。

 


論理哲学論考は詩的な文章、ウィトゲンシュタインの火かき棒(六)

2018-09-26 11:41:17 | ウィットゲンシュタイン

 このシリーズのどこか前に書いたが原文に当たらないといけないという文章の件。その時は記憶で書いたが、改めて日本文と英文で読んだので印象を少々。

  日本文は岩波文庫の野矢茂樹氏の文章である。英文のほうは何種類もあるとも思えないのでどの版と言うのは重要ではないと思う。ドイツ語を英文に訳すに当たっては、Wから何回もダメが入ったようで、ようやく現在の文章に落ち着いたということだ。つまり英文はWの校閲を経ていると考えてよい。

  さて、今回改めて拾い読みした印象はこの本は詩的文章が多い。中盤の論理学的というか、まったく技術的なところはそうでもない。性質上詩的に書いてもはじまらないからである。前半というか冒頭と終わりのほうは詩的な表現が多い。よく伝えられている逸話で論理実証主義者との会合で議論を始めようとすると、Wはみんなに背を向けて壁に向かってインドのタゴールの詩を朗誦したという。これはあちこちに出ている話だから本当なのだろう。

  さて前置きはこのくらいにして、6.522であるが、野矢訳では

「だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である」

英文では 

There are,indeed,things that cannnot be

put into words.They  make themselves 

manifest.They are what is mystical.

 野矢さんはindeedという思い入れたっぷりの挿入語を適切に訳していない。「もちろん」では不適切である。この語は厳密(言語分析流)にいえば不要の語であるが。このWの思い入れは何らかの形で訳すべきではないのか。

Put into wordsもほかに訳し方があるように思う。

Make themselves manifestを「示される」と訳しているがどうだろうか。むしろ「現れる呼びもしないのに」、という感じではないか。ちなみにこの表現には幽霊が表れるという意味がある。

 これはイチャモンではありません。本質的な問題というべきでしょう。

 


ポパーの空爆は成功したか、ウィトゲンシュタインの火かき棒(五)

2018-09-25 07:35:20 | ウィットゲンシュタイン

 ノンフィクションで「大激論」があったというのがテーマなら双方の主張を紹介して議論の帰趨がどうだったか、軍配はどちらにあげるのか(読者が)、水入り勝負預かりだったのかを読者が判断できるような詳細を述べるべきである。

  ところがくどくど、再三書いている割には議論の内容を読者に示していない。これには二つの理由が考えられる。一番目は著者が議論を理解できなかったということである。第二は縷々事実を述べるとどちらかの側からクレイムが出る。あるいは一方が不利になるように証拠を羅列するとまずい(著者の世俗的な利害関係からみて)と判断したかである。いくらなんでも、一番目の理屈は著者には失礼であろう。おそらく二番目の理由、配慮が働いている。

  当夜の出席者を色分けするとウィトゲンシュタインの親衛隊ともいうべき学生たち。ポパー。それ以外の哲学関係者の色分けはむずかしそうだが公然とウィトゲンシュタインに反対する教授たちは当夜の会合にはいなかったようだ。つまりどちらかと言うとウィトゲンシュタイン側。当夜はバートランド・ラッセルも出席していたが、どうも中立的でややポパーよりらしい。

  この中ではっきりと自分の当夜の主張を書きもので残しているのはポパーだけらしい。彼が事件後30年たって1976年に出版した自伝に当夜のいきさつを書いているそうだ。これを著者は紹介すればよさそうなものだがしていない。これは、かって日本語の翻訳が出たが今は絶版である(果てしなき探求)。小筆も読んでいない。

  ウィトゲンシュタインは事件5年後1951年に死亡しているが、なにも書き残していないようだ。事件後ラッセルとポパーで書簡を交換しているらしいが、ポパーはそのなかでラッセルの協力に感謝しているということだ。それ以外の出席者はなにも書き残していないようだ。

  ポパーは原子爆弾を二発投下したと自慢していたらしい。一つは1930年代に論理実証主義者の「検証」に対して「反証可能性」という爆弾を投下してウィーン学団を破壊した。もっとも、これはウィーン学団のリーダーだったシュリックがかっての自分の教え子に殺されたところも大きいようだ。

  もう一つの爆弾は1946年ウィトゲンシュタインと大喧嘩をした会合で投げつけた。ウィトゲンシュタインを完全にやっつけたと思ったらしい。今日の書店に多数並ぶウィトゲンシュタイン本を見るとそうとも言えないようであるが。

 


エンジニアとは、ウィトゲンシュタインの火かき棒(四)

2018-09-24 07:54:06 | ウィットゲンシュタイン

 このシリーズの第一回でWはエンジニアであったと述べた。言外に哲学者ではないと示唆したのである。エンジニアとはなにか。与えられた仕事で完璧を期すことである。たとえば新しいモデルの自動車の開発を命じられたとする。かれは与えられたスペックが完全に実現されて瑕疵のない製品を作ることが任務である。つまり具体的な限定された領域で完璧な仕事をすることがエンジニアには求められている。

  Wはそれが言語分析という領域で出来ると考えたのである。そして「悪いことに」それですべての形而上学的な問題は解決すると考えた。この文章の後段は明らかに間違いである。論理哲学論考を読むと最初のうちは勢い込んでいたが、どうもこれだけじゃだめだと気が付いた。だから終わりのほうで、世界には語りえないこともあると譲歩したのである。しかしそれは語りえない、示されるだけであると抵抗を示した。

  論理哲学論考を読むと、基本的な用語のセットは未定義である。語るとはどういうことか、示すとはどういうことか。なにも説明していない。これは原文少なくとも英語版でいかなる表現をされているか調べる必要がある。どういう言葉を「語る」とか「示す」と訳しているのか。いま手元に英語版がないが、こう訳せる英語はおびただしくある。そのうちのどれを充てているのか。

  西洋哲学史上、言語分析が精緻を極めたのは中世のスコラ哲学である。二十世紀前半に勃興した言語分析は二十世紀後半になるとスコラ哲学の成果に注目するようになった。スコラの哲学は神学を補強するために存在した(哲学は神学のしもべである)。現代の言語哲学もせいぜい科学哲学を含めた諸科学のしもべにしかすぎない。もっとも相手のほうは必要としていないだろうが。

  Wはエンジニアであってそれ以上でもないし、それ以下でもない。「それ以上ではない」とはあえてこの言葉を使えば「従来型」の哲学者が言語分析を低く見る立場である。「それ以下ではない」というのはエンジニアとしては「最高」ということで、これはWを取り巻く信奉者、取り巻きの意見である。

 

 


ウィトゲンシュタインの火かき棒(三)

2018-09-23 08:37:38 | ウィットゲンシュタイン

 たとえば、Wは神秘家だったという記述が数か所である。いずれも取材源は明記していない。そういう評価が彼のまわりで一般的にあったということだろう。

ここで「神秘家」というのはどういうことか、説明があるべきだか全然ない。つまりWは幽霊やたたりを本気で信じていたのか、あるいは彼の性格が傲慢でとっつきにくく、秘密主義的なことをそう表現しただけなのか。おそらく後者の理由で言われていたと推量するが。しかし著者が説明しないから分からない。最初の回で説明したが、論理哲学論考では語りうる世界の外に語りえない存在があると強調している彼であるから、いわゆるオカルティストであった可能性は十分残る。

 

ユダヤの血量について:

 彼および兄弟姉妹のユダヤの血量は75パーセントと言われている。これはナチスの法令では間違いなくユダヤ人として扱われる。彼はユダヤ教徒ではない。祖父の代からキリスト教に改宗している。いわゆる同化ユダヤ人であるがナチスはそんなことは考慮しない。

  ナチスのユダヤ人問題解決が本格化した当時Wはイギリスにいたが、彼の姉二人はウィーンで暮らしていた。亡命を勧めてもオーストリアを離れなかった。Wがナチス高官と直接取引をしたというのは広く伝わる話である。直取引をした相手はナチス副総統ゲーリングであったといわれる。この話は世上有名ではあるが具体的なことは、事の性質上明らかな記録はない。Wは長年求めていたイギリスのパスポートを取得した後直ちにベルリンに単身乗り込んだ。

  最終的に交渉はWおよびきょうだいが相続した海外資産のうち金塊をナチスに提供するということでまとまった。彼の姉二人はドイツ敗戦まで無事にウィーンで暮らしていけた。合意した金塊の量についても諸説あるようだが、この本では1.6トンと明言している。例によって根拠は示されていない。現在の価格でいうと60なし70億円に相当する。この金塊についても世上諸説がある。

  これが多いというのと、思ったより少ない額でうまくWがまとめたという考え方がある。Wの父は成功した実業家でオーストリアの鉄鋼業を支配し、ウィーンの不動産の半分以上を所有していたという。これを考えると70億円というのは少なすぎる。なにしろナチスはユダヤ人の財産を身ぐるみ強奪していたのだから。

  第一次大戦でドイツやオーストリアの経済が壊滅するのを見越してWの父は資産を外国に移していた。どれだけ移していたか、ノンフィクションなら追求すべきなのだろうが、この本の著者は全然調べてもいないようだ。固定資産なんかは海外にそう簡単に移せないから、おそらく動産、つまり内部留保だとか利益分を海外に移したのだろう。それにしても父親の事業規模に比較しても、70億と言うのは少ないようだ。もっとも海外諸国からの送金には厳しい為替制限や監視があったであろうから、銀行を経由しなくても済む金塊ということになったのかもしれない。それなら1.6トンということもありうる。だが、ノンフィクションならそこまで調べなければいけない。

  この種の特例すなわち血統上ボーダーラインにあるユダヤ人をドイツ人として認めてくれ、という申請は数千件あったというが、認められたのはWの場合のほか1,2件しかなかったという。Wはこの種の世俗的な交渉能力も高かったといえる。取り扱いのナチス側の事務取扱責任者はあのアイヒマンであったという。

 


承前 タイトルおよび著者について、ウィトゲンシュタインの火かき棒(二)

2018-09-22 07:02:47 | ウィットゲンシュタイン

前回取り上げた本についての続きである。

 翻訳のタイトルは「ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」である。さて原題は

Witttgenstein’s Poker; The story of ten-minute argument between two great philosophers

 である。ここは意訳せずに原題を直訳したほうがいい。たとえば「ウィトゲンシュタインの火掻棒(あるいは火かき棒) 二人の偉大な哲学者の間で交わされた十分間の議論」

 火かき棒が分からないって。困ったな。現代の辞書を見た。シャープ電子辞書にはないね。困ったな。おっと待てよ、火掻という言葉は辞書にあるね。じゃあー火掻としておくか。それでも暖炉や石炭ストーブで火をおこしたり、かまどで飯を炊いたりした経験のない連中にはわからないか。俺はしつこいからね、つぎに英和辞典を見た。pokerの訳には火かき棒とあるからいいんじゃないかな。とにかく本のタイトルは訳の分からないほうが売れるらしいしね。

 俺なんかでもヒカキボウという物体を思い出すのに0.2秒かかったからね。骨董屋にしか今は無いかもしれない。

  俺としては珍しく11ページから読み始めたんだが議論の内容の説明がいつまでたっても出てこない。表題の二人の哲学者の生い立ちだとか、性格を表す(と著者が思う)エピソード、そして交友関係が延々と続く。おかしいな、と思って巻末にある訳者の解説を読んだ。普通は著者の紹介があるが、この解説には著者についての解説が一行もない。異常である。それで持ち前の探索癖を出してインターネットで調べてみた。これは二人の共著なんだが一人のほう、エドモンズについてはごく簡単なことしかわからない。どうもBBC関係のジャーナリストらしい。経歴を見ると哲学については学部並みの知識しかないらしい。もうひとりのエーディナウについては情報がない。これでは議論についての満足な掘り下げは期待できない。

  肝心の10分間については、思わせぶりな記述が途中で何回も出てくる。ストリッパーが脱ぐと見せて何回もパンティに手をかけるが最後まで脱がないのに似ている。この種の叙述テクニックは著者の得意とする手らしい。そして最後の2,30ページになるとやや詳しいのが出てくるが、やはり「哲学的な解説」には程遠い。

  ようするにジャーナリストとして周辺人間の取材を幅広く行い、資料もひろく集めているからその辺からWとポパーを中心として交友関係とか社会事情(二人ともユダヤ人でナチスの迫害を逃れるのに必死だった)を知るにはやや興味深いかもしれない。もちろん著者たちの取材、資料収集が適切で信頼できるとしたらであるが。つづく

 


ウィットゲンシュタインは工学士である、ウィトゲンシュタインの火かき棒(一)

2018-09-21 10:04:01 | ウィットゲンシュタイン

 もともとウィトゲンシュタイン(以下W)は哲学者ではないと思っている。Wは何回か(つまりオン アンド オフで)ケンブリッジ大学の哲学教授ではあったが。

  かれは本質的にエンジニアである。学齢期つまり大学卒業まで工学専門学校で学んだ。父の意志によるものと思われる。工業関係の専門学校出である(要確認)。彼は専門学校当時に同じ年代のギムナジウムの学生がそうであったような、教養としての古典教育、哲学教育は受けていない筈である。

  彼は第二次大戦時ジェットエンジンの開発段階に関連技術で特許を得ている。また、建築に熱中した時期もある。彼の姉の屋敷は彼の設計したものである。彼の考えの根本を支配する概念は工学的な考えである。いわく厳密さ、検証可能性、真理値など。ウィーン学団のメンバーが誤解したように科学哲学でもない。Wが論理実証主義者のメンバーに慫慂されても彼らと距離を置いていた。

  彼はまた神秘主義者であった。無意識領域にも強い関心があった。青年期の彼の愛読書はショーヘンハウアーの「意志と表象としての世界」である。また、フロイトの学説にも強い関心を寄せていた。

  「論理実証主義」の6.5.22、「だがもちろん言い表しえないものは存在する。それは示される。それは神秘である」。これがWの世界観である。現代の科学万能主義者の目から見ればオカルトである。

  彼の「論理哲学論考」は「言葉で言い表せるもの」の分析であり、Wの考える世界のごく一部分にしか過ぎない。前期では言葉は論理的側面に限られていたが、いわゆる後期では日常用語に変わっただけである。

  さて、何をいまさらWか、であるが(このブログでは前にWについては散々書いてきた)、最近ポパーの本を読んだ。かれは自然科学、素粒子理論や量子力学の形而上学上の前提を論じているので興味があったのである。

  大分前に単行本の翻訳で「ポパーとWとの間で交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」というのがあったのを想起したのである。先日なにげなく某書店内をそぞろ歩きしていたところ、この本が文庫になっているのを見たので買った(筑摩文庫)。まだ途中まで読んでいるところである。この本の感想は後便でお伝えしたい。