「そういえば」と老人が思い出すように話し出した。「大分前のことですが大阪に出張したときに隣に座っていた初老の外国人夫婦がいたが、離陸後しばらくすると夫のほうが眼下の海面を示しながら(あれが大島だ)と妻に教えていた。なんでもない会話だが、その声の調子にとても感情が籠っているような、感傷的なトーンだったので、おもわず彼らのほうを見た。いまや外国人の観光客が溢れているが、そのころは日本に来る外国人はほとんどがビジネスマンだった。夫の口調がばかにセンチメンタルに響いたので、おやこの外国人、たぶんアメリカ人だろう、は大島の三原山にその昔新婚旅行にでもいったのか、そんなことはありそうもないので奇異に感じ余計私の注意を引いたのだと思う。大島なんて外国人には有名とも思えなかった。これが、あれが有名な富士山だよ、と妻に教えるならなんとなく分かるが、どうして大島なんだろう。それにしても彼はよく大島なんて知ってるなとおもいました。
妻のほうも窓に顔をくっつけて食い入るように眼下の景色を見つめていたが、私のいぶかしげな視線に気が付いて二人は黙ってしまった。それだけの話なんですけどね。今のB-29の話を聞いて思い出したんですよ。ひょっとしたら夫のほうはかってB-29の搭乗員ではなかったかな、とね」
「なるほどね。なにか訳ありな話ですね。彼が若いころに爆撃機の乗員だったとすると日本本土爆撃に何回も出撃していた可能性はありますね。そうだとすれば大島のことは熟知していたはずだ。ここを通過すればまもなく日本本土に達する。富士山も見えてくる。そこで右に旋回すれば横浜、東京の上空はすぐだ。日本軍の迎撃戦闘機も舞い上がってくる。高射砲の砲火も激しくなる。緊張の一瞬でしょうね。そして爆弾を投下して無事日本上空を脱出すれば真っ先の標識は大島だ。今回も助かった、という安堵があったでしょう。彼の青春そのものでしょうから、妻にも繰り返す話していたに違いない」
「そんなに危険な作戦だったんですか。一方的にやられまくった印象だが」
「結構アメリカの爆撃機の損傷も激しかったらしいですよ。物量戦で日本はじりじりとやられていったけど。
空襲も初めは高高度からの爆弾投下だったらしい。日本軍の戦闘機は6000メートル以上の上空では格闘能力が落ちるらしいんですよ。しかし高度1万メートルからの爆撃は安全だけど命中精度が低かった。そこでアメリカ軍は低空からの目視爆撃に切り替えた。そして命中精度を上げるために昼間の爆撃を始めた。ということは日本軍の戦闘機の反撃が有効になることでもある。また高射砲の的中率もぐんと上がることを意味している。B-29の搭乗員も命がけだったでしょう」
「そうですか、ところでさっきのムスタングの話だが、どうして硫黄島の陥落後なんですか」
「そうそう、その話でしたね。いま言ったようにアメリカ軍の機体の損傷も激しい。テニアンまで帰還できない機体も多数あったという。そうすると、日本上空で撃墜された機体は別として、そのほかの機は途中で海上に不時着するか墜落する。そうすると、アメリカ軍は救助に潜水艦を配備するほかなかった。そこで不時着用の飛行場が絶対必要なんですよ」
「そこで硫黄島か」
「そう硫黄島には日本軍が作った飛行場がすでにある。それをB-29用に延長すればいい。平敷の話だと硫黄島に米軍によって飛行場が拡張された後、そこに不時着したB-29は二千機を超えたという。それにここでムスタングが出てくる。これはアメリカ軍の最新鋭の戦闘機でね。航続距離が大幅に延長された。アメリカのそれまでの戦闘機は作戦範囲が狭い。航続距離が長い戦闘機としては日本のゼロ戦の作戦半径千キロというのがとびぬけていたがムスタングはそれに匹敵した。そこで硫黄島ということですよ。硫黄島から本土までたしか千二百キロぐらいかな。そのくらいまでムスタングはこなせたんですね。そこで硫黄島にムスタングが配備された。硫黄島の陥落が4月だから綾小路さんの記憶の、(温かくなるころから飛来襲撃の頻度が高くなった)という記憶と一致する。」
「そうすると、さっき話したアメリカ人の夫はムスタングの搭乗員だった可能性もある。日本人の小学生に機銃掃射を加えていたかもしれませんね」
作者注:インターネットで調べたところ、アメリカ軍上層部はムスタング操縦士に地上の非軍事施設や目標を攻撃することを命令していたという(ウィキペディアなど)。