ハイデガーとナチスの関係はナチスが政権を取る以前に遡る。彼の妻は早くからナチスの信奉者であり、ハイデガーもナチス系の学者と交流があった。ナチスが政権についたのが1933年一月であった。四月にハイデガーはフライブルグ大学総長となり、五月にはナチスに入党している。
ハイデガーの念頭にあったのはアリストテレスとアレクサンドロス大王の関係である。少年時代のアレクサンドロスの家庭教師がアリストテレスである。アレクサンドロスは20歳でマケドニア王に即位し、ペルシャ、シリア、エジプトを征服しインドに攻め入った。
ヒトラーを歴史の最終段階に入った、つまり人類の歴史の頂点に位置するゲルマン民族の絶対精神の顕現と見たハイデガーが自分をアリストテレスに擬したことは間違いない。しかし彼の誤算はヒトラーが少年ではなかったことである。すでに政党の党首、政治指導者であった。ヒトラーとハイデガーは同じ年の1889年生まれの中年であった。彼の師父たらんとすることは幻想であった。彼の周りには多数の取り巻きがいる。海千山千の側近達がいた。まず側近達と衝突があった。そしてハイデガーは就任一年も立たず、慣れない政治闘争に破れ翌年1月にはフライブルク大学総長を辞任せざるを得なかった。
ナチスの政権基盤が確立する過程でヒトラーによって粛清されたナチス突撃隊との関係が深かったこともハイデガーの失脚に関係があったらしい。
ハイデガーはまだ45歳、先の人生は長い。ここでナチスを離れることは出来ない。たとえば、新撰組に入りながら途中で脱退するような者である。脱退すれば厳しいお仕置きが待っている。抜けるに抜けられない。ハイデガーはナチスが崩壊するまでナチス党員であった。
そこで彼が選んだのが「ニーチェ」執筆である。ニーチェはナチス公認の哲学者である。そして彼が選んだ対象がいい。「権力への意志」である。これはニーチェの遺稿で生前は出版されていない。ニーチェの妹が保管編集したものという。ニーチェの妹エリザベートは当時のナチス幹部と親善であった。ニーチェの遺稿をナチス公認版で研究している限り、それを批判的に考察しない限り、安全である。
当時ニーチェの遺稿はエリザベートが管理し、それはナチス党によって保護されていた。