穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

無意識の哲学

2012-12-29 09:11:42 | 書評
19世紀後半の『哲学者』にエドウワルト・ハルトマンというのがいる。

森鴎外が19世紀は鉄道とハルトマンの無意識の哲学をもたらした、と言ったとか。孫読みだからどこで言ったのか分からないが。

ニーチェがどこかで口をきわめてハルトマンを罵っていた。ニーチェは例によって理由を言わないから何故だか分からない。

そんでもって、前から気になっていたのだ。少し詳しい哲学史の本には必ず名前が出ている。解説が二、三行ついて。それを読んでも何を言っているのか分からない。

なお、別のハルトマンという有名な人物もいる。ここで言っているのはE・ハルトマンであるから念のため。

とにかく、19世紀の後半欧州の人気をさらった著作らしい。フランスの象徴派の詩人たちにも多大の影響を与えたというが、今では彼の著作はおろか解説書も皆無である。

しょうがないからOgdenの英訳書を取り寄せた。物好きなものだ。ニーチェは通俗哲学と罵っていたかな。森鴎外も通俗人気本に惑わされたか。

分厚い本でまず驚いた。ざっと読んでみるとどうも取り留めが無い。どこに肝があるのか分からない。これじゃ要約する方も大変には違いない。

最初の方を眺めると、当時の最先端科学、進化論、生理学、心理学、生物学から理屈をひねり出そうとしているようにも見える。

勿論先行するドイツ観念論者各位の説もぶちこんで折衷している。

現代でも通俗、啓蒙本でよく見られる手法のようにも思われる。誰かが帰納法的形而上学と言っていなかったかな。そんな手法があるのかどうか知らないが。こういう本は科学が進歩するとその度に理論を改訂しないといけない。現に無意識の哲学は頻繁に改訂が行われている。

記述にも首を傾げる箇所が多い。最初は翻訳がひどいのかな、と思った。

&: 鴎外は明治20年代の没理想論争とかいうので、ハルトマンを援用したらしい。そのせいか、インターネットでわずかに散見する記事は文学、評論家のものだ。哲学者の論文はないようだ(ようだ、と言っておこう、安全サイドをとって)。

どうもそれも彼の別の美学上の著書を援用したらしい。しかもシュヴェーグラーの哲学史の拾い読みらしい。また、たまたまヒットした文学専攻大学教師の論文も『無意識の哲学」原典に当たった形跡はない。

E.Hartmanは評論活動を盛んにしたようで、其の分野でのジャーナリステイックな活躍が一般の人気の秘密だったんじゃないかな。




三つ数えろ

2012-12-15 10:53:09 | 書評
映画(DVD)の話なのだが、前回のチャンドラー、大いなる眠り、のモノクロ時代の映画化なので触れておく。

結論から言うと『大いなる眠り」の映画化である「三つ数えろ」は駄作である。大分前にも書いたがよくチャンドラーが我慢したと思うくらいだ。

「三つ数えろ」というのは、小説中の挿話で、たしかカニーノとかいった殺し屋が言った台詞だと思った。映画のタイトルにはいいと思ったのだろうが。このDVDは現在でも入手可能かもしれないが、見る価値はない。



村上春樹訳「大いなる眠り」

2012-12-15 10:43:48 | 書評
昨日大規模書店に行ったらチャンドラーの「大いなる眠り」の村上春樹訳が山積みであった。

チャンドラーの翻訳は四冊目になるらしい。買ってきてまず読むのは村上のあとがきというか解説である。本文はまだ読んでいない。英文、翻訳で何回も読んでいるし、ゆっくり後で読んでみたい。

これまでの翻訳でもまず後書きを読む。読む価値がある。これまでの訳でもいずれも読んでいるが、八割は「そうだなあ」と思う。一割は新しいポイントに出くわす。一割は「へえ、そうかなー」という訳だが、それがいいのだ。

前回までの後書きと比べて一段と冴えているように感じた。前の後書きを、これを書く前に読み返した訳ではなく、記憶でものを言っているのだが、勿論そういう点で印象が強いのかもしれないが、今回の後書きは力が入っている。特に前半(311ページから322ページ)は必読だ。323ページ以降は(初めて読む人には参考になるが)すこし力が抜けている。

ノーベル賞受賞が噂されて身辺が慌ただしかっただろうが、孜々として(楽しみながら)チャンドラーを訳していた訳だ。