穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

反時代的考察 7 新型iPhoneに触る

2015-09-30 20:12:55 | スマホ

 25日に発売されたiPhone6sのplusのほうを店頭のデモ機で触ってきた。

iPhoneは不案内なので見当を付けていじったのだが、取り立てて感銘を受ける所はなかったな。

これは最新のアンドロ坊やにも言えることだが確かに視認性はかなりよくなった。4・7インチと5.4?インチの差は感じないね。4.7とplusの5.?を比較してもさしたる違いは実感しない。

タッチ入力は非常に不安定で(両者とも)実用性に欠ける。特にバスなど揺れている所では反応が敏感なだけ、誤入力が多発する。じっくりと静かな所で慎重にタッチしないとだめだ。これは携帯性とは矛盾する特徴だ。

タッチだけど人によって、強さとか長さは違うがその辺は識別して、その人用に端末の方でアジャストする性能はあるのかな、そういう人工知能はあるのだろうか。体感的にはスマホの方で使用者のくせにあわせて来ているのではないかと感じるが(一ヶ月使用の経験から)、買いかぶりかしら。

パソコンにもスタンドバイ機がないと不安だし、ガラケーとちがってスマホはかなり故障が多そうだからアンドロのスタンドバイとしてsPlusあたりを買おうと思っている。電話なんてやることが決まっているからアンドロイドでして、plusはネットに特化してね。

携帯、スマホは電話とデータ通信料金は別建てだから、アンドロイド電話回線料金だけ、iPhoneはデータ通信だけとかの使い方が出来るか今度聞いてみよう。

 


村上春樹「職業としての小説家」

2015-09-25 09:15:14 | 村上春樹

表題のタイトルは多少違うかも知れない。記憶で書いているので。まだ買っていないのだ。先日書店で後書きを読んだだけである。 

1800円という値付けに興味をひかれた。薄い本でたしか250頁くらいだ。これまでの村上春樹の(本の)値段が高いと思ったことはない。安いとも思わないが大体出版屋が付ける標準的な値段という感覚がある。この本は、なにも本は目方や活字数で値段が決まる訳ではないが、大体1400円か1600円の本だ。

1800円という値段はそうは売れないだろうという出版社の見積もりの結果だろう。そうは言っても一般の作家の本よりかは売れるわけで、取り次ぎを通さないで紀伊国屋にまとめて卸すという「うけ狙い」も効果があったのか、いまではどの書店でも山積み(平積みというのかな、業界用語では)だし、早くも第二刷となっている。だから売れないというのは村上氏の本としては、という相対的な商売感覚だと理解した。

さて、書店であとがきだけ立ち読みした。たしかに地味な内容だ。誠実に書いているようだ(後書きを読むと)。体系的な(網羅的かつクロノロジカルな)職業的自伝というのではない(ようだ)。といってどうしたら小説が書けるか、とかの内容でもないだろう。村上氏がそんなハウツー物を書くこともあるまい。 

ま、いずれ買うかも知れない(本文を読むかも知れない)。このブログは読む前書評とか、進行形というか10頁読んだところで書評を書くとかいうのが得意でね。今回はとりあえず、表紙(値段)と後書きで得た感触に基づく書評?である。

それにしても、来月早々にはノーベル賞の発表がある。それにタイミングを合わせた出版なのかな。出版業界というのは千三つ屋(不動産屋)以上にあざとい商売をするところだからな。

 


反時代的考察 6

2015-09-15 09:55:57 | スマホ

 某社には遠隔操作サービスというのがある。おまけに有料である。有料で特別にスマホに特化しているならいつでも電話が繋がるだろうと思って入った。ところがこれがつながらない。有料サービスであるにもかかわらず、しかもガラケーと違って新しい機種であるからマンパワーも十分に投入した体制をとったものと理解したがとんでもない。 

もっとも、これは会社としては十分に人員を投入したつもりが、問い合わせの数が予想を遥かに上回ったという事も考えられる。つまりユーザー・ノンフレンドリーの極にあるのがアンドロイド端末ということになる。おそらく、この解釈が正しい。金まで取って対応を取るのだから、十全の、これだけの人員を配置すれば絶対大丈夫と会社は判断したのだろう。もし、そうでないとしたらとんでもない話だからね。

インターネットを見ると青少年だろうが、スマホを操れないのは馬鹿だみたいな書き込みがある。どんな未成年なのかな。 

それと、このサービスの電話の最初の応対で例によって番号を選択させるところがあるが、そこで「iPhone、iPadの場合は」何番を押せとか誘導する所がある。そうすると、iPhoneのアフターケアもやっている訳だ。これはこのシリーズの最初の回で紹介した販売員の説明「iPhoneは端末を売るだけでアフターサービスはマックに行かなければならない、それに比べてアンドロイドなら大丈夫」というセールストークは真っ赤な嘘だったということになる。

それと、この番号案内のテープ、自動音声録音なのか、在日並の妙な声だ。失礼だよ、客にたいして。たいして金のかかることもないだろうし、声のいい職員もいるだろうに、清く美しい標準語で案内してもらいたいね。某社はもう言っていいだろう。D某社である。舞台は八重洲東京駅二階の旗艦店である。


反時代的考察 5

2015-09-11 09:20:02 | スマホ

*   ウィンドウショッピングのすすめ

このシリーズもしつこいね。5回目だ。いつまで続くのかな。 

Aショップ、Dショップ、Sショップ(アルファベット順)というのは直営販売店ではないらしいな。いわゆるフランチャイズらしい。マクドナルドと同じだ。親会社が店のレイアウトだとか、セールスのスタンダードを作り、契約した小企業や個人でショップをやりたいという所に名前(暖簾)を貸してノウハウと製品を下ろすのだろう。売り上げは契約で決めた割合で折半をする。

マック(ドナルドのほうだが)のトラブルの際にも言えたことだが、こういうスタイルでサービス品質を均一化するのは難しい(高い水準でね、低い水準で統一するのは容易である)。だから店によってばらつきがある。顧客はよろしくウィンドウショッピングをすべきだ。暇のあるひとはね。

驚くほどのばらつきを発見するだろう。都心にあるショップだから高いサービス品質を維持しているということは言えない。大きな店で外見では旗艦ショップとみえるところがセンスのいい商売をしているということは言えないのが面白いところだ。

このあいだ、某社の電話サービスに質問した時に、昨日書いた「捨てるな危険」ビラについて聞いたら、ビラ、チラシはショップごとに作るそうで、ははあフランチャイズだからだな、と理解した。

 

 


反時代的考察 4:

2015-09-10 20:58:28 | スマホ

 * マニュアルはインターネットでも見つからないの巻

このごろは「最初に」とか「はじめに」とかいった一枚のチラシしかくれない。そのかわり、大抵はインターネットから取説をダウンロードできる。買ったときの担当研修生某の説明ではgoogleのアカウントを登録しないとダウンロードできないという。そんな馬鹿なことがあるか。客を馬鹿にするのもほどがある。しかし、研修生を相手に怒っても始まらない。

で先日インターネットで検索をかけた。「機種名、取扱説明書」でね。ずらずらとヒットしたが、ほとんどのサイトは会社のアドレスに入っていない。私はこういうところの頁は開かない。由緒ただしい社名の入ったサイトを開く。

ありました。機種を特定しろとプルダウンリストが出て来た。クリックする。「該当する機種はありません」とご回答なさる。間違えたかな。間違えていない。それに自分で入力したのではない。リストから選択したのだから間違えようがない。どうなっているのだ。

この場合は関係ないと思うが、頁によってはクッキーの設定が関係することがある。念のために、とオンにしてみる。勿論関係ない。ということはどうしてもgoogleに登録しないといけないのか。

そういえば、と思い出した。契約の時にgoogleを申し込む時に読めというチラシをくれた。思い出してそのときの資料から引っ張りだした。おそろしいね、大きな文字で「捨てるな危険」と書いてある。大体客にいう言葉かね。そしてやはり大きな字で「データ消失の怖れあり」と続く。!!マーク付きである。

なるほど、googleに申し込まないと、かのグーグルが端末を監視していて、悪さをしかけてくるわけか。それでこの間貰ったメールが知らない間に消えているのだな。機体の欠陥だと思っていたが、さにあらず、グーグルが手を出していたのだ。私信の保護等破るのは平気らしい。

デルの社員に化けたCIAの職員がいたな、日本でスパイをしていてロシアに逃げ込んだ男が。グーグルもそういう御用を勤めているのか。

それともチラシ作成者が在日かなんかで、日本語をしらないのか。

こりゃあ妻妾同居にしなきゃいけないだろうな。つまりアンドロイドとiPhoneの二刀流である。

 


反時代的考察 3

2015-09-09 09:22:23 | スマホ

昔は9月9日を重陽の節句といった。これは以下の内容と全く関係のないことであるが。

さて、MacのOSを淵源としているiPhone、iPadの模倣であるアンドロイドは各種マックOSのアイデアであるユーザー・フレンドリネスを体現しなければならない筈である。ところがそうではない。開けてびっくり、じゃない、買ってびっくり兼がっかり。

一人で画面を睨めても見当がつかない。で某社に電話する。繋がらない。そこで解説本を買いに外出した。ときどき書店に行くとスマホの解説本が並んでいるのを見ていたからである。

そこでびっくり、アンドロイドの解説本は端末のメーカー別、さらに機種別に本が違う。OSのバージョンが違えば解説書が異なるのは何となくわかる。ウィンドウがそうだからね。

メーカーが違えばガタイというかハードが少し違ってハード・ボタンが違うということはあり得るだろう。しかし、別の本にするほどの違いがあるのか。

パソコンでNEC、富士通、ソニー、東芝などでWIN8や10の解説本が違うのか。あんまりその種の本は買ったことが無いが、書店で気が付いたことはない。

アンドロ・スマホの解説本は異常である。もし自分の持っているメーカー、機種の解説本を買わないと役にたたないとすると、慎重に選ばなければならない。そこで表紙のタイトルを5回確認してから購入した次第である。

家に帰って困っている問題を解決しようと解説本を読むとこれがまるで役に立たない。ひどすぎるぜ。

次回はマニュアルのダウンロードということ。

 


反時代的考察 2

2015-09-08 20:16:44 | スマホ

アンドロイドOS1.6時代の端末の話を少しすると、これはたしか米国製であった。日本ではアンドロイド端末はまだ作っていなかったし、韓国は勿論生産していなかった。 

ハードの作りはなかなかスマートだった。小さくて軽かった。当然入力、視認性に大きな制約があった。そのせいだろう、段々スマホは大型化した。大型のスマホは重くて大きいから操作性が著しく劣る。三重苦でね(入力困難、視認困難、携帯しやすさが失われる欠陥)。

このトリレンマは救いようがない。入力、視認を改善しようとすれば携帯性能は犠牲になる。そしてこの三重苦は絶対に解決策がない。大きさ、重さが中途半端になり、携帯性が損なわれるのはさけようがない。それでいて入力、視認の困難が解決されるわけではない。

今のガラケーはその点では完成度が高い。ここ数年これ以上小さく、軽くならないからもう限度まできているのだろうが。100グラムちょっとということね。

ところが最近のスマホのパンフレットをみると大体120から130グラムになっている。大きさは中途半端でガラケーのサイズには及ばないが重量ではガラケーなみになっている。これもスマホに替えようかなと思った理由である。

あと、タッチパネルの問題が有る。ガラケーに比べて圧倒的に誤入力の確率が高い。そんな操作をしているつもりはないのに、何処かで触ったのかとんでもない所へ飛ぶ。画面プロンプトがガラケーに比べて極端にユーザー・アンフレンドリーだから、どう元の画面に戻ったらいいか分からない場合が多い(分かる場合も多少有る)。以上はアンドロイドである。iPhoneは触れたことがないが、iPhoneは使いやすいと聞くからやはりアンドロイドに特徴的な問題なのだろう。

次回、解説本にみる異常


反時代的考察 1

2015-09-08 02:39:50 | スマホ

久しぶりに携帯を買いにいった。数年使っていたガラケーの動作が不安定になることがあり、液晶は問題ないが音声が著しく劣化したのでとうとう買い替えることにした。

ガラケーからガラケーでなんら問題はなかったのであるが、久しぶりにスマホにした。その理由は第一にスマホの進化に対する興味である。アンドロイドのOSが1.6の時代に一年ほど使っていたが、これは私のライフスタイルには全く関係ないな、というのでやめた。聞くと最新バージョンは5だという。さぞかし進歩して便利になっただろうという興味である。

当時からiPhoneが圧倒的人気であったが、販売代理店がソフトバンクだったので対象外であった。最近はAUやドコモでも扱うというのでそれもあって、アイフォンを買うつもりで代理店に行った。

ところが某社某代理店に行くと、Iphoneを薦めない。ネガティブなことをほのめかす。これは意外だった。表向きの理由はiPhoneは売るだけで後のケアはしない(出来ないか?)、アップルでする。それは不便だということらしい。金も数万円かかるという。アンドロイドは自社で完全にケアするとほのめかす。ここでぐらついた。

そもそも、ガラケーからiPhoneあるいはスマホに移行しようと思った理由が、なにかあって質問しようと電話しても電話が通じない。いつも話し中である。繋がらない電話番号を案内するのは企業の反社会的行為である。そんなことでクレームをつけても時間のむだだ。なにしろ電話が繋がらないのだから。

私は考えた。これは世がスマホ時代に移行してガラケーのサポートにはもう人を回さないのであろう。それなら,私がここで折れてスマホにすれば、会社も一生懸命問いあわせにも応じるだろう。電話にもすぐ出るだろうと考えた。それでiPhoneはサービスが良くないと聞かされて方針を転換して結局某メーカーのアンドロイド機種をかわされた。これで酷い目にあった。 

このシリーズを反時代的考察と名付けたのは、私の述べる不都合、苦情は時代遅れの私だけのことで、世の中の青少年婦女子諸君はすいすいとスマホ世界に浸入し、軽々と使いこなし何の不便を感じないのであろうと思ったからである。電車のなかや道路でスイスイやっているのを見るとそうひがむのである。 >